現実と真実〜幼馴染に浮気された高二男子の物語〜

第1章：涼太の現実（本編）

第1話：浮気

　横浜にある繁華街の大通り。

　昼夜問わず人で溢れかえるこの道は、僕、山田涼太（やまだりょうた）のお気に入りの場所だ。　

　オシャレさよりも清潔感を求めた黒髪短髪、平均よりやや低めの背丈に、ごく平均的な顔立ち。いわゆる『普通』の三拍子を備え持った僕のような人間でも、この人混みに混ざれば、立派な高２男子としての自信を持てる。

　自分で言うのもなんだけど、僕は気弱だ。

　それでも、僕には自慢できる点が一つだけある。

　とても魅力的な彼女（ガールフレンド）がいることだ。

　黒髪ロングの清楚な色白美人、幼馴染の長瀬香澄（ながせかすみ）。

　昔から付き合いのある幼馴染だったけど、勇気を振り絞って、高校生活が始まったと同時に告白した。

　玉砕する覚悟はあった。けど、長年の信頼関係のおかげなのか、はたまた香澄が僕に同情してくれたのか、返事はOKだった。

　香澄の期待に応えるべく、せめて彼氏としては不甲斐ない姿を見せないよう、僕から率先してデートのプランを立てたり、学校ではできるだけ一緒にいるようにしている。周囲への牽制の意味も含んでいる、と言っていいほどいい彼氏でいられている自信はないけれど。

　なにせ香澄は美人で性格が良くて誰にでも優しい。つまるところ、彼氏有りの状態でも異性人気が高いのだ。

　その他いろいろな事でも、他の男子に見劣りしないよう毎日必死こいて男らしく振る舞うようにしている。恥ずかしいので、香澄にはバレていないと信じたい。

　そんな僕をいつも支えてくれるのが、今僕の隣を歩いている、高身長金髪マッシュのイケメン、神崎篤（かんざきあつし）先輩。

　同じバスケ部の先輩で、この繁華街を闊歩する時だけでなく、放課後は結構な頻度で一緒にいる。いつも相談に乗ってくれるし、困っていると色々と助けてくれる、かっこよくて優しい、僕の憧れの先輩だ。

「神崎先輩。僕、明日の放課後、香澄（かすみ）とデートする予定なんですけど、まだ行く場所決まってなくて……オススメのデートスポットとかって知ってますか？」

「デートスポットかぁ〜。俺なら彼女の性格とか趣味で決めるけど、香澄ちゃんなら、そうだな、静かで落ち着いた所の方がいいんじゃねーか？　水族館とか」

　水族館。

　前回のデートで行ったっけか。

　綺麗にライトアップされたクラゲを見たり、イルカショーを見たり、チョウザメの餌やりを見たり。ふれあいコーナーで、香澄がエイを触ったら水飛沫をかけられて、それにびっくりしていたあの顔、可愛かったな〜。

