笛吹きの詩

neko

第1話 無名の笛吹き童子

 ハカーマニシュ歴387年、僕はこの地、エスファハーンに足を踏み入れた。

  この国ではどうやら独裁主義らしい・・・

  特に今年は猛暑に見舞われ、干ばつにあっている。

  元々乾燥地帯であるだけに水は貴重な資源の一つだ。

  貧富の差が激しい他、兵士や民の立場そして行動の全てが制約されている様に思える・・・

  いや僕がそう思い込んでいるだけなのかもしれない。

  ただ、市場は人が込み合い、威勢の良い掛け声が聞こえ、

  活気溢れるといった所は何処の国でも変わらない光景だ。

  こうして僕は今、紙きれに文字を書いている。

  何故僕が文章を残す気になったのか分からない。

  もの珍しいものをただ紙に綴りたいと思ったのか、この文章を

  本にするのか、又は只、自分の為に書いているのか・・・

  まだ僕はこの都市の事も知らない、それだけに何か不思議なものを感じていた、

  それが何なのかも今はまだ分からない。




  16歳になった夏の出来事だった。

 路店の主人達が一斉に様々な声を掛けて来た、日は薄く紅い色に染まり掛けた道端で

 辺りは騒然としている、この町をアルテアと呼ぶらしい。

 ここは路店が密集して居て、それを糧として生活する商人も少なくは無い。

 周りには石で出来た不揃いな建物が並び、目立った草木は見当たらない。

 季節によっては砂塵(さじん)が吹き荒れる時もあるそうだ、そう噂を聞く。

 僕は右肩に荷物を背負ったまま、この町のメインストリートを何気なく歩き回って居た。

 とは言え、路店を開く商人などによって道幅を占領されて居る関係もあってか、

 とても広い道とは言い難い物があった。

 左右に所狭しと並ぶ路店を背景に通り掛かる人も少なくは無い。

 只、騒然として居るのは通り掛かる人々では無く、むしろ道端で商いをする商人だった。

 僕はひしめき合う路店から左右に目を引かれながらゆっくりと歩いて居た。

 途中、チーズや肉、雑貨を売りに声を掛ける者が居たが僕は遠慮する。

 金に余裕が無かったのだ。


路店の主人

 「おい、そこの兄ちゃん何か買って行かないかい。」


 通り掛かりに声を掛けられた僕は路店の主人へ、今までと同じ様に遠慮した。


少年

 「要らない。」


路店の主人

 「安くしとくよ。」


 路店の主人は意味有りげそうな顔で僕の顔をまじまじと見つめる。

 厚地の布を敷かれた主人の座って居る場所には幾つか高級そうに見える刃物が並ぶ。

 商売道具は厚地の布以外に目立った物は見当たらない。

 僕はやはり、本音を言った。


少年

 「物に困っては居ない、それに刃物しか売って無いじゃないか。」


路店の主人

 「ほれ、ナイフ安くしとくからよ。

  20Lallでどうだ、こんなに上等な物ありゃしないよ。」


少年

 「・・・」


 Lall(ラール)とは、この国の貨幣単位で、小銭に当たる。

 主人の行動に愛想を尽かした僕は、彼を無視して通り過ぎようとした。

 これで路店の主人が納得して引き下がるかどうかは怪しい。

 主人の手はちゃっかりと僕の裾を強く握って居た。


路店の主人

 「だったら18Lallだ。

  ナイフなら困らねぇだろ、生活必需品だからよ。」


 僕はやはり、きっぱりと答えた。


少年

 「要らない。」


路店の主人

 「幾らなら買う気なんだい。」


少年

 「5Lallだったら買ってもいい。」


路店の主人

 「ちっ、現金な奴だぜ。」


 僕は買う気の無い品物に、そう適当に値段を付けた。

 エスファハーンの商人は必要以上にしつこいのが特徴的だ。

 売値の1/4値を言った僕は、これ以上押し付ける事は無いだろうと思った。

 しかし、この商人はいきなり金を寄こせという様な素振りで僕を見つめる。

