パラレルワールドじゃ告れないっ!?

置田良

パラコク!


 その男女が初めて言葉を交わしたのは、気怠げな五月の朝のことだった。


理菜りな、おはよう」

「…………ハ?」

「あいさつくらいしてくれてもいーじゃんか……」

「……古原こはら君、よね?」

「何、その言い方。喧嘩するにしても、そのやり口は酷くない?」


 理菜と呼ばれたセーラー服姿の少女は、ゆっくり辺りを見渡した。見慣れた朝の通学路だ。なんらおかしいところはない。親しげに話しかけてくる、目の前の学ラン男を除いては。


「ねぇ古原君、あなたは一体、何を言っているの?」

「冗談、だよな……?」

「そっくりそのまま返すわ」


 男は肩を竦め「なになに記憶喪失?」などと、茶化すように言う。


「そんな愉快な経験をした覚えはないわね」

「え、マジで言ってるの?」

「最初からそうよ。それじゃ」

「ちょ、ちょっと待って……!」


 立ち去る少女の前に、男が立ちはだかる。


「のいて」

「嘘じゃ、ないんだな?」

「当たり前でしょう」

「そっか。り……水城みずきがそう言うなら、そうなんだろうな」

「どういうことかしら?」

「だって、冗談は言っても嘘はつかないだろ? 水城は」

「……随分と私にお詳しいご様子で」


 皮肉気に言い放つ少女に対し、けれど古原は「だって、付き合ってるはずだろ、俺ら」と呟くなり学校の方角へと走り去っていった。


 水城は呆然とそれを見送りながら、自らの頬をつねるのだった。



   ◇



 昼休み。水城は教室を去って行く背の高い男を、古原研一けんいちを、目で追っていた。

 友人に表情筋が死んでいると評されるほどの無表情で頬杖をついているが、その内面は困惑の嵐が吹き荒れていた。具体的には、こんな具合。


(え? え!? 何あれ何あれどういうことなの!? 古原君が、私と!? つ・き・あ・っ・て・る? キャァァー! 夢!? 夢なのね!? ああなんて残酷な夢、早く覚めて! いや覚めないで!!)


 訂正。困惑の嵐だけでなく、黄色い歓声も飛び交っている。

 朝からずっとこんな調子であったため、頭脳明晰な彼女ではあるのだが、授業中に五度教師に当てられてその全てで当てられたことに気がつかなかった。

 外見は完全に落ち着き払っている分たちが悪い。気の弱い英語の教師など、気圧されて他の人に指定を変えたほどである。「水城やべえ、先生シカトしやがった」という騒つきにも、当然彼女は気がつかないが。


 さて、そんな調子であったため、あっという間に放課後が訪れた。


(古原君、あれきり話しかけてくれなかったな……。それがいつも通りなのだけど……。いえ、そうは言っても説明の義務くらいはあるでしょうに、もう!)


 相変わらずそんな調子の彼女が下駄箱を開けると、折り畳まれた紙切れが入っていた。おおかた、時折ある呼び出し文の類いだろうと思いつつも中を確認する。差出人は古原であった。


(古原君!? 本当に夢じゃなかったの?)


 いい加減、現実だと認めてほしい。

 それはさておき、彼女は自称スキップにほど近い歩みで――周りからは怒りに身を任せたかのようなカツカツとした足取りで――古原からの呼び出し場所に向かい始めた。



 そして、駅前のカラオケの入り口に古原研一は立っていた。

 水城は一直線に近づくと、彼の前で警戒するかのように腕を組む。

 渋い顔で「待った?」と口にするが、内面は相変わらず(やばいすっごい近づいちゃってる……!)という状態である。


「いや。それより、来てくれてありがとう」

「フン。そりゃあ、あんな無茶苦茶言われたら気になるなというのが無理な話よ」

「確かに。で、ここで話すんでいい?」


 古原は顎をしゃくってカラオケの入り口を示した。


「そのつもりで来たんだけど?」

「いや、必然的に個室になっちゃうから嫌かもって今さらながら思ってさ」

「誰かに聞かれたらまずい話なんでしょう? 朝のあなた、控え目に言って異常だったわよ」

「分かった。ここでいいな」


 古原に続いて、水城もカラオケへと入って行く。

 部屋に着き、古原に先に飲み物を取りに行かせている間、水城はマイクを手に黄色い悲鳴を上げていた。


「なんか、変な声出してたりしてなかった?」


 部屋に入りながら、古原がそう問うた。まさにその通りであるのだが、水城は「さあ? よその部屋の扉でも開いてたんじゃないの? 飲み物、私も取って来るわね」と冷ややかに返す。



「それじゃあ、説明してもらおうかしら」


 戻ってきた彼女は、早速そう切り出した。


「結論としては、俺がおかしいみたい」

「そうね」

「はは、否定して欲しくないわけじゃなかったけどね」

「そういうのはいいから、説明」


 古原は困ったように頭を掻いたあと「色々、俺の知ってることと違うんだ」と呟いた。

 水城は持ってきた烏龍茶を少し口に含み「具体性に欠けるわね。何が、どう違うの?」と掘り下げる。


「例えば、持っているシャープペンの色が違うとか。ローファーについている傷の位置が違うとか。大体はそういう些細なこと。ただ、最大の違いは……俺と水城が何の関わりもないってこと。なんというか、異世界に転移したような気分だよ」

