いつも貴方を見ています
テンガ・オカモト
あ・る・じ・さ・ま♡
幼少期の頃、
和服を纏い、日本髪を結った、日本の伝統的人形であるそれらは、つるんとした白肌に小さな黒目を宿し、いつの日も変わらぬ表情で玄関先に鎮座していた。しかし、大輝の子供時代の感受性は、まるで日本人形を生きているかのように捉え、常に見られているかのような錯覚を覚えていたのだ。
大輝にとって、中学生になった今でも忘れなれない事象がある。心に深く刻まれ、ふとした瞬間に思い出してしまうトラウマだ。
それは、夜中にトイレで目覚めたとき。普段、2階の部屋に住んでいる大輝は当然2階のトイレを使っていたのだが、その日は運悪く故障していたため、1階に降りる必要があった。1階には何が待ち受けているか、そう、あの恐ろしい日本人形だ。
尿意と日本人形、天秤にかける。膀胱に溜めたままではとても寝付けない故、止むを得ず立ち向かうことにした。
目を瞑って階段を下る。いささか目を瞑るのが早過ぎないか、と思われるだろうが、視界に収めたくないほどびびっていたのだろう、致し方ない。
手すりを伝って、慎重に足を進める。1階の床に着いた感覚がしたとき、いよいよここからが正念場だと大輝は気を引き締めた。
階段から1階のトイレに向かうには、玄関を通って真っ直ぐ行くしかない。目を閉じたまま、すり足で進む。あたかも盲目の達人になったかのように、間合いを詰めていく。
しゅっ、しゅっ。擦れる音だけが夜中の家に響く。いよいよ、問題の日本人形の前を通過する。
ぞわぞわ、と悪寒が走る。目を瞑っていても、見られているのではないかと考えると気が気でない。体感にしてあと数歩、それで玄関前を通過できる。後は小走りでトイレに駆け込めばいい。
――ケヒヒッ。
女の笑い声。
差し迫っていた尿意が一気に引いた。
今の声は何だ。誰かの寝言か、と大輝は考えたが、5人家族のうち女性は母と祖母の2人だ。2階にいる母の寝言がここまではっきりと聞こえるはずがなく、祖母の声はここまで若くない。ついでに言うなら、我が家のトイレには駅の公衆トイレよろしく、近づいただけでアナウンスしてくれるような機能は搭載していない。
「だれか嘘だと言ってくれ……」
消去法でいくと、残るのは1つだけ。
ひどく現実離れしているが、この時はそうとしか思えなかった。笑ったのは、人形だと。
ふーっ……
「あぅん」
情けない声が漏れる。突如耳元にかかる、熱気を帯びた息。それが引き金だった。じょばばばば、失禁の始まり。振りに振った炭酸飲料の蓋を開けたかのような勢いだった。
後日、大輝の必死の訴えにより、日本人形は祖父母の部屋へと移されることになった。あのタチの悪い悪戯は何者の仕業だったのか、あるいはただの気のせいか。大輝にとって、もはや真実はどうでもよく、失禁した記憶を呼び覚ます人形が玄関で待ち構えていると思うだけで気が狂いそうだったからだ。
その後も暫くの間、大輝は日本人形により苦しみを味わうことになる。
ある日見た夢の中では、自室に置いてないはずの日本人形がびっしりと飾られており、一斉に震え出したかと思うと、あの晩と同じ様に妖しげな笑い声を上げながら迫ってきたこともあった。絶叫と共に跳ね起きたせいで、家族全員から心配されてしまい、非常に申し訳ない気持ちをした。
またある日の授業で、社会科で日本人形に関するプレゼンテーションをする羽目になったときは、泣きたい気持ちを必死に抑えて資料集めに奔走した。もう人形を見るのは懲り懲りだった。
それから月日が過ぎ、日々の忙しさに駆り立てられるうち、日本人形のことが頭から抜けて来た、まさにその頃合いを見計らったかのように、大輝は再び怪奇現象を自覚するようになったのだ。
通学路。学校。自宅のマイルーム。風呂場。果てはトイレ中。
どこに居ても、視線を感じる。
ストーカーというものは、男女の性別に関係無く存在するものだ。しかし、公共の場ならともかく、完全にプライベートな空間にいるにもかかわらず、そういう気配を感じるというのは明らかに普通ではない。
それだけに留まらず、整頓した記憶のない筆記用具類や、学校から配布されたプリントが規則正しい配列で並べられていたこともあった。
「夢遊病か?」
遂には自分すら疑いだす始末。