 僕が金を持って居ないという事を、この主人は本当に気付いているかどうかは怪しい。


 僕は渋々、無駄金を主人に手渡した。

 同じ様に主人の顔も渋々とした不満そうな顔をする。

 それにしてもすんなり、1/4値で売った主人の潔さには誉めを通り越して呆れてしまう。

 残った嫌な予感は一つ、ゴミの様なナイフという事だけだった。

 僕はこの手の買い物で良い経験をした事は無いのだ。

 元はと言えば買う気も無い品に適当な値段を付けた言動に分が悪かった、その瞬間に後悔する。

 ナイフを手にした僕は紅く染まり始めた夕日を背に宿屋を探して町を回った。

 しかし、何処も安値で泊まれる様な場所は見付からず、今日も野宿かと僕はそう思った。

 半日近く、この町を興味本位で歩いた僕にとっては町並みを知る良い機会にはなった。

 そう思った時、焦げ茶色の長い髪に少し派手気味の服を着た妙な若い女性に引っ掛かった。

 服の特徴は胸部の中央から胸が大きくはみ出る程にはだける様な薄手の物を纏い、

 その上にかろうじて強調された胸を隠す様な上着を肩から掛け、腰まで裂けたスリットで細い足と、

 胴が極度にくびれたその体型を強調させて居る。

 格好としては異常だ。

 この国に足を踏み入れて以来、中には顔まで全身を布で覆う女性さえ普通に見掛けたが、

 ここまで素肌を露出した女性も珍しい。

 怪しげな道を通る物では無いという事を改めて教訓させられる出来事だった。




 「ねぇ坊や、遊んで行かない?」


 女性の甘い声が聞こえた。

 顎が細く、白い肌と大人びた雰囲気が印象的だった。

 しかし、僕には”遊ぶ”という意味がどう言う事なのか知らない。


少年

 「何を?」


 「これさ」


 女性は薄い笑いを口に含めて右手の小指を僕の顔の前に突き立てて見せた。

 綺麗な指だったが、僕にとってはそのサインも全く無意味だ。

 辺りの道は狭く、左寄りに歩いて居た僕は脅迫されたかの様に並んだ建物から

 作られる石壁へあっさりと体を封じられ、石壁を背に彼女の両腕が僕の首を挟んだ。

 無情にも僕には逃げ場が見付からない。

 辺りには数人の男が歩いて居たが、僕の顔と姿勢状況を見るなり、ニヤニヤと

 怪しげな笑いを浮かべて僕の目の前を通り過ぎて行く、それ以外に目立った人影は掴めない。


少年

 「だから遊ぶって・・・何。」


 「だからこれさ!」


 彼女の顔は引きつった様になり、更に小指を鋭く僕の顔の前に突き立てた。

 明らかに怒って居る様に見えた。


少年

 「”これ”と言われても、具体的に何なのか分からない。」


 僕はやはり、きっぱりと答えた。

 考えても分からない物は分からない物だ。

 彼女は痺れを切らした様に怒鳴って居た。


 「私に言わせる気かい!」


 彼女は失礼だという様な顔で僕を見ていた。

 僕は益々、自分の吐いた言動に対して不安になって来た。

 石壁にへばり付いた掌から汗が滲み、微かな恐怖感を覚える。

 目の前には彼女が、背後には石壁が僕の背をほぼ密着させて囲む。


少年

 「一体何なんだ?」


 「じれったいね・・・はーん、私を試そうってかい。」


少年

 「だから何を試すんだ?」


 女性は甘い目で僕の顔を見つめ、僕の手を掴むと中央からはみ出る女の胸へ押し上げ当てられた。

 脈拍の感触と妙にしっかりとした重さが手に伝わる。

 そして彼女は僕の手を強引に引っ張るとスリットから見え隠れする太股の内から

 尻に掛けて綺麗にくびれた腰をひねりながら上下に沿って強引な程に触らせた。

 何も動じないで暫く黙って居た僕を見た彼女は曇った顔をして、ボッソリと控えめにこう答えた。


 「あんた、不感症?」


少年

 「僕は至って健康だ。」


 僕は生真面目にそう、答えた。

