思い出し書き

@jangmizo

第1話 些細

些細な文章が自分を変えるといえば、信じるだろうか。私はこれに対して、それこそがこの世を生きる上での支えだと思われる。

以前、あるホームページであるコラムを読んだ時のことだ。その題名は「とにかく一つの文章から始めろ」で、著者は現在某放送局に務めるプロデューサーだ。彼の二十代は就活に疲れ切って、人生をほぼ半分諦めかけていた。そんな彼にできることは机の上に座って努力を尽くすことほかなかった。いつか報われる日を待ち望みながら、無為な日々を過ごしていた。しかし、彼は突如として、ノートに落書きを一つ書いた。その落書きは彼の二十代のことに対する問いかけで、それをきっかけに彼は自問自答を書き続けた。その末、彼はあっという間に本を出せるほどの力を手にし、今ではベストセラーの座に至ったのだ。彼はこう述べた。「文章を書くことが自分の道しるべとなり、失いかけた自信を取り戻すことができた。」

前述のように、一つの文章が自分を変えたということは信じるほかないと思われる。確かに文章というのは自分の心から滲み出たもので、自分のことを知るための道しるべとなる。また、普段は口には出せないことを外に吐き出す、いわば排泄行為に等しい。たとえ方が汚らしいのは申し訳ないが、実際に我々は日々自分の欲望諸々をため込んで生きている。叶えそうもない夢をはじめ、理想ややりたいを全て吐き出すには、この世はあまりに小さすぎる。いつも零れそうな状況に置かれながら、それらを再び中に入れるようなことをさせられるのが、今の我々の人生ではないか。だから、前述での彼のように日々溜めていたものを文章という形で解ぐしていくことがこの理不尽な世界で唯一の慰めというわけなのだ。

もちろん彼のような場合は稀なゆえ、あながち叶うわけではない。ただ運のよさで自分の望みを叶えることができた。しかし、一つの文章が世界を変えるということは傲慢に等しい。日頃吐き出す文章一句ごとに特別な力が込められているわけでもないので、それをかてに「私は変われる。」と信じ込んでしまうのは危うい考え方だ。

それでも、私は些細なことが自分や世界を変えるきっかけになりえると思いたい。確然ではなくても、文章のように些細なことがこの世の軸を可能性はなくはない。失敗するか成功するかは誰も知る余地はない。だからこそ、その些細な可能性というものに賭けてみるのが大きな分岐点なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思い出し書き @jangmizo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