女鬼軍曹だって甘えたい

ぶらっくまる。

奇妙な関係に……

「向井!」


 怒号が響き渡り、オフィスの空気がピリ付いた。


「は、はいっ」


 床を蹴るようにして勢いよく椅子から立ち上がるや否や、俺は、出頭命令を受けた兵士の如く、その鬼軍曹の元へ駆け付けた。


「黒須部長、どうかいたしましたか?」


 俺は、直立不動で、呼び出しされたときの常套句を述べた。


 すると、その鬼軍曹がこめかみをピクピクさせながら、


「どうかなさいましたか? でしょ! 何度言ったらわかるのよ! って、ああーそうじゃないわ。これよこれ」

「は、はあ……」


 バサッと半ば投げられたようにして黒須部長のデスクの上を、数枚の紙が滑った。


 それは、黒須部長に言われた通りに作成した顧客への提案資料だった。


「えっと、部長に言われた通りに作成した黒丸産業への提案資料ですが――」

「どこがよ!」


 黒須部長は、俺の説明に食い気味に否定してきた。

 

「えっと……」


 正に鬼の形相で睨まれ、俺は委縮して言葉が続かなかった。


「確かに、黒丸産業の要望に応えるだけなら、既存のパックサービスで十分と確かに言ったわよ。でも、私は最後にもう一つ言ったわよね?」


 当然、何を言われたか、はっきり覚えている。


 だから、理由を述べようと、


「いや、違うんですよ――」

「違くない! 私はこう言ったの。向井なりの考えで、顧客の期待を上回る提案を、一つ盛り込みなさい、と」


 いや、再現してくれなくても、俺は覚えている。


「ええ、ですから……」

「ですから?」

「思いつかなかったので、黒須部長の案で良いと思いまして――」

「もういいわ! 概算費用の計算書の作成でもしていなさい」


 最後まで言わせてもらえず、鬼軍曹に新たな指令を受けた俺は、敗残兵の如くおぼつかない足取りで自分の席へと戻った。


「相変わらず、また吠えられてたな」

「ん? ああ、まあいつものことだよ」


 席に着くなり、同僚の猿渡が笑いながら話し掛けてきた。


「それにしても、今日はいつも以上に吠えてんな。失恋でもしたんかね?」


 そうかな? と思いながら俺は、黒須部長を盗み見た。


 ついさっきまで俺に向かって怒鳴っていたのに、もう他の課の奴が俺と同じように鬼軍曹の罵声を浴びていた。


 ああ、確かに今日は、ペースが速いかもしれない。


 始業時刻から三〇分も経っていないのに、俺を含め二名の兵士が、既に犠牲になっていた。


 しかし、猿渡が失恋などと言うが、そもそもあの部長には浮いた話はに合わない。


 もしかしたら、男の前ではちゃんと女子をしている可能性もあるが、鬼軍曹にそんな一面があるなど想像もできなかった。


 だから、そのままを猿渡に伝えた。


「失恋は無いだろ」

「何で、そんなこと言えんだよ。わからんぞ。ああいう女ほど、プライベートはしおらしかったりするかもしれん」


 どうやら、俺と同じようなことを考えていたようだ。


「そんなことより、猿渡も呼び出されたくなかったら、仕事だ仕事」

「大丈夫だろ。今のところ黒須部長と直接会話するような案件抱えてないし」


 すると、


「猿渡!」

「げっ」


 早くも三人目の犠牲者がでた。


「おいっ、猿渡! 聞こえてないの!」

「き、聞こえてます。済みません!」


 ほらっ、言わんこっちゃないと、慌てて黒須部長の元へ向かった猿渡を眺め、


「ご愁傷様」


 などといい、俺はキーボードのキーを叩き始めた。



 ――数分後。


 左肩に手を置かれ振り向くと、ゲッソリした猿渡が、口元に左手を持っていき煙草のジェスチャーをした。


 つまり、煙草休憩のお誘いだった。


 右ポケット叩き、煙草が入っているのを確認した俺は、そのまま猿渡の後をついて行った。


 俺が喫煙ブースに入ろうとした丁度そのとき。


「向井、ちょっといいかしら?」


 振り向いたら、左手を腰に当てた黒須部長がそこに立っていた。


「はい、何でしょうか」

「こっちよ」


 黒須部長は、用件を言わず商談ブースの方へツカツカとハイヒールを鳴らしながら通路の奥に消えた。


 何も言わず、ついて来いということだろう。


 相手は、鬼軍曹だ。


 俺は、単なる一兵卒、拒否権は無かった。



 四人用の打合せ室に入り、後ろ手で俺は扉を閉めた。


「実は、相談というか……」


 椅子に腰を下ろしながら黒須部長が切り出し、それに合わせ俺も座る。


 相談? と、一瞬、俺は訝しんだ。


「今日は、何時ごろに上がれそう?」

「今日、ですか? そうですね。恐らくいつも通りでしょうか……」


 その質問に答えながらも、俺の頭に疑問符が浮かんだ。

 そのせいで具体的な時間を言い忘れた。


 そのことを注意されるっ、と身構えたが、返ってきた言葉は違った。


「そう、七時くらいか……うーん、そうね……」


 何故、俺のいつもの帰り時間を知ってるんだ?