 答えた後、妙に質問の意図がずれて居る様な違和感を覚える。

 しかし、僕は間違って居ないと何故か訳もなく自己満足した。


 「確かに。」


 僕の返答を聞いた女性は、呆れた様な表情をして肩をすくめた。

 続けて、彼女は更に妙な質問をして来る・・・


 「あんた、ヤオイ(同性愛者)?」


少年

 「ああ、菜食主義では無いが僕も最近は野菜を食べて居ない。

  この国の人間は不健康な生活だ。」


 僕は続けてこれもそう、真面目に答えた。

 この女性は余程、健康に気を使って居るらしい。

 それにしても東洋の詳しい医学知識を持った良く気の回る人だ。

 彼女は暫く間の抜けた様な顔をして黙って居たが、

 やがて一つだけ疲れた様なため息を吐いて残念そうな顔をすると

 肩をすくめて僕の前から立ち去って行った。

 僕は意味も無く何故か自分の答えた言葉に妙な自信感を持った。

 しかし、僕はその女性から突然、問答無用の様に脅迫された理由を

 理解する事は出来無かった。




   アルス(アルタクセルクセス)はある酒場にいた。

  目的も無く、ただ夕焼けの中に一件のぼんやりとした明かりの

  ある酒場に偶々目が止まって入っていた・・・ただそれだけの事だった。

  酒場に行けば腹を足す序でに、何か仕事が見付かるかもしれ無かったからだ。

  その後の事は何も考えて居ない、かろうじて野宿する事を頭の隅に入れて居るだけだ。

  賞金稼ぎは大抵、酒場に集まる・・・それだけに荒っぽい連中も決して少なくは無い。

  だからこそ何かの切っ掛けが生まれる、そう彼は信じていた。

  背負った身軽そうな少し小さめの袋を肩から下ろし、比較的明かりの弱い酒場のテーブルに

  無言で一人だけ静かに座り、炭で焼いたラクダの乾燥肉を頼むと腕を半ば伏せながら

  料理が運ばれるのを待った。

  今にも消えそうな小さな炎を灯すランプの光が、頭にバンダナを巻き、少し茶色掛かった

  金髪の髪が見え隠れする彼を照らす。

  そこに一人の男が突然、アルスの目の前で転けた。

  どうやら酷く酔って居る様だ、酒臭い臭いがアルスの鼻を強く刺激する。




 「おい、てめえ何処に目を付けているんだ!」


   男はいきなりアルスに罵声を浴びせながら横首を掴むと据わった目で睨み付けた。

  手入れの無い無精髭は縮れて見苦しさを感じる。

  男の格好は酷い物で、所々に穴の開くよれよれになった服を纏って居た。

  アルスは男を不思議そうな目で見遣(や)る。


アルス

 「僕が何をしたと言うんだ。」


 「てめえのその足に引っかけて転けたんだ、馬鹿野郎!!」


アルス

 「人違いだ、僕は何もしていない。」


 「なんだと、もう一度言ってみろ!!!」


   酷く酒に酔った男は絡み、アルスの体を体当たりで押し倒すといきなり殴り始めた。

  テーブルに置いてあったビール瓶や皿、器は宙を舞いながら破壊の音を響かせ、木で

  出来た椅子は折れ、その先は尖った槍の様に化身した。

  アルスの口から静かに血が流れ出す、そんな光景に見兼ねた

  麻袋を肩に担いだ一人の男が出向いた。

  男は顎に不精髭を生やし、肌の色は太陽の日差しで焼け、筋肉質で体格の良い男だった。


麻袋を持った男

 「それくらいにしておけ、もう十分だろう。」


 「てめえに言われる筋合いはねぇんだよ。」


   男はそう言い捨てると唾を吐いて不機嫌そうな顔をする。

  麻袋を持った男の顔は笑って居ない、酔った男が唾を吐いた時に麻袋を持った男は

  素早く片手でその男の首を持ち上げると一発だけ右手でその男の顔を殴った。

  酒場に他の音は響かない。

  半ば、延びた顔を見届けるとその男は背を向けて酒場から出る方向へ歩き出した。

  その時、男に一言だけ、アルスは身を乗り出す様に質問した・・・


