彼女の補習と幼馴染の彼

きと さざんか

補習に付き合わされるなんて、幼馴染も損な立場だよな。

 とにかく暑い教室で、机を挟んで少年と少女は向かい合っていた。

 机の上には、教科書とノートとペンがある。少年は黙々と教科書とノートの間で視線を動かし、しかし少女はだらけたように椅子にもたれかかり暑さにあえいでいた。


「……暑い」


 今日、何度目の呟きだろう。青い空が憎らしいとばかりに、少女がこぼす。

 高校生の貴重な夏休みを補習という形で消費しているというのに、少女は全くやる気を見せずに教室の天井を仰いでいる。

 少年は、そんな少女に厳しい視線をやった。


「いい加減、勉強をしろ。誰のために俺が来てやっていると思ってんだ」

「だってー、暑いんだもん。やる気なんて起きないよー。あ、そうだ、勉強なんかどうでもいいからさ、プール行こうよ、プール。今日は開放日だよね!」

「補習の課題、全く終わってないぞ」

「いいじゃん、夏休みが終わるまでにはやっとくって」

「補習の提出期限は今日までだ」


 えー、と不満げに顔を膨らませる少女。少年はそれを見て呆れ、


「お前は全教科で赤点だろうが。このままじゃ、永遠に卒業できないぞ」

「それもいいんじゃない? ずっと高校生!」

「お前のお袋さんに言われてるんだ、勉強見てやってくれって。お前が頑張らないと、俺への信頼が下がるだろ」


 少女がブーイングを飛ばしてくる。だが、そんな文句も、少年にとっては慣れたもの。いちいち気にしていても始まらないと理解している。


「たまにはさあ、お前はよく頑張ったよ、とか言ってくれないの? そんな一言が欲しいのに……」

「そもそもお前、頑張ってないだろうが」

「頑張ってますー。頑張って学校来てますー」

「来るだけじゃ意味がねえんだよ。皆勤賞なのは認めるけどな」

「おおー、褒められたー」

「ついでに勉強も頑張ってくれれば、俺は何も言わない。何で俺までお前の補習に付き合わなきゃいけないんだよ。俺は全教科平均点以上だぞ」

「つっても、平均ギリギリじゃん」

「赤点以下よりもずっといいだろう?」


 少女も少女で、少年の言うことを聞かない。どれだけ言っても、勉強のべの字にも取り掛かろうとしてくれない。

 昔から、少女はこうだった。一度嫌いと認めたものは、とにもかくにも頑張らない。口では頑張っているなどとは言っても、結果が全く伴っていない。

 体育の成績だけは認めよう。少女は運動だけは得意だ。本人も、体を動かすのは好きだと言う。しかし、その反動は大きい。

 国語、数学、理科、社会、その他もろもろの成績が絶望的だった。補習もまともに受けようとしないし、手が付けられない。

 クーラーなどない前時代的な教室で、なんでこんなに不毛なことをしなければならないのか。少年は内にも外にも諦め呆れながら少女に言う。


「せめて補習は真面目にやれ。そうしたら、今度、遊びに連れてってやるから」


 あからさまなエサをぶら下げてみる。すると少女は、一気に目を輝かせた。


「マジで? どこでもいい?」

「ああ、いいよ。バイト代も入ったし、おごってやる」

「やったー! ウチ、海行きたい!」

「海? 定番すぎるな」

「ダメ?」

「いや、いいよ。連れてってやる」

「かき氷とアイスと焼きそばもアリ?」

「アリにしといてやる」


 そこまで譲歩して、やっと少女は教科書とノートを手に取った。

 が、


「……わかんない」


 それはそうだろう。補習の授業中も、表面上は起きていたが、まともに先生の話を聞いていなかったのだから。

 少年は、先生からも同情されていた。受ける必要のない補習を、少女のために一緒に受けているのだから。

 高校生として、良くも悪くも一般的な少年は先生にも受けがいい。生真面目とは言わないが、普通に勉強し、遊び、バイトをする模範的高校生であるからだ。

 そんな少年は、家が隣同士ということで、少女の面倒を任されている。生まれも育ちも一緒だったので、もう兄妹みたいなものだ。

 もちろん、少年が兄で少女が妹。たまに少女がこれを反転させたがるが、少年としては何があろうとも譲る気はない。


「教えてー」


 なんて上目遣いで言われても、可愛いとは思うものの、感情としてはそこ止まり。二人の仲が兄妹以上には発展しない。


「なんで基本中の基本で躓くかな、お前……」