「異世界転移って、男子がこぞって読んでるアレよね。私にはむしろ、平行世界転移パラレルシフトに聞こえたけど。可能性の世界というやつ」

「そうそれ、それが言いたかった! さすが水城、物知りだな」


 水城は口を尖らせた。


「一般教養よ、こんなもの。それに、最近そういう小説を読んだというだけだし。そんなことより、元の世界で私とあなたはどういう関係だったって?」

「……こんな話、信じるの?」

「朝、私のことを信じてくれたでしょ。私、貰ったことは同じだけを返す主義なの」


 もちろん限度はあるけれどと、水城は笑う。

 古原はそんな彼女の顔をしばし眺めていた。


「古原君、私の顔に何かついてる?」

「いや、笑った顔初めて見たと思って。あ、えっと、こっちの世界での話ね!」

「そう。向こうの私はずいぶんと無感動屋なのね」

「――え?」

「なによ? 私は表現豊かでしょ。今だって心はラブハリケーンよ」

「えぇ……」


 嘘ではない。むしろ形容詞が足りていない。


「それで、向こうで私とあなたはどんな関係だったって? 朝とんでもないことを呟いていたように思うけど?」

「……付き合って、ました」

「………………」

「水城?」

「気絶してたわ」

「マジか冗談かわからない……」

「ニヤけのせいでふざけてるように見えるかもしれないけど本気よ」

「マジか冗談かわからない……」


 ため息を一つ漏らし、水城はゆっくり立ち上がった。

 そのまま古原を見下ろしながら「それじゃ私は帰るから」と口にした。


「せっかくだし歌っていかないの?」

「いいえ。遠慮しておくわ。向こうの私に悪いもの」

「……そっか」


 そのまま出口へと向かう彼女は、しかし、ドアの前で立ち止まった。


「付き合い始めたきっかけなんて、聞かないし、聞けないけど、一つだけ教えて。ねえ、入試のとき会ったこと、あなたは覚えてる?」

「……消しゴムを半分あげたなんて記憶はないけど」

「ふふ、私が試験の日に忘れ物をするような女に見える?」

「ごめんなさい何も覚えてないです」

「そ。なら別にいいのよ。いつ戻るのか、それとも戻れないのかは知らないけど、またね古原君」


 言い残し、彼女は部屋を後にした。



   ◇



 私はそのままトイレへと向かい、個室の壁に寄りかかるようにしゃがみこんだ。顔を覆った手の隙間から、嗚咽をもらす。


「……嬉しいのに、すごく悲しくて、少しだけ――ホッとしてる」


 別に百パーセント信じたわけじゃない。ただ彼がそう言っている間は、受け入れることにするだけのことだった。

 どっちだっていいんだ。彼と話せたことがこんなにも嬉しいから。それを理由に彼ともっと仲良くなれるだろう。あの話を知っているのは私だけなら、助けになってあげるのは当然のことだし。でも、だけど……。


「でもきっと、私は、あの彼には、告白できない……!」


 初めて会ったあの日、別に特別なことがあったわけじゃない。取るに足らない思い出。それでも、私には大切だったから。私と彼だけが作った記憶が、私にとって、こんなにも大事だったらしい。



   ◇



 明くる朝、水城がいつもどおり皆の登校時間より早い時間に歩いていると、校門脇に古原の姿を認めた。


「おはよう古原君。二つ約束してくれるなら、戻るまでの間、全面的にあなたに協力してあげる」


 水城は一晩、考えたことを告げた。


「おはよう。で、約束って?」

「一つ、私のことを決して理菜と呼ばないこと。二つ、私はあなたのことを研一君と呼ぶ。あなたが余所のあなたである間は、もとのあなたと区別する。いいわね」

「……わかった」


 共に校門を越えるとき、思い出したように水城が呟いた。


「ああ、あとこれは研一君に伝えないとね。私、古原君のことが好きなのよ」

「……俺も好きだよ、理菜のこと」

「そ。なら私のこと好きになっちゃだめよ?」

「そっちこそ」


 好き合う二人の、共犯者めいた関係はこうして始まった。


 ――が、真相はもっと単純なことである。



   ◇



「入試の日のこと? 覚えてるに決まってるだろ。入試が終わって帰るとき、同中らしい集団が廊下を塞いでて、その前で通れないと右往左往している女の子がいたんだ。それが彼女だった。


 別に俺は大したことはしてない。ただ『通れないんですけど』と言っただけ。普通に退いてくれたし、何も困りはしなかった。


 それなのに、その女の子は――小柄で垂れ目のかわいい女の子は律儀に『ありがとうございます』と口にした。


 気にしないでとか、お互い受かるといいねとか、言おうとしたはずなのに、なんかドギマギとしてしまった俺は、無言で会釈を返すことしかできなかった。


 入学式の日にその姿を見て、同じクラスになって、どれだけ嬉しかったか。その見かけに合わない言動もあってどんどん惹かれていった。


 ――会話のきっかけ欲しさに、彼女が図書館で借りた小説を参考にして、馬鹿なをしてしまう程度には。


 平行世界の彼女を好きということになってしまった以上、彼女に告白はできない。さて、どうしたらいいのだろうか……?」




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