とあるバレンタインデーの裏話

明石竜 

第1話

(よりによって苦手な長文読解が四題も出るなんて。おかげで英語、七割く

らい白紙だよ。国語と理科も半分も出来なかったし……絶対不合格だ。第一

志望だったのに)     

 二月十四日。神戸市内にある、とある私立高校の入学試験終了後、菓子学

は沈んだ気分で受験校最寄りの阪急春日野道駅へと向かって歩き進んでいた。

その姿は傍から見ると、黒一色の学ランがマッチ棒みたいな形をして路上を

舞っているようだった。

 学の背丈は一六三センチ。体重は四五キロ。標準的な中学三年男子と比較

すればみすぼらしい体格だ。そのうえどんよりとした目つきで大抵いつも暗

い表情。いかにも頼りなさそうな風貌である。


(早く家に帰って、気を取り直して次受けるとこの対策をしなきゃ)

 駅へ辿り着いた学が切符を買おうとしたその時、予期せぬことが起きた。

「阪急電鉄って、チョコレートみたいな色でとっても美味しそうですよね?」

 いきなり背後から一人の女の子に、ほんわかとした口調で話しかけられた

のだ。

「へっ!?」

 学は反射的に後ろを振り向く。

 そこにいた子は、丸顔ぱっちり垂れ目、細長八の字眉。ほんのり栗色な

髪の毛をマシュマロみたいに真っ白なシュシュで二つ結びに束ね、背丈は

155センチくらいの痩せ型。ココア色のロングコートを身に着けていた。

「こんにちはー、あの、キミ、私と同じ教室にいましたよね? 私、春日野

山中学の押部千代子って言います。あの、藪から棒ですが、もしよろしけれ

ばキミのお名前も聞かせてくれませんか?」

 その千代子と名乗った女の子は学に顔を近づけ、にこやかな表情で問いか

けてくる。学は緊張からか、額から冷や汗がつーっと流れ出た。ドクドクド

クドク心拍数も一気に上がる。

「ぼっ、僕の、なっ、名前は、かっ、菓子学、だけど」

 学は思わず答えてしまった。

「菓子学くんっていうんですか! 面白い苗字ですね。ますます気に入っち

ゃいました。美味しそうです♪」

 千代子は目をキラキラさせ、ペ○ちゃん人形のように舌をぺろりと出した。

「あっ、どっ、どうも」(この子とは、関わらない方がいいな。めっちゃかわいいけど)

 学は本能的にそう感じ、千代子から遠ざかるように駅構内をスタスタ歩く。

 しかし、

「あっ、待って学くん」

 すぐに追いつかれてしまった。

「ぼっ、僕、これから用事が……」

 学は行く手を阻まれる。

「あの、学くん。私から、ちょっとお願いしたいことがあるの……」

 千代子は急に頬をいちごみたいにほんのり赤らめて、すぅと息を大きく吸い込んだ。

「なっ、何かな?」

 学の心拍数はますます上がった。


「私、先月の入試直前説明会でキミの姿を見て、一目惚れしちゃったんです。

また会えてすごく嬉しいです。あの、これ、受け取って下さい! 私手作り

の本命バレンタインチョコです!」

 千代子は興奮気味にこう告白し、学に真っ赤なハート型の箱を手渡す。

「えっ、えっ、えっ!? あっ、あの、どうして、僕、なんかに?」

 受け取らされた学は動揺の色を隠せなかった。彼はこれまで十五年の人生

でただの一度も母以外の女の子から、義理チョコですら貰えたことがなかった

からだ。

「真面目そうで誠実そうで、賢そうで優しそうなところに、すごく好感が持

てたからです!」

 千代子は強く言い張り、学の左手をぎゅっと握り締めた。

「あっ、あっ、あの……」

 マシュマロのように柔らかい感触が学の手のひらに伝わる。

「私、偶然にも受験番号バレンタインデーと同じ214番なんですよ。学く

ん、一緒に受かるといいね。バイバイ」

 千代子は照れ笑いしながらそう告げて、トテトテ走り去っていった。

(なっ、何だ、あの子……)

 学の心拍数はその後もしばらく治まらなかった。


 

 ――四日後。

(うっ、嘘……)

 すっかり諦めていた学の自宅に、先日受験した高校の”合格通知”が速達

で送られて来た。

 学は喜びよりも驚きの方が大きかった。彼は受験校のホームページで改め

て自分の受験番号229を確認した後、ついでに千代子の受験番号も探して

みた。

 210、212、215


 無かった。

 千代子は、不合格だったのだ。

 

 二月下旬に行われた合格者説明会でも当然、千代子の姿は見かけなかった。

(どうしてるのかな? あの子)

 学は、まだ余っていた千代子から貰ったチョコを齧りながら寂しく思う。

 五教科の勉強もスポーツも音楽も美術も家庭科も苦手で、気弱そうで

口下手な冴えない彼に、あんなに親しげに話しかけてきてくれた女の子は、

千代子が初めてだったからだ。


 

 さらに一月半ほどが過ぎた四月初旬。

「なっ、何故!?」

 入学式会場前に張り出されたクラス名簿を見て、学は驚愕した。

「やっほー学くん。お久しぶり♪」

 千代子が同じクラス、しかも出席番号が学のすぐ前だったのだ。

「あっ、あの、どうやって、入学?」

「ホワイトデーにあった二次募集で受かったの。今年は辞退者多くて定員に

満たなくて、八年振りに行われたんだって。ラッキーだったよ私。学くん、

これからよろしくね♪」

「そっ、そういうことか。こっ、こちらこそ、よろしく。チョコちゃん」


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とあるバレンタインデーの裏話 明石竜  @Akashiryu

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