　……ふへへ。

「涼太、毎度の事ながら気持ち悪いからそのニヤつきやめてくれ」

「いや〜、実は水族館はこの前行ったんですよ。綺麗にライトアップされたクラゲを見て、イルカショーを見て、チョウザメの餌やりを–––」

「はいはいそこまで。ったく、惚気話ばっか饒舌になりやがる。そんでもって聞いててムカつく程幸せそうにしやがって。俺にも少しその幸せを分けてくれよ、このっ」

　神崎先輩が僕をからかうように軽く肘鉄を食らわせてきた。

　でも、先輩の顔も笑っている。雰囲気はちょっと怖いけど、やっぱり優しくて信頼できる先輩だ。

「痛いですよ、先輩。それに先輩はモテモテじゃないですか？　イケメンですし、バスケ部のエースですし。まぁ勉強はちょっとアレだと思いますけど……」

「お、おまっ。最後のは余計だ最後のは。そこは褒めるだけで終わらせとくとこだぞ？　ま、否定はできないんだけどな」

　「っぷ」「あはははは」

　先輩の渾身の自虐に思わず吹き出してしまった。

　頼りになって器が大きくて、それでいて面白い先輩。

　こんな良い先輩がいて、みんなが羨むような可愛い彼女がいるなんて、僕は相当幸せ者だ。

　しばらく笑った後、ふと不思議に思う。

　どうして先輩は彼女を作らないんだろう。

　噂によると中学の時は結構遊んでたみたいだけど、高校に入ってからはまるっきりないらしいし……。

　よし、聞いてみるか。

「あの、先輩はなんで彼女を作らないんですか？　週に一回くらいは告白されてますよね？　もしかして、そっちの気があるんですか？」

「ちげーよ、ったく。俺にも色々あるんだよ」

「いろいろとは？」

「随分グイグイくるな。クソ生意気になりやがって」

　ゴツんと優しめのゲンコツを脳天に振り下ろされる。

　やはり触れてほしくなかったのだろうか。

　僕が謝ろうと顔を上げると、先輩はどこか遠くを見つめているように見えた。

「ま、端的に言うと、今は忙しいから誰かと付き合ってる暇がないって感じだな。涼太も来年になったらわかると思うぞ？　高３は春から忙しい。それに、中学の頃にいろいろやらかして、姉貴に、釘を、刺されてる……」

　先輩は、お姉さんの話をするといつも怯えた子犬のようにブルブルっと身震いをする。学校の女子が見たらギャップ萌えで、先輩の人気はさらに上がるだろう。

　普段はどんなことにも物怖じしない神崎先輩だが、お姉さんには頭があがらない。

　なにせ先輩のお姉さんは––––

　「先輩のお姉さんって、確かあの……」

　「あぁ。前にも言った通り、関東女連合の元組長だよ。そのせいで昔っから俺までヤンキー扱いされてるからな。全くあの姉鬼（あねき）には本当に困ったもんだよ」

　「あ、あはは〜」

　思わず愛想笑いしてしまった。

　先輩がヤンキー扱いされているのは、決して先輩のお姉さんがヤンキーだからとかではない。ただ、先輩自身も相当喧嘩っ早くて腕っぷしが強いからだ。

　この様子では気付いていないんだろうけど、まだあまり関わりのない１年と2年の後輩達は神崎先輩を我が校唯一の不良（ヤンキー）として認識している。ちなみに僕はその舎弟１号だ。少し誇らしい。

　「あーあーやめやめ。今は姉貴の事はどうでもいい。考えたくもないからな。それよりも、涼太の明日のデートの件だろ？　今まであんまデート関連は相談された事なかったけど、明日はなんか特別なのか？」

「……実は、明日で丁度付き合って１年の記念日なんですよ。だから全部完璧にリードして、男らしい所を見せてあげたいなーと。先輩なら記念日にどうしますか？」

「１年記念、もうそんなに経つのか。……てかそれを先に言えっての。記念日となると、なんか特別なことがあった方がいいだろうな。らしくねーかも知んねーけど、ちょっといいレストランの夜のディナーにご招待、とかさ。ちなみに今の俺だったら、カラオケを奢るくらいだな。金ねーし」

「か、カラオケ、ですか。いい案ですね。で、でも、その……」

「冗談だよ冗談。てかお前、俺が一周年記念をカラオケで済ませる程度の男だと思ってんのか？」

「あ、いえ、そんなことは––––」

　僕は嘘が下手らしい。

　顔に出てしまっているのか、それとも声色の問題なのか。

　とにもかくにも、ガシッと大きく逞（たくま）しい両手で捉えられてしまった。

　先輩はバスケ部のエースだし、それ以前に体格が天と地ほど違う。

　平部員の僕なんかじゃ逃げようがない。

　「ごめん。ごめんなさい、神崎先輩。でもカラオケがいい案だって言うのは本音で……」

　「まだ言うか、っこの」

　ヘッドロックをかまされているが、そこまで痛くはない。

　怒ってはいないのだろうけど、僕を拘束する程度の力は込められている。

　……やっぱり、ちょっとだけ怒らせてしまったようだ。

　先輩の表情を確認しようとふと顔の向きを変えると、視界の端に、この辺の高校生なら誰でも知っているとある路地裏が見えた。と同時に、先輩がニヤリと不敵な笑みを浮かべ、僕を引きずって進み始める。

