剣にのせるもの

明通 蛍雪

第1話

「本気でやって」

春の手前、卒業式の前日に二人の剣士は向かい合っていた。一人は堂々と構え、もう一人はやる気なく剣を下げている。

「藍沢君、構えて」

「先輩、まだやるんですか?」

「あなたが本気を出さない限り終わらないわよ」

その言葉を聞き藍沢は聞こえないようにため息をつく。正面に立つ美少女は剣道部主将鈴谷凛だ。面越しで顔は見えないが、藍沢は彼女が美人であることは知っている。凛と透き通るような声は二人しかいない武道場によく響く。

「あなたが初めて来た時も二人きりだったわね」

「何言ってんすか。ずっと二人しかいなかったじゃないですか」

茶化すような藍沢の態度に、鈴谷は何も言わない。藍沢がこういう人物だと知っているからだ。

「何故本気を出さないの。今のあなたは、いえ、既にあなたは私よりも強いはずよ」

「そんなことないですよ」

「私に気を使っているなら余計な心配よ。明日が卒業だからって華を持たせないで」

鈴谷の威圧の篭った声に藍沢はたじろぐ。怒りとほんの少しの哀しみの混じった声は藍沢に罪悪感を抱かせる。

「先輩。なんで俺が先輩に勝てないか教えてあげますよ」

「何?」

「先輩の剣は重くて、俺の剣が軽いからです」

藍沢の発言に鈴谷は意味が分からないと疑問符を浮かべる。そんな鈴谷の怪訝な態度を感じ取ったのか藍沢は続ける。

「俺はこの二年で誰よりも先輩と関わってきました。先輩が正義感が強くて、お節介焼きで、お人好しで、負けず嫌いで、優しいって、俺は誰よりも知っています。だからこそ、先輩の剣は重い。信念とか覚悟と責任とか、いろんなものが乗っかってる。俺にはそれがない。だから先輩には勝てません」

「…」

藍沢の独白に鈴谷は沈黙を返す。否定も肯定もないその答えは藍沢の望むものであった。

鈴谷が何かを言おうと口を開きかけ、迷い葛藤していると、無慈悲で無情な音が邪魔をする。

「先輩、時間ですよ。明日は先輩が主役なんですからこんなところで油売ってちゃダメですよ」

部活終了の知らせを告げる鐘が鳴る中、藍沢は道着を脱ぎ帰り支度を始める。

「待って。私は納得がいっていない」

「え?」

「あなたの剣に何もなかろうと、あなたは私よりも強い。それは私が一番よく分かってる。二年も一緒にいて気付かないとでも思ったの?あなたはいつからか、私との対戦で手を抜くようになった」

「…」

鈴谷の指摘に今度は藍沢が黙る番となった。図星を突かれ返す言葉が見つからない藍沢は、苦し紛れの言い訳を零す。

「あなたの剣に迷いがあるなら私が聞くわ。相談にも乗ってあげられる。でも私は明日で卒業。最後にあなたを助けたいの」

「先輩…」

確かに藍沢は悩みを抱えていた。人には打ち明けられないほど大きな悩みを。だがそれは鈴谷だけには知られてはならないものだった。

藍沢は予知夢を見る体質だった。毎日ではなく稀に夢で見たことが現実に起こることがあった。失くしたものが見つかったり、飼っていたペットが死んだり。良いことも嫌なことも関係なく予知夢は当たった。

