第17話 逢魔が刻


 けがれとは、いつからかそこにあった。

 それは七振りの至上の魔剣が形作られる際に焚かれた神の炉から出た煙であるとか、燃え尽きたすすの成れの果てであるとか、魔剣に斬られた者の怨嗟であるとか、定かではない。

 世に数ある魔剣も、この穢れを祓う為に造られたという話すらある。

 或いは魔剣を造るだけ、穢れが生まれるとも言われている。


 ただ、穢れはある。黒き瘴気として存在する。立ち昇る霊気や、渦巻く邪気としてこの世に存在するのだ。

 そして、死は穢れを呼ぶ。

 野山に溜まると申すもの、土深くに眠ると申すもの、古き遺跡に染み込むと申すもの――主張は様々に存在するが、死が穢れになるという点では間違いはない。

 穢れは存在し――そして穢れに侵されたものは魔物に成り果てる。それだけは確かであった。

 魔物。

 巨竜や大獅子などの怪物とも違う。森人族エルフ小人族ハーフリングなどの亜人とも違う。窟人族ドワーフ鬼人族オークなどの蛮人とも違う。

 そこに生態や繁殖などの概念はない。協調や衝突という観念もない。ただ破壊と殺害、捕食と殺戮――――世に対する加害の意図だけを持ち合わせた黒き獣。負からこの世に生じる悪の影。

 それを人々は、魔物と呼んだのである。



「イアーッ!」


 號、と空気が嘶いた。――――白神一刀流・零ノ太刀“唯能ユイノウ”。抜き放たれたシラノの触手刀が、迫り来る三体を纏めて斬り伏せる。

 だが、止まらぬ。背後から近付くもう一体の胴を薙ぎ上げ、胸部で剣が止まれば――形状変化。炸裂する無数の棘と共に、その上体を爆裂させた。

 刃を切り離し、そして地を蹴る。握るは触手刀の柄。目指すは刃。無数の刃。既に放ち、魔物の身体に突き立てた刃である。


「イアーッ!」


 柄を合わせて刀身の触手の強度を最低限に――そして再硬化。

 補充された刃を以って、風切り音を上げて迫る腕をしのぎで打ち逸らし、返す刀で頭部へ一撃。擦れ違いに頭を斬った。

 足を止めるな――そんな指令は必要ない。既に止まらぬ。もう止まらぬ。一体を二つに分かてば二体目へと肉薄し、二体目を三枚に卸ろせば三体目へと刃を向ける。

 刃溢れした刃は突き込み炸裂させるのみ。すぐさま補充し、新たな一体を切り分かつ。


 既に何体を刀の錆にしたか。

 腕は重く、吐息は上がった。頭痛も激しさを増し、身体を掠った爪の数よりもその痛みが強い。

 フローの触手にて強化された右腕も、果たして何発の触手抜刀に耐えられるか。早くも既に亀裂が入り始めていた。

 眼前。茂みから飛び出した黒き人狼。

 咆哮と共に襲いかかる腕を潜り、立ち上がりながら柄をぶつけた。牙が揺らいだ。さらに一撃。砕きにかかる。押さえつけて額を打つ。叩きつける。


「イアーッ!」


 背後で上がった唸り声に、応じたのは飛ぶ直突。鍔ごと吹き飛ばすと同時、柄尻から生じた鍔と刃――逆手握りの形で口腔に触手刀を突き立てた。上下転換――まさに変幻自在の触手剣法である。

 死体を蹴り、背後に飛んだ。刀を順手に握り返す。

 シラノは開けた場所にこそ居るが、五歩の先には鬱蒼とした林である。傾斜がつき、根も生え出た木々の群れ。踏み込み足を取られたなら、そこには即ち死が待ち受けている。


(遮蔽物、か……)


