第43話 滞留

 イフレニィの傍らを小走りに追いかけて来た者が、焦ったような声を上げた。

「ちょっと、はやい」

 バルジーだ。一人の時は急ぎ足になる癖が出てしまっていた。速度を落として、相手を見下ろす。

「きっと組合で、ユリッツさん待ってるよ」

 言われて、予定を思い出した。セラが宿を取って荷物を置いてくれば、登録を済ませたイフレニィ達と、ちょうど合流できるだろうという話だった。しかし用があるのはセラとバルジーで、護衛依頼の再契約をするために待ち合わせたのだ。イフレニィに用はないはずだった。

「そうだったな。なんでついてきてるんだ」

 未だ組合でのやりとりに気を取られながら、ぼんやりとイフレニィはバルジーに返す。その言いようにバルジーは憤慨しながらも、慌てて踵を返した。

「思わず付いてきちゃったのよ、もう! 宿の名前は月の砂漠亭だから、忘れないでね!」

 覚えられないのは人の名前だけだと反論する間もなく、言い捨てながら走り去るバルジーの背を、足を止めて見送っていた。

 離れていくが、その位置は把握出来るままだった。

 盗賊に襲われる二人に手を貸した時から、変わらずに。

 視界の端に捉えているようで、目の裏側にでもあるのではないかという異物感が、頭の片隅にこびりついている。

 ようやく、この女という手がかりに辿りついた。印の痛みとの関連について、これからどうやって調べようかという時だ。

 北に集まる光も気にならないはずはない。無理にでも追いやっていなければ、落ち着かないほどだった。イフレニィ自身、コルディリーの為に動けないことに歯痒くはある。だが、帰りたくとも帰れないのだ。

 組合まで何を企んでいるのだかと、状況は煩雑になっていくようで、心は沈んでいくばかりだ。

 しかし今は、どうしようもない。

「なんで一遍に、色んなことが起こるんだよ」

 暖気を含む風が頬を撫でた。促されるように、イフレニィはまた雑踏の中を歩き出した。


 街中を闇雲に歩き続けて頭も冷えたところで、組合に戻ることにした。気が乗らなくとも、依頼状況は把握しておくべきだろう。

 改めて戻った旅人組合本部の広さに圧倒されつつ、多くの人間が行き交う広間を横切った。広いだけでなく依頼も多いようで、分類毎に分けられた大きな掲示板が幾つも並んでいる。通常依頼、護衛依頼、提携依頼に加えて、今は殆どを北からの依頼が占める臨時依頼だ。

 多すぎて詳細に確認する時間はない。流し見たところ、国の中心だけあって外部との流通に関する依頼が多いようだった。辺境とは違い常時雇用の人手は足りているのだろう。

 来てしまったのだからと何か受けたかったが、選別している時間はない。日が暮れる前に宿の場所を確かめておく必要があった。

 出る前に、なにか街の情報でも仕入れられるかと受付へ向かう。なんとなく気まずく、登録を受け付けてくれた受付嬢は避けようと思っていたのだが、考えを読んだかのように件の受付から見覚えのある顔が呼びかけてきた。彼女に罪はないのだが、渋々と近付く。

「北方支部から伝言を預かっております。照会担当が書き留めたものです」

 紙質も上等な白い封書を渡された。きちんと封蝋までされている。

 たかが伝言に丁寧なことだった。

 会釈をして離れると、早速確かめることにした。広いためか室内の空いた壁沿いには、丈夫なだけが取り得の簡素な長椅子が幾つも置いてある。その一つに腰掛け、指で封を切った。

 便箋には一文。

『戻る気がなくてもいい。せめて帝都から動くな。オグゼル』

 それだけだ。

 胸がざわつく。

 転話でのやりとりでオグゼルから感じられた、妙な言動。そこに何かしらの意図があるのだと、確信に変わっていた。

 それを、踏まえるべきなのだろう。

 紙面に視線を落とす。わざわざ念を押すためだけの伝言。あえて情報を与えているような言い方だ。

 副支部長であるオグゼルは、支部長代理としての権限はある。

 幾ら軍や元老院なども絡む件に関係していようとも、転話越しに話すことのできることなど、たかが知れている。しかしイフレニィは依頼を断ったのだから、なんの役割があるでもない。そんな相手に、あの場で、支部長の存在を強調する必要などなかった筈だ。

 下手な演技をしているような口ぶりも、あえてのものなのだろうか。

 ――いや、あれは素だな。

 オグゼルは、支部長の名をじっくり聞かせたことも意味ありげだった。いつもの揶揄している風ではあったものの、いつものオグゼルなら、はっきりと言い切る。

 ならば、支部長に気を付けろとでも言いたいのだろうか。

 二人の仲が悪いといった話など聞いたことはないが、人の噂話などに興味はなかったため、実際のところは分からない。

 ともかく、もしもあの場に居たのが支部長なら。

 以前、こちらの否定はないものとして当たり前のように事を進めていたことを考えれば、イフレニィと話して選ばせるような真似はしなかっただろう。

 その勝手に話を進めていた事、天幕での会談でのことが思い返された。

 軍のお偉いさん、元老院の代表、組合幹部の会談。一介の旅人のイフレニィが参加すること自体がおかしかったものだ。

 押し付けられそうになっていたのは、大規模な作戦で各所とのすり合わせを行うような仕事だった。イフレニィが組合職員だったならば、重要な任務への抜擢に喜んだかもしれないが、立場が違いすぎた。職員への転向を勧められたことさえなかったのだ。たとえ痛みがなくとも、どうにか断ろうとしただろう。

