鬼の修練
「できたのだよ! ジョウ君!」
――もうできたのか。
俺のクラスは文化祭で演劇をすることに決まった。だが、脚本がないと、配役もセットも作りようがない。未だ主人公とヒロインしか決まっていないのだ。その主人公は俺で、ヒロインが
そんな中、熱烈に脚本の担当になりたがったのが楓さんである。どれだけ時間がかかるか分からなかった脚本を、楓さんは宣言どおり三日で仕上げた。さすがにプロというべきか、クラスにとって、これほどありがたいことはない。
「ありがとうございます。クラスのみんなに見せたいんで、預かってもいいですか」
そう言って、楓さんから原稿を受け取った。それほど枚数は多くないが、文化祭の劇の時間はそれほど長いわけではない。楓さんのことだ、それぐらいのことは計算して書いてあるのだろう。
「まさに力作! なんで普段から書けないのかというほどの出来栄えなのだよ。今年の
楓さんのテンションが高いのは徹夜のせいだけではなさそうだ。
「そういえば、柚葉のクラスの出し物はなんなんだ?」
柚葉は俺と楓さんのやりとりを面白そうに見ていたが、よくぞ聞いてくれましたというように身を乗り出してきた。
「私のクラスはね、本格メイド喫茶だよ。ありきたりなんだけどね。本格! ここが大事」
実家は田舎すぎて、メイド喫茶などがあるはずもない。街に出てもなかなか見かけないので、俺はメイド喫茶に行ったことがない。なので、本格がどれほどなのかはわからないが、食事関係の出し物には興味がある。
「それにね、秘密兵器があるの」
秘密兵器とは陳腐な響きだ。その考えが表情に出てしまっていたのが柚葉に伝わったのか、柚葉は仏頂面になった。
「ジョー君は喜ぶと思ったんだけどな」
俺が喜ぶ? メイド喫茶など行ったことがないから、何を喜べば良いのかわからない。
「すみれちゃんがメイドになるんだよ」
――
柚葉の言葉を聞いたとたんに、心がざわめき、落ち着きがなくなった。
俺が慌てふためいているのがバレたのだろう。柚葉はふてくされたようだ。
「あーあ、私もメイドになるんだけどな」
柚葉の声はいたずらっ子のようだったが、その表情はひどく落ち込んでいた。
「お、俺は田舎者だからメイド喫茶がどんなのか知らない。でも、柚葉にはメイド服がとても似合うと思うんだ」
これは本心である。
柚葉は
「すみれちゃんより似合う?」
やけに涼宮先生に対抗意識を持っている柚葉の感情がわからず不思議に思ったが、こういうときの対応策ぐらいは男として知っている。
「若いだけ、柚葉のほうが似合うかもな」
空気が凍った。
「ジョウ君! 今の言葉、私から涼宮ちゃんに伝えておくから任せておき給え!」
――しまった。
「ジョー君、女性の年齢のことを言うなんて、絶対ダメなんだからね。私がっかりしちゃった」
柚葉が詰め寄ってくるから、こうなったんじゃないかとは言えず、ただただ頭を下げるばかりであった。
学校に着くと、クラスのみんなに脚本を見せた。
「吸血鬼とお姫様のラブストーリーなんだね。理事長らしいファンタジーなお話だよ」
長親が目をキラキラさせて脚本を読んでいる。そのお姫様役は自分であることも忘れて。
吸血鬼は最も有名な
――精気を吸うか。
暴漢や
精気を吸っていたのであるとすれば、俺は吸血鬼のような異形だということになる。
暴漢や後藤と対峙したときの共通点は怒りに支配されていたことだ。なので、自分の力をコントロールすることはできていない。
「丞、どうしたのさ。一緒にこの原稿をコピーしに行こうよ」
よっぽど、上の空だったのだろう。長親の顔がすぐ傍にあることに気づき、思わず、椅子ごと後ろに倒れた。
「まったく、あんなに驚くことないじゃないか。ちょっとショックだよ」
「お前の顔が近すぎるんだ」
長親と脚本をコピーするために職員室に向かっていた。
「いてて、頭を打ったなこれは」
さきほど倒れた衝撃で頭と首が痛い。
「しょうがないな。コピーはしとくから、保健室に行っておいでよ。終わったら、持ってくるからさ」
――保健室か。
あの日、体育館の片付けをした後、俺は家へ急いだ。家につくと涼宮先生の靴があった。
「これでよし。すみれちゃん、きつくない? 少し傷は深いけど、消毒もしたし、大丈夫だと思うよ」
部屋から柚葉の声がした。ドアをノックして、部屋に入ると涼宮先生の表情が一瞬明るくなったが、すぐに沈み込んだ。
「ジョー君。ごめんね。本当にごめんね」
――先生にこんな表情をさせてはだめだ。
「大丈夫ですよ。傷の治りだけは凄いんですから。な、柚葉」
柚葉はため息をついた。
「はぁ……ジョー君も怪我してるの?」
俺は腹を見せた。ほぼ、傷は治っていて、涼宮先生は驚きを隠せないようだった。
「まったく凄い体だよね。怪我については何も言わないわ。その代わり、何があったか教えてよね」
俺は柚葉に涼宮先生がストーカーの被害にあっており、そのストーカーが後藤だったこと、後藤に襲われたことを話した。
ただ、涼宮先生だけでなく、俺も後藤に刺されたことにしておいた。
涼宮先生が柚葉の家からマンションに引っ越した理由もストーカー被害が原因だった。セキュリティの緩いこの家では、部屋にまで入られた痕跡があったらしい。なので、仕方なく、あのマンションに引っ越したということだ。
