第14話 むっつりドスケベ美少女


 カタカタと、木窓が鳴る。宵風が轟々と哭く。

 外に広がっているのはきっと一面の闇だけで、頼りない木造のこの小屋はまるで小舟で嵐の沖にでも出ていると思うほどの心細さを抱かせる。


『……シラノ、眠れないの?』


 癖のある暗い金髪を揺らして、女性が心配そうに覗き込んでくる。

 朦朧とした頭のまま、何でもないと首を振る。隙間風が強く吹き込んでくる家の中で、何重にも毛布に包まれるシラノは高熱に魘されていた。

 何でもない――そうだ、何でもない。また例の悪夢を見てしまっただけだ。この世界に目覚めてからというもの、そうであった。

 いや、果たして悪夢とはそれだけなのか。

 この世界に本当のシラノ・ア・ローを――白野孝介を知る者は誰もいない。車に無惨にも轢き潰された白野孝介のことを理解できる人間など、この世にはいないのだ。


『なあ……』

『なあに?』

『……いや、なんでもない』


 言葉を打ち切って毛布に潜り込む。

 自分の持つ前世の記憶など、ただの妄想ではないか。狂人の戯言ではないか。正気などはとうに失われてしまっていて――――いや、そもそも自分はまだあの路上で倒れて死を待っているのではないか。

 熱という覆いに包まれた頭の中はすっかりと茹だってしまっていて、次から次へと茫洋とした不安ごとが湧いてくる。

 普段なら気にも止めないような些細なこと。それが声となり、文字となり迫ってくる。


 ああ。どうしようもなく――――自分は、この世界に独りだ。


 ……馬鹿らしい。瞼を閉じて、熱い呼吸に身を委ねた。

 そうしていればいつか消える。そんなものは一時の気の迷いだ。日々、やることは多い。時折どこかに行商に行く母の代わりに家事をしなくてはならない。

 すべきことがあるなら、立ち止まるべきではない。

 そうだ。どうあれ今の自分は、シラノ・ア・ローという名がある。その生活がある。そこにつまらない悩みなど、不必要なのだ。

 ……そう思っていた。これは、かつてそう思っていたという夢だ。半生のどこかの何でもない記憶の再現だ。

 ああ、だけど、


(…………結局、夢でさえも一度も母さんって呼べなかったんだな。俺は)