 これが普段のように完全に開けた場所ならば、たかが百体など触手の杭にて容易く串刺しにしてのけらる。

 だが、阻むものに溢れた林の中。

 迂闊に触手槍を展開すれば、敵を射抜けぬばかりか、その分だけシラノの立ち回る空間は削られ回避の余地を潰されるのだ。

 必然、求められしは至近距離への触手の展開――そしてそうせざるを得ない以上距離を詰められ、手ずから敵を討たざるを得なくなる。

 少女の胴ほどの木の幹が互い違いに千鳥を取り、不揃いな壁めいて視線を遮るこの森で――目線の向こうで蒼き鬼火が踊る。無数の鬼火が辺りを囲む。

 魔物。即ちけがれ。即ち“”。

 彼らは仲間を欲しがっていた。死出の旅路のその道行きを求め、己が同胞はらからとして引き入れんと虎視眈々と狙っている。

 ここ数日の討伐数を凌駕するほどの魔物の群れだ。何か異常を感じるが――考えるより先に、近付く魔物の胸を突いた。

 だが、終わらぬ。再び二重三重の包囲として、魔物たちは押し寄せてくる。


「イアーッ!」


 苦虫を噛み潰しつつ、放つは己を中心に四方八方へと伸びる約五十の触手の槍。爆裂するように棘を放ち、巻き込まれた魔物たちを次々と爆発四散させる。

 その槍が崩れ溶け、土に滴った。じくりと頭が痛む。湧き上がりそうになる呻き声を何とか呑み下し、樹木を盾に剣を執り直した。

 辺りを埋めるは数多の影。退かぬというならば、ここで全て斬り伏せる他に道はなし。

 そして己の向こうにフローとあの少女がいる以上、ここで退く道理など微塵もなし。

 そんな中、シラノを無視しフローたちへの追撃を行おうとする魔物の影もあるが――


「イアーッ!」


 宙空から射手した無数の触手刃で木々を砕きつつ、その破片や刃を以て大地への標本に変えた。

 頭痛と耳鳴りを抑えて、辺りへと視線を飛ばす。夜の闇めいて立ち込めるのは魔物の群れ、群れ、群れ――――。

 いぎぃ、と耳障りな悲鳴が聞こえる。ぐずり、と蠢く音が聞こえる。にちゃりと仲間の死体を啜る音が聞こえる――――ああ、まさに百鬼夜行。跳梁跋扈する魔魅の軍勢ではないか。

 既にここは森などではない。

 女に飢えた悪漢の如く、ひりひりとシラノの肌や喉を狙う邪霊どもの気配――ああ、これが声に名高き阿鼻叫喚地獄であろうか。

 こめかみで拍動がうずく。肺腑の奥から灼熱の吐息を引きずり出し、その口元を手の甲で拭う。

 ああ、なるほど。“卑”だ。卑しいのだ。

 奴らは妬んでいる。怒っている。怨んでいる。シラノの腹を裂き、血を啜り、臓腑を食み、骨を舐めるその一時を待ちわびている。そうしてシラノを己が仲間に引き入れんと、魔の獣たちは愉悦を胸に牙を研いでいるのだ。

 なるほど、ここを地獄と呼ばぬならばどこを地獄と呼べばいいのか。

 既にここはうつし世を離れ、万妖の蔓延るかくり世に相成った。

 木々の合間から襲いかかる視線の獣性、悪意、殺気、邪気、鬼気……肌から染み込み脳髄を蝕まれる錯覚を抱くほどの負の息遣いの中、頭痛だけは確かな手応えとして応じた。痛みが囁いた。苦しみが嗤った。

 だからどうした――――、と。


「イアーッ!」


 白神一刀流・零ノ太刀“唯能ユイノウ”――たとえ悪鬼も魍魎も、二つに分かてば屍を晒す。蠢く死霊をも死の底に斬り墜とす。

 それを為すは全てが我が刃であり、故に己は触手剣豪――――ならば悪鬼の百や二百、というのだろう。

 黄泉路の道行きが欲しければ、増やしてやろう。送ってやろう。並べてやろう。ただしその全て、己が血腑で贖って往け。

 此処ここから先に道は非ず。そうとも、此処こそまさに死地である――――。その一心で握った剣で、さらに一体を斬殺する。


「……来い。纏めて斬り捨ててやる」


 更に一刀。呼び出した触手の柄を握り、両手に二刀を構え直す。

 これは上品な試合ではない。ただの戦だ。合戦だ。

 刃など端から叩き付けて、全て使い捨てにすれば良い。――――それだけの備えが触手剣術にある。

 腹の底から息を絞り出し、シラノは迫る一体へと駆け馳せた。


「イアーッ!」


 膝を断ち、首を討つ。

 それでも迫りくる影は尽きない。だからこそシラノは歯を喰い縛り息を吐き出した。それは傍目には、あまりにも獰猛な笑みを為していた。

 左の刃で迫る攻め手を殺し、右の刃で額を砕く。敵に喰い込む刃など必要なし。即座に爆裂させ自切させると、新たな刃で異なる敵を三段に穿つ。

 複数を相手取るなら突出した角を削るように断つ――――セレーネのそんな教えは、最早思い出せなかった。

 これは壁だ。迫りくる壁だ。押し寄せる闇だ。暴力の洪水だ。

 最早シラノにはそうとしか思えず、故にただ前を睨むのみ。尽きぬ魔物の群れは、無形の大型獣にすら見えた。手を変え品を変え、シラノという小さな個を呑み込まんと攻め立てる黒き獣。

