特別

月満輝

特別

「それ何読んでんの?」

 マヤは得意げに表紙を見せてきた。英語の題名の下に、カタカナで『シャーロック・ホームズ』と書かれている。

「お前、そんなの読むようなやつだったっけ」

「たまには文学的な本読んだっていでしょ?」

「まぁいいけどさ……もしかして、俺が前読んでたから?」

 マヤはビクッと目を見開く。図星のようだ。

「何よ、急にニヤニヤして。気持ち悪っ」

「酷いな。ただ珍しく可愛いなぁって思っただけだよ」

 頬を赤く膨らませる。やっぱりマヤはよく顔に出る。そういうところが可愛いんだけどな、なんて本人には言わないけど。ぼーっとそんなことを考えていると、マヤは小さなノートに何かを書き始めた。

「何書いてんだよ」

「ユウキに言われて嬉しかったことまとめてるの」

「何で書いてるんだよ、気持ち悪い」

「酷っ」

「いやお前が言ったんだろ」

 少しムッとした顔でノートをこちらに向けた。既にいくつか(正直言ったことを覚えていない)言葉が書かれていた。

「元気がない時とかに、これ見て元気出すの。いいアイデアでしょ」

「わざわざ書き留めなくても、頼まれれば言うのに」

「いーやユウキは絶対に言わない。そもそも、こんなこと言ったのも覚えてないでしょ」

 ギクリとして目を背ける。マヤは嬉しそうに俺の顔を覗き込んでくる。

「やっぱり、図星だ。ユウキってわかりやすいよねー」

「勝手にしろよ……」

 はいはい、と悪戯っぽく笑う。そういうところは子供っぽい。ちょっとした言い争いでマヤが勝つことはほとんどない。勝った時、マヤは本当に嬉しそうに笑う。こっちが引いてあげていることも知らずに。まぁそこまで攻めてしまうと「大人気ない」と怒られることは目に見えている。

「お兄さん、拗ねてるんですか?」

「拗ねてませんー。どこかの誰かさんじゃないのでー」

 マヤはケラケラと笑う。以前より、本当に笑うようになった。出会ったばかりの頃は、関わることが少なかったが、話しかけても「うん」とか「わかった」しか言わなかった。ペアトークの時なんて、会話のキャッチボールが全く続かず、こちらが一方的に投げかけ、向こうは拾っても、すぐその辺に捨ててしまっていた。

 いつからこんなに笑ってたっけ。今のマヤが当たり前に思うようになってから、そんなことも忘れてしまった。

「あ、そうだ」

 マヤはペラペラとページをめくり、その中の一つを指さした。

「これ、覚えてる? ペアトークで私が全然喋らなくて、その時ユウキが言ったんだよ」

 それを見て、全ての記憶が押し寄せるように蘇った。同時に、急激に体温が上がった。


『お前笑った方が可愛いんじゃないの』


「俺こんなこと言ったな……何だこれナンパじゃねぇか」

「私びっくりしちゃってさ、授業中なのにめっちゃ笑っちゃった!」

 照れる俺の顔を見て、マヤはまた嬉しそうに笑った。仄かにピンクに染まる頬を、クイッと持ち上げて笑う。本当に嬉しい時、マヤはこうして笑う。他の人の前ではなかなか見せない、と俺は思っている。


 カシャ


「今の音何?」

「何が」

「聞き間違い……かな。何でもない」

 キーンコーンカーンコーン……

「あ、次移動教室じゃん」

 ノートをポケットに入れて、マヤは立ち上がった。持っていくのかと聞くと、コクリと頷いて、マヤは教科書をもって、友達と行ってしまった。教科書をもって立ち上がった。

「ユウキ、お前何ニヤニヤしてんだよ」

 そう言われて、初めて自分の口角が上がっていることに気がついた。俺もあいつが笑うようになって、さらに笑えるようになった。いじっていたスマホを覗き込まれそうになってポケットに入れた。見せろ見せろと煩いやつらを押しのけて、化学実験室に向かった。

 誰にも見せるもんか。あいつの可愛い顔は俺だけが見れる特権だ。スマホを取り出し、電源を入れた。開かれたままの写真フォルダには、マヤの写真がたくさん入っている。初めは、笑うことが珍しいマヤの笑顔を取っておこうと思って写真に収めていたが、最近は、どんな表情も撮るようになってしまった。自分でもそう思っているのに、マヤに知れれば、気持ち悪いと言われるに決まっている。

 これは俺だけの秘密。

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特別 月満輝 @mituki_moon

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