乾いた地

第59話 荷車を空にして

「見た目はあれだが、結構丈夫だな」

 薄く灰を被ったように、くすんだ色をした木製の車体。イフレニィは、セラが牽引する荷車を、まじまじと見つめる。

「あれというのは、よく分からんが。馬車用の車軸と車輪を流用して、この荷車の土台に合わせて加工してある。街中と違い、平坦でない場所もある程度は走破できるように――」

 セラの解説を聞くともなく、イフレニィは相槌を打って視線を外した。セラが饒舌になるのは、なにかしらの技術的な点に関連したときのようだった。それは符についてのみ発揮されるものと考えていたため、しくじったと思いつつ、それ以上は黙ることに決めたのだ。

 なんとはなしに理解できたことで、狩猟依頼に出て獲物を持ち帰るのに借りた時のことが思い出された。あの時は急いでいたので気が回らなかったのだが、言われてみれば、段差や曲がる際に荷台を後ろから押してもらうようなことはなかった。街道だけでなく、歪な山道でも、すんなり引けていたのはおかしなことだ。

 地味に、この男は様々な才能を持っているようだ。手先が器用なのだろう。羨ましいことだと感心していた。

「だから、そこらの荷車では……聞いているか」

「ああ、確かに引きやすかった」

 イフレニィは曖昧に答えたのだが、セラは満足したのか、やや真剣だった面持ちを緩めた。その背後から、バルジーの見透かすような呆れた目が視界を掠めたが、そっと逸らす。

 話を変えることにした。

「売り物は用意できたんだな。符を作るのにどれくらい時間がかかるかは知らないが」

 今のところセラが商人たる理由は、魔術式符あってのものだ。しかし原料を取り扱うための申請等の後に帝都へ滞在していたのは、ほんの数日。その後は、書き物ばかりしている姿しか見ていない。はたして売り物の数は足りているのかと気がかりだった。一度、在庫切れということで売って貰えなかったことがあるのだ。余計なお世話だが懸念事項ではある。

 旅の予定に関わることだからだ。

 また暫く何処かの街に寄るなら、多少は稼いでもらわないとまずいだろう。護衛依頼期間の宿代、食事代などは商人側から払われるものだからだ。イフレニィが後を追うバルジーの雇い主であり、今回は本格的に旅の同行を許されたのだ。最低限のことを尋ねることはできる立場になった。

 その質問に、セラからは、残念と無念の入り混じった顔を向けられる。

 嫌な予感がした。

「実は」

 そうして聞かされたことに、イフレニィの体から力が抜ける。

 現在、帝都では、原料の大量入手に制限がかけられていたそうだ。セラに非はないとはいえ、間の悪いことだった。

 セラも全ての工房を周り、掛け合うなどしてみたらしいのだが、わずかに精製済みの原料を譲ってもらうのが限度だったそうである。これも、北への大量派遣の影響なのだろうか。

 イフレニィとバルジーが依頼を受けている間、どこぞへ出かけているのは聞いていたが、工房だったのかと今さらながら納得した。

「すぐに入手したいなら、鉱山へ行けと言われたんだ」

 それを聞いて、イフレニィは呆れて頭を振っていた。

 そんな状況だというのにも関わらず、イフレニィへの礼だという符を優先したのだ。一見して向いているとは思えないこともあるが、商人を名乗らない方がいいぞと、内心で呟いた。恐らく工房を構えたら職人に戻るのだろうが。戻ってくれという希望でもある。余計な世話なのは分かっているので口にはしない。ともかく、融通してくれたことには素直に感謝を伝える。

 そこで、イフレニィは認識のずれに気付いた。セラは、帝都で別れると考えていたからこそ、急いで作ってくれたのだ。少なくとも本当に感謝の気持ちがあるのだということは、よく分かった。

 結局イフレニィは受け取らず、代わりに魔術式についての知識を求めたため、符の代金は支払ったのだが、金を渡しておいて正解だったと思った。どれだけ残金があるかなど聞く気はないが、気持ち的には安心できる。

