初恋が暗殺者でもいいですか?

ぶるすぷ

初恋が暗殺者でもいいですか?

 ロウソクの火も消え暗くなった王宮内。

 青年が、寝室の巨大なベッドに寝そべろうとした時だった。

「こんばんは、王子様」

 いつの間にか、その眼前に少女がいた。

「……またお前か」

「ええっ!? それだけ!?」

「だって、もう三回目だぞ」

 そう、三回目なのだ。


 次期国王の最有力候補である青年。

 彼は疑り深い。眼の前に現れた少女が暗殺者ではないかと疑うほどには。

 しかし、初めて少女が現れた時は、少女は青年と言葉を交わした後何もせずにその場を去った。

 二回目も同様。

 見た目も可愛らしい服を来たただの少女。性格も口調も天真爛漫。

 早速、少女に対する青年の認識は”夜になると現れる不思議な女の子”というものになった。


 そして、今夜で三回目。

「もっとこう、うわぁ! とか、誰だ! とか、反応してくれてもいいと思うよ!」

「あーはいはい分かりました。わーびっくりしたなー」

「あー! 適当にやったでしょ!」

「ちゃんとやったって」

「絶対適当にやった! 分かるもん!」

 ベッドの上でじたばたする少女。

「おい暴れるな。これ俺のベッドだぞ」

「じゃあ今日から私のベッド! ふふーん、いいでしょー」

「はぁ……」

 少女はあまりに自由だった。

 王室で、一国の王子の部屋で。

 皆寝静まった時間帯に、元気にベッドで転がっている。

 王子のベッドで。

 もし一般人がいたとすればこの三文字が頭に浮かぶだろう。

 不敬罪。

 一見して可愛らしい少女。

 残念ながら犯罪者予備軍である。

 不敬罪である。

「おい、あんまりうるさくするなよ。誰か起きちゃうだろ」

 しかし、王子は優しかった。

 まさか、自分と同じかそれ以下の歳の少女を外につまみ出すなどできるはずもない。

「暇なの!」

 しかし少女は止まらない。

 ベッドでごろごろ。

 整えられたシーツもぐしゃぐしゃ。

 咎められることのない不敬罪を積み重ねていくその様は、王子の護衛が見れば顔を青くして怒鳴るようなもの。

「あ! なにあれー」

 ベッドを降りてとたとたと走り、机の上にある金貨を取る少女。

「金貨だー!」

「おい、それ俺のだぞ」

 途端、笑顔を咲かせる少女。

「じゃあこれも今日から私の金貨! いえーい!」

「返すんだ」

 追いかける王子。

「やーだ!」

 逃げる少女。

「このっ……」

 王室。限られた空間。

 いくら運動とはかけ離れた毎日を送っている王子といえど、流石にこの中で少女を捕まえるぐらい簡単だ。

 青年はそう思っていた。

「はぁ……はぁ……」

 だが。

 捕まえようと手を伸ばす青年は、ひらりひらりと避ける少女に届かない。

 少女の身体能力は、王子が予想していたものを遥かに上回っていた。

「遅いよー! ほらほら早くー!」

 ニコニコとする少女。

「くそっ」

 ここに来て、王子は不利を悟った。

 そして気づいた。

 自分は一体何をやっているんだ、と。

「ああ、もういい。勝手にしてろ」

 吐き捨てるように言って、ベッドへと戻る青年。

「えー、終わり?」

「うるさい」

「ま、待ってよ」

「黙れ」

「っ……」

 青年は少し怒っていた。

「俺は明日も明後日も忙しい。毎日が大切なんだ。その大切な時間には睡眠も含まれる。お前には分からないだろうけどな」

「そんなこと」

「分かったら出て行け。もし分からないなんて言ったら、不敬を働いた罪人として処分するぞ」

「私と喋る時間、大切じゃなかった……?」

 青年はベッドを整えながら。

「全然大切じゃない」

 ぴしり、と言い放った。

 そしてベッドに入り込む。

 沈黙が訪れる。


 静寂。


 痛い静寂を保ったまま時間が流れた。

 すると、少女はトボトボと歩き出す。

 歩いて、ベッドの上に乗り。

 青年の背中へ向かって、涙ぐんだ声で。

「ごめん……」

 背中は、何の反応も見せない。

「ごめんなさい……」

 少女はぽろぽろと涙をこぼす。

「寂しかったの…………ずっと一人で、誰も…………だから……」

 途切れ途切れに話す少女。

 するといきなり、王子は少女へと向き直る。

 目と目が合う。

 次の瞬間、王子は少女を胸の中に抱き込んだ。

「えっ……!」

 驚いて離れようとする少女。

 しかし王子はがっちりと抱いて離さない。

 慌てる少女に向かって一言、王子が言った。


「お前、暗殺者だろ」


 少女は息を呑んだ。

「っ、私は」

 焦る少女を追い詰めるように。

「俺を殺しに来たんだろ」

 しっかりと目を覗いて、王子は言い放つ。

 少女の目が泳ぐ。

「あっ……えっ……」

 何か言おうとして、何も言葉が出ず。

「さっき追いかけた時にやっと気づいた。あんな動きは普通できない。普通の子供にしては身体能力が高すぎる。それこそ、暗殺者でもなければ」

 少女は苦しげな表情で口をつぐむ。

