計算違い
米占ゆう
計算違い
エアコンのリモコンの電池が切れた。
最悪だ。まだまだやらないといけないことがあるっていうのに。もう、どうにかしそうな気持ちになってくる。
だいたい、あたしがなにかやろうとすると、いつもこうだ。テストの二択は必ず外すし、デートに日に限って目覚まし時計はならない。この間試してみたら、バターを塗ったパンは必ずバター側が下にして落ちた。世の中望まないことは望まれることよりも発生しやすい。「同様に確からしい」なんて言葉を使う数学者たちは、はやくその言葉の空虚さに目を開くべきだと思う。
――っとと。よくないよくない。
あたしはネガティブ思考を打ち払うべく、頭を振った。
なにごともそうだけれども、こういうときに無駄にストレスを溜めてしまうのは、あたしの悪い癖だ。こういうときはよくよく落ち着いて、物事を捉え直さないと。
すーはーすーはー。すーはーすーはー。
よしよし、だんだん落ち着いてきた。なあに、電池なんて些細な話だ。買い直せば事足りるし、騒ぐようなことでもない。
……と。
そんなふうに気持ちを切り替えてみれば、意外なところから救いの手というものは差し伸べられるものだ。
というのも、あたしが深呼吸を終えて気持ちを楽にしたとき、不意にあたしの目の前に現れたのは、上皿天びんの分銅みたいな髪型をした、後光の眩しい、紛れもない神様だったのだ。
神はあたしに両手を差し出して、こう言った。
「人の子よ。私はあなたに選択を与えましょう。あなたが今必要としているものは、このマンガン乾電池ですか? それともエネループですか?」
君たちも感じていることと思うが、そのシチュエーションはまるで金の斧と銀の斧の童話のようであった。神は困っているあたしの前に、斧の代わりに2つの電池を差し出してくれたわけだ。
もちろんあたしが選ぼうとしたのはマンガン乾電池。
それはあたしがマンガン乾電池派だったから、というよりはアンチエネループ派だったからである。
というのもだ。エネループを一度でも使ったことのある君たちであれば賛同いただけることと思うが、エネループ、というか充電池というのは、実は意外と制約が多い。時計やリモコンには向かないし、規格があってないこともままある。加えて過放電とかメモリー効果とか、よくわからんケアポイントがたくさんありすぎる。が、無視して使うと、結構すぐにダメになったりする。
もちろん正しく使えばエネループが有用であることは知っているつもりだ。開発者の苦心にも敬意を表したい。しかし、あたしがアンチエネループ派であることはどうにも翻しようのないものなのである。
かくしてあたしは、もはやすんでのところまで、マンガン乾電池に向かって手を伸ばしていたのだが――。
しかしである。その刹那、あたしは大学で講義に出てきた『バナナ型神話』というものを思い出したのだ。
――バナナ型神話。君たちはご存知であろうか。
せっかくなので君たちの後学のために、ここであたしは簡単にバナナ型神話について説明を垂れようと思う。
バナナ型神話というのは、インドネシアなど、東南アジアで見られるタイプの神話のことだ。
人間がなぜ金属などのような腐ることのない肉体ではなく、もろくて儚く、やがて朽ちてしまう肉体を得ることとなってしまったのか。
それを説明してくれるのがバナナ型神話だ。
曰く、神はあたしたちの目の前に現れ、石とバナナのどちらを選ぶか、あたしたちに問うたという。
しかし、あたしたちの愚かな祖先は、目先の利益ばかりを追求し、石ではなくバナナを選んでしまったらしい。故にあたしたちの体はバナナのごとく、朽ち果てるからだとなってしまったのだ。
もし仮に石を選んでいれば、今頃あたしたちは不老不死の完全なる肉体を得ていたというのに。なんという愚かさであろうか。嘆かわしい。
――あたしは分銅頭の神の目を見返した。
分銅の神の瞳は溢れんばかりの慈悲をたたえているが、しかしその中に、人類を見極めんとする熾烈さがないとは、全く言い切れない。
「――人の子よ。あなたが選ぶのはマンガン乾電池ですか? それともエネループですか?」
神はあたしに向かってもう一度その言葉を繰り返した。
そう、これは単にマンガン乾電池とエネループのはなしではない。
魂のはなしでもある。
すなわち。人生とはたった一度きりであり、死んだのち魂は雲散霧消と消え失せるという無神論者的な死生観がマンガン乾電池であるとするならば、エネループが表すものはさしずめ魂の再利用。すなわち輪廻転生を是とする死生観を表すこととなるだろう。ループだし。
……魂の不滅。それこそが人類が長い歴史の中で望んだ、もっとも普遍的な夢の一つであるとするのであれば。
ここであたしが選ぶべきものと言えば、一つしかあるまい。
あたしは伸ばしかけた指を戻し、そして最後にはエネループを選んだ。
別にリモコンには向かないからと言って、使ってはいけないという法はない。それにエネループのほうが、地球にだってやさしいし。あと比べたらマンガン乾電池よりけっこう高い。
すると、神はほほ笑みを浮かべ、満足そうに頷いた。
「人の子よ。そなたの選択、しかと見届けました。ではそれを使ってエアコンをお付けなさい」
あたしは神へ頷き返し、エアコンの電源を入れた。
ピッ。
ピピッ。
設定は――冷房の16度。
このエアコンで設定できる、最低温度だ。
――うう、しかし。流石にセーターにコートまで羽織って完全防備を試みたと言えども、冬場にこんなことをすれば、流石に堪える。とっとと全部を済ませてここから立ち退くに限るな……。
……。
……。
……ゴソゴソ。
……ふぅ。
「これでよし」
あらかた準備も終えたところで、あたしはそうつぶやいた。あとは最後に、できるだけ証拠を隠滅して逃げるだけだ。発見も相応に遅れることとなるだろう。
あたしは死体を眺めながら頭の中で計画をぐるりと一回転させてみた。
……。問題はないだろう。警察の捜査の網からはバッチリ逃げられるはずだ。
と、そのときである。
突如、家の近くに雷が落ちたのだ。
バシィィィィィィィィイイイイイングシャァァァァアアアアアンッッッ!
……。
突然、家の中は真っ暗闇に包まれた。もちろんエアコンの電源も落ちている。
まったくなんだっていうんだろう、こんなときに。落ちるとしたって、もう少し時と場合というものを考えてほしいものだ。
そうあたしが悪態をつくと、それに同調するかのように、あたしの近くから一人の男の声がした。
「……あ? なんだ、停電か?」
「そそ、停電。まったく嫌になるわ。あんたを殺したばかりで、こちとら気が立ってるっていうのに――」
……もしや、充電されてしまったのだろうか。
あたしは息を止めた。
ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには確かに起き上がった男の影が、ぬべっと立っている。
――その男こそは、あたしが先程殺したはずの男であった。
計算違い 米占ゆう @rurihokori
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