僕らの国に春は来ない

名取

だからといって別に禁断でもない



 恋に正解はないと多くの人は言うけれど、その割に僕らの恋を認めてくれる人は少ない。大体の人は「それは恋じゃないよ」と言う。それも決まって、やれやれと言うような顔をして、ため息をつきながら。恋に正解はないのではないかと言い返しても、子供の屁理屈を聞き流すような態度であしらわれる。僕はその度に、馬に蹴られて地獄行きになればいいのに、と心の中で静かに思う。

「どうしたの?」

 僕の部屋でゲームに夢中になっていた彼女が不意に言う。考え事をしていただけの僕は「なんでもないよ」と答えて、台所に立つ。

 彼女はいたって健康で、そして普通の一般人で、容姿も中の中だ。決して治療不可能の難病で先がなかったり、目をみはるほど才色兼備だったり、プライドが変に高かったり、彼女の実家と僕の実家が長年対立していたり、そんなことはない。仮にあったとして、それを僕に隠しているだけだったとしても、別にそれはそれで構わない。どうでもいい。そしてきっと彼女も同じように思っている。僕も彼女とほとんど同じような人間なのだ。なぜなら、僕らには揺るがぬ共通点がある。それは、どちらも恋愛が死ぬほど嫌いだということだ。



「恋愛って気持ち悪いよね」

 甘いコーヒーを二人ぶん作ってリビングに持っていったら、彼女がゲームをしながらいきなりそう言った。これは彼女の口癖のようなもので、そして同時に僕の口癖でもあるので、驚かなかった。

「よくさ、漫画じゃヒロインが相手の気持ちを妄想して勝手に思い悩んだりするけど、私みたいなのがやったらうつ病の始まりって言われるだけだよね。お薬処方されて、恋は始まる前に終了しちゃうね。ついでに社会的な諸々も」

「そうだよね」

 こんな風に言っているが実は彼女は隠れ恋愛漫画ファンで、乙女チックなシチュエーションにずっと憧れている。なんてことはない。また、僕は過去に恋人を亡くしたショックで恋に消極的になっていて、今の彼女の外見は、実はその元恋人にそっくりなのだ。なんてこともまるでない。

「まあ、それが楽しい人もいるし、私がマイナーなゲームが好きなのと一緒で、人の趣味や趣向を貶すつもりは全くないんだけどさ。ただ、なんでみんな、私たちの恋は恋じゃないって言うんだろうなって思って。否定されてばかりだと、さすがに悲しくなってくるなって」

「そうだね。僕も不愉快だよ。きっとそう言ってくる人たちは、自分の知らないことが世の中にあるって認めたくないんだ」

 寝っ転がって仰向けになっていた彼女はふとゲームから視線を上げ、こちらを見つめてきた。

「ねえ、あなたは私のことが好きだよね?」

「うん、好きだよ。君も?」

「もちろん。大好き」

 僕はかがみこんで、彼女の唇にキスをした。しばらくして唇を離すと、彼女は囁くように聞いてきた。

「実は隠れて何人とも付き合ってたり、お金や体目的だったり、本当は敏腕の結婚詐欺師で初めは私をカモとして見ていたけど接していくうちに徐々に偽りではない恋心を抱くようになったりとかはしてない?」

「背筋の凍るようなこと言わないでくれ。そんなことは今時小説の中でも起こらない」

「よかった。もしそういうのだったら、別れるからね。法外な慰謝料ふんだくってやる」

 いたずらっぽく笑う彼女があまりにも可愛らしく、僕は頬をほころばせながら答えた。

「その点は心配いらないよ。もし明日地球が終わるとしたって、僕が実は吸血鬼等の人型の化物で君を食料として食べるために付き合い始めたけど予期せぬ君の魅力に当てられてこの人間にはまだ利用する価値があるとかなんとかと自分をごまかしながらズルズルと殺すのを先延ばしにしているとか、そういうことは絶対にないから」

「うーん、でも、やっぱり私たちの恋が恋じゃないなんて言われるの、なんだか心外な気がする。例えば世の中の恋人って、甘い言葉を囁いたりするんだよね?」

「恋人同士のすることは、僕たちもうだいたいやってるけどね」

「そうなんだよねぇ。別にもう私たち、片思いしている相手の前で恋人ごっこをしようと提案して『なんか、本当の恋人同士みたいだね……?』とか言って照れる段階ではないのよね」