誰かに相談しようにも、実際にその姿を見たわけではないので、単なる思い込みという可能性もある。こんなことで恥をかくのは嫌だ、という自尊心も手伝って、中々言いだせずにいた。
「ただいま……」
「ふふ、おかえりなさいまし」
ため息が自然と漏れ出す。こんな生活が続いてしまったら、本当に精神が参ってしまうかもしれない。
「いっそ目の前に現れてくれれば、いくらでも文句を言ってやれるのになぁ」
「はい、ですからここにおりますよ」
「あん?」
正面に向き直る。艶やかで麗しい黒髪、雪のように純白の肌、煌びやかな花模様が刺繍された和服を着て、柔和な表情で正座する少女。まるで何処かで見たかのような容姿だ。
「すいません間違えました」
急ぎ家を出る。玄関ポストにある立て札は、楠原。太陽光パネルを設置した灰色の屋根にオレンジ色の外観の、いつも通りの我が家。
大輝は何も間違っていなかった。
「ただいまぁ〜……」
「はぁい、あるじさま♡」
電光石火、扉を閉める。誰だあいつは。
大輝はとうとう、自分が幻覚を見るほどやつれてしまったのだと結論づけた。そうでなければ、時代錯誤も甚だしい格好の見知らぬ女がいる説明がつかない。
「ただいまぁ!!!」
「お待ちしておりましたわ、あるじさま」
「うるせぇ!!失せろやぁ幻覚!!」
問答無用で張っ倒す。勢いをつけて入った大輝は、そのまま謎の女性に向かって思いっ切り手を突き出した。
ふにゅん。
「はっ?」
それは、女性の象徴の1つ。雄大さと繊細さを併せ持ち、荒々しき男達すら立ち所に鎮めてしまう、母性の柔らかさ。例えるならマシュマロのように、弾力とモチモチ感を両立させた触り心地。
「まぁ、あるじさま。そんな、陽も落ちないうちから情熱的に求められると、
幻ではない、確かな実感を持った乳房の触り心地が、着物越しにも感じられた。
「あひぃ」
もう何も信じられない。大輝の脳はキャパシティを超え、その場で意識を失った。
***
「ふ、ふは、ふはははは。ということは何か?あのとき俺をさんざんびびらせた人形が、今度は人間サイズになったっていうのか」
「先程からそう申してますのに……」
「やかましい信じたくないわ!!」
頭を抱える大輝。元はあの日本人形だという女性は名を由美と名乗り、経緯を簡単に説明する。
古来より人形には魂が宿る、などと言われているが、由美はまさにそれを体現した存在であり、精魂込めて人形を作った職人、それを丁寧に展示する売り場の職員の気概、購入した大輝の祖父母が人形を敬う気持ち、さらには大輝が抱いていた人形に対する恐怖心やらもエネルギーとなって形成されていったらしい。
「おい、ということはだぞ。最近起こった諸々の事象って」
「もちろん私ですわ。あるじさまが円滑に過ごせるよう、24時間見守るのが私のお役目ですから」
「じ、じゃあ、あれもか!?あの日俺が、も、も、漏らした晩の、耳に息を吹きかけたのは、気のせいでもなんでもなく……」
由美は、ばつが悪そうな顔をして目を背けた。
「あのときは些か、悪戯が過ぎてしまいました。あまりに可愛らしく震えていらしたので、つい魔が差してしまいまして……ふふふっ。今思い出しても、思わず頬が緩んでしまうほど」
「それ以上言うなあああああああああっ」
15年の生涯において最大級の恥辱。お漏らし鑑賞をされていた事実を叩きつけられ、完全にへし折られたメンタル。大輝、もはや追及する力も失い、床へと倒れこむ。
「ともかく、こうして実体を持つことが出来たのも、あるじさまのおかげ。つまり、私は貴方の家内も当然です。おはようからおやすみまで、貴方のための由美ちゃんでございます。何なりと申し付けてください、さあ、さあ!」
ぐいぐい身体を寄せてくる由美。残る力を振り絞り、掠れる声で大輝が懇願する。
「じゃあ、元の……人形に戻って下さい…」
「それは勿論、ダメです♡」
魂が抜けたような表情で仰け反る大輝。今日を以って、大輝のプライバシー、及びメンタルは完全に崩壊した。この問題だらけの人形女をどうやって引き離すか、長きに渡る戦いの幕が開いた瞬間だった。
いつも貴方を見ています テンガ・オカモト @paiotsu
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