 イフレニィは荷台の横へと足を進めて、セラを見る。

「行き先は分かった」

 セラは頷き、荷車の持ち手に手を掛けた。動きだす荷台にバルジーも続く。

 三人旅のはじまりだ。


 帝都へ来たときとは別の、南側の門から三人は出ていく。北側とは比べようもなく立派な門を過ぎれば、丁寧に石を並べた幅の広い道が広がっていた。賑わい具合も比ではない。南側には、幾つかの大きな街とだけでなく、他国との主要道がある。取引も盛んなだけあって、結構な人がひしめいている。そんな喧騒から、荷車を徒歩で引く変わった一行は、ゆっくりと離れていく。門周りの広い道は、離れるごとに通常の街道の幅へと戻っていく。そこまで来ても、人や荷を運ぶ馬車は途切れることはない。一定の距離はありつつも、目に入る限り、遠くの道まで人の行き来が見える。それもしばらく進めば途切れてくるのは、道が分かれているためのようだ。そこからセラは、南東への道へ進む。

 周囲の喧騒もなくなると、自然と会話が始まった。普段なら暇を持て余したバルジーが率先するのだが、奇異なことに、セラからだ。

「まず、あんたが理解し易い、結果の一つから話してみようか」

 魔術式を利用したものの結果というのは、符のことらしい。確かに魔術式具などの高価な品などに縁はない以上、イフレニィにとって身近な唯一のものだ。

 疑問を持ちつつも曖昧に相槌を打つと、セラは大まかな作り方の手順を話しはじめていた。イフレニィが教えてくれと言ったのは、魔術式そのものの知識であって符ではなかったが、ひとまずは黙って耳を傾ける。長い道中だ。聞く時間なら幾らでもある。

「顔料の作り方は、工房によって違うから割愛するが……」

 特殊な針と呼ぶものを使って式を構築していくのだという。針は、精霊力を通しにくいという、高密度の鉱石から鍛造したものらしい。セラは器用に、胴だけで荷車を引きながら、腰辺りの袋から道具を取り出して見せてくれた。

 折りたたみ防護してある平らな革製の入れ物を開くと、多くの細い隙間が設けてあり、長短様々な長さと細さの針とやらが綺麗に並んで収まっていた。見るからに高価そうな道具だ。艶のない銀の滲む表面を物珍しく眺める。針とは呼ぶが、最大のものは手の平より長さと太さがあった。

「こりゃ肉、いや、こんなに使い分けるとは思わなかった」

 肉を焼くのに丁度良さそうだな、という感想は言い換える。

「もちろん幾つも種類はあるさ」

 なるべく口を閉じて、相槌を打ち、やり過ごすことに決めた。セラへの質問には細心の注意を払わなければならない。

 ――要は、その棒で、紙に顔料とやらを塗ったくってんだろ?

 などと言おうものなら、延々と解説されるだろう。まだ肝心の魔術式を教えてもらっていない。これくらいは真面目に聞けるようにならなければ、核心の話に耐えられる気がしなかった。荷車について不注意に聞いてしまったことで気が重くなっている。符の方がまだしも耐え易いというものだ。そうして必死にセラの話に意識を向けていたところ、ふて腐れた声が集中を乱す。

「もすこし真剣に聞いたら? あなたのために新しい魔術式作ってくれたんだから」

「それは助かったさ。手持ちが寂しかったしな」

「ただの氷の符じゃないんだよ」

 イフレニィの思考が止まる。

 新たな符、ではなく魔術式。

「魔術式を、構築した?」

「改悪しただけだ。新しいという程ではないよ」

 答えたのはセラ。しかも改悪という。頭が急速に冷えていく。

「あなた困ってたでしょ。普通の符だと通りが良すぎるって」

 いつセラに話したかと考えたが、出処はバルジーに決まっている。目を向けると、それしか話してないよ、と口だけ動かしているのが見えた。

 そう言われたところで、真実など分からないんだから気にするな。と、心で返しておく。実際に言ったら煩いからだ。気が付けばセラの解説が続いていた。

「精霊力の流れを阻害するように、式を一部逆転させて配置を変えたりしてな。興味深い試みだったよ。まあ俺には確認出来ないから、どれだけ上手くいったかは分からんが。ああ、その特に気を使ったのが、二層と三層間を走る起爆式の――」