 そんな夢に身を任せる形でシラノは弱々しく右手を伸ばし――――その手を握り締められた。

 驚きに目を見開けば、シラノのそれよりも幾分か小さな白い指先が右手をしっかりと包み込んでいた。


「シラノくん!? やっと目が覚めたんだね!? 今度は一日半ぶりなんだよ!?」

「…………せん、ぱい?」


 見上げれば見知らぬ天井で、紫色の瞳で覗き込んでくるのは黒髪を垂らしたフロランスだった。


「今度こそ起きなかったらどうしようかと思って……触手で欠損は補えるかもしれないけどね、失った体力までは戻らないんだよ!?」

「……すみません」

「すみませんじゃないよ! 本当にさあ……どうしてキミはいつも無茶するんだい!? お姉ちゃんを置いてったら許さないんだからね!?」

「……うす」


 もう一度目を閉じて開いてみれば、痛みこそあっても熱はない。ほんの少し気怠いだけで、高熱に侵されてなどはいない。

 やはり、夢だったのだ――内心で吐息を吐きながら、シラノはフローにゆっくりと目をやった。

 また、目尻が赤い。それに今度は隈がある……今度ばかりは寝ずの番を務めさせてしまったらしい。


「先輩……」

「なんだい? あ、お水? お水なら今用意するよ? 大丈夫? 待てる?」

「いえ、水じゃなくて…………その、情けないところを見せて――――いや、なんでもないっス」

「?」

「……なんでもないです」


 うっかりと口にしそうになった言葉を、何とか飲み込む。

 結果はどうあれ、勝ちは勝ちだ。

 それを情けないと言ってしまったなら、その瞬間にシラノは己の勝利のみならず敗者の名誉まで穢してしまう。


「むむむーっ! むむむーっ!」


 やはり、恐ろしい相手だった。

 流石は魔剣である。一筋縄では行かないとは思っていたが、あれほど紙一重にまで追い詰められるとは考えていなかった。

 やはり、まだ戦い方には改善の余地がある――というよりは改善せねば待ち受けるのは死だろう。


「むむむーっ! むむむーっ!」


 だが、逆に言うならばまだ伸びしろはあるということだ。

 使っていない技がある。試していない流法がある。触手の技は深奥であり、然るにシラノの剣術もまた奥深いというもの。

 戦いに苦戦は避けられていないが、決して意味のない苦痛ではない。

 斬り覚えという言葉があるが、やはり一の実戦は百の素振りに勝る。こうしていくことでシラノにも見えてくるものがあるのだ。


「むむむーっ! むむむーっ!」

「…………」

「むむむーっ! むむむーっ!」


 ……というか、


「先輩」

「うん? どうしたの? どこか痛む? 大丈夫かい? 鎮痛剤は足りてる?」

「……いえ」

「じゃ、じゃあどうしたの!? 今度は触手を着替えには使ってないよ!? 運ぶのには使って、ちょっと縛り過ぎ――いや何も問題なかったけど!?」

「……」

「ど、どうしたの……? ボク、なにか嫌われちゃうようなことしちゃったかな……?」

「いえ……」


 そんなことはまずあり得ないのだが、それはともかく、


「むむむーっ! むむむーっ!」

「…………それ、なんスか」

「むむむーっ! むむむーっ!」


 触手振り子というか。触手繭というか。その両方というか。

 天井からぶら下がった真っ赤なそれが左右にぶらぶら揺れながら、くぐもった悲鳴を上げている。

 オブジェクトにしては前衛的すぎる。現代アートにしてはトリップしすぎている。

 こんなおぞましい作品を作った奴は頭がラリっているのだろう。

 触手振り子時計とか誰も喜ばない究極の視覚的なテロだ。犯罪だ。芸術冒涜罪とか文化毀損罪とか異世界健全育成条例防止法違反とかそんな罪になりそうだ。いやそんな罪はないけど。


「うん? これ? ……ああ、魔剣使いだよ?」

「魔剣使い」

「そうだよ。まだ息があったから連れてきたんだ」

「まだ息があったから連れてきた」

「むむむーっ! むむむーっ!」


 魔剣使いの女性を。

 触手でぐるぐる巻きに。

 縛り上げて。天井から吊るしてる。

 触手使いが。妙齢の女性を。


「……俺の部屋の中でサカらないでくれませんかね」

「はあぁぁぁぁ!? 失礼だなキミは! ボクが百神二刀流使いだと思うのかい!? 危ないから縛ってるだけだよ!」

「ああ、ならよかっ――」


 百神二刀流。百神二刀流と言ったな。

 確か、二刀流とは両刀使いのことだ。触手の両刀使いは百神二刀流になる。

 女を縛って百神二刀流呼ばわりされてしまうということは、つまり現在の一刀流の対象は――――。


「どうしたのシラノくん? 大丈夫? も、もし辛いならお姉ちゃんにいっぱい甘えても……」

「師匠」

「うん? 大丈夫かい? やっぱり具合が悪いならここはお姉ちゃんに存分に甘え…………というかまた師匠呼びに戻ってるような――」

「俺から五十歩ぐらい離れてくれないスかね。いや、百歩ぐらいは」

「うぇぇぇぇぇぇぇえ!? ゴジュッポ・ヒャッポ!? ゴジュッポ・ヒャッポなんで!?」

「いや貞操大事なんで」


 触手使い差別の撤廃の為にシラノは戦っているが、フローには前科がありすぎた。

 そういうことだった。



 ◇ ◆ ◇



「……お久しぶりです。昨夜の決闘以来ですね、シラノ様」

「いえ……」


 打ち上げられたマグロめいて両手足を縛り上げられたセレーネが、なんでもなさそうに奥ゆかしく会釈をする。

 氷の如く凍てつく銀髪と、冷たく透き通る冷静な水色の瞳。

 右眼を仰々しい大きな眼帯で覆われているが、やはりこうしてみていると――まあ、おおよそ上品な女性だ。上品な女性は触手に縛られて横倒しで宙づりにされて会釈なんてできないと思うが。