　今、先輩が向かっているのは、大人の遊び場というやつじゃ––––

「高２ともなれば、恋人のいる奴は割とみんなシテる。　付き合って1年も経つのなら、尚更だなー」

　先輩は僕の赤面した顔を見て満面の笑みを浮かべた。

　口調がいつにも増してヘタレをからかうようになっている。

　でも、周りがシテるからという理由でそういう行為に至るのは––––

　「で、でも、まだ心の準備が整ってなくて、その……」

　「ヘタレてねーで行くぞ！　それにあれだ。周りだけでも下見しておけば、お前はスムーズに彼女をホテルへ誘える紳士になれるっ！　……はずだ！」

　「ま、まぁ、そうなりたいという憧れ（？）はありますけd––––」

　「よし決まりだな！」

　先輩が僕の首に腕を回してしっかりとホールドした。

　側から見たら不良の先輩に無理やり連行されている後輩みたいになってるのだろうけど、周りの人たちは誰も問題視していない。なぜだろう、と、下に目を向ければ自分の足が割と前向きに進んでいることに気づく。

　明日、ここに来たら香澄は応じてくれるかな？

　付き合って一年目だし、記念日だし、もう普通にキスもしてるし。

　服越しで感じていた香澄の温かさが直で感じられるんだもんな〜。

　……ふへへ。

「お前……。明日はくれぐれもそのにやけづらは見せないようにしろよ」

「す、すいません、つい」

　先輩から解放され、自らの意思で大地を踏み締める。

　目的の路地裏は案外普通の見た目だった。

　ただ異様なまでにビルから看板が生えた道だ。

　ホテルツープレックス、カフェホテルロンドン、ラブマゲドン、等々。

　ピンク色のネオンが煌々と輝いている感じではなかったのは意外だった。まだそこまで暗くないからだろうか？　完全に夜になったら、少し違うのかな？

　それでも人は結構いる。

　女子高生くらいの若い女の子たちと、おじさんのペア。どう見ても高校生同士のカップルや、スーツ姿の男女ペア。みんなこれからホテルで色々と……。

　あぁ、なんか前をみていられなくなってきたよ。

　「おいおい涼太、もっとシャキッとしろ。何事も堂々としてれば万事解決だ」

　「す、すいません。これでも精一杯頑張ってるつもりなんですけど……」

　バシンと背中に軽い喝を入れられ、なんとか姿勢を立てる。

　なれているようだし、先輩はここに来た事があるのだろう。

　僕とは違って、随分と楽しんでいるみたいだし……。

「おい、涼太、あいつら見てみろよ。絶対に援交だぜ？」

　先輩がクイっと首で示した方向では、黒髪の女子高生が中年おじさんと一番高級そうなホテルに入っていった。

「っ⁉︎　……ち、違う高校の制服か」

「ん？　どしたん？」

「い、いえ、なんでも……」

　後ろ姿が似ていて肝が冷えた。

　もしあの子が香澄だったら、と思うと、胸が引き裂かれそうな気持ちになる。

　……やっぱり明日、できる限り誘ってみよう。

　思いがけないところで、決意が固まった。

「ぼ、僕、明日頑張ります」

「いいね〜。それでこそ男ってもんだ。何か助けが必要ならなんでも言えよ？　人生の先輩として全力でサポートしてやるからさ」

「ぜひよろしくお願いしますっ！」

　今までにないほど全力で頭を下げた。

　経験豊富そうな先輩の教えがあれば、きっと僕でも良い初体験にしてあげられる。

　そんな理性的な考えをよそに、疼き始める下半身。やはり本能は強い。

　負けるな僕。

　勝つんだ僕。

　心の中で意気込んでいると、先輩がガシッと肩を組んできた。

「うっし。じゃあ今から必需品買いに行くぞ。コンビニでも買えるが、ドラッグストアの方が品揃え……が…………ぁぁ？」

　不自然に先輩の言葉が途切れた。

