スリープ・イン・ザ キネマ

時任西瓜

フードコートにて

「映画、面白かったねえ」

 俺は今、人生最大の窮地に立たされていると言っても過言ではない、背中をじっとりと蝕む滝のような汗がその証拠だろう。

 ここは大型ショッピングモール内のフードコート、休日の昼時というのもあって、かなり混雑している。ざわめきの絶えないこの空間で、スムーズに空いている席を見つけられたのは幸運だった。注文はすでに済ませてあり、テーブルの上には水の入ったグラスが二つと、調理完了の合図を知らせるリモコンが置かれている。

 さて、俺の目の前に座る、黒髪のセミロングを揺らして微笑む彼女、咲子さきここそが、冒頭の一言を発し、俺を、一歩でも動けば奈落の底に落ちてしまうであろう、ギリギリの崖っぷちに無垢な笑顔で追い込んでいるのだ。

「おう、面白かったよ」

 無難な返事をすることでとりあえず凌ぐ。俺たちは現在、恋人としてお付き合いをしている、馴れ初めはまた時間のあるときに話そう、今日は初デートということで、高校生らしくショッピングモールで、咲子の希望していた映画を観に行き、今はこうして同じモール内で昼食をとろうとしている訳だが、こんな幸せの擬人化のようなスケジュールの中で、何が俺にとって都合の悪いことかと言えば、ただ一つ。

 その映画、俺はろくに観ていない!感想を話そうにも、そもそも内容が全く分からないのである!

いいや、言い訳をさせてくれ、今日は咲子と付き合い始めてから初めてのデート、女の子と二人で出かけるなんて、血縁者の母や姉としか経験のない俺は、恥ずかしながら、緊張で一睡もできなかった。

映画館の程よく暗い照明と、座り心地抜群の椅子、そして適度に調節された空調の3コンボは俺を眠りにつかせるのに充分過ぎた。最後の記憶は上映前お決まり、盗撮の禁止を促す、スーツを着込んだ異形頭の映像だ、ちょっとだけ、と重い瞼を閉じてから、体感時間は一瞬。気付けばエンドロールがスクリーンに流れ、隣にはハンカチ片手に涙を拭う咲子、売店で買った紙コップ入りのジンジャーエールは、氷が溶けてシャバシャバになっていた。

 事情はお分りいただけただろうか、しかし、彼女の手前、寝ていたとは言えない、君の選んだ映画は退屈だったよ、と言っているようなものだ。あくまで寝不足による事故ではあるが、そんなことを語っても言い訳がましいだけだろう。とにかくこの場は話を合わせて、観ていたということにするしかない。

「ねえ、しょう君はどこが面白かった?」

 反射的に肩が跳ねる、落ち着け、冷静に対処しろ、自然に話を逸らすには何が効果的か考えるんだ。

「えっと……ぎゃ、逆に咲子はどこが面白かった?」

 思考の結果、質問を質問し返す作戦に出た。汚い手だが俺は映画を一ミリも見ていないのだ、こうするしかあるまい。

「えー、私? やっぱり、ゴリラがドラミングしてくるところかなあ」

 面食らう。しかし、顔に出すわけにはいかない、表情筋だけは平静を保つが、頭の中はパニックだ、なんだそれは、B級映画でも聞いたことないぞ、今日見た映画は恋愛映画だったはずだ、タイトルはややうろ覚えだが、突拍子なものではなかった、少なくともゴリラ、ドラミング、という言葉は結びつかない。

「そう、だな。迫力があったな、うん」

 ほとんど自分に言い聞かせるつもりで言う、咲子は俺の感想とも言えないような稚拙なコメントにも嬉しそうに頷き、あれってCGなのかなあ、と小さく溢す、俺は、そうかもなあ、なんて曖昧に返した。

「あと、出川さんが出てくるとは思わなかったなあ」

 出川ってあの出川哲朗? それ本当に恋愛映画かよ、バラエティの印象しか与えない彼が、ゲスト出演としても画面に一度映ったのなら、どんなシリアスもコメディに早変わりだろう、俺たち、上映スクリーン間違えてたんじゃないか。

「あ、霊媒師が登場したシーンは熱かったね!」

 ラブコメディならぬラブジョレイってか。訳が分からない、自分が何を言っているかも分からない、今までの人生で直面したことのない出来事に脳がかき乱され、混乱を極めているのだ。