 向こうも何かしら理由はつけていた。

 精霊力が強い。仕事は言われるままにこなしてきた。軍、組合、住人の仲立ちができる立場だと。

 だが最も重要だろう、人を率いる経験はほぼない。精霊力は別として、他にもっと適役はいる。

 それに仕事内容だけなら、会談後に支部長からでも話せばいいことだった。

 イフレニィは、あの場に、いなければならなかったのだと思っている。

 そしてオグゼルに戻るのは、いつでもうるさいのに、会談中には一言も口を開かなかったことだ。腕を組んで、目を伏せたままだった。単に階級を気にして控えていたのだと思っていたが、何か思うところがあったのだろうか。

「帝都から動くな、か」

 呟いてみれば、ますます違和感が明確になる。護送しようかと、無理に連れ戻すことさえちらつかせておいて、この言葉だ。

 目を閉じ、先ほどの会話をよく思い出す。

 イフレニィが真剣に頼んだから引き下がってくれたのではないと感じていた。

 逆に、断らせたかったのだと考えれば、しっくりくるような気がした。

 転話具の部屋には本部の職員がいた。向こう側に誰が居たかは分からないが、誰に聞かれてもいいように話していた。

 しかしそこはイフレニィも同じだ。あえて厄介な言葉を出す気はなく、軍だとかはイフレニィもぼかしたから、普通の行動なのかもしれない。

 明らかに何かを伝えようとしたのは、支部長は出かけているといった時だ。

 居ないから話している、ということだったのではないか。

 ――なぜそんな面倒なことをする?

 天幕会議からの帰り道、オグゼルはイフレニィの体調の悪さに言及した。前もって伝えておけと強く言ったのは、オグゼルでは断れない件であろうと、手を打つために動いてくれるつもりがあるからだろうか。普段の行動からも責任感の強い人物だとは思えるのだ。ただ、イフレニィは現在、他の何もかもが怪しく思えてしまうような状況にいる。なにを信じれば良いかなどとは、考えないことにしていた。

 オグゼルは怒りを見せ、支部長は笑った。

 その差なのかもしれないと、ふと思った。オグゼルは副支部長ながら、旅人に混ざって仕事をすることも多い。立場上、上の意向には従うだろうが、命令めいた押し付けに反発を覚える性質ではあるようだった。

 だから単純に、立場の低い旅人側であるイフレニィに、選択の余地を与えたいと考えているのかもしれない。

 そうだ、たかが旅人一人を護送してでも戻したい、それだけの理由があると仄めかしたようなものだ。人手が足りないからといって、そんな手間をかけるほどではない。臨時依頼も出ているのだから、その内、人も集まってくるはずなのだ。

 しかし、そこまで言っておきながら、戻らないなら帝都から動くなという。

 イフレニィの知らない、背後にいる者らにも、当然目的があるだろう。

 そもそも同郷の者を探す女騎士の方ばかりに気を取られていたが、そもそも軍が半ば指名依頼を出した理由に思い当たった。

 監視下に置きたい。

 イフレニィは外に出るのが嫌いだと知られていた。依頼を断って受け入れたのは、街を出ないと考えていたのではないか。だから、街を出たことで焦った誰かが、組合に連絡を取ったのだとしたら。

 今も、居所を把握しておきたいということだ。

 ならばこの文の意味は逆。

 ――帝都から出ろ。

 馬鹿馬鹿しくなって小さな笑いが漏れた。

 元から口の多い男だ。考えすぎだろうと頭を振る。

 しかし、もし、そうなのだとしたら。

 なんとしても、話す機会を得て説得したい。そんなことを望むのは、あの場では女騎士だけだ。理由は、主王の家に連なる者の生き残りだから。同郷の者と過去を懐かしみたいなどというものではなかった。

 王の血筋の者というだけだというのに。

 いや、だからこそ、見逃してはくれないのかもしれない。何者であろうと構わない、ただその事実だけがあればいい。そういう類なのだろう。

 だからといって訳もなく連行などは出来ない。だから目の届く場所に置きたいというのは、考えられることだ。


 淀んだ空気を肺から押し出すように息を吐いた。

 トルコロルの残党と帝国が関わっている理由さえ分かりもしないのに、飛躍しすぎだと窘める。

 ――そんな陰謀なんて、滅多にあってたまるか。

 人がやることに、思うほど大した意味はないものだ。

 考えを振り切り立ち上がった。

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