　でも、お姉さんについて話す時とは少し違う。

　どこか憤りを感じるような雰囲気を漂わせた先輩の視線は、斜め前方で固定されていた。

　もしかして、お姉さんが誰かとホテルに入って行く光景でも見たのかな？　

　「どうかしました……っむぅ」

　視線を先輩と同じ方向に向けようとした。

　だが寸前、視界が先輩の横腹で固定される。

　またヘッドロックでもかけられたのだろうか？

　なんの前触れもなく、しかも今回はとても力強い。

　右腕だけではなく、左手で後頭部を押さえつけられ、体をガッチリと固定されてしまい、身動きが取れない。まるで僕を締め上げようとしているかのような体勢だ。

　兎にも角にも、ただ事じゃない何かが起きている。

　それは、先輩の焦燥感に包まれた声色からも伝わってきた。

「声を出すな。そして絶対に見るな。大丈夫、お前には俺がついてるから。俺を信じて今は黙っとけ」

　信じる？　先輩は僕を何かから守ろうとしてるのか？　

　先輩の腕には段々と力が込められていき、焦慮（しょうりょ）の気持ちが直に伝わってくる。

　でも、無性に僕は見たくなってしまった。

　見なくてはいけない気がした。

　先輩が決して僕に見せたくない、そのモノを。

　火事場の馬鹿力とはこのことだろう。

　想いが強くなった途端、僕は先輩の拘束から強引に脱出することができた。

「バカっ！　何やってんだお前！」

　慌てて僕の顔を覆うように、手を伸ばしてくる。

　だが、再び先輩の手に収まるまでの刹那、僕はその光景を目にした。

　見慣れぬ茶髪で高身長のイケメンと、

　大好きな黒髪ロングの色白美少女が––––

「ぁぅぃ⁉︎ はんへ、はんへ、はんへはんは」

　ラブホテルの前で、口付けを交わしている。

　脳が理解するよりも早く言葉が出た。

　なんで、なんで香澄がこんな場所にいるんだ⁉︎

　それにあの男は誰だ⁉︎

　なんで香澄とキスしてたんだ⁉︎

　そ、そうか。きっとアイツは香澄を無理矢理––––

「落ち着け。とにかく今は、落ち着け、涼太」

　息を荒げた先輩が、暴れる僕を必死に抑え付ける。

　なんで行かせてくれないんだ？

　香澄が知らない男に無理矢理キスされているのに！

　今すぐに止めないと！

　僕が、香澄を、今すぐ助けないと！

　僕は無我夢中に先輩の手を噛んだ。

「いっ……」

　一瞬拘束が緩んだ隙に、前へ前へと進む。

　だが思うように足が動かず、半ば四つん這いのような状態で地面を蹴った。

「香澄っ！　香澄っ！　僕だよ、涼太だよ！　い、今、助けるか––––」

「涼太、落ち着け。……あれは、助けて欲しいって女の顔じゃない」

「––––––––––っ⁉︎」

《彼女の顔には一ミリの戸惑いもなく、冷めた目つきで地に伏した彼氏を見ている》

　そんなどうしようもない現実が、僕を黙らせた。

　どうして。

　なんで。

　なにがあったの？

　数多の疑問を虚空にぶつけていると、プツリと思考が止まった。

　同時に、体が脱力する。

「今はそれでいい。寝てろ。アイツは近いうちに俺がぶっ潰してやるから」

　静かな怒声でそう呟いた先輩は、気を失った後輩を抱えてその場を後にした。

「香澄ちゃん、あの泣きじゃくってた男は知り合いかなんか？」

「……ううん。知らない人。多分同じ学校なんだと思う……よ」

「そっか。じゃあただの片思いくん、いやあの態度からすると拗らせたストーカーか何かかな？」

「…………」

「ま、もう1人の男が持っていってくれたみたいだし。僕たちは気にせず、中、入ろうか。いつもの部屋でいい？」

「……はい」

　男の腕に包まれて、ホテルの中へと消えていった少女。

　小さな声で呟いた「バイバイ」という言葉は、誰にも届くことはなかった。