13、香屋の勝負はコレでしょう。
二階堂の実家は門構えに大きな松が枝を延ばす、純日本家屋の豪邸である。
香りのテストとはいえ、そこに招待されたのであるから、紗良が選んだのは和装である。
正絹の細かな縮緬地に小さな小花が散った小紋に源氏香の模様が大きく刺繍された帯を締める。
紗良はタクシーで乗り付ける。
後日届いた正式な案内状を手に玄関に降りると、松香堂の主人が笑顔で出迎えてくれた。
「神野さん、ようこそお越しくださいました!今日は一段とお美しい!
なんだか、愚息がばかなことを言い出したようで、、。神野さんのところに決めたらとわたしは言っているんですがねえ。
いつものようにゆったりとした気持ちで臨んでくださいね。緊張しすぎると、香りがわからなくなりますから。
さあ、ご案内いたします」
亭主は紗良を家に上がらせる。
そして和室に案内する。
大きく庭への障子は開け放たれて、縁側もでられるようになっている。
既にその待ち合いには、山田美嘉はじめC社のコンペティションパーティーで顔見知りになった、フレグランス社や化粧品メーカーの担当の女性たちも含めて、9人程正座で待っていた。
今回は、着物よりも彼女たちはスーツを選んでいる。
前回は一番美しくて心を動かした担当者の会社に二階堂清隆は仕事決めるという話であったので、美しく装おった若手が多かったが、今回は、装いは控目。平均年齢は10程あがりそうだった。
そしてテスト選抜ということで、社内の実力者が参加しているようだった。
山田美嘉は紗良を見ると、眉を上げた。
「こんにちわ。A社の神野紗良です。今日はよろしくお願いいたします」
紗良がそう挨拶をすると、次々に自己紹介が始まる。
山田美嘉のK王、をはじめ、誰もが知るそうそうたる顔ぶれの会社担当者である。
顔は笑っているが目が笑っていない。
あんたなんかに、イケメン二階堂をやらないわよ!
と言っているのが聞こえるようだ。
紗良は隅の場所を確保する。
結局その後数人が合流して、12社の担当者が集まった。着物は紗良と、BとD香水メーカーの3人だけであった。
彼女たちは着物を着なれているようだった。
時間になると、亭主の案内でいったん庭にでて、離れに案内をされた。
離れの入り口には知った顔のスーツの男。
それを見て、紗良は躓きそうになった。
「真吾、どうしてこんなところにいるのよ?」
こそっと言う。
皆、緊張で張りつめている中、紗良の緊張の糸がキレた。
真顔で真吾はいう。
「僕は公平を期すために利害の生じない第三者として立ち会うことになったんだ。
デジャン氏も面白がっていて、彼も中にいる。一緒にテストするそうだよ?」
紗良は絶句である。
離れは8畳の大きな和室である。
真吾が言う通り、デジャン氏が中に座っている。
「さらサン、また会えて感激デス!皆サマ、今日は一緒に楽しみましょウ!」
あり得ない人物であるデジャン氏の、根赤な片言の日本語に、場の空気が瞬時になごむ。
「この部屋だと、筆記試験ではないようね?」
待ち合いよりぐっと砕けた表情の山田美嘉が紗良に言う。
「香りを聞いて、香木の名前を当てる、組香や、源氏香のようなテストかしら?」
紗良もそう思っていたのだ。
床の間には「清浄心身」の軸が掛かる。
コの字に赤い毛氈が敷かれ、デジャン氏が座るのに倣って、12人の担当者が座る。
デジャン氏の手招きに、紗良はそんなに高い席には座りたくなかったが、デジャン氏がしつこく呼ぶので仕方なく彼の隣に座る。
紗良の横には山田美嘉が座る。
全員が席につくと、最後に假屋崎真吾がにじり入り、入り口を締める。
「今日はご参加企業からの依頼により、公平を期するために立ち会いをさせていただくことになりました、○商社の假屋崎真吾です。