 どうも、フローによって治療を受けたらしい。見た限りでは元気そうで、腹に剣が刺さっているとは思えない。


「……いえ、まったく。昨晩は実によい心地でした。あれだけ傷を負わせてから逆転されるなど――ふふ、予想以上です」

「まぁ、触手なんで……」

「ええ。……どうにも私はそこを読み違えておりましたね。その差が明暗を分けたのでしょう」


 シラノも厳かに頷いた。

 使い手の状態によって剣速が左右されない、そこが触手の利点でもあった。


「本来ならその楽しみに浸ることなく絶命していたでしょうが……こうして生きて振り返れると思うと、やはり生というのも格別ですね」

「……」

「いえまったく……実に、素晴らしい体験です」


 やはり、会話自体は成り立つ。見た限りでは論理的な思考能力もあるし、どこか一線を画しているが話自体は通じる。

 その辺りが単なる狂人でなく剣鬼であり、あれほどの実力を伴った魔剣使いたる所以なのだろう。

 ひとまず何にせよ、これで目的は果たせそうだ――とシラノが口を開きかけたときだった。


「……それで、どうしますか?」

「どうって……何がスか?」

「トドメを刺さず、武器を取り上げ、縛り上げて……私の生殺与奪を握ったことを完全に見せつけ、私を寝室に連れこんだのでしょう?」

「……」

「生憎と剣ばかりに生きてきた為、閨事など全くの不得手ではありますが…………顔にこんな醜い傷があるとはいえ私も女です。できるなら、優しくしていただけるとありがたいのですが……」

「……」


 女性からの同衾宣言。眼帯の凄い美人。

 もっと心が踊るものかと思ったのに、何故だろう。とても心が虚しく感じるのは。すごく苦々しい。


「シラノ様は、その為に私の身体の感触を確かめていたのでは?」

「……はい?」

「どうにもところどころ、私は締まりのない身体つきをしておりますが……これで貴方様のお気に召しましたか? 随分と積極的で情熱的だったかと存じておりますが……」

「……………………待て。待って。まず、誤解がある。誤解があると思う」

「誤解、とは…………私を弄んだのですか?」

「………………………………ハイ待とうな。ハイ少し待とう。ハイ待ってくれお願い」


 頭痛がしてきた。

 真剣に戦った筈だ。真剣で戦った筈だ。

 なのにこのままでは倒した女性を手籠めにする触手クソ野郎の称号が送られてしまう。触手クソ野郎である。触手クソ野郎ド外道鬼畜セクハラ猥褻変態侍である。

 そんなモテ方はいらない。シラノが求めているのは、もっとふわふわして砂糖菓子みたいでありながら清涼飲料水のように爽やかなモテ方である。

 あまりにも最悪のレッテルが貼られてしまう。なんとか知恵を借りようとフローへ目線を向ければ、


「はぁぁぁぁぁあ!? やっぱりシラノくんは巨乳目当てだったんだね!? やっぱり巨乳目当てだったんだ! キミにはお姉ちゃんというものがいるのに! お姉ちゃんがいるのに! ボクだっておっきいのに!」

「ハイそこうるさい」

「うるさいってなんだよ!? シラノ様ってなんだよ!? あんなにボクが心配して見守ってたのに、シラノくんはもっとおっきなおっぱい揉むことしか考えてなかったんだ……そうなんだろう!?」

「黙って。どうぞ」

「うわぁぁぁぁあん!? お姉ちゃんだぞ!? 師匠だぞ!? 先輩だぞ!? ボクを軽く扱うなよぉぉぉぉぉお――――っ!?」

「…………」

「なんでそんな転がって起きられないまま馬糞に突っ込んだ亀を見るような目で見るんだよぉぉぉぉ――――――っ!? うわぁぁぁぁあ――――――ん!」


 駄目だ。今のフローは役に立たないときのフローだった。

 なんてこった。

 これではフローにお礼も言えなければ、セレーネと今後の話をすることもできない。心底シラノは頭が痛くなってくる思いだった。



 ◇ ◆ ◇



 ぎし、と床が鳴る。

 シラノが眠っていたのはあの冒険酒場の二階で、その辺りの手配はアンセラがやってくれたらしい。

 その辺りの経緯もフローから聞きたかったのだが、例によって今は話が通じないときのフローだ。仕方ないので置いてきた。勿論、安全の為に魔剣は取り上げて持ってきている。

 さて、と息を零す。

 記念すべき異世界での初任務、触手剣豪としての初仕事は悪くない形で始まったわけだ。始まったというか、終わったというか。尤も、肝心なその時にシラノは気絶していたわけであるが。


(……そういえば、金とか貰えるんスかね? それとも称号とか?)


