42話 拳闘とボクシング

 部屋対抗勝ち抜きトーナメントから一週間。

 あれから訓練生達の意識が大きく変わった。


 まずルクスの一件。

 鬼気迫るルクスの独白を聞いていた訓練生達は、自分達が如何に恵まれた環境のいたのかを、皆例外なく思い知った。

 そして、その環境に甘んじていたことも知る。要するに自分達が井の中の蛙であったことを理解したのだ。

 このままではいざ本職の拳闘士になった時に、簡単にベテラン達の餌食になってしまうのだろうと反省したのである。

 現代社会でバイトをしたこともないような大学生が、いざ就職したら使い物にならないみたいな感じがして、結局奴隷制ってのはどんな時代、どんな世界に行っても対して変わらねえのかなぁとか思ってげんなりした。


 そして次にロワードである。


 はっきり言ってあのトーナメントはロワードの為にあったようなものだ。

 ロワードは一人で5戦5勝と言う戦績である。

 最早、ロワードしか試合をしていないんじゃないかというレベルだ。

 そんなロワードの活躍を見ていた他の部屋の訓練生達も、バンディーニ部屋はなにか特別な訓練でもしているんじゃないかと、興味を持ち始めたというわけだ。


 あのトーナメントを経て、部屋同士、そして訓練生同士のわだかまりはなくなり、今では皆が良い意味で競い合い、切磋琢磨できる環境になっていた。


 そして、俺はと言うと……。


「これも、全部バンディーニの思い描いていた通りってことかしら?」

「さ、さあ? そんな上手くいくもんですかね……」


 練習場の隅で階段に腰掛けているのだが、なぜかその横にはロゼッタが居てそう問いかけてくる。

 まだ目の傷も治りかけなので無理の出来ない俺は、適当な石を握りしめ握力とリストを鍛えながら皆の練習を見ていた。


 ロゼッタは二日に一度くらいの間隔で、頻繁に練習場に訪れていた。

 そして、皆と混ざって練習の出来ない俺の傍に来ては、あれはなにをしているのか? 等と聞いてくるのである。


「それにしても走ってばかりね。また皆、外に行っちゃったわ」

「それだけスタミナはボクサーにとっては重要なんですよ」

「その、ボクサーってやつ。あなたやバンディーニがよく口にするけれど、拳闘士とは違うの?」

「んー、まあ一緒だけど。微妙に違うかなぁ」

「なによそれ、人の質問には明確に答えて!」


 んなこと言われても、どうやって説明したもんだか。

 て言うかこいつはなんなんだ。俺に聞かずにバンディーニに聞けばいいじゃないかと思うが、そう言ったら言ったで怒り出しそうなのでやめておいた。

 まあ、ロゼッタと仲良くなろう作戦を決行中だし。向こうからこうやって話しかけてきているのだから、極力機嫌を損ねないようにしよう。


 そんなことを思っていると、ロゼッタはなんだか訝しげな視線を俺に向けてくる。


「な、なにか……?」

「なんかあなた。随分と最初よりも大人しくなったわよね」

「あ、ああいやまあ。あの後、こっぴどく叱られたもんで」


 ロゼッタに対する俺の態度のことを叱られたのは本当のことで、まあそれで別に反省しようなんて微塵も思わなかったけれど。とりあえず、こいつの前では猫を被っておこうと俺は思ったのだ。


「ふーん、まあいいわ。それより、あなたの考えを聞かせて欲しいのよ」

「考えって?」

「拳奴達の受けている待遇についてよ。ルクスの話によると相当に酷いものみたいだけど」

「うーん、あれが本当の話なら、拳奴である以前に人としてどうかと思いますよ。それに、ここだって他と比べればマシかもしれないですけど、良い環境かと言われたら正直疑問ですね」


 俺の返答にロゼッタの表情が固くなる。

 ちょっと言い過ぎたかなとは思いつつも、事実なのだからしょうがない。


「つまりあなたは、奴隷達にも市民達と同じような権利が欲しいと言っているの?」

「いやそういうわけではないけど。そもそもそう言う話は俺にはよくわからないし。ただ……」

「ただ、なあに?」

「強い拳闘士を育てたいのであれば、やはり環境を整えるべきだとは思います」


 俺がロゼッタの目を見つめながら言うと。

 なぜだかロゼッタは少し赤くなりそっぽを向いてしまった。


「な、ななな、なるほどね。あなたもバンディーニと同じことを言うのね」

「バンディーニと俺が?」

「そうよ。バンディーニも拳奴達のレベルを底上げするには、まず環境を作り直す必要があると言っていたわ。それは、肉体的なトレーニングもそうだけれど。選手も教官も、そして経営者も正しい知識を身につける必要があるって」

「ああ、なるほどね。殴り合うだけなら馬鹿でもできるけど、ボクシングはそんなに単純なスポーツではないからなぁ」

「ボクシング? バンディーニもあなたも、そのボクシングとか言うものを広めたいのよね? 一体それはなんなの?」


 ロゼッタは多分、拳闘が金になると、父トーレスと同じように考えている。そしてこのままでは駄目だと、それもなんとなくだか気が付き始めている。

 より長期的に効率よく、かつ安全で安定して利益を生み続けることが出来る。そんな競技にすることができればと、バンディーニや俺が口にするボクシングに興味を示したのだ。


 このまま上手くロゼッタを乗せることが出来れば、トーレス・マスタングに助言をしてくれるかもしれない。

 そうなれば、俺とバンディーニの目指すことに一歩近づくことが出来る。


 俺はボクシングが、拳闘と同じように拳で殴り合うスポーツであるが、細かいルールの下で、ボクサー達が安全かつ公平に扱われるものであることをロゼッタに説明した。


「なるほどね……」


 ロゼッタはそう呟くと、真剣な眼差しになる。

 そして俺の顔を見つめると、まだ包帯の取れていない右瞼にそっと手を翳した。


「こういう怪我を減らすことができれば、それだけ拳闘士達の選手生命が長くなるということよね」


 そう言うロゼッタの悲しげな表情を見て、この子はきっと根は優しい女の子なのかもしれないと、俺は思うのであった。

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