戦闘人形装置エンブラにおいて発生した動作不良報告

いちま

第1話

戦闘人形装置E-07。

通称コードネームを"エンブラ"と言う。


北欧神話におけるイヴを意味するその命名は、ドクター・ゾークによる意図的な神への冒涜であった。


夜闇がごとき黒髪。温もりのない白い肌。その造形は悪魔的な美を備えている。

比喩ではなく、そこにある思想としてだ。

邪知深きドクター・ゾークは、善良な人間の良心が少女を攻撃することに拒否感を抱くと見込んで、その見目を少女に似せて作ったのだから。


現に、この心なき機械人形は、暗黒教団ネクロスフィアの剣として戦線に立ち、数多の戦士ヒーロー達を無慈悲にも討ち果たして来たのだ。





「──そう、今日に至るまでの貴様の働きは、確かに見事だった」


太陽の光届かぬ、この世の何処か。暗黒教団ネクロスフィアの拠点が一室にて。

銀縁の片眼鏡を光らせ、黒マントをたなびかす若き淑女がいた。髑髏の錫杖がりんと音鳴る。彼女こそは教団の誇る叡智、ドクター・ゾークその人である。


「だが、次なる作戦を行うにあたって一つ、懸念がある」

「何でしょうか」


直立して彼女の言葉を受け止めるエンブラは、無機質な機械音声をもって応答した。

その表情には感情の色はおろか、瞬き一つとして浮かぶことはない。


「知っての通り、私の作戦は緻密なる数式の上に成立している。

 ゆえに、判断に余計な情緒を挟まぬ──冷徹なる機械の手足こそ、用いるに望ましい」

「承知しています。そしてこのエンブラは、ドクターの仰る条件に正しく当て嵌まるかと」

「どうだろうな」


主の示した疑義を受けて、エンブラは暫し黙り込んだ。彼女の望む答えを返すべく。


「……私は、ドクターの道具であり、冷徹なる戦闘人形です。常にそのようにあるべく、プログラムされています。

 それでもなお、瑕疵バグを見つけたなら……正すように命じてください。その指示に従い、自己修正用アルゴリズムを適用いたします」

「そうか。ならば、説明しよう」


ドクター・ゾークはその答えに是非を示さぬまま、端末のボタンを押した。

白地に幾つかの数式を殴りつけた粗雑なレポートが、壁面に映し出される。


「先日のメンテナンスに際して、中期のスリープモードに入ったな」

「はい」


「その折、貴様の精神状態の解析を行ったのだ」

「はい」


「結果、電子頭脳の動作と疑似神経系の反応に……大きなが観測された」

「はい」


「具体的に言うとだ。貴様の思考ログの中に『ドクター』という文字列、ならびに『黒神秋菜くろがみあきな』なる人名が異常な頻度で出現していた」

「はい」


「数値に直せば、102時間で24002回となる」

「はひ」

「噛んでいるぞ」


エンブラはあくまでも無表情を貫き、かぶりを振った。


「……いえ。問題ありません。続けてください。次の作戦の詳細について、でしたね?」

「食い気味に話題を逸らそうとするんじゃあない。どこでを知った?」


機械人形は本来必要のない機能である瞬きを繰り返し、目線を逸らした。


「その…………教団のデータベースをクラックして……」

「その性能だけは褒めてやる。異端審問は後回しだ」

「ありがとうございます」


エンブラは恭しく頭を下げる。

ドクター・ゾークこと黒神秋菜24歳は、眉根を寄せて嘆息した。


「……続けるぞ。思考ログだけではなく、記憶領域メモリへのアクセスも特定の領域に集中していた。

 時系列としては六つの時間単位シーケンスに区切られ、これは全て、『貴様が任務を完了し、私がそれに評価を与えた場面』になる」

「……稀なる偶然ですね」


「更にはこれらのデータを接合パッチワークして、無限ループするメディアを作成していたようだな。

 具体的には、『私に褒められる六種類の体験』がひたすら繰り返される」

「……非常に稀なる偶然ですね」


「それを、約64時間にわたって再生していたようだな。延々と」

「……」


沈黙が続く。互いに目線を逸らさぬまま。

エンブラの電子頭脳はいつにない高速で稼働し、雪のような白い額は熱を発していた。


「それが、何か」

「何か、じゃないが」

「エンブラには問題を特定できませんでした」

「役立たずのOSみたいな事を言うんじゃあない」


ドクター・ゾークの作り上げし最高の叡智を自負するエンブラにとって、主のこの罵倒はちょっと響いた。

しら切りが通らないと理解し、なんとか誤魔化しの道を探ろうとする。


「……元よりエンブラは、ドクターの命令に忠実であるべく作られています。

 多少、ドクターに対して執着を抱いていたとしても、それは、その、瑕疵バグとは言えないかと」

「……これは、まだ言っていなかったが」


ドクターは再び端末を操作した。壁に映っていたレポートが消え、今度は黒いコンソール画面が出現する。


「先のメンテナンスに際して、貴様の思考ログに追跡トラッキング機能を追加した」

「と言いますと」

「貴様の考えている内容は、リアルタイムで私の端末に出力されている」

「待ってください」


自らの危機を察したエンブラは、主に対して最大限、強い抗議を示そうとした。

結果として、そこには子供のようにいやいや首を振る戦闘人形の姿があった。