アルス

 「君はハザルか!!」


麻袋を持った男

 「・・・いや、人違いだ。」


   麻袋を持った男はその問いに立ち止まり、横顔を向けて不思議そうな顔をすると

  少しの間、アルスの顔を見ていたが、そう一言残すと古そうな麻袋を持ち直して酒場を去った。

  どうやら全くの人違いだったらしい。

  アルス自身もそれは承知していた、ハザルとはかつて旅を

  共にし、そして彼の目の前で命を失った仲間だったからだ。

  容姿や行動が良く似ていただけに彼はいる筈の無い人の名を

  無意識の内に呼んでいた。

  彼が正気に気付いた頃にはもう、男の姿は見当たらなかった。

  酔った男もほとぼりが冷めず、浮ついた足で酒場を去ったらしい。

  暫く、彼は殴られた場所に座ったまま、黙って一点を見つめていた。

  すると、酒場の”おかみ”らしき人が近づいて来た。


 「あぁ~あぁっ、酷くやっちまったもんだねぇ・・・」


   彼は無言のまま、一つだけ頷いた。

  アルスの周りには皿や瓶等の割れた破片、そして壊れた

  椅子のがらくたが散乱していた。

  女は呆れたという様な顰(しか)めた顔をしながらアルスの肩を持ち、

  ハンカチを差し出した。


 「これで、口に付いた血を拭きな。

  内は金なんてありゃしない貧乏な酒場なんだよ、どうしてくれるのさ。」


   そう一言残すとアルスの顔を見るなり肩を竦(すく)めて少し笑った。

  周りには男の客が増えてきた様だ、ざわめきは一層激しくなり

  バンジョやキタラを持って弾く人もいた。

  そういう、極庶民的な酒場だった。

  さっき逢った出来事がまるで嘘の様な光景だ。

  不意に女はアルスを見つめてこう言った。


 「あんた、名前は?」


アルス

 「アルス、只の笛吹きさ。」


 「・・・・」


   女は暫く黙っていた。

  いや、アルスがそう感じただけなのかもしれない。

  彼はその沈黙を切る様に訪ねた。


アルス

 「僕の名をどうして?」


 「あんたも吹いたらどうさね?」


アルス

 「何を?」


 「決まってるじゃないか、笛だよ。」


アルス

 「笛を吹く為にここへ来た訳じゃない。

  目的を持つ為に来た、それだけの事さ。

  笛は稼ぎの為に使ってはいない。」


 「あんた、面白い人だね。

  まあ良いさ、それもあんたの自由だよ。」


   アルスは運ばれたラクダの乾燥肉を片手に貪り、ビールを飲み干していた。

  その姿をみた女は一瞬、ニヤけた顔をするとその席を外した。

  残り金はわずかしか残されていない、アルスはそれに気付いていた。

  頼んだ食事代を差し引けばあと3日分の宿代しか残されて居なかった。

  相変わらずタンバリンやバンジョなどの音が陽気な音を立てている。

  その音にアルスは何気なく笛を合わせていた、現実から逃れたかったのか

  それとも金が欲しかったのかアルスは分からないまま漠然としていた。

  笛の音に気付いた酒場の客は突然に静まり帰り、やがてバンジョの音も消えた。

  アルスは笛を納め、しっかりと腰に結い上げられた小さな巾着袋から

  机の上に数枚のコインを残すとイスを引いた。

  その時だった。

  一人の男が席から立つと、アルスの方に向いて一言聞いた。


 「あんた、その笛は何処で覚えた。」


アルス

 「一人で覚えた、名の無い笛吹きさ。」


   アルスは無言のまま、ただ周りの様子を伺って居たが、

  女はカウンター腰に手を叩いた行動で表現すると、周りの客も我に返った様に手を叩き始めた。

  すると突然、ジョッキーになみなみと注がれたビールがアルスの前へ勢いの良い音を立てて回った。


 「これはおごりさ、遠慮しないで飲みな。」