 何しろ、相手は魔剣使いだ。少なくとも幾分か報酬は期待していい筈――と下へ向かう階段を探しながら廊下を歩いているときだった。

 翻される炎の如き赤毛。意思の強い吊り目がちの真紅の瞳。腕を組んだまま背筋を伸ばして佇むのは、まさしくあのアンセラ・ガルーである。


「あ、ども」

「わひゃっ!?」

「……あ、すみません。驚かすつもりはなくて……」


 そういえば周囲を威圧するように腕を組んで仁王立ちするのは、アンセラが考え込んでいるときのポーズであった。

 失敗したなと髪を掻くシラノの前で、アンセラは何故だか躊躇しがちな小声で切り出した。


「…………あ、ああ。その……傷は大丈夫なの?」

「おかげさまで……いや、随分と激しいことになりましたけど」

「激しい!?」


 大声で目を見開かれた。猫がしっぽを捕まれたみたいに。


「…………なんスか?」

「い、いえ……ちょっと想像しちゃ――――じゃなくて何でもないわよ!? 何でもないの! 何でもない、いいわね?」

「あ、うす」

「それで――――その、ど……どうだったの?」


 どうだ、と言われてシラノは僅かに顎を傾けた。

 何が聞きたいのか。やはり、同じ剣士として――剣は見えないがかなり使える筈だ――気になるのか。それとも、他に意図があるのか。

 だが、考えても答えが出る筈がない。そも、アンセラは警戒すべき相手でもない。素直一直線が最もよろしいだろうと、シラノは口を開いた。


「まぁ、結構血は出ましたね」

「ち、血が!? やっぱり出るんだ……」

「こう……色々と破られたり、破ったりして……」

「色々と!? 破られたり!? 破ったり!?」

「あと一歩で逝きそうにはなったんスけど……なんとか踏み止まれて」

「あと一歩で!? イきそうに!?」

「最終的には触手の技――――触手三段突きで、なんとか俺の方が勝ちましたけど、そこから……」

「しょ、しょくしゅさんだんづき!?」


 リアクション芸人かこいつ。

 うっかりそんな乱暴な言葉が出そうになるぐらい、アンセラの相槌はうるさかった。


「…………大丈夫スか?」

「え、ええ! 大丈夫! 問題ないから! ちょっと衝撃的だっただけだから!」

「衝撃的……まあ、確かに」


 言われてみれば、それも道理だ。今はシラノとて何でもなくピンピンしているが、あと一歩間違えば死んでいてもおかしくなかったのだから。

 冒険者がそれで衝撃を受けるなどというのは何か引っかかるが、とりあえずここは飲み込んだ。


「……で、どうだったの?」

「どう……とは?」

「へ、変な意味じゃないわよ? もう色々と聞き出したりしたの? 何が目的だったとか、何をしようとしてたとか、今まで何してたとか――――そういうのを」

「ああ……そのこともあって、アンセラさんを探してて」

「あたし?」

「その……同席して貰えますか?」

「ぷぎゅぅ」


 子豚がミルクの容器に潰されたような悲鳴だった。

 どこからそんな声を出したのだとも思うが、ともあれそこはシラノにとって重要ではない。

 大切なのは疑われないことだ。シラノ、セレーネともども目立った傷はない。お互いに生きている。はっきりというなら、ここでシラノとセレーネの間柄を邪推される可能性もある。

 なので、必要なのは公平な立会人である。

 セレーネから引き出した情報をシラノが伝言するのではなく、冒険酒場側のアンセラにもしっかりと耳にして貰う。それこそがおそらく、後々にシラノやフローへ余計な火種を生まない最大の努力であるだろう。