「だってー」

「だってじゃない。補習はお前みたいな奴でも分かるように丁寧にやってくれるもんだ。授業を聞いていないお前が一方的に悪い」


 うう、と頭を抱えて唸りだすので、少年は少しずつヒントを与えてやった。

 それでも少女は苦戦していたが、ゆっくりと徐々に、解ける問題が増えていく。

 もっとも、これも数日しない内に忘れるだろうが。興味の無いものは、とことん覚えようとしない少女の癖である。

 この調子だと、夏休みの宿題でも泣きつかれそうだ。海に行った後も、またエサで釣って勉強をさせるしかないだろう。そこまで予想するのは簡単だった。

 泣きつかれる側としては、なんとも迷惑な話だが。せめて、泣きつかれるにしても最終日ギリギリになることだけは避けたい。

 少年は、問題にかじりつく少女から目を離して、ふと空を見上げた。

 ちらほら、といった程度にしか雲がなく、空は青さを見せつけてくる。太陽の日差しが、じりじりと校庭を焼いている。

 日陰の教室でも暑いのだから、外に出たら干からびてしまいそうだ。少女の言うように、海かプールに行きたいものだ。

 目の保養がしたい。この学校では、同級生でも、プールの授業は男女で別になっている。ちょっとばかり残念だ。

 クラスにも、何人か素敵な体形の持ち主がいる。せめて、学校指定の水着でも見てみたい。

 海やプールなら、少年も年相応の好奇心を満たせるだろう。ただ、考えると、自分も早く行きたくなってきた。

 それには、少女の努力が必要だ。頑張って補習を終わらせてもらわなければ。


「うう、できたー」


 そう言われるまで、少年はぼうっと空を眺めていた。疲れ切り、また椅子にもたれかかっている少女を見て、


「……結構間違えてるな」


 補習確認用のプリントを確認して、肩を落とす。


「ええっ、マジでー!?」


 やっと解放された、と安心していただろう少女が、泣きそうな声で悲鳴を上げた。


「マジだよ。ほら、こことここ。漢字が間違ってるし、読み仮名も違う」


 国語の問題用紙を指さして、教えてやる。


「いいじゃん、少しくらい間違っててもさー」

「バカ野郎。補習の内容を確認するもんだぞ、これは。それが間違ってたら、すぐに突っ返されるだろうが」


 補習用のプリントは、間違いがあった時点ですぐに修正するよう返される。そのため、完璧に仕上げなければならない。

 漢和辞典を取り出して、少女に調べさせる。辞典の使い方から教えなければならないのが悲しいところ。

 修正箇所を教えてやりながら、少しづつ間違いを正す。幸い、それほど時間はかからなかった。


「これでいいー?」

「……まあ、大丈夫だろう」

「よっしゃー! じゃあ、先生に渡してくる!」


 少年がうなずくと、少女はプリントを掴んで走り、教室を飛び出していった。

 先生も先生で長期休み中は少しでも休みたいだろうに、補習をしなければならないのは辛いだろう。なんとなく、心中で合掌した。

 ともあれ、これで今日の補習は終了。そう、今日の補習は。

 なんとも残念なことに、補習期間はまだ五日も残っている。つまり、少年の休みも五日潰れることになる。

 厄介な幼馴染に嘆息しながら、少年は再び空を見た。

 照り付ける太陽が厳しい。そろそろ昼食の時間。太陽は全力で地面を焦がしている。

 こんな中、歩いて帰るのはキツイ。とはいえ、教室も快適ではないので、仕方ない。

 少女がさっさと帰って来た。少年は鞄の中に勉強道具を仕舞いながら、席を立つ。


「ねえねえ、帰りに水着見に行きたい!」

「あん?」

「ほら、せっかく海に行くんだしさ。新しいの欲しいじゃん?」

「まあ、いいけど」

「それに、おごりだし!」

「……さすがに水着は買ってやらねえよ?」

「うそっ!?」

「さすがにそこまで期待すんな」


 裏切られたー、と嘆く少女を置き去りにするつもりで、教室を出る。後ろから慌てて文具を片付ける音が聞こえてきた。

 始まったばかりの夏休み。天気とは裏腹に、少年と少女の今後は雲行きが怪しそうだった。

 快晴とはいかずとも、少しは穏やかに過ごせないだろうか。

 頼りない幼馴染の呼び止める声を聞きながら、少年は疲れを吐き出すかのように、吐息した。

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