   そう言うと女は正面に立ち竦んだアルスへ、一瞬だけニヤッとした顔をして見せた。

  アルスはその顔に頷いてジョッキーを片手に一気に飲み干す。

  バンジョを持った男が手を叩いて「ブラボー」と叫ぶと周りも一層騒がしくなる。

  手に持ったバンジョをテーブル腰に立てた男は、布で出来た擦り切れて居る古い帽子を被り直すと

  愛想良くアルスに問い掛けた。


バンジョを持った男

 「あんた、何処から来た。」


アルス

 「イシュハーン。」


バンジョを持った男

 「そりゃ、ブラックジョークが効いて居るぜ。」


  男は顔を仰向けにしながらビールを飲み干すと無性に笑った。

  イシュハーンは恵みの土地、この町からすれば楽園の様にさえ思える場所だ。

  様々な悪環境の土地柄が影響する為、行き着くまでに3年は掛かる。

  そして、目指した人間に生きて帰れる可能性は少ないと言われる。

  貧しい町や村から出稼ぎで人が寄り集まる場所なのだ。


バンジョを持った男

 「何故、町を出た。」


アルス

 「町を出て悪いか。」


バンジョを持った男

 「いや、出る事も無かったろうにと言いたいだけさ。」


アルス

 「仮に出る必要があったとすれば?」


バンジョを持った男

 「仮にあんたが王族だとすればな。」


  男は肩を竦めると笑い転げ、アルスの肩を叩く。

  アルスは隣に来た別の男に絡まれて蒸留酒を飲まされて居た。

  休む暇も無くバンジョを持った男は突如、興奮して叫ぶ。


バンジョを持った男

 「解ったぞ、女か?!」


アルス

 「いや、違う。」


  男は意味有りげそうな顔をちら付かせて居る。

  しかし、アルスは持ち前のキッパリさでそう答えた。

  アルスの顔を見た男達はそれぞれ、煙たい顔をして居る。


アルス

 「そう言えばこの町を歩いて居た時、

  見知らぬ女性から奇妙な事で呼び止められた。」


隣に座った男

 「何て声掛けられた。」


アルス

 「小指を突き立てて僕を脅して来た。

  妙に人の健康を気遣う女性だった。」


隣に座った男

 「は?」


  バンジョを持った男も、周りに囲んだ男達も耳を疑った。

  一瞬、酒場が静まり返る。


隣に座った男

 「他には何と言われた。」


アルス

 「病気持ちかと言う問いに、健康だと答えた。」


隣に座った男

 「それが健康と、何の関係があるんだい。」


アルス

 「ヤオハンと言われた。

  僕の体は健康だが、健康的な生活はして居ない。

  菜食主義では無いと答えた、只それだけだ。」


  隣の男が冗談混じりに肩を竦めてこう答えた。


隣に座った男

 「ヤオイの間違いじゃ無いかね。」


  アルスは暫くの沈黙を置いて、ボッソリとこう答えた。


アルス

 「ヤオイとはどう言う意味だ。」


  周りの男達は一斉に煙たい顔をした。

  一人の男が首を竦めて口を挟む。


 「野郎同士が特別な関係を持って抱き合う事さ。

  要するに男同士しか興味が無いってこった。」


隣に座った男

 「どうでも良いが、そのサッパリとした男前の顔をするのは辞めてくれ。」


  続けてアルスに蒸留酒を飲ませた男は肩を竦めてそう答える。

  相変わらず、雰囲気は静まり返って居る。


 「女の素性は?」


アルス

 「珍しく、妙に肌の透けた服は着ていた。」


  そこに、バンジョを持った男は煙草を手に取ってボッソリと答えた。


バンジョを持った男

 「的外れな事を答えたあんたに、愛想が尽いたんだろうよ。」


隣に座った男

 「少年、そのサッパリした男前の顔を女に見せてやったか。」


アルス

 「真面目に答えただけだ。」


バンジョを持った男

 「不感症って言われなかったか。」


アルス

 「言われた、僕は病人じゃない。」