「発想の逆転ということだな!」

 焦って思わず遮っていた。

 イフレニィは頭を抱えたくなるのを堪える。知識は簡単に漏らせないと言いつつ、技術的なことにはよく口が回る。話を理解できる奴に聞かれたら、まずいのではなかったか。知識を要求して高くついただのと言われたのも、最近のことだ。

 イフレニィとしては、たんに意識が朦朧としてくるため、なるべく避けたいと考えているだけだ。睡魔に襲われては辺りの警戒もままならないのだから、などと考えていると。

「あなた、そんなんで……私の知ったことじゃないけど」

 なぜ気軽に教えろなどと頼んでしまったのかと、少しばかり後悔し始めていた。それどころか、脅すような真似までしたというのに。

 取り繕うように、セラへと声をかける。

「もっと街から離れたら、試してみる」

 今はまだ、帝都を囲むような山々の間を抜けている最中だ。しばらくは、そんな機会もないだろう。

 改めて、符をしまってある懐が重くなってくるようだった。新たな式を適用されたという符を意識せずにはいられない。

 それにしても、あんな短時間で、通し辛さを反映させた符を作れるものだろうか。書き付ける作業だけでも、手間取りそうなものだ。糸くずのような走り書き。宿でセラが黙々と作業していた光景がよぎる。本当に大した人間というものは、一見してそんな風に見えないと聞く。実は、かなりの経歴の持ち主なのではないかなどと、様々な考えで混乱てしくる。焦りが襲っていた。

 イフレニィが冷や汗をかいたのは、この符は特注品ということになるためだ。魔術式道具が高価なのは、なにも原料を惜しみなく使用するからというだけではない。魔術式の研究というもののほとんどは、元老院が担っている。一般の工房は、そこから国が買い取り渡された図を、そのまま書き写しているようなものだったはずだ。一職人が式から構築するようなことはないし、それほどの腕がある職人がいるとして注文するなら、魔術式道具を購入する以上の資金が必要なはずだった。

 そうなると山菜如き、というと申し訳ないのだが、たかが一日分の依頼代金では到底買えるものではないということになる。今さらだったが、己の態度を思い返せば気まずいなどというものではない。

 ――はした金で言う台詞じゃ、なかったろ。

 一体、山菜何杯分になるというのか。

「そのにやけ顔、やめろ」

 イフレニィは低く怒気を込めた声で囁いた。バルジーが、はらわたから沸き立つような、どす黒い笑顔で見上げていたのだ。わざわざ隣に並んでまで。

「この女ーとか、また思ってるでしょ。解決法を一つ提示してあげたのに」

 つられたのか、バルジーもぼそぼそ話してくる。

「さあ、報酬を思い出してもらおうかな」

 名前を覚えろという件だろう。小賢しさだけは抜きん出ている。頭を寄せてくるバルジーから、イフレニィは嫌そうに上体を反らした。

「持ち場に戻れ」

 しっしっと手で追い払う仕草をすると、むくれて冷たい目を向けられるが知ったことではなかった。

「お前らだって呼ばないだろ」

「だからって、あの女とか商人とか身も蓋もない呼び方しないでしょ」

 馬鹿呼ばわりはいいのか、と思ったものの返しはしなかった。ただ、にじり寄ってくるバルジーを押し返しては逆側に回りこんでくるのを牽制し続ける。

 荷車の背後を挟むようなイフレニィ達の、静かで熾烈な牽制のし合いに気付かず、セラは憐れにも一人、符に適した台紙について随分と語っていたようだ。


 そんな風に、相変わらず危機感もなく三人は歩く。次の目的地である鉱山で直接原料を入手すべく、鈍い歩みを進めていく。

 正式に、同行を許可されている旅。

 一つずつ、気を重くするものが取り除かれていく。

 イフレニィの気分も、多少は緩む。ふと振り返っていた。

 帝都フロリナセンブル。

 とうに外壁すら見えないのは分かっていたが、その街を思い浮かべる。もう来ることもないだろう。そう思いつつも、再度が起こったりするのが人生だ。

 イフレニィにとっては賑やか過ぎる街だったが、しみったれた月の砂漠亭のお陰で、落ち着いて滞在できたのだと思う。もし、またの機会があるなら、その時も在ってくれと願いつつ、心で手を振った。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る