 ならば削ぐ。削ぎ落とすのみ。伸びる牙、伸びる爪、その端から斬り捨てるのみ。全て斬り伏せるのみ。

 背後を往く仲間への意識すらも、頭痛に溶けた。そして頭痛も疲労に飲まれ、そんな疲労も呼吸の音に潰された。

 故に、ただ剣を振るった。己を奮った。いつしかシラノは、一つの斬撃と成っていた。

 それでも死地は続く。湧き出る無数の影へと、シラノはただ一心に斬り込んだ。




 ◇ ◆ ◇




「ふむ。……流石に押しとどめられていますか」


 荒い息を整えるフローを視界の端に映しつつ背後を眺めたセレーネは、一人静かに頷いた。

 追撃の手は来ない。来てくれてもセレーネとしては一向に構わぬが、それではシラノの立つ瀬がない。であるに――まず来るはずもないのだ。セレーネが見込んだ男である。ここでできぬと言われては、それこそセレーネの立場がなくなる。

 攫うように担いだ少女を下ろす。

 体を前後で真っ二つにするように肩に担いでいた。こうすれば無理にでも頭に血が巡り、己の足で動かぬ故に心の臓の鼓動も収まるのだ。


「私たちは味方です。……ここなら安全です。さあ、息を吐いて」


 未だに状況が呑み込めずに呆然とする少女に身を近づけ、背中をさすりながら繰り返した。


「息を長く……そう、静かに吐いてください。それから三つ止めて、今度はゆっくり吸って……大丈夫ですか? この指は何本に見えますか?」


 息を吐ききったのちに止めれば、自然と呼吸は取り戻される。人の身体とはそうできているのだ。

 やがて少女の目に光りが取り戻されるのを確認して、決断的にセレーネは切り出した。


「何が起きたのですか」

「何、が……って……。あ……あ――――ぁ、あ――」


 見開かれた瞳が、すぐさま恐怖に塗り潰されていく。

 だが、構わずセレーネは繰り返した。


「何が起きたのですか」

「村が……村の皆が…………! あ、ああぁ……い、いやぁ……あ、ああ……!」

「……落ち着いてください。ここは安全です。大丈夫、落ち着いて」


 少女を抱きしめて背中を叩きながら、冷えた目でセレーネは思索する。

 子供であるのはよろしくなかった。若い命を無為に奪われずに救えたことは喜ばしいが、同じだけ子供相手では重要な情報というのが上手く手に入らないのは弱りものだ。

 とにかく記憶を引きずり出し、零れ出た単語から類推すべきかと頭のどこかで思案して――追い詰められた子供相手にはあまりに酷がすぎるとも思い、今度は少女を抱きかかえて移動しようとしたその時だ。


「皆が……皆が……! みんなが、魔物になって……っ」


 少女が呟いたその単語に、セレーネは僅かに目を見開いた。

 そして、すぐさま刃めいて強く細める。一応はシラノの援護に戻るかとも考えたが、最早そんな段階ではない。


「フロー様、申し訳ありませんが――」

「判ってる。先に皆に知らせないと……!」

「……よろしいのですか?」


 てっきり、シラノを置いては行けぬ――フローならば、そのように漏らすかと思っていた。

 だが、彼女は首を振った。僅かに目に涙を滲ませながらも何度も首を振ったのだ。


「シラノくんは、その為にあの場に残ってくれたんだ……。それに、シラノくんはボクに約束した……いつか、伝説の魔剣だって斬ってみせるって――触手使いのことを、悪く言う人をなくしてみせるって……」

「……」

「絶対、絶対シラノくんは約束を破らないから……だから……!」


 涙を堪えながらも、彼女は強く拳を握った。

 その震える手を眺めながら――セレーネは些か読み違えていた己の不明を恥じ、


「……失礼しました。では、私も遠慮をやめます」

「へ?」

「気遣いは不要とあらば、私も持てる最速を使いましょう」


 おもむろに〈水鏡の月刃ヘレネハルパス〉を両手に抜き放った。

 なんとも己も修業が足りぬものだと小さく吐息を零す。このように迂闊なところが、きっとシラノとの決闘の明暗を分けたのだろう。如何な魔剣使いと言えども、やはり未だにセレーネ・シェフィールドは未熟者であるというわけだ。

 そのことが口惜しい。剣に生きると決めているのに、どうして他人の後塵を拝せよう。


「フロー様。その少女とフロー様を、私の身体に強く縛りつけていただけますか?」

「え? う、うん……それは分かったけど……」

「申し訳ありませんが、説明は抜きで。この際は、一刻も惜しいでしょう」


 背中の後ろに圧力を感じた。フローとセレーネで挟み込むように少女を背負う形である。

 触手で縛られることにまた恐怖を感じているようだが――それは構わない。どうせ僅かなのちに、そんなことは気にも留めなくなるだろう。

 そして、見上げたのは空。冬の空は白澄んで、太陽の光をぼんやりと広げている。このままなら、雨か雪でも降るかもしれない。


「念のために暴れませんように。衣服のように私の一部と看做しますが――あまり離れられると、そうもいかなくなりますので」

「え、ええと……」

「御返事は、了承した――のみでお願いいたします」


 ふう、と吐息をひとつ。

 己の腰や胸に食い込む触手を感じる。腕を振るうのに問題はない。そして、これぐらいきつく緊縛しながらセレーネがそう看做せば、権能を振るうにも問題はあるまい。


「では、よろしいでしょうか。歯は強く食い縛ることをお勧めいたしますわ」

「それはいいけど……セレーネさん、あの、もしかして……なんだか怒ってる?」

「いいえ? ……嫉妬しているだけですわ。あれだけの数を相手にすれば、多少なりとも剣の肥やしとできましょう。……それなのにシラノ様は独り、それを喰い占めようとしている」

「へ?」

「ああ――――全く。実に羨ましいものです。どれだけ私と差をつけるつもりなのでしょうか。かくなる上は私も速やかに馳せ駆け、その馳走を喰らおうかと思いまして」

「……はい?」


 困惑するフローへと、もう一度歯を噛み締めるように促した。

 そして、鎌剣を構えた。狙うは中空――弾くは不可視の斬撃。


「では、遠慮なく――――〈水鏡の月刃ヘレネハルパス〉、いざ」


 そして振り付けた斬撃を弾き飛ばし――そこに目掛けて、逆の剣を引き寄せる。

 びょう、と耳元で音が鳴る。超高速の直線飛翔。斬撃は常に弾き続け、同時に剣は引き寄せ続ける。

 森の枝葉を避けつつも、一直線にセレーネたちは宙を目指す。進むは街。ひたすらに街へ目掛けて。そのためにも、上昇を続けるだけである。


「うぇぇぇぇぇぇぇええ――――――――――――――――――っ!?」


 背後で発される情けないフローの悲鳴を聞きながら、「仕方がない人だな」とセレーネは小さく笑った。



 ◇ ◆ ◇



 まずは初太刀で飛び込むように足を薙ぐ。――先ほども行った筈だ。

 迫る地面を肩から背中に抜かして転がり起き、その勢いのまま首を跳ねる。――前もそうした。

 片膝をつくという隙。詰める敵に目掛けるのは触手三段突き。超音速の刺突に、魔物の上半身が爆ぜ飛んだ。――見覚えがある。

 永劫に己が同じ瞬間を繰り返しているのではないかと錯覚するほどの果てしない剣戟。尽きぬ敵に終わりが見えない。


(何体った……? 二十か? 三十か? それとも、もっとか?)


 握力を失いそうになる手のひらを握り込む。柄ごと上から布を巻いて、取り落とさぬように縛り付けた指先は白く血の気を失っていた。

 最早頭痛が煩いのか、血管が煩いのか判別がつかぬ。

 膨大な運動量に追いつかんと肺は熱心に酸素の取り込みを続け、血液はその運搬に精を出していた。

 灼熱。灼熱だ。己の腕も足も肩も腹も、全身そのものが一個の熱核と化したとも思えるほど体温は上がっている。

 そこかしこには魔物の死体。平常ならばさほど時を待たずに塵に変えるというのに、不思議なほどに残っていた。

 瘴気が濃いのか。それとも、他に理由があるのか。


「ぎぃぃ……」


 奮戦を続けたシラノを警戒したのか、魔物たちは辺りに輪を作るように僅かに遠巻きに眺めてくる。

 それでも、気を抜けば飛びかかってくるだろう。

 むしろ、すぐさまに斬りかかれないのは痛い。時間が経てば疲労をより自覚する。そうなれば、剣を構えられなくなる。触手の剣速は鈍らないとしてもそれは痛手で――――。


(いや……)


 そこで、シラノは気付いた。

 警戒……魔物が、警戒だと?