デジャン氏との通訳もさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
真吾は笑顔で挨拶をする。
彼はデジャン氏の横、紗良の反対側に座る。
席は整った。
奥の襖がスッと開けられる。お道具を持って二階堂清隆が現れる。
軽い着流し姿の端正な男。
彼が入るだけで、空気がキンっと張り詰めたような気がする。
彼は切れ長の目でさらりと見回す。
デジャン氏には軽く会釈、紗良には目元をほころばせたように見えたのは気のせいだろうか。
二階堂は着物がよく似合う。
パーティーのタキシードも素敵であったが、彼の魅力が最大限に活かされるのは着物姿であるのがわかる。
着流しという、肩苦しくない気軽な着方ではあるが、砕けすぎた感じに思えないのは、着物の素材の良さと、腰に締めた凝った織の黒い博多帯を着こなしているからだろう。
何年も普段から着物を着ているものにしか出せない、自然な感じである。
そして、押さえた大人の男の色気を感じさせた。
紗良はふっと懐かしい香りを思い出した。
昔、香りがなくなるまで気に入って嗅いでいたにおい袋の香りだった。
そこから、紗良の香りへの興味がひろがったといって良かった。
昔の香りの記憶を探ろうとした紗良を、二階堂の声が現実に引き戻す。
感傷にひたっている場合ではなかった。
これから各社の命運をかけた真剣勝負をするのだった。
「皆さま、ようこそお越しくださいました。
わたしの実家はご存じの通りお香屋です。ですので、伝統的な香木を聞く勝負で決めさせていただこうと思います。
この勝負は正式なものであり、覆ることはないと思ってください。
この勝負により、優先交渉権を得られると思ってくださって結構です。
異議はございませんか?」
そこで二階堂は言葉をきり、反応をみる。
そして続けた。
「香木を炊いたもの回していきますので、お手元の手記記録紙に、香木の名称をご記入くださいますようにお願いいたします。
勝負は都度、見させていただき、当てられなかった人は即、お帰りいただきます。
デジャン氏は伝統文化体験と立ち会いも兼ねておりますので、勝負とは関係なく最後までお座りいただきます。
初めての方もいらっしゃるかもしれませんのでこれから香りの聞き方を、簡単にご説明いたします」
二階堂は身振りも交えて説明を行う。
手の平に収まる聞香用の白磁の香炉に炊かれる香木の順番は、真吾が同席している時に既に決めているようだった。
組香と聞いて、何人かは絶望的なため息をついた。
彼女たちは、香木に関しては勉強不足だったようだった。
「二階堂がお香屋の息子って知らなかったのかしら?下調べ不足ね」
山田美嘉がこっそり紗良に囁く。
二階堂清隆が組香で勝負をする。
それはその通りよね、とここに来て紗良は納得するのだった。
二階堂が紗良は勝負に勝てるはずと確信していたのは、香松堂によく出入りをして、におい袋の体験レッスンを受けたことを知っているからなのだろうか?
でも、その程度では、香りの実力者たちが集まる中、必ず勝てるとは思えないのだけど、と紗良は思う。
特に着物を着た、香水メーカーの2人は組香に慣れているようだった。
だが、負けるわけにはいかなかった。
一回でも間違えれば終わりなのだ。
はじめの香炉が順にまわる。
香炉には、灰が山形に整えられ、3ミリ程の小さな香木が、灰に埋められた炭の熱に炙られていた。
渡された香炉を手で蓋をして、親指とひとさし指の間から、そのわずかな香りを吸い込む。
吐き出すのは顔を背けてだ。
中に吐き出すと、香炉の中の灰が舞ってしまう。
一問目の答えは「白檀」である。
全員が正解し、勝負の12人は胸を撫で下ろす。
まずは、気持ちを落ち着かせるサービス問題だった。
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