 俺の混乱とは正反対に、咲子はテンションが上がって来たようで、俺が質問しなくとも嬉々として映画の感想を語り始めた、俺はああ、とかうん、と時折相槌をうっているが、咲子の口から出てくるのはあまりに荒唐無稽なワードばかりで驚きの連続だ。断片的とは言え、感想を聞いているはずなのに、全く映画の内容が想像できない、もしかして咲子は俺が眠っていたのに気がついてわざと嘘の内容の話をし、俺を試しているんじゃないだろうか、そんな気さえもしてきた。

 ふう、と咲子が息をつき、グラスについだ水を飲む。

「つい楽しくなっちゃった、私ばっかり話してごめんね」

「そんな、俺も聞いてて楽しいよ」

 苦笑いを浮かべた咲子に、俺はすぐにフォローをする。映画の内容に関しては、まあよく分からないが、それを楽しそうに語る咲子は今までで一番生き生きとしていて、普段は見ることの出来ない姿が見れたんだ、楽しいに決まってる。すると、あのね、と遠慮がちに咲子が切り出した。

「今日の映画、私の趣味だから、嫌がられちゃうかなって思って、結構緊張してたんだ」

 驚きはしなかった。が、緊張していたなんて全く気がつかなかった、いや、気い使いの咲子のことだ、俺に悟らせないよう、隠していたんだろう。

「いざ映画始まったら、自分だけ夢中になって、翔君が楽しめてるかとか全部忘れてて、こんなのでデートって言っていいのかなって、申し訳なくて……」

 咲子は、こんなに俺のことを考えて、悩んでくれていたんだ。

「でも、こんなに感想聞いてもらえて嬉しかった、優しいね、翔君は」

 優しいわけがない、俺は上映中眠りこけていたどころか、さっきだって、嫌われるかもと、自分の保身のことしか考えていなかった、咲子の気持ちなんて、これっぽっちも考えていないんだ。

「だからね、翔君と映画来れてよかった!」

 俺にはもったいないくらいの笑顔を、咲子は浮かべて言った。何でもいい、俺も何か伝えなくちゃいけない、そんな気持ちになって、俺は__。

 ぴぴぴ、リモコンが音を立てる、ずいぶん待たされたので忘れかけていたが、注文していた料理が出来上がったらしい。急に現実に引き戻されたような心地だ、それは咲子も同じようで、照れ臭そうに笑ってから、取りに行こっか、と立ち上がる。

「あのさ、実は俺ッ」

 寝てたんだって、正直に言えよ、俺。

「俺さ、実は」

 咲子は不思議そうな顔を浮かべ、俺の言葉を待っている、どもっている場合じゃない、言うんだ。

「俺、その……もう一回観たいかなって」

 間違えた、そう思った頃にはもう遅い。何言ってんだ、俺、最悪すぎる。しかし、咲子の顔はぱああっと花開いたように明るくなる。

「え、本当!?」

「お、おう」

 思いのほか食いつきが良くて、咄嗟に言い出したとは言え、たじろいでしまう。

「えっ、今からって午後の上映間に合うかな」

 やったやったと喜ぶのもつかの間、慌ててスマホを取り出し、時間を調べ出した咲子に、愛おしさがこみ上げてきた。

「その前に、昼飯食べないとな」

 俺は咲子に言った、電子音は以前俺の手元で鳴り響いている、店員さんも俺たちのことを探しているだろう。

「そっか、ダッシュだね、急ごう!」

「危ないぞ、走るなって」

「わ、すみませんっ」

 そう言ったそばから、行き交う人の波にぶつかり、謝る声が聞こえてくる。まったくと思う反面、咲子の、気い使いで、危なっかしくて、どこか抜けていて、周りとはちょっと違う、そういうところ全部が好きになったんだよな、なんて思い返し、俺は彼女の背中を追いかけ歩き出す。フードコートの中はいい香りで満たされている、一歩踏み出すたびにすっかり空いた腹が今にも鳴り出しそうだが、心は誰より満たされているぞ、と誇らしい気持ちで一杯だった。




追記。結局、午後の上映には間に合わず、映画については後日またデートを取り付ける形での鑑賞となった。今度は緊張で夜、目が冴えることもなく、ぐっすりと眠りにつき、無事に朝を、デートを迎えることができた。そして分かったことはといえば、咲子の映画に対する感想とコメントは何一つ嘘偽りなかったことと、映画本編はなんというか、人類にはまだ早いというか、何とも形容しがたい内容だったことをここに記しておく。

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スリープ・イン・ザ キネマ 時任西瓜 @Tokitosuika

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