 前世でこそ高校生であるが、その辺りシラノには抜かりはない。

 自信を持って言える。余計な勘繰りの火種はトラブルの元。新選組もそう言っている――と。


「アンセラさん」

「ひゃ、ひゃい!? ななななななに!?」

「……あの、そんな緊張しなくてもいいっスよ。別に鞭で打ったり、首を絞めたりする訳じゃないんですから」

「当たり前でしょ!? 最初がそれなんて入り口が狭くて厳しすぎじゃない!?」

「……最初が?」

「ふゅぇ」


 冬眠中に掘り起こされてモグラの穴に鼻先を埋められた子熊のような声だった。


「うー、い、今言ったことはナイショよ? い、言ったらタダじゃ済まさないんだからね?」

「……ああはい。うす。なんか判らねーっスけど、ハイ」


 やべーな何かわからんがこの人も多分地雷だった。

 ひょっとしたらこの世界にはまともな人間は自分しかいないのではないか。シラノは訝しんだ。


「……」


 そうして部屋に目掛けて歩き出したものの、アンセラは小声で何かを呟きながら顔色を変えている。はっきり言って背後が怖い。変な気配がする。

 深く突っ込まないのがよろしそうだ。口を開くと混乱して襲い掛かってきそうであるのだ。

 とはいえ、他に頼りになる人間がいない。かろうじてアンセラはまだシラノたち寄りだが、おそらく他の人間からは怯えられるか疎まれるかしている。

 ……まぁ、そんなのも今日で最後だ。今日が最後の祭りだ。

 魔剣使いという大手柄。大金星を示せば、自ずと触手使いへの印象も改善される筈だと扉を開き――


「なんだいこの胸は! 確かに大きいよ! でもね、こんな胸で勝ったと思わないことだね!」

「むむむーっ!? むむむーっ!?」

「大切なのは大きさじゃなくて形なんだよ! そりゃあボクだって確かに大きい方だよ? でもね、別に大きさを誇ってるワケじゃないんだ! これで勝っただなんて思うのは大間違いだよ!」

「むむむーっ!? むむむーっ!?」

「大体なんだい! なんだいこの大きさは! キミは淫魔かい? これで世の男を魅了する気なんだろう! この淫魔! 性的! ドスケベ!」

「むむむーっ!? むむむーっ!?」


 ぽにぽにとか。

 ぺちぺちとか。

 ばしばしとか。

 なんかそういう音が聞こえた。

 吊るされていた。吊るされて胸だけが強調されていた。捕虜尋問を通り越して拷問に近かった。

 シラノがやったら捕虜虐待いや性的虐待でお縄になる。危ない。

 何が今日が最後の祭りだよ。ヤバスギ冬のパイ祭りかよ。


「…………」

「…………」


 二人で扉を閉めた。無言だった。


「…………」

「…………」


 最高にいたたまれない空気が流れる。あと、時々くぐもった悲鳴が聞こえてくる。


「…………」

「…………」

「…………」

「……アンセラさん、部屋ごと吹き飛ばす魔術とかないスかね」

「あんた何するつもりなの!? いや本当何する気なの!?」

「これ以上醜態を晒す前に介錯するのも弟子の務めかと思って……。もうフローお姉ちゃんと一緒に死んでやるぐらいしか、俺には…………」

「思いとどまりなさいよ!? というかアレを止めなさいよ!? 弟子なんでしょ!?」

「…………弟子ってツラいなぁ」


 悪い人ではないんだけど、ときどき挫けそう。

 シラノはその言葉をグッと飲み込んだ。部屋の中で触手が蠢く音がした。




 ◇ ◆ ◇




 被告人その一の言い訳。

 縛られているのになんか余裕そうな表情だった。

 縛られているのになんか得意げな笑みを浮かべてきた。

 縛られているのになんか女として見下された気がした。

 というかなんだいアレは。魔剣使いの上で美人で体つきもいいってなんだいアレは。

 離せよボクはお姉ちゃんだぞ。師匠だぞ。先輩だぞ。なんだよお姉ちゃんだぞ。


「うぇぇぇ……シラノくんに嫌いになるって言われたぁ……うぇぇぇ……やだぁ……」


 被告人その一の現在。布団にくるまれて体育座りをしながらさめざめと泣いている。

 被告人その一の状態。健康上は無害そうなので放置。

 というわけで被告人その二――縛られたセレーネ・シェフィールドを前に、アンセラは腰かけた椅子から身を乗り出した。シラノは万一に備えて魔剣を抱えている。


「私が雇われている……ですか?」

「そうよ。この街のならず者に雇われて、あなたはこの街にひそかに入る馬車の護衛や邪魔者の排除をしていた――違うかしら?」


 鋭いアンセラの赤の瞳を前に、セレーネは若干覇気を失った目をしていた。

 というよりもむしろ、これは……失望や呆れだろうