第20話おねだりする俺だが
一人で朝の鍛練を終えて家に戻ると、メディアレナが台所でごそごそと何か作業をしていた。
「手伝いましょうか?」
気になって顔を出せば、藤色のエプロンを着けた彼女が俺の前に立ちはだかるようにして肩を押す。
「いいの、リトは今日は台所に入ってはダメよ」
「え?」
焦った顔をする彼女に閉め出されて、仕方なくテーブルに準備されていた朝食を取る。
台所へ目を向ければ彼女の後ろ姿が見えた。
レシピ本だろうか、ぶつぶつと呟きながら読む彼女の背を、一つに纏めた黒髪が小さく揺れている。
小振りな花の形をした水色の髪飾りが、その黒髪に色を添えているのを見て、俺は満足げにほくそ笑んだ。
セレーヌが去って数日が経った。彼女が俺に話してくれたメディアレナの恋人のことは、かなり堪えた。
たぶん俺は心のどこかで、メディアレナが今世で俺以外の者を愛するようになるなんて無いと思い込んでいたのだ。
記憶もなく、まるっきり新しい人生を歩めば新しく恋だってするというのに、その可能性を考えないようにしていたのかもしれない。
セレーヌはメディアレナが酒の席で彼女に洩らした話を聞いただけなので、その恋人を見たわけではないし、話を聞いた時点で既に亡くなっていたので詳しくは知らないという。
何よりメディアレナが恋人の話をしたのは、後にも先にもそれ一度きり。それ以上のことを話したことはないし、セレーヌに話したことを後悔しているようにも見えたそうだ。
話が話なので、俺はメディアレナに直接聞けないでいるし、聞きたくない。考えれば嫉妬で頭がぐちゃくちゃになりそうだった。
それでも何とか日々彼女の弟子として振る舞っていられるのは、俺が自分の本当の望みを思い出したことが大きい。それに今はいない恋人よりも物理的に近い位置にいるのが自分だけだと思い直したからだ。
その考えは、彼女の髪に自ら髪飾りを付けることでより強く思った。
メディアレナ自身も、俺が贈った物を身につけることを拒みはしなかった。それはつまり、髪飾りほどの近さには俺を受け入れてくれていることだと信じられる気がしたのだ。
朝食を食べ終えた皿を、見計らったようにメディアレナが回収して行った。よっぽど台所を見られたくないのだろう。
洗濯物を洗ってベランダに干すと、ついでに天気が良いので布団も干した。
水回りを掃除してから、自分の寝室だけの二階を箒で掃き、一階も掃除をして玄関も掃き清める。
「お茶にしませんか?」
「そ、そうね」
メディアレナがオーブンに何かを入れて魔法石を押すのが見えたが見ないフリをしてテーブルについていたら、彼女が茶器を運んで来た。
「今日はつまむ物を用意してなくて」
「いいんですよ」
彼女は、日替わりで茶の種類を変えて出してくれる。
俺の前に透明な急須を置き、湯をゆっくりと注ぐ。すると急須の底にあった茶葉の塊が、水気を含み膨らんだと思ったら紅色の花が開いた。
「へえ、綺麗ですね」
黄緑に染まった急須からカップに注いでもらった茶を一口飲めば、爽やかな味で飲みやすい。
そんな俺を見ていたメディアレナは、時々オーブンを気にしている様子。
茶を飲み終えた頃には、甘く香ばしい匂いが漂い始め、さすがに予想がついた俺はニヤニヤが止まらない。
転移魔方陣から送られてきた手紙の束を選り分けながら、再び忙しなく動く彼女の気配を追っていた。
「これは仕事の依頼で、こっちは俺にか?」
メディアレナは住所を隠しているので、手紙は彼女が特別に許した者だけが送ることができる。指定された配達場所に送っても、その配達場所は他の配達場所に送り、何度もそれを繰り返し、最終的には、彼女の家から遥か彼方の国の文房具屋が受け取り、転移魔方陣で送ってくる。
その文房具屋も、実際は彼女の家の所在地を知らないというのだから手が込んでいる。
殆どは彼女への仕事の依頼が多いのだが、最近たまに俺の両親からの手紙が届くようになった。彼女が気を利かせてくれて、手紙のやり取りの方法を両親に伝えてくれたのだ。それも手紙で。
こちらから手紙を出す時は、また別の配達場所を仲介し続けて辿り着くので、日数がかかるのは仕方ないことだ。転移魔方陣は、まだ手紙の配達にはあまり普及していないのだ。
両親からの手紙には、俺が元気でやっているなら嬉しいとか、こっちは心配しなくていいとか書かれていた。
俺が親への思慕の念など感じるようになるとは思わぬことではあったが、悪くはない感情だ。
すぐに返事を書いていたら、台所から鼻歌が聴こえてきて笑ってしまった。
どうやら上手く出来たらしい。
メディアレナの心が亡き恋人のものだとしても、それでも今は俺に僅かながら心を傾けてくれている。恋愛感情でなくても、必要な存在になりたいと願って…………いや、呪いをかけてやろう。
俺の想いは、数百年越しだからな。伊達に人間になったわけではないことを、いつか思い知れ!
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