柚葉は泣いた。家族のような存在の苦しみに気づけなかった自分を責めているのかもしれない。
「大丈夫よ柚ちゃん。ジョー君のおかげで、きっと解決したから。時期が決まったら、また、この家に帰ってくるね」
涼宮先生はその日、柚葉の家に泊まった。きっと柚葉との時間を取り戻していただろう。
保健室の前についた。後藤は階段から落ちて昏睡状態ということになった。それを聞いた涼宮先生は安心とともに罪悪感を感じているようだった。
保健室の扉をノックする。
「はーい、どうぞ」と優しい声がした。涼宮先生の声を聞くと安心する。
扉を開けて、中に入ると、涼宮先生は俺の顔を見て、心配そうにした。
「ジョー君どうしたの? また、どこか怪我したのかしら?」
涼宮先生が慌てだしたので、急いで否定した。
「いえ、いや、まあその、頭は打ったんですけど、それは全然大丈夫なので、心配いりません。それよりも、先生の様子を見にきたんですよ」
涼宮先生はまだ心配そうな顔をしているが、俺の言葉を聞いて、顔を引き締めた。
「私は大丈夫。あの日、ジョー君を追ったときから覚悟はできてたもの。だから、ジョー君は何も悪くないの。全部私のせい」
涼宮先生は後藤への罪悪感を全部自分で受け止めようとしていたようで、今まで聞いたことのない強い口調で言った。しかし、俺は――
「そんなことは、どうだっていいんだ!」
俺の大声に、涼宮先生が怯む。
「先生が無事だったんだ。先生が苦しむことはなくなったんだ。俺はそれだけでいいんだよ」
自分がこんなに感情的になるとは思わなかった。格好悪いと思った。こんなにも、涼宮先生への思いが溢れ出すことが不思議だった。
涼宮先生のことは好きか嫌いかで聞かれれば好きと答えるだろう。しかし、それは先生と生徒という立場でのことである。今はその垣根を越えた感情を持ちつつあった。
涼宮先生の潤んだ目が俺を見る。
「ずっと凄く怖かった。誰にも言えなかったときも、ジョー君が怪我したときも。でも、今こうして自然と話せてる。それが、とても嬉しい」
しばらく見つめ合っていたとき、外から声がした。
「
俺と涼宮先生は慌てて顔をそらした。さきほどの会話を聞かれでもしたら、どんな噂が広まるかわかったものではない。
「もう大丈夫だ長親。運ぶの手伝うよ」
先生の方をもう一度見つめる。先生は優しい微笑を浮かべている。もう大丈夫だ。そう確信して、保健室を後にした。
「そこ! もっと嫌味ったらしく言ってちょうだい」
脚本のコピーを配った放課後、さっそく演劇の練習が始まった。
しかし、俺は涼宮先生のことを考えていて、集中できなかった。俺は涼宮先生に恋しているのだろうか。実際、急激に先生への思いが募った感じである。
「丞! 次のセリフ!」
ぼーっとしていると、自分の番になっていることに気づかなかった。脚本に目を留める。
『
楓さんの書いた脚本は、吸血鬼である従者の願いを題材にした恋愛ものだった。
吸血鬼役はもちろん俺である。だが、俺はこの主人公のようになれるだろうかと自信をなくしかけていた。
「私の心はあなた以外には揺れ動きません」
どきっとした。
誰に告白されたのだと顔を上げると、長親の顔がそこにあった。なんでお前はいつも顔が近いんだよと思いながら仰け反った。
まるで本物のお姫様のような長親の本気を感じ、自信をなくしている場合ではないと、練習に励んだ。
「姫様の血を私に吸わせてください。その代わり、姫様は人でなくなってしまいます」
吸血鬼あるあるだな。吸血鬼に
「丞。そこはもっと苦しんで言いなさい。従者はこの言葉を言うかどうか迷ったはずよ」
六条先生からダメ出しが入った。
六条先生は放課後も演劇の練習に付き合ってくれている。楓さん
六条先生にも舞台に立って欲しいという意見は多かった。先生は美人でスタイルも良く舞台映えすること間違いない。
しかし、六条先生曰く、文化祭の主役はやっぱり学生ということで、演技指導に回ることとなった。長親が名演技を観せているので、もっぱら主役である俺に指導がくる。
練習が終わると、外で柚葉が待っていた。
「練習の間、ずっと待ってたのか。先に帰ってもよかったのに」
そう言うと、柚葉は首を横に振った。
「練習見てたの。見てるだけですごく楽しかった。特に長親君、名演技だね」
それを聞いた長親が近くにきた。
「そ、そんなことないよ。それにお姫様の役を名演技って言われても喜んでいいのかわからないし」
長親のお姫様の演技は本物の女の子のようだった。いや姫だった。その表情や仕草は共演していて、長親を男だと思ったことはない。
いつも騒ぐ女子たちも、見入っているようだった。
「それに比べて、ジョー君はまだまだだね。これは帰って、原作者にも演技指導してもらわないとだめね」
原作者とはもちろん楓さんである。
たしかに楓さんなら主役の気持ちを理解しているだろう。
ファンタジー作家の楓さんであるが、特に異形や怪奇に焦点を当てた作品が得意らしい。そのために、色々な文献を調べているらしいが、俺の能力にも詳しいかもしれない。
しかし、簡単には相談できなかった。もし、何か感づかれて、また居場所を無くすわけにはいかないのだ。
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