 僕は飲んでいたコーヒーを思わず吹いた。

「僕その手のやつ本当にダメなんだ。別に自分に言われているわけじゃないのに、なぜかリアクションに困る気がして」

「私もだよ。そこまでしたならその場で恋人になっちゃえばいいのに。まあそう言うと、『恋はそんな単純なもんじゃない!』って怒られちゃうんだけどね」

 僕たちは異様にせっかちで、焦れったいのが大の苦手なのである。

「そうだよね。かといってそれで向こうが『ごめん、他に好きな人がいるんだ』って断ったらそれはそれで勇気を出した子があまりにかわいそうで、こっちまで気分が沈んでくる……切ないとかじゃなく、好きな人がいるっていうのに他の子からの捨て身のアプローチを先んじて断らない精神が怖すぎて」

「もうサイコパスよね」

「そして極め付けにそういう奴が『今までずっと本命の子しか見ていなかったから気づかなかったけど、実は自分は、あの子のことが好きだった……?』とか言い出したら僕はもう正気を保っていられなくなる自信がある」

「一回断って傷つけといてちょっと虫が良すぎよね。良い風に言ってるけど要は本命諦めたってことよね?」

 僕は深呼吸をし、やっと冷静さを取り戻した。まあその手の話の場合、散々傷つけあっても最終的に全員が過去のことを全部水に流してハッピーになるので、いつも「ほ、本人たちが幸せならいいか」と納得してしまうのだが。よほどどちらかが一方的に殴られたりでもしていない限り、他人の恋の幸せについて部外者がどうこう言っても仕方がない。

「ねえ、見て」

 彼女が突然、窓を開けた。冷気が入ってきて、思わずぶるっと体が震える。

「もう三月なのに、雪降ってるよ」

「ほんとだ。珍しいね」

 三月と言われて、ふと、とある記憶が蘇る。


 あれは高校の二年生の三月頃だったか。彼女は誰にでも優しくて、でも何を言われても言い返さない、少し変わった女子高生だった。自分が恋を知らないだけに、自分が誰かに思いを寄せられることなど夢にも思っていないらしい彼女が、僕は物珍しかった。同じタイプの人間に出会ったのは人生で初めてだったからだ。気づくと僕は、彼女を目で追うようになっていた。

 そんなある日の放課後、僕は駐輪場で、見慣れぬポニーテールの女子に絡まれている彼女を見かけた。ポニテ女は今にも飛びかからんばかりの鬼の形相で、

「あなたのせいよ! あなたが誰にでも色目使うせい!」

 と言っていた。どうやらポニテ女は最近彼氏と別れ、その元カレを唆したのが彼女だと思っているらしい。彼女はいつもの通り言い返さなかった。すぐに否定すればよかったのだろうが、まだ今より幼くて素直だった彼女はきっと、色目とは何かがわからなくて考え込んでいたのだろう。ポニテ女はそれで逆上し、彼女をビンタした。彼女は頬を抑えて倒れ込んだ。

 僕が慌てて彼女に駆け寄ると、ポニテ女はビンタしたところを見ている人間がいるとは思わなかったのか、慌てた調子でまくしたてた。

「あ、あんた誰だか知らないけど、この子が好きなんでしょ! 八方美人で誰にでもいい顔して、男何人も周りに侍らせてるんだ。きもちわるい!」

 恋愛に疎い僕にはその意味が全くわからなかったのだが、その時、ただひたすらに、恋って面倒臭いなと思った。独りよがりだなとも思った。そんなもののどこがいいのか、僕には心底わからなかった。

 その件がきっかけで、僕と彼女は付き合い始めた。


 なんてことは、もちろんない。


 少なくとも僕と彼女の間では、その件はなかったことになっている。



「このぶんじゃ、桜はまだ咲かないね」

「そうだね」

 僕も彼女も、わかってはいる。

 誰かに恋をしてときめいたり、傷ついて涙を流したり、逆に自分が誰かを傷つけたり……そういう甘くて苦い経験こそが、恋の醍醐味なのだろう。どれだけボロボロになったとしても、誰かを愛して傷ついたのなら、時が経てばそれはいい思い出に変わるのだろう。確かに僕らには、そういうのはない。だって恋人と見ればヒューヒューと囃し立てる卑屈な奴らは鬱陶しいし、三角関係の泥沼の中ですまし顔をする気力もないし、思いを成就させるためなら他人を押しのけ手段を選ばない世界に生きるのも億劫だ。だから僕らには、きっと永遠に春は来ない。

 でもまあいいや、と僕は窓を閉める。

「でも桜が咲いたら咲いたで、君は花より団子でしょ」

「な!? 失礼な……あっちょっとまってこれ恋人っぽい! 今のよかった! ザ・テンプレートって感じじゃない?! もう一回やろう!」

「いや、やらないよ?」

 窓に鍵をかけた僕は、彼女の方を振り返る。子供のようにむくれたその顔に思わず微笑むと、彼女もつられて笑う。


 彼女が元気でいてくれるなら、僕はこのまま、春のない国で死んでもいい。

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