  アルスはキッパリとそう、答えると周りの男達はやはり暫く静まり返る。

  新聞紙を持った男がおもむろにテーブルに紙を叩きつけると、

  何かが爆発した様に音を立てて男達は一斉で笑い転げた。

  ある者は机に手を勢い良く叩き、ある者は腹を抱えて転げ回って居る。


アルス

 「何が可笑しい。」


隣に座った男

 「何が可笑しいって?

  そりゃ、あんたがレイプされそうになったからさ。」


アルス

 「そうか、レイプはそんなに楽しいのか。」


  アルスは腕を組むと、いきなり納得した様な素振りを見せる。

  隣に座った男は尚、腹を抱えて笑い転げながら怒鳴った。


隣に座った男

 「違う!

  あんたはヤラれそうになったのさ。」


  男達が笑い転げて居る隙に、別の新聞を手に持った男がアルスに

  耳打ちすると、アルスは真っ赤な顔をして怒鳴った。


新聞を持った男

 「その女は、あんたが男と裸で抱き合う趣味だと思ったのだろうよ。

  アソコを使ってヤッちまうんだ、ホモ達(友達)ってな。」


アルス

 「僕はホモ達じゃない!!」


新聞を持った男

 「尻がまだ青いな。

  女に腰を抜かされたらファックと言ってやりな、喜ぶぜ。」


  相変わらず、新聞を持った男は意味ありげそうにニヤ付かせる。

  アルスの赤面した反応を見た男達は狂った様に笑い転げた。

  ファックという本当の意味をアルスはまだ知りはしない。

  愛想を尽かした様に”おかみ”は呆れた顔で首を竦めてこう言った。


 「あんた達、あんまり余計な事を教えるんじゃ無いよ。」


  その言葉をよそに、暫くはアルスの周りに囲んだ男達が彼をからかった。

  酒場に残った男達は、やがてアルスの笛で歌い踊りて時は過ぎて行く。

  時の流れに従い、客の数は次第に減ると最後にはアルスだけが残された。


 「あんた、行く当てが無いならここで働かない?

  まっ、こんな貧乏酒場にあんたの笛なんて勿体なくて

  似合わないだろうけどさ。」


アルス

 「良いかもしれないな、それも。」


 「ただ、給料は弾めないから勘弁しておくれ。」


アルス

 「ああ、それは分かっている。」


   客足の途絶えた酒場で女主人とアルスはカウンター越しで話していた。

  女主人の名前はロレア、勝ち気な性格だけが物を言うと自ら

  苦笑し、アルスを笑わせてくれた。

  3年前、夫のレストは事故で他界したそうだ・・・

  それ以来、女一筋でこの酒場を担いでいるらしい。

  給料は日給で20Lall(ラール)、これでもこの酒場としては

  精一杯、奮発してくれているといった所だろう。

  小屋で良ければ、と親切にも宿代を心配して寝場所の用意もしてくれた。

  食事を抜いて一晩、どんな宿を借りるにしても500ラールは必要なのだ。

  1Gevin(ゲフィン)は1000ラール、貨幣単位も

  通常に扱う単位と比較して特別ではない。

  無造作に藁が積まれた古小屋だったが野宿するより、

  アルスはその歓迎に答える事にした。

  しかし、酒場の仕事は決して見た目程楽では無かった。

  掃除に仕入れ、料理の仕込みに皿洗い、入荷される酒や

  その空いた酒樽を運ぶ仕事、そして雑用も全て女一人で

  こなそうとするから尚更だ。

  彼は、その割に合わない仕事に嫌な顔や文句は付け無かった。

  ただ黙って手伝い、夜になると笛を吹いて客人を喜ばせた。

  決して御馳走とは言えない、寧ろ食材の片寄ったやや粗末な

  食事ではあるが一日に3食、昼前と夕方、夜食・・・

  そして客人の喜び一つ、それだけでアルスは満足をしていた。

  普段2食しか食べる習慣の無い地方であるだけに女主人の

  差し出したせめてもの贅沢でささやかな持て成しだったのだ。

   



