遠回しでもいいから
新吉
第1話
お前の名前は。
先輩の名前は。
先輩と付き合い始めてしばらくしてから、一つの不安要素が出てきた。
「そういえばお前、今日帰ってくるのか?」
「同僚と飲むけど、もちろん帰りますよ」
「車で迎えに行ったほうがいい?」
「電車で帰ろうと思ってたけど、じゃあお願いします」
「了解」
お気づきだろうか?俺は先輩に未だお前と呼ばれている。お前だよ?カップルってもっとこうあだ名とか呼び捨てとかして、いちゃいちゃするもんじゃなかろーか。俺が自分のことを僕と呼んでいたあの頃から、そういえば一度も名前で呼ばれたことがない。名字でもなく、『後輩君』だったのだ。これはもしかしたら先輩、俺の名前知らないんじゃないかなあ。冗談だけどね。知ってるはず。だけど少し不安になってきてしまった。
「先輩!」
「なんだ?」
「ちょっと今花の小説を書いていてですね、読めない漢字があったので教えてください」
「小学生かお前、ググれ」
「うう、そこをなんとか」
「どれ?」
「薔薇、百合、こっからわかんないんですよ」
「紫陽花、水仙、睡蓮だな。あ、これは読めるか?」
「桜!さすがに読めますよ、ありがとうございます」
俺は作戦を練ることにした。もし先輩が知らなかったとき、俺はきっとショックで寝込んでしまうだろう。遠回しに俺の名前を意識づけさせようと決めた。
「先輩!」
「ん」
「ほうれんそうって大事ですよね」
「ああ?まあそうだね?」
その日の食卓にほうれん草のおひたしが出た。俺の好きな唐揚げもあるけど、緑が多い食卓だった。
「先輩違う!報連相」
「知ってるよ。報告、連絡、相談な?でも体にいいから食え」
「俺が嫌いなの知ってて」
「もちろん。のりもかつお節もドレッシングも好きなのかけていいから」
「はい。あ、みそ汁にオクラ入ってる」
「食べれられそうか?」
「いけます!」
本当に美味しかった。あまり料理が得意じゃなかったのに、俺の食生活を心配してくれる先輩、優しい。
「先輩!」
「今手が離せないからあとで」
「耳だけ、今日レンコン食べたいです」
「了解」
その日の食卓にレンコンを探した。どこにも見当たらない。先輩忘れちゃったのかな。
「レンコン」
「は、はい」
「食べれたな」
「どこに?」
「ハンバーグに細かくして入れてみた」
「レンコンは苦手じゃないですよ」
「え?そうなの?こないだみたいに克服したいのかと思った」
「すいません、これからちゃんと野菜も食べます」
「他に好物とか食べたいものあるか?魚卵とかは?」
「好きですね、イクラとか」
「そうか!」
ん?先輩、もしかして?
俺に名前を言わせようとしてる!?なんだと、しかも俺よりもはるかに自然に。
「先輩!」
「はいはい」
「挑戦を英語で言ってください」
「チャレンジ?あ、お前」
「ありがとうございます」
「じゃ、春になるとみんなが見に行く花は?」
「ちゅ、チューリップ」
「くっ、福●雅治の代表的な春の歌は?」
「虹」
「それは夏だろ」
「別に虹は春でもでます!」
「なあ?」
「はい先輩」
「お前そろそろ敬語やめろよ」
「はい、ああえっと、うん?」
「よろしい。春になったらさ、酒持ってさ、頭の上に満開になってさ、咲いたと思ったら散ってさ、きっと綺麗だろうな、一緒に観に行こうな?」
「行きます、行くよ。俺場所取りするよ」
「花の名前は?」
「うう、桜ですね」
「勝った!」
心底嬉しそうな先輩に、俺は何をしてたんだろうと思う。
「さくらさん、俺の名前呼んで」
「さんざん言わされただろ?」
「呼んでください」
「蓮、くん」
「聞こえないなあ、大きな声で」
「調子に乗るな、後輩君」
懐かしい。先輩のことを名前で呼べる日が来るなんて、あの頃の僕に教えてやりたい。先輩は自分の名前が嫌いだとよく言っていた。同じ名前のNH●アニメの主人公が大好きなことも極秘だった。好きだけど似ているわけでもない、運動神経も悪いし、と。
「さくらさん、調子に乗りますよ。先に呼んでくれるの待ってたんだけど、まさか先輩の方が呼んでもらおうとするなんて思わなかった」
「こっちだってそうだ。お前が馬鹿なことし始めるから。でも先輩って連呼するのはお前だからな?私だって先に呼んでほしくて」
「先輩!俺はお前じゃない蓮だよ」
「蓮、先輩じゃない桜。いや先輩だけどね?」
馬鹿らしくなってふたりで笑った。早く満開になった花を見に行きたい。もっとあったかくならないかなあ。
遠回しでもいいから 新吉 @bottiti
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