第49話 機会
あの後、逃げるように切り上げ、バルジーを急がせたこともあり、イフレニィの見積もり通りに街へ着いた。門をくぐる頃には、空の赤みが紫へと変化していた。
まだ夕日の名残がある中を、精肉店へと急ぐ。国から狩猟期間の設けられた依頼ではあるが、最終的な引き取り手である肉屋へと直接持ち込むことになっている。
商店街への通りを進む。それなりに大きな道沿いには、街灯がぽつりぽつりと用意されていた。そこに当番らしい警備兵が、松明を手に火を移していく。夕闇に染まる赤煉瓦の壁は、一部を鮮やかな炎色に染めた。その光景を、イフレニィは物珍しげに見ながら歩いた。
精肉店に着いた頃には、すっかり日も落ちていた。店の扉は閉じており焦ったが、裏手から物音を聞きつけ、後片付けをしている店主を掴まえる。路地まで押しかけた不躾な来客に店主は一瞬唖然としたものの、依頼書を掲げると、ああと頷いた。
荷車の獲物の状態を確認した店主は、獲物を見ながら経緯を訊ねてくる。
「刃傷だな。二人で獲ったのかい」
呆れたような感心したような顔で、依頼書に状態など品質について書き込み、達成の署名をしてくれた。明日には組合へも、受け取りの報告書が届けられるだろう。
イフレニィは心の底から安堵したように息をつく。素人目にも状態が良いとは決して言えない。獲った後の処理など分からないから、そのまま持ってきたものの受け取り拒否さえ考えていた。引き取ってくれただけで御の字だ。結果がどうあろうと、次はない。
邪魔したことを店主へ詫び、宿へと戻った。
「商人に伝えてくれ。荷車を洗ってくる」
バルジーは頷き、背を向けた。帰り道も、ずっと無言だった。
どう思われたのだろうか。
気にしても仕方のないことだ。
なるようにしか、ならないのだから。
そう思えど振りきれない不安は、己の肉体の変遷の異常さが、底知れぬ恐ろしさをもたらさずにいられないためだった。
荷車を拝借した報告に、二人の部屋を訪ねた。やはり、何故か当たり前のように、イフレニィの分まで食事が用意されている。なんとも気まずい気分であり、今晩は部屋に引っ込んでいようと思っていたのだが、無理に断るほどの理由もないので相伴に与る。いつものように誰も喋らず、静かな時間ではあるのだが、人の存在とは言葉の有無にかかわらず大きなものだ。
珍しく、食事中の静寂を遮る者があった。ふとセラがバルジーを見て言った。
「どうした。静かだな」
――いや、いつも静かだろう。
思わずイフレニィも気が抜ける。この二人は、何か別の言語で会話してるのではないか。そんな風に思う時がある。
バルジーは口を引き結んだ。
「何かあったのか」
セラの問いに首肯した女の、暗い声が続く。
「……ユリッツさん、この人の企みが分かったの」
それにはイフレニィも、本人を目の前にして話すのかと、呆れと諦めでもって何を言うのかと身構える。
「私には符での戦い方、習いたいんだって。それにね……」
戦い方ではないんだが。
「ユリッツさんが符の職人さんだから、目の色変えて付きまとってたのよ」
なんなんだ、その言い方は。唖然としているイフレニィを横目に見て、やっぱりなとセラは頷いている。なぜ納得するのかと、こちらにも唖然とした。
「しかもね、あろうことか……! なにか魔術式教えて欲しいんだって」
言葉の最後、バルジーは暗い声をやめて、普通に戻っていた。面倒くさそうな雰囲気から、飽きたらしいと窺える。
「うーん。それは困ったな」
それに答えたセラの言葉は、真剣味の欠片も感じられない感想だった。
――俺の落ち込みはなんだったんだ。
この二人に、人並みの感性を期待するのは間違っているのだろうか。一応は自分の言ったことなのだから、イフレニィからも付け足しておくことにする。
「別に商売にしたいとか、ましてや弟子にしてくれとか、そういうことじゃないんだ」
遮られるかと思ったが、二人は同じような態度で、話を促すように無言でイフレニィを見るだけだ。知らない人間が見れば不気味だろうが、これが二人の常態であると知っているイフレニィは、悲しいことに慣れてしまった。
「今より知識を得たいんだ。そうすりゃ、符の使い方もましになるかとな。ただの浅知恵だろうが、色々試して悪いことはないだろ」
二人の目は、不審そうに眇められる。
「なんだ、そういうことだったの。初めから言えばよかったのに」
バルジーは、いつもの不貞腐れたような顔つきに戻って、食事へと向き直った。それは、お前が話を遮ったからだと言いたいのをイフレニィは飲み込む。
セラが続いた。
「以前言ったように、俺は精霊力がないから、使い勝手についてはよく分からん。そこは助言できないな」
その言葉で、この話は終わりのようだ。再びいつもの静けさが戻った。
うまいこと誤魔化されたようなものだったが、簡単に知識を出すわけにいかないのだから当たり前ではある。
二人は食後の白湯を啜るように飲み始める。イフレニィからも、あえて言い縋ることはせず、そこで席を立った。