 これは、産まれ落ちては世に仇なす害の結晶である。“貴”である世界を犯しかかる“卑”の象徴である。

 そんな存在に、警戒などという思考が生まれるということは――


「ッ……そう、か……!」


 みきみき、と木々が震えた。大地が揺らぎ、風が怯えた。魔物の何体かも飲み込まれ、そして轢き潰されていく。

 一体それをなんと称したものか。いや――見るからに名前は明らかなのだ。ただ、あまりにも馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいほど大それた大きさである。

 ぬらり、とが鎌首をもたげた。それだけで、シラノの倍近く大きい。

 鬼火めいた蒼い燐光が吹き出す。鱗と鱗の境界線を鈍く光らせた白色の大蛇がそこにいた。

 かつての面影はなく、ただ黒いのはその瞳だけ。ちろちろと素早く突き出される舌は、フイゴで吹かれた炎めいて蒼く踊っている。

 黒き炎じみた姿を捨てた、その先の形態――――魔物としての〈成体〉がそこにいた。


「大物……大手柄か……」


 初めからその討伐ならば、どれほどの貢献度となっただろうか。共に依頼に臨んだフローやセレーネへのいい手土産となっただろう。

 そう考えると残念だ――――そう、それだけを努めて考えることにした。他を想えば、恐れに呑まれて戦えなくなる。

 光沢を持った鱗。

 先ほどまでの魔物とは違い、きっとそう簡単に刃が立たない。人体よりも軽く、シラノほどの素人でも斬り刻める姿とはまるで違うのである。

 だが、やはり――


「――――来い」


 シラノのすべきことに、なんら変わりなどなかった。

 ただ、断つ。できることはそれだけである。




 ◇ ◆ ◇




「……おー、やってやがりますねー」


 高台から薙ぎ倒された木々を眺めながら、橙色の髪を左右に垂らした少女は息を漏らした。

 少女――というか、実際のところはやや違う。彼女の尖り耳を考えれば、察しの良い者は答えに行き着くだろう。

 陶器めいた白磁の肌と、神が創りたもう人形の如く華奢な体躯。涼しげな気配を纏う彼女は、どこか神聖さにも近い美しさを備えている。なおその胸部は平坦であった。


「お姫ぃ様、準備のほどはよろしいですか?」

「え、ええ……でも……」

「どうかしやがりましたか?」

「やっぱり外でもその呼び方は恥ずかしいわ……。すっごく恥ずかしいなぁ、って思って……」


 今更か。半眼の少女――メアリは息を零す。

 とはいえ他に良い呼び名も思いつかないし、変えるのも億劫である。メアリは無駄な労力が好きではないのだ。

 もじもじと躊躇いがちに話す金髪碧眼の少女――エルマリカを一瞥してもう一度溜め息をついた。

 紺色のワンピースドレスの上に、肩から羽織った白いレース地のケープ。こうして見ていると正真正銘のお嬢様にしか見えない。


「……ま、お仕事です。お姫ぃ様、そこんとこ判ってやがりますね?」

「え、ええ……怖いけど頑張るから……!」

「どーもー。ま、肩の力は抜いていきましょー」


 さて、と再び魔物の渦に目をやったメアリは――僅かに目を見開いて硬直した。


「……」

「どうしたの、メアリさん……?」

「いえ……」


 ここにがいるのは、完全に予想外であった。

 どう答えたものかと逡巡しそうになり――即断する。考えるとか悩むとか、それも無駄な労力であった。メアリの好みではない。

 声にするのも面倒である。メアリは黙って指で指し示した。


「え? そこに何が………………、――ぁ。う、嘘……!?」

「……」

「ああ、またそんな傷だらけになって……。ああ、なんてことなの……? だ、駄目よ……なんてことなの……ああ、そんなに……あ、ああ……!」

「……」

「どうしよう……お洋服、これでいいのかしら……? もっとオシャレな格好をしないと……いえ、でも恥ずかしいし……でも、もっとかわいいお洋服を……」

「……」

「ぁ……また、追い詰められてる……。ああ、なんてことなの……駄目よ……ああ、駄目よシラノさん……」


 すっかりと夢中になったエルマリカは――くねくねと身体を動かしたり、もじもじと身体を擦り合わせてたり、ふにゃふにゃと頬を緩めたりいる。

 またアレだ。例のアレだ。


「……お姫ぃ様、よだれは拭いてくださいね。よだれは」

「た、垂らしてないわ!? わたし、そんなにはしたなくないのよ!?」

「……へー。そうですか。そりゃーよござんした」


 メアリは半眼を更に細めて、やれやれと息を吐いた。

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