ロレア

 「アルス、酒樽を手伝っておくれ。」


  幾らか、アルスの名を叫んだロレアにアルスが姿見せると彼女はそう答えた。

 アルスが酒樽を引き受けると、彼女は雑用を済ませる事を告げて店の中へ入って行った。

 酒樽の大きさは人間と同じくらいの大きさで、その酒樽を倒すと地面に転がして運ぶ。

 彼が引き受けた樽を運ぼうとすると、穀物の袋を抱えた一人の少女が近くに居た。


アルス

 「どうした。」


少女

 「何でも無いわ。」


アルス

 「そこに君が居ると酒樽が運べない。」


  少女はやっと気付いた様に穀物の袋を持ち直そうとした時、

 アルスはその穀物を担いで居た。


アルス

 「何処まで持って行けば良い。」


少女

 「もう、目と鼻の先よ。」


  少女の指が指した方向にアルスは歩き出す。

 その行動に少し戸惑いながら少女は彼に荷物を任せた様だった。

 彼は荷物を下ろしてその場を去ろうとすると、彼女は礼を言った。

 やはり彼女は戸惑った様子でアルスを見ると、彼もその様子に戸惑った様だった。

 その時、何故か彼はスッキリとした男前の顔で酒場で聞かされた言葉を口にして居た。

 それを聞いた彼女は更に酷く戸惑った様な顔を見せると、次の瞬間にはこう答えて居た。


少女

 「最低!!」


  彼の輝いた目と口元は魅力的だったが少女に声を掛ける言葉は確実に間違って居る。

 木で出来たバケツを思い切りぶつけられた彼は暫く呆然とし、

 後は強く響いたドアの音を残すだけだった、そこに彼女の姿は既に消えて居る。

 それは極々、短時間の出来事だった。

 その話が酒場で出た時、初めて彼は”ファック”という意味を知ったのだった。


  数日後、荷造りのされた食料が届くとアルスはその荷物整理を任された。

 その時に縄を解く為、数日前に購入したナイフを試してみた。

 ナイフの刃は縄を切りはしたが、幾らか縄を解いて居る内に刃が零れ、

 使い道の無いナイフになって居た。

 少女は荷造りを解いた荷物を運ぶアルスの姿を少しばかり見つめては居たが、

 アルスがその様子に気付いた時に彼女の顔が見える事は無かった。

 彼は少女に会った時、弁解を説いて謝ったが許して貰えそうな言葉は

 貰って居なかったのだ。

 その後、彼と彼女が顔を会わせる事は無かったが、酒場ではアルスを冷やかすネタに

 非現実的な、それも決して品のあるとは言えない恋愛話が無意味に繰り広げられて居た。




ロレア

 「夫の事故、不自然に思えてね。」


   ある日、ロレアが切り出した声は曇って居た。

  丁度、アルスが仕事に慣れ始めた頃だった。

  何時もと変わりない床の掃除をしながら、彼女の姿を見たアルスは

  異色の雰囲気を味わった。

  彼女は一息、大きなため息を着くと、また床の掃除を始めた。

  国の工事に強制労働者として駆り出されたレストは、釈然としない落盤の事故で

  この世を去ったという。


ロレア

 「気にしないどくれ、証拠の無い過去をあれこれ悩んでも仕方無いんだよ。

  それを分かって居ても言ってしまう愚痴さね。」


アルス

 「聞かせてくれないか。」


ロレア

 「この町には、水が無いんだよ。

  水を引く為に工事をしたのさ、そして一部の人間が死んだ。」


アルス

 「反逆者だったのか?」


ロレア

 「反逆者だって!!」


   ロレアは床を拭く手を止めるといきなり怒鳴った。

  アルスの顔は瞬時に歪んだ。

  二人の間には気不味い沈黙が走った。


アルス

 「僕の友は反逆者だった。」


ロレア

 「それが何さね。」


アルス

 「僕も彼が亡くなった時、国に反逆した。

  僕は反逆者だ。」