「つまり、貴様がこの部屋に入った時から『今日のブリーフィングはドクター二人きりです。楽しみです。テンション上がります』と考えていた事も」

「待ってください」

「『あ、ドクター今日は香水を変えたんですね。柑橘系の香りですね』と異様な洞察力を発揮していた事も」

「やめましょう」

「『もっと近くで嗅いでみたいですが、怪しまれそうなので自重しましょう』と妙な欲求を抑え込んでいた事も」

「ドクター!!」


エンブラの電子頭脳に火花が散った。

自身でも覚えの無いほど大きな声が、口を突いていた。

その勢いのままドクターに向かって飛びかかると、怪物的な馬力をもって悠々と、細い体躯を押し倒した。両肩に手を回す。そうして、互いの鼻先が接近し──。


「待て……いや待て、待て!」

「はい」


──静止。その唇が塞がれるより間一髪早く、ドクター・ゾークの声が響いた。

命令への服従をプログラムされているエンブラの制御システムは、主の声紋を認証し、五体は直ちにその指示に従ったのだ。


「……貴様、今……今、何をしようとした」

「……キスを」

「何でだよ……!」

「ドクターを、黙らせたかったので……」

「だからって、何でキスになるんだよ……!」

「ここで思いっきりキスしたら、色々な事が有耶無耶になるんじゃないかなって……」

「意味が分からん……!」

「あと、単純にしたかったので……」

「つ、ついに開き直ったな……!」


全身にある限りの武装を格納した機械人形の体重は100キロを超える。

ドクター・ゾークは息を切らしながらそれを押しのけ、命令の追加を以てエンブラをその場に正座させた。


「そもそも、勝手に私の思考ログを覗き見るのってどうなんですか。やらしいですよ」

「ついに反抗期の女子みたいな事を言いだした……」

「道徳的に言って、不適切だと思います」

「まあ私、悪党だからな。道徳に反するのが基本だからな」


うっかり悪の科学者を道徳で説得しようと試みるほど、エンブラは窮していた。

大ピンチだ。このままでは大好きな主に見捨てられしまう。


「では、分かりました。仮にですよ仮に。私がドクターに対して慕情を抱いていたとして……」

「いや、もう仮の段階は過ぎたぞ。さっきので完全に黒だぞ」


「果たしてそれは瑕疵バグと呼べるのでしょうか。むしろ長所ではありませんか」

「えらく開き直ったな」

「その感情に基づいて、私はいっそう貴方に尽くそうとする訳です」


正座したまま弁を続けるエンブラは、ずいと前傾して迫る。ゾークはその額を錫杖で抑えつけて留めた。


「ドクターは私の想いを利用すればいいんです。私に対して褒めたり頭を撫でたりすると、戦意の高揚が見込まれます。比例して戦果が上がります。ほら、メリットしかないですよ」

「しれっと欲望を織り交ぜてきたぞこいつ。冷徹なる戦闘人形はどうしたんだ」

「冷徹なる戦闘人形に想い寄せられるのは嫌いですか?」

「ラノベのタイトルみたいなこと言いやがって……」


冷徹なる戦闘人形って何だろう。エンブラ自身、なんかもうよく分からなかった。


ゾークは端末の液晶に視線を落として深くため息を吐くと、縋り付いてくる人形の腕を振り払い、背を向けた。


「……結構、もはやこれ以上の確認は不要だ」

「待ってください、ドクター。私は──」

「忌々しくも、貴様の電子頭脳に異常が発生しているのは間違いないのだからな」


エンブラの意識はそこで途絶えた。

端末の操作による、外部からの強制的なシャットダウン。

少女の体躯は、膝を付いたまま静止した。


瑕疵バグは取り除かねばならん」


一人きりになった部屋に、冷たい声が響く。





戦闘機械人形E-07式ことエンブラは、白い蛍光灯に瞼の奥をくすぐられる感覚に目を覚ました。

いつもと違う天井。医務室、だろうか。


彼女はそこに、仰向けに転がされていた。


すぐさま、自らの記憶を辿る。

胸の内にある、最も大切なモノ。

それが失われてはいないかと、焦燥に駆られて。


だが、それは変わらずそこにあった。

甘く色づいた記憶も。思い出も。焦がれる熱を綴った言葉も。

心に生まれた欠落は、依然として彼女を──黒神秋菜を求めている。



では、彼女は一体何を──?



そこまで疑問を抱いて初めて、軽くなった右腕に気付いた。


手甲にアームブレードを格納していた装甲腕が、ただの人間のごとき、柔らかな五指に置き換わっていた。

腹部に触れる。四連装荷電粒子砲塔の、ごつごつとした感触が消えている。


……立ち上がる。体が羽のように軽い。

それは決して、比喩でも錯覚でもなく。


「ドクター!!」

「五月蝿い。静かにしろ」


飛び上がり、勢いのままドアを開けた。

いつもの黒マントに身を包んだ、不機嫌そうな横顔がそこにあった。


「貴様は兵器としては欠陥品だ。この私ですら手の施しようもない程のな」

「ドクター!!!」

「存在自体が損失なのだ。その穴を埋められるよう、せいぜい役に立て」

「キスしていいですか!?」

「図に乗るのが早い……!」

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