 意図が読めない質問と帰社する時間を把握していることに、謎が益々深まるばかり。


「悪いけど、出先から私が戻るまで待っていてくれないかしら? 半には戻れると思うから」

「えーとっ、打合せか何かでしょうか?」

「……ええ、そんな感じよ」


 何とも歯切れの悪い黒須部長の態度に、俺は何とも釈然としなかった。



 吸いそびれた煙草を吸うために、俺は喫煙ブースへの通路を戻ると、喫煙ブースから猿渡が吸い終えたのか、丁度出てきた。


「おっ、早かったな。何だったんだ? さっきの続きか?」

「いや、そうじゃなかった」

「ん? じゃあ、なんだよ」


 内容が気になるのか、猿渡は、出たはずの喫煙ブースに、俺と一緒に再び入った。


 先ずは、煙草に火をつけ、ひとふかし。


「俺も部長の意図はわからなかった」

「だよなー、あのクソ部長! まじで腹が立つぜ。そんなに言うなら自分でやってみろて言うんだよ!」


 どうやら俺の話を聞きたい訳じゃなかったらしい。

 ただ単に、愚痴を共有したかったようだ。


「そうか?」

「また、向井はそうやって……もしかして、意外とタイプだったするのか?」


 タイプと聞かれると何ともわからない。


 黒須部長は、うちの会社で史上最速の若干三二歳で部長になった期待の星で仕事ができる。

 更に、大多数が認める美人で、スタイルもいい。


 ただ、鬼軍曹の異名の通り、仕事に一切の甘えを許さず、いつも吠えている。


 だから、モテない。


 黙っていればモテるのに、と言うのが部下たちの共通認識だった。


「うーん……ふつう?」


 総合的に判断し、俺はそう評価した。


「ふつう? 何だよ、それ!」

「そのまんまだよ、そのまんま。特にこれといった感情を部長には持ち合わせてない」

「う、嘘だろ……あんなにぼろ雑巾のように扱われて、腹立たないのか?」

「ぼろ雑巾って……」


 言い得て妙だ。


 その猿渡の表現を聞いて、俺は思わず苦笑い。



――――――



 一九時五〇分。


「もう間もなく二〇時になります。まだ残っている従業員は、速やかにパソコンの電源を落とし、帰社してください。残り一〇分で消灯します……もう間もなく――」


 館内放送が流れ、強制的に帰宅を迫ってくる。


 待てど暮らせど、黒須部長は戻ってこない。


 このフロアには、もう俺しか残っていなかった。


 このまま待っていても打合せをする時間が残っていないことから、俺は帰宅することにした。


 すると、


「良かった。間に合ったわね」


 走ってきたのか、息を切らした黒須部長がオフィスに飛び込んできた。


「よし、じゃあ、行くわよ」


 黒須部長は、用件を言わずエレベーターホールの方へツカツカとハイヒールを鳴らしながら出て行ってしまった。


 何も言わず、ついて来いということだろう。


 相手は、鬼軍曹だ。


 俺は、単なる一兵卒、拒否権は無かった。



 ガヤガヤとした雰囲気の中。


「実は、相談というか……」


 椅子に腰を下ろしながら黒須部長が切り出し、それに合わせ俺も座る。

 

「はい、先にお通しでーす。ご注文はお決まりですか?」

「私は、生で」

「はい、生ですね。お兄さんは何になさいますか?」

「あ、じゃあ、俺はハイボールで」


 注文を繰り返し、間違いがないことを確認した店員がカウンターの奥に姿を消した。


「あのー」

「何だ?」

「仕事の打合せですよね? 飲んでいいんですか?」


 そう、黒須部長の後について行ったら、家の近くの居酒屋へ到着した。


「そんなことは言ってない」

「言ってない?」

「言ってない!」

「はい、言ってないです」


 オフィスで怒鳴られるときと同じような鬼の形相で睨まれ、僕はそう言わざるを得なかった。


「はーい、お待ちどうさまー生とハイボールです」


 グッジョブ!


 店員のナイスタイミングなドリンクサーブのおかげで、変な雰囲気がリセットできた。


 取り合えず乾杯をしてから、本題に入った。


 黒須部長の話の冒頭を聞いた限りでは、災難としか言いようがなかった。


 しかし、その話を聞いていくうちに、他人ごとではないことに気付かされた。


 というか、巻き込まれた……


「つまり、昨夜の大雨で雨漏れして、部屋が水びだしだから。その修理が終わるまで、俺の部屋に泊まるということですか?」


 偶然にも、同じマンションの同じ最上階に住んでいるのだ。

 だから、ご近所さんに頼る適な感覚で、俺に相談したんだろう。


 しかし、それはいくら何でもマズイ!


 黒須部長は、そのリスクを理解しているのだろうか?


 いや、わかっていないからそう持ち掛けてきたのだろう。


「おおー、その通りだ、向井。酒が入った方が、頭の回転が速いじゃない」

「いえいえ、それほどでも」

「褒めてない!」

「あ、そうですよね。いや、しかし、それはいくら何でも……」

「迷惑を掛けることは重々承知している。ただ、行く当てがないの……」


 酔っているのか、急に伏見がちになり、上目遣いでそんなことを言うもんだから、俺はドキッとしてしまった。


「ああ、そうじゃなくてですね。部長は女性ですし、俺は男なんですよ」

「え?」


 ようやく俺の指摘で気が付いたのか、黒須部長は、頬を染め、モジモジし始めた。


「わ、私を女に見てくれるの?」


 どうしたんだ鬼軍曹!


 いきなりのしおらしい態度に、俺のスイッチが変なところに入った。


「当然ですよ。黒須部長は、美人だし、とっても素敵じゃないですか」

「向井……くん」


 こうして、俺と黒須部長の奇妙な同棲生活の幕が開くのだった。

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女鬼軍曹だって甘えたい ぶらっくまる。 @black-maru

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