自室の狭い部屋で寝台に腰かけると、バルジーの態度に引っかかりを覚えた。
――あの女、話さなかったな。
今まで本気とも冗談ともつかないが、異常な精霊力だと事あるごとに言ってきた。そして今日、実際に普通でないどころか、まさに異常なところを目にしたのだ。
何か思うところはあるはずだった。帰路、ずっと口を噤んでいたくらいだ。しかめっ面ではない、真剣な顔で。
それについてはイフレニィの居ない場で、今晩にでも二人で話すのかもしれない。
明日からは何かが変化しているのだろうか。
何か対応策を考えようとも思ったが、疲労が目蓋を塞いでいた。
◇
頭が重い。
木の板を殴る音が頭に入り込んでくるのだが、目蓋はなかなかイフレニィの指示に従ってくれないでいる。
何度か抗って、どうにか目を開くが、暗い。
日当たりの悪い部屋だ、朝でも暗くて当然。
「ちょっとー起きなさいー」
途端に音は先ほどまでよりも激しく耳に響き、間の抜けた声も合わさり、飛び起きていた。音のする場所へ大股で近付き、体は近付けすぎないように、片手だけで薄く戸を開ける。相手は分かっているが、不審者である場合の体勢を取るのは癖だ。
「……うるさい。周りにどやされるぞ」
廊下も薄暗いが、ひび割れた隙間から日差しが差しこんで相手の姿が浮かび、音が止まる。
「ひっどい顔ね」
「待ってろ」
バルジーと、その禄でもない言葉を確認すると、イフレニィは即座に扉を閉めた。
寝坊など久しぶりだった。急いで身支度に取り掛かる。
初めに他に泊まり客はいないと、宿の主人に聞かされた覚えはあるが、やたら静かだということは、その後も来てないのだろうか。
セラの周りには、そんな人間ばかりに思えたが自分も含めることになるので、それ以上考えるのはやめておく。
「待たせて悪い」
微塵も悪いと思ってない声で、イフレニィは準備が整ったことを告げる。
バルジーはそれを気をするでなく、宿の階段を足早に降りていく。
追いながらも、なんで、わざわざ呼びに来たのかと疑問が浮かぶが、すぐに理由を思い出す。昨日の依頼書は、イフレニィが持ったままだった。
組合への道中、昨日と同じく並んで歩いていく。だが、やはり会話はない。イフレニィも疲労が残っており頭が働かず、黙りこんだままにしておいた。
受付に達成した依頼書を渡すと、すでに報告は届いていた。精肉店だ、朝は早いだろう。確認に待たされず助かる。
店主の微妙な顔付きから、お情けで達成としてくれたのだと思っていた。それで、結果にはあまり期待していなかった。その場で換金したところ、驚いたことに結構な報酬だった。
大枠の金額が設定されているとはいえ、その幅は広い。品質次第の成功報酬だ。そしてイフレニィ達の獲物の持ち込んだ状態から、品質の判定は良くはない。理由など理解できないから、確認はそこまでにしておいた。それでも気持ちは明るくなる。
「もうしばらくは、宿代を心配せずにいられるな」
半ば自分にそう言った。
「そうね」
バルジーもようやく口を開いた。
二人とも、金を外套の内側、腰に括りつけた丈夫な革袋にしまいこむ。これで用事は済んだが、どうしようかと考えていると、イフレニィはここに居ないかのように、バルジーはさっさと掲示板へ向かった。
これ以上、無理に行動を共にするのは悪手だろう。
昨日のセラの態度で、もう魔術式について聞くことはできなくなった。どうにか、組合関係で調べられないかと考えている。詳細な作り方などを知りたいのではない。公開された資料の中に、成り立ちなどに関連するものが何かあるかもしれない。それは漠然とした希望だった。
今は、仕事しないわけにもいかないので、イフレニィも通常依頼の掲示板へと向かう。
「猪でいいよね」
昨日も聞いたような言葉が、耳に届いた。声の主を振り向く。もちろんバルジーなのだが、既に受付へ移動し始めていた。
「待った、待て!」
なぜか訝しげな目を向けてくる。
「駄目だ。慣れてないことをやるもんじゃない」
どう考えても、昨日は偶々うまくいっただけだ。次はうまくいくとも限らないし、疲労も残っている。それに、最後は結局イフレニィが仕留めたのだ。
「すぐ慣れるよ」
「ならない」
バルジーは片頬を膨らませて睨んでくる。
「大体、なんでまたそんな気になったんだ」
途端に真面目な顔を向けられた。
「気にならない方がおかしいでしょ」
興味本位、にしては真剣な眼差しだった。機会は繋がれたとみるべきか。答えあぐねていると、バルジーが尤もな意見を述べる。
「理由もなく山をうろついてたら怪しまれると思う」
確かに、狩り依頼でもないのに、一時滞在の旅人が街を頻繁に出入りすれば、門兵に怪しまれる可能性も高まる。
一時滞在か。
「昨日は森で迷ったから、場所を把握しに行く、ということでどうだ。依頼は受けられないが」
女はすまし顔で頷いた。
「いいよ」
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