それがいつからか見なくなっっていたのだが、高校一年の冬、予知夢を再び見た。内容は断片的で途中の抜けた紙芝居のように曖昧であったが重要なことだけは見逃さなかった。

武道場で俯く鈴谷とそれを眺める自分。場面は直ぐに切り替わり学校近くの大きな道路。そこに倒れるバイクと血を流す鈴谷の姿。

藍沢はこの夢を、自分が勝ったことで落ち込んだ鈴谷が事故に巻き込まれてしまったと解釈した。実際、そろそろ勝てそうだと自身の成長を実感していた頃だった。

この夢を見てから藍沢は極力鈴谷との手合わせを回避してきた。個人戦で鈴谷と当たりそうであればその前に負け、練習の時には惜しい試合を何度も演じた。

「悩みなんかないですよ」

精一杯で苦し紛れの笑顔で言った藍沢だが、鈴谷にはそれが痛々しく映る。

「そう…」

藍沢の言葉を最後に鈴谷が折れる。鈴谷が諦めてくれたのが分かり藍沢は安堵する。止まっていた手を動かし残りを片付け武道場を出る。

「先輩、お疲れ様でした」

「お疲れ様」

淡白に帰ってくる挨拶を言った鈴谷はそのまま昇降口に向かう。藍沢は鈴谷の少し後ろを歩き距離をとる。卒業前に嫌な思いをさせてしまったことを少しだけ後悔しつつもこれでいいと自分に信じ込ませる。鈴谷との仲が悪くろうとも、鈴谷が生きてさえいれば良いと、何度も考えた自己完結の結末は今日結果を出した。

「え…?」

ふと、藍沢が顔を上げると鈴谷の横顔が目に入った。強く、儚く、脆く、綺麗な頬は雫が垂れていた。一筋の涙が跡を残しながら落ちる。

鈴谷の涙に既視感を覚えた藍沢にこの光景がフラッシュバックする。藍沢が忘れていた夢の途中が。

一瞬気を失ったかのように固まっていた藍沢は走り出した。いつのまにかいなくなっている鈴谷の影を追いかけて。

鈴谷はすぐに見つかった。とぼとぼと歩く背中は今まで見たことがないくらい小さく感じた。安堵と共に藍沢は焦りを感じ、弱音を吐きそうになる足に鞭を打つ。

夢の最後の場面が藍沢の思考を乱すように何度も繰り返される。

「ここは危ないって伝えないと」

何故か進んでいるように感じない。鈴谷との距離が全く縮まらないことに疑問を抱いた。藍沢の予知夢は全て当たってきた。見えない何かに邪魔されているかのように遅い歩みに藍沢は怒りを覚える。

「夢は絶対に現実になるのか?ふざけんな」

ずっと嫌いだった予知夢に抗おうと藍沢は叫ぶ。死んでほしくない人を助けるために絶叫を上げる。

「先輩っ‼︎」

藍沢の声に鈴谷が振り返る。

「先輩に言いたいことがあるんです」

その言葉聞いた途端鈴谷は驚いたような表情の後に駆け出す。必死で何かを言う鈴谷の声が何故か藍沢には聞こえない。

「藍沢君、危ない!」

「え…?」

鈴谷の声が聞こえた途端体に衝撃が走る。鈴谷が藍沢を突き飛ばしたのだ。仰向けに倒れこんだ藍沢は腹にしがみつく鈴谷と歩道に倒れるバイクを視界に収める。

バイクの運転手は血まみれでもう助からないと分かるほどに悲惨な状態だった。流れる血が手元に届き二人を赤く染め上げる。

「先輩、生きてます?」

「それはこっちのセリフよ。何回も叫んだのにぼさっと突っ立ってるんだから」

そう言った鈴谷は目元を拭いながら藍沢の体をペタペタと確認する。

「先輩、生きてて良かったです」

集まる野次馬と遠くから聞こえるサイレンに被せた声に藍沢は鈴谷を立たせる。

「私もよ。ところでさっきの言いたいことって何?」

「え?」

鈴谷の気を引くために適当に時間を稼ごうとしていた藍沢は何も考えていなかった。鈴谷が生きている以上藍沢の目的は達成された。予知夢も血濡れで倒れる鈴谷というのは当たっていた。鈴谷が死んでしまったのは藍沢の早とちりであった。

「なんでもないです。また今度手合わせしてもらって良いですか?」

「ええ、良いわよ」

嬉しそうに笑う鈴谷に藍沢も笑顔で返す。自分にも守りたいものがあったのだと気付いた藍沢だった。

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