目隠し鬼の歌

茶蕎麦

第一話 少年の恋


 楠川汀くすかわなぎさは、楠川という鬼の一族の少女である。


 鬼の一族、と言っても、彼らは通常の物語に記されるものではなかった。同じなのはその額から天を衝く角ばかり。

 楠川とは大量すぎてセカイを飛び出て数多の異なる世界をひとつなぎにしてしまう程に逸した質量と規模の存在のヒトガタの突端。異世界からの侵略者、といえば分かり易いだろうか。

 つまり、いずれ溢れてこの世を侵す、破滅的存在の兆しこそが、楠川だった。


 そんな楠川においても尖りすぎたのが、汀。平和主義の一族の者、ことさら彼女の父母に切除するか圧し留めるかどちらかの対処を生まれたときから選ばせなければならないほどに、彼女は終わっていた。

 どうあっても彼女は最期の汀、波打ち際の地を侵す飛沫である。それを、汀本人は生まれつきから知っていた。だから、粛々と、潰され閉じ込められたのである。必要とされる、その日が来るまでは。

 そして、望まれこの世で過ごすことを許されるようになった汀は、まずこう笑うしかなかった。


「けらけら。人間って面白いねえ」


 吊り上がった眦に三白眼。桃色の角を筆頭に、どこか全体的に鋭角な汀は、笑顔もどこかつき刺さるような印象を覚えさせる。

 強く記憶に引っかかるトゲとしてあれ。そんなことは誰も望んでいないというのに、汀はまさしくそうあった。

 見逃せない、強烈。悪く、悪くも少女はそうあってしまう。その角の異形以前にそうであるからこそ、汀は容易くは外に出して貰えない。

 だから、彼女は今も閉じた楠川の屋敷の瓦屋根、その棟に座して、笑みながら人海を望んでいるばかりだった。

 そして唐突に、笑いを閉ざしてあくびを一つ。そうして汀は更に言葉を続ける。


「ふぁあ。どれもこれも愛らしいなあ。小さくって」


 規模の違う鬼は、人間活動の一部をそう評した。

 汀の眼前に広がるそれは規則に揺れるアリの群れ。しかも、どこかその小さなものは自分に似ている。だからこそ愛でて楽しむのは、そう難しいものではなかったのだ。

 そして顔を歪めて、人々の意味を、再び鬼は笑う。


「けらけら。ま、すてっきーやアリスみたいに、おかしな形したのもあるけど……ま、どれもこれも守ってあげたくなるくらいのすかすかふかふか感だねえ。でも、私が触ったら全て台無しになってしまうだろうし……こりゃ、一族が人のための世界を平和に維持しようとするわけだ」


 その無駄に優れた瞳で、汀は上から下に愛玩動物の群れの変化を楽しむ。平たい世界に、悪徳と善良が並んで映る。そして、彼女は全てを下らないと、微笑んだ。

 でも、そんな風に可愛いからこそ、守ってあげたくなるものでもあった。小さな違う愚かなものに相似を見つけて、それを愛おしいとするのは、往々にして人間にだってよくあること。鬼にだって、それは当たり前。

 実際、楠川の一族はよくその力を目に届く人のために使っていた。存在があまりに波立たせることが簡単であるが故に、なるだけ難しく平和にと、秘密裏に。人にはよく分からない悪性の処理は、次第に彼らの得意となった。


「……自分たちこそが、世界の敵なのにねえ。けらけら!」


 しかし、楠川こそ、悪でもある。

 汀の言の通り、成長し続ける膨大の大元に押し出されるように楠の彼らは次第に人型の一族の体を成すことが出来なくなるほど膨張して、いずれこの世を埋め尽くし潰して壊してまた次へと孔を開けることだろう。