ロレア

 「あんたが何をしようと、勝手だよ。

  只、夫が反逆者だなんて信じたくも無いさ。」


アルス

 「この町に身分制度はあるのか。」


ロレア

 「町を見て分からないのかい。

  見た目は平和でも、住人は毎日の様に戦争さ。

  平民の私らは国の指示を逆らう事は出来ないんだよ。

  年の似通った人間を集めて強制労働させたのさ。」


アルス

 「僕だったら反逆する、そう思わないか?」


ロレア

 「あんた、リュクルゴス卿を知らんね。

  そりゃこの土地の人間で無いあんたが知る訳が無い。」


アルス

 「知らない。」


ロレア

 「不満があっても、反逆する事は出来ないのさ。」


アルス

 「戦えば良い、何故それをしない。

  一人では無く、万人の民が独りの王よりどれ程強いか。」


ロレア

 「全て処刑されたんだよ、過去にね。

  あんたも、余計な事を考えるんじゃ無いよ。」


アルス

 「あんたは夫の死が理不尽だと言った。

  何故、理不尽に思えるんだ。

  それなりの理由を僕はまだ聞いて居ない。」


ロレア

 「年齢別に強制労働をさせた事がさね。

  死んだ人間は夫と似た男ばかりだった。

  アルス、ここを出た方が良い。

  長居する様な場所じゃ無いよ。」


   ロレアの目は鋭かった。

  二人の動きが暫く止まり、互いを睨み合う。


アルス

 「あんたは言って居る事が矛盾して居る。

  僕を長居させる場所にしたのはあんただ。」


ロレア

 「出て行くが良い。

  あんたも、矛盾して居るよ。

  ここに来た時は、目的を持つ為に来たと言った。

  それを忘れて無いだろうね。」


アルス

 「目的は見付からない、だからここに居座った。

  リュクルゴス卿が何をしようが僕には知ったこっちゃ無いさ。

  僕は復讐する人間を探しに来ただけだ、友を殺した奴を地獄に落とす為に。」


ロレア

 「勝手にしな。」


アルス

 「ああ、勝手にさせて貰うよ。」


ロレア

 「数日前、あんたらしき人間を兵士が探して居たらしくてね。

  一体、あんたは何者だい。」


アルス

 「答える必要はあるのか。」


ロレア

 「答えたく無かったら構わないさ。」


アルス

 「僕は只の笛吹きさ。

  そして友の意志を継いだ反逆者だ。」


ロレア

 「出て行きな。

  ナイフで命を狙われる身にはなりたく無いんでね。

  偽善であんたを雇った訳じゃ無いんだよ。」


  アルスはロレアの顔を冷たく睨むと、小屋へ足を向けた。

 彼は持ち併せて居た袋に、身の回りの物を全て詰めると肩に背負い、居酒屋を後にする。

 その日、ロレアはアルスの後姿を見送ら無かった。

 アルスにはもう、どうでも良い事だった。

 ロレアとアルスには別の生き方が存在する、それだけだったのだ。

 目的は無い、ただ隣町へ行く事しか考えては居なかった。

 働いた持ち金でラクダを借り、隣町のアレクアへ移動する。

 灼熱の白い光が容赦無く大地を照らし続けていた、周りには砂地しか残されては居ない。

 過酷な土地環境、その土にアルスの足はまだ届きはしない。

 ラクダを使う、その多くは行商人相手なのだ。

 行商人の待ち合う人混みに紛れて様子を伺うと彼は座り込んだ。

 同時に恐ろしい程の無気力が襲う、それは行商人達も例外では無い様子を伺わせて居た。

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笛吹きの詩 neko @gonbei_nanashi

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