「この場所だって、山ほどいる護衛が守ってるんだ。そう簡単に入ってこれるはずがない」

 何も答えない少女を見て、王子は、はあ、とため息をつく。

 そしてはっきりと言った。

「どうして俺を殺さないんだ」

 核心を突く質問だった。

 暗殺者であるのに、殺さない。

 それは任務の放棄を意味する。

 確実に、誰にもバレずに殺すのが暗殺。

 であるのに、すでに三回も王子と接触し、未だ殺していない。

 それは王子にとって前代未聞の話だった。


 少女が、何かを言いたげな、しかし言いにくそうな表情で、口を開いたり閉じたり。

 王子の目を見て、そして目を逸らし。

 迷いに迷って、遂に少女は、ぼそり、とつぶやいた。


「好きだから……」


 王子は、想像もしない返答に一瞬、思考を停止させた。

「は?」

 少女は顔を赤くして、口早に続ける。

「初めて見た時からずっと好きだったの! だから嫌なの! あなたが死ぬのが嫌なの! ずっと一緒にいたいだけ! なのに、私は……」

 悔しそうに、悲しそうに、少女は涙を浮かべ。

「私はあなたを殺さなくちゃいけない……」

 王子は驚いた。

 天真爛漫な少女が、目の前で、自分の腕の中で、すすり泣いていることに。

 あんなに楽しそうだった少女に、涙を流させてしまったことに。

 自分が愚かなことをしてしまったことに。

 泣いている少女に、王子は、優しく語りかけるように言った。

「分かった」

 少女は王子の顔を見上げる。

「俺がなんとかする」

「へ?」

 唐突な宣言に、今度は少女が驚く。

 王子は少し自慢げに言った。

「俺は次期国王の最有力候補だぞ? 来年か再来年になれば、俺が王様。この国のトップだ。そしたらお前を救ってやる。暗殺組織も潰す。全部開放してやる」

「でもそんなことしたら、私、殺されちゃう……」

「俺が守ってやる。護衛を付けて、ちゃんと飯も食わせてやる」

「でも私、何もできないよ……?」

「じゃあ、俺の直属の暗殺者にする。それなら働けるだろ?」

「どうして、そこまで……」

 王子は、頭の中で考えながらゆっくりと話した。

「最初に会った時、俺はすぐに追い出そうと思ったんだ。王室に忍び入ってくる奴なんか暗殺者ぐらいしかいないからな。だけど、追い出さなかった。いや、追い出せなかったんだ。楽しそうに話すお前を見て不思議と、追い出してやろうって気持ちが無くなった。なぜそう考えたのか分からなかった。けどお前に言われて、今やっと分かった」

 そして王子は、はっきりと言い切った。


「俺もお前のことが好きだ」


 少女の鼓動が高まる。

「うそ……」

「嘘じゃない」

 王子は少女の肩を掴んで、きっぱり言う。

「好きなんだ、お前のことが」

「ぅっ……!」

「何回でも言うぞ。好きだ」

「いい! もういいから! 何回も言わないで!」

「耳まで真っ赤だぞ」

「うぅ……」

 恥ずかしげに顔を両手で覆う少女。

 王子は、その頭を優しくなでながら言った。

「好きな人を幸せにしてやりたいと思うのは当然だろ?」

「……うん」

「だから、俺はお前のために沢山尽くすんだ」

「私……今まで沢山の人を殺してきたよ? 知らない人、何人も殺してきたよ?」

 少女は、不安を映し出した表情で言う。

「……あなたと一緒に、幸せになっていいのかな」

 王子はにこりと笑う。

 そして少女の唇に、強くキスした。

 驚く少女は、されるがままになる。

 唇が離れる。

 王子は笑顔で言った。

「いいんだよ。俺の大事な初恋だ」

「……いいんですか?」

「急に丁寧だな」

「だって……結婚したら、言葉遣いもちゃんとしないと……」

「気が早いなぁ」

 ははは、と王子は笑う。

「もう、笑わないでください!」

「ごめんごめん、つい」

 ぷりぷりと怒る少女は、表情を真剣にすると。

「は、初恋が暗殺者でもいいですか?」

 と問いかける。

 すると王子は。

「お前こそ、初恋が王子でもいいですか?」

 と、ニコリと笑って答えた。

「もう!」

 少女は怒ると、ベッドの中から飛び出す。

「今日は帰る!」

「行くのか?」

 少女は少し、寂しそうな表情をする。

「うん。しばらく来れない、かも……」

「そうか」

 王子は、優しい笑みを浮かべた。

「じゃあ、次会う時は、俺が王様になった時だな。ちゃんと寝返る準備してこいよ」

「……うん」

「あと、お姫様になる心の準備もしてこいよ」

「うん!」

 少女は笑顔で。

「大好き!」

 そう言って、さらりとその場を去っていった。


 少女がいなくなった静かな部屋。

 王子は一人、呟く。

「絶対に、王になってやる」

 その決心は、とてもとても固かった。




 その後、暗殺者と結婚した王が大改革を起こし、国を大国へと成長させた話が語り継がれることになるのだが、それはまた別のお話。

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