 それが、何時かは判らない。だが、確かに起きる事態ではあった。

 世界の平和をよく守る、いずれ全てを滅ぼすだろう、鬼の一族。汀は、そんな自分達を自嘲する。

 大いに嗤い、そうして何時しか彼女は何より鋭い真顔に戻った。


「けらけら……はぁ。笑い続けるのも疲れるねえ。――――愉快に溺れて、怒気を忘れるというのも、これまたつまらないことかもしれないなあ」


 それは、娯楽に飽きるでもなく、ただ僅かな疲れに素面に返ったばかり。けれども、汀の熱は冷えていた。

 帰った我はみっしりと他が詰まった酷い空虚。故に、げに美しきこの世界を思わずにはいられない。可愛いなあと愉快にも。

 けれども、それだけでは激情が足りないと、幼い汀は思うのだ。対すことの出来るものが親しいものしかいないが故に、知識以外に怒りというものを汀は経験していない。


「怒るって、とても面白そうなのだけれどなあ」


 汀は、怒りに歪んだ人の面を、趣深く思い出す。愛は覚えたことがないからよく分からなくて哀しみなんてどうでもいいと、幼い彼女は喜怒しか目に入れない。

 故に、気にはなるのだ。怒り覚える程のこの世への感情移入を、する方法を。何か、瞋恚を受けて、それに応じればいいのだろうか。しかし、自分を害せるほどの心など。


 そうして深く考え込む、その前に。彼女はそんな言葉を確かに耳にする。



――――鬼さんこちら、手の鳴る方へ。



「呼んだかい?」


 幼子のからかい声を真に受け、鬼はそちらを向く。

 表に出るには心もとない、下着ひとつ身に着けない白襦袢姿。しかし、それに何一つ恥じなど覚えずに、けらけらと、彼女は跳んだ。




「返して……」

「やーだよ」

「返して欲しけりゃ、お前の姉ちゃんみたいに、魔法を使うんだなー。ほら、楓太、パス!」

「そんな……」


 嵐山哲生あらしやまてつおは、元友人たちの悪意の篭ったからかいに、困惑していた。

 キャッチボールの要領で飛んでいく自分のランドセルを目に、取り返さんとするそのくたびれた足の進みは鈍い。

 だくだくの汗が普段くしゃくしゃとして跳ね放題の髪の毛を、大人しめにさせた。そうして、瞳の端には涙が溜まっていくのだ。

 十歳の子供にとって、子供じみたものとはいえ、イジメは辛い。それは、自分が男の子だという意地なんかでは、もう決壊を留め置くことが難しいくらいには。

 一度、哲生は視線を地面に置いて、思い出す。



 哲生の姉はかもしたら、という有名人。唐突に訪れた危機から世界を救った少女ではないかと言われる、そんな人だった。

 彼女が魔天と言われた全世界を覆った暗黒を晴らしたその方法。それは、魔法だったとまことしやかに語られている。

 本人は否定しているが、それでも見知る多くとは彼女、嵐山心が救世主であると信じた。そして、幾ばくの人間は、我々を救わなかった人間であるとも、考えたのだ。


 そう、幾ら魔的なまでに優れた方法を使おうとも、それでも人の手によるのであれば零すものだって大いにある。

 魔天から零れた魔物達によって害された、助けてもらえなかった人々の縁者が怒りを持て余して心を嫌うことになったのも、仕方ないといえばその通りだったのだろう。

 しかし、魔法を使うらしい奇跡の少女。その周囲は善意に守られている。故に出来るのは、陰口ばかり。

 そして、親が零したそれを拾った子供が真に受けた。そのまま、その弟に血縁だからと辛く当たるようになっていく。


「……おねがい、返して……」

「だったら走ってこいよ、つまんねえだろー」

「哲生、ほうら、早くこいよ。持ってっちまうぞ!」


 その結果が、目の前で起きているイジメであった。

 彼らは投げ渡すのに夢中なのだろう、半ば開いたランドセルの中身は次第に落ちていき、その殆どが川原の石に傷つけられていく。

 プラスティック製の筆箱は砕けた。満点のテストの答案に、未だ真っ白だった宿題プリントが、汚れる。

 やがて付いていたお姉ちゃんがくれた、びょんびょん狐のキーホルダー。それまでもが地に落ち欠けた。

 思い起こすのは、姉の優しき笑顔。その想い出までも欠けてしまった気がして、とうとう哲生は怒り出す。彼らの、望みの通りに。


「返せ!」

「へー、こっちだよっと」

「ぐぅっ」

「おいおい、足かけんなって。もう走ってこれなくなったらつまんねーだろ?」

「ごめんごめん」


 そして、走った哲生は、身体を動かすことが得意でないがためにひらりとかわされ、ついでのように運動得意な楓太に足までかけられ、膝小僧を砂利に打ち付けることとなった。

 痛みに、うずくまる哲生。それが、周囲には面白くない。何せ、悪いやつの弟。もっと、正しき鉄槌を下してやらなければならないのに。

 それが、悪を行う愉しみに急かされての行動であることを知らず、彼らはイジメを続けていく。それが、どれだけ愚かであることにも気づかずに。


「こいよ、これ以上そうしてたら、コレ川に捨てちまうぞ」

「止め、ろよ!」

「はいパース」

「はいよっと。」


 哲生のまるまった背中に小石をぶつけたりしながら、発破をかけて、そうしてイジメは続いていく。幼い彼らはやってはいけないこと、言ってはいけないことをあまり知らない。

 やがて、いじめっ子達は、飽きるその前に、とうとうその言葉を言ってしまうのだった。


「ほーら。――――鬼さんこちら、手の鳴る方へ」


 瞬間。影が落ちる。そうして、誰もが見上げた。

 疾く、ひらりと舞い降りた目に痛い多くの肌色に、その大きな瞳をぱちりぱちり。目の前に落ちてきた白い薄着の扇状を知らずに、哲生は言う。


「誰?」

「お前たちが、呼んだだろう。ほうら。鬼さんだよ?」


 そして彼女、汀は髪をかきあげ、その天衝く角を見せつけた。

 尖ったその大きい異形に、恐ろしげな目鼻立ち。それをそのまま喜色に歪めて、いじめっ子達に向けて、鬼は微笑った。


「けらけら。悪い子は、食べちゃうぞ?」

「――っぁ」


 声にならぬ悲鳴。そして、蜘蛛の子を散らすように、餓鬼は当たり前のように必死に逃げていった。

 コケて這いずる彼らの無様を、しかし汀は笑わない。ただ、つまらなそうに呟くのである。


「んー。誰も、いいところを邪魔したのに、憎んじゃくれないのかあ。つまんないねえ。はい、これあんたのだろ? あげるよ」

「あ……」


 ひとりごち、そして後ろ手に、目が他所に付いているかのように落ちたランドセルを拾って汀は哲生に返す。

 それに対して、極まった彼は感謝と共に涙を僅か零した。


「ありがとう、ございます」

「けらけら。なあに、私はただ来ただけだよ。テツオ」


 そして、笑みと共に、鋭く汚させるその身を見せつけんと汀は、ばあと子供の方を向く。それが、大きな間違いであった。


「貴女、は……っ!」


 謝意は相手をよく見せるというがそれはあまりに行き過ぎたもの。振り向いた、少女はあまりに美しい。この世の奇跡と呼ばれた姉の親友よりも尚、特異で極まったものであると、彼はそう勘違いした。

 それは、優しさに囲まれた少年がぶつかった、初めてのトゲ。その中の最大。汀の容姿に行動は、哲生の心に鋭く突き刺さる。



 心臓が強烈に、一拍。常温にて思考するタンパク質が、高温にて恋に止まった。



 そして、恋する少年は、少女に告げる。


「ぼ、僕。貴女のことが、好きです!」


 ただ、それだけの言葉に、大いに鬼は目を開く。そうして、痛く彼女は微笑んだ。


 頬を、染めて。


「……それは、嬉しいね」


 初めての告白を受けて顔を朱く朱く、汀は湯だった様子の哲生にそう返すのだった。



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