人造農協オコメハーヴ
阿修羅凶作
第1話 稔、村へゆく!
平成四十年ーー
たった一夜にして何もかもが変わり果てた!! 全ての条理は反転する、魚が空から降り、プラスチックが腐り、男が少女のように泣き喚いた!! 巨大台風!! 人はそれを台風666号と呼び、あまつさえアメリカ風にカトリーヌと人命さえ付けたが、そういう暴風雨に女の名前をつけるとは何事だとフェミニストが起こった。
「私は断固おこる!」フェミニストは暴風雨の中仁王立して拳を振り上げた。「貴様らの無明は劣悪にして醜悪! この天災はまさに諸君らの愚かさに対する天罰! 仏罰! You say! I wanna be gender free!」
氾濫した川が怒涛の勢いで流れてきてフェニミストを流し去った。
「やべえここも危ねえ! 避難だ!」人々は逃げ散り惑う。
しかし、やべえのはここだけじゃなかった。「カトリーヌ」は日本全土を横断し、インフラの不十分な農村を完全に破壊し尽くしたのである……! 豪雨、暴風、雷、阿鼻叫喚、炸裂する家屋、消える笑顔、濡れた顔は涙さえ許さず、翌日、再び太陽の光が雲の切れ間からのぞいた時には村々は変わり果ててていた……。
日本の農村は、縄文時代へと戻った。
この台風が、農林水産省によって人為的に発生されたものだと発覚したのは、それから数日たってからのことだった。
この物語は、そんな時代についに起こった平成最後の内戦「農戦争」を生きた、「僕」の話だ……。
ーーーーーーーーーーーーーー
「……はい……はい、ええ、十分承知してます、こんな時代ですから。しかしながらですね、ご無理の上でお願い申し上げますと……」
僕は何度となく繰り返したやり取りを機械的にしゃべくり、最後に適当に労いと愛想を呟き、電話を切った。
「鈴木さんとこもダメだな……」
ため息をつく。この動作までも、機械的になってきた。
あの台風依頼、仕事が苦痛だ。
ここは、農協秋田支部事業所。
僕の名は美濃田稔。今年、大学を出て念願の農協に就職した。僕の地元じゃ、農協は花形だった。
農協の仕事は多岐にわたる。農家の方々のほぼ全方向において、お手伝い、バックアップをするのが僕らだ。販売や広告のみならず、イベントの企画、農機具の準備、保険、旅行、葬儀までも……。
その中で、僕が担当しているのはローンだ。
農家の方々向けに、住宅や教育のための融資を行っているのだ。農協は銀行業もやっているのだ。
どこまでも農家の方々の味方、そんな農協でありたい……。自身、農協の教育ローンで大学にまで進学できた僕にはそういう強い気持ちと恩返しの情があった。
それが……
この災害で、あの台風のせいで! 貸し付けていた農家の方々の返済の見通しが根こそぎなくなってしまった! これでは、農家も農協も破滅だ!
だいたい、なんでこんなことになってしまったのか……。
この台風を農林水産省が意図的に作り出し、放ったという情報が流れている。だが、農協としてはそんな話はにわかには信じがたいことだった。農林水産省は僕ら農に携わる者たちの大ボスだ。それがなぜ、我々のような、彼らを下支えしている者を滅ぼすような事をするのか?
百歩譲って人工台風の製造と、そのテストを試みたとしても、自国を射程にいれるのは考えられない。きっと、百歩譲って農水省がやったとして、これは、すべて事故だったんだ……。
僕は、今できることをしないと……。
そんなことを考えていたら、僕の机にコーヒーの入ったカップが置かれた。
「飲みなよ。仕事、根詰めすぎじゃない?」
いつの間にか背後に回っていた柿崎主任が言った。僕は慌てて振り返って、ありがとうございます、と不器用に笑った。
この人は僕の上司だ。
農家上がりのたくましい上腕筋、ワイシャツをぶち切るほどでかい胸、ベリーショートの髪をマンダムで固めているが列記とした女だ。鍬でコンバインを叩き割ったという逸話があるが、本当かどうかは知らない。
僕は柿崎主任の淹れたコーヒーをすすって、彼女に言った。
「農家のみなさんからの債権回収はちょっと絶望的ですね」
「ね……。あなたのせいじゃないわ」柿崎も頷いた。
そう。時勢が悪いのだ。
こういうのは時勢だ。僕が入社したつい半年ほど前は、時価が上がっていた。当時は柿崎主任も僕に「ガンガン貸し付けなさい」と言っていた。まさかこんな事になるとは、彼女も思ってなかったろう。そして、言ったのが自分な手前、僕には強く言えないのかもしれない。
「いかがします? 債権は回収会社に投げて、新規開拓か……」
「ヤクザまがいに『オイコラ』言わせてお金とるの? それは酷だわ」
「そうですよね……ですけどじゃあ……」
そう切り出した僕の口を、彼女は遮った。
「いえ、日本全国、どこの農家も厳しいから、新規なんて今は無理よ」
「ではどうしたら?」
「その話をね……しようと」
柿崎の目が少し沈むのが分かった。僕は、図々しくも、もう一口コーヒーをすすり、続きを待った。
「稔くん」柿崎は切り出した。「今、どの農村も技術レベルが落ち込んで大変なのは分かってるでしょう?」
「はい」
「あなたは、これからA市おこめ村に行って、技術指導のポストに着いてほしいの」彼女は言った。
「現場での指導!?」僕は言った。
一瞬、足がふらつく気がした。大学で頑張って勉強して、農協で金融の部署に選ばれたのに、嘘だろ?
「僕、仕事で失敗しましたか?」思わず言った。
「違うの。今は金の貸し借りはあまり意味ない……それより、村の技術回復が最優先」柿崎は言った。「あなたも、現場を知るいい機会になるはず」
「そんな……そんな風に言って」僕はつい感情的になった。「こんなの左遷でしょう! 僕が金融に戻ってこれる保証あるんですか!」
「農協の決定なのよ……」
「嫌です! 俺は金融マンでいたい!」
柿崎の胸筋が膨張し、ワイシャツのボタンが弾け飛んだ。二つの塊が暴れまわった。
ひらけた胸元からレースで編まれたブルーグレーのブラが見えた。
上腕二頭筋は二倍に膨れ上がり、血管が脈の動きまで分かるほどに浮き上がった。僕は失禁した。
「お前は子供か?」彼女は言った。
僕は逆らわない事にした。この状態になった柿崎に楯突いたものは、たとえ市長だろうと行方不明ののち肥溜めから見つかったという逸話があるが、本当かどうかはしらない。しかし嘘かもしれないと試すにはリスキーすぎる。
僕はまだ熱いコーヒーを一気に飲み干した。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン!!
「うおおおーーーーーーーーーーー!! 開けろーーーーーーーーーーーーーーー!! 開けろーーーーーーーーーーーー!!」
「!?」
ドンドンドンドンドン! ドドドン! ドドドン! ドドドン! ドン! ハァ~!!
「開けろーーー! 開けろ!! 開けろ! A・KE・ RO! うおおーーーーーー!!!」
ドドドン! バキッ! バリバリ!
この声は、この農協のバイオ研究所長、オコメスキー氏である。
「鍵は開いてるわよ……」柿崎が呆れて言った。
ドアが開いた。オコメスキーはしれっとした顔で入ってきた。
「ドアを半壊させる前に、ノブくらい回してみてちょうだい……」柿崎は渋い顔で言った。
「すまんのお」オコメスキーは笑った。「美濃田くんが飛ばされると聞いて、いてもたってもいられんでな」
「やっぱ僕、左遷なんですね」ため息をつく。
「それはあれじゃ、言葉の綾じゃ」オコメスキーはごまかした。「しかし、やはり塞ぎこんどるな。無理もない、まだ22か? 人生は長いぞ、わし、お前の三倍生きとる」
「お説教は十分ですよ」僕は強がって笑って見せた。「お気にせず、品種改良の実験にでも戻ってください」
「まあ聞け……実はわしも、若い頃異国の農地で働いたことがあったが……それはもう、きつくてのう。凍えるような寒さの中、素足で泥の中で作業して……」
まずい、老人の昔話だ! これは二時間以上続く! そう判断した僕は、すっと踵を返し、資料から地図をとった。
「柿崎主任! 技術指導の命、今は素直に受けます! 結果が出せた暁には、よろしく!」
そういって、僕は事業所を飛び出した。
「なんじゃあいつ……情緒不安定なやっちゃ。後で見に行ってやるかの」オコメスキーは言った。
「あ、じゃあお願いしますね。私はここ空けられないので」柿崎はいった。
ーーーーーーーーーーーー
A市、おこめ村。
小規模ながら、かつては一級河川から流れ込む肥沃な土壌を擁した穀倉地帯だった。米は一年に三回取れ、山に入れば小川には魚影濃く、米も酒も名産であった。
ひなびたところだが、皆が笑って暮らせる、心の豊かな場所だった。
あの日までーー
台風が全てを変えてしまった。平地の田畑が風でなぎ倒されるばかりか、旧河道にまで水が溢れ、流される民家が出るほどであった。道路は寸断され、電柱は倒れた。
全てが泥沼と化した村を見て、人々はどう生きればいいのか、分からずにいた。
僕が受け取った資料ーーおびただしいインフレ。
台風が過ぎ去ってからの最初の数日、人々は通帳や印鑑、身分証明書をも流され、まずは当面の現金をすぐに作ろうと、なんとかして財を売り払った。家具、服、車、貴重品。
これが日本全土の農村で起きた。
モノが払底すると、カネの価値は激減した。孤立した農村は自給自足の生活を強いられたーー土器を焼き、どんぐりをとり、魚を釣り、野草を食む。
文明の消失。
僕が到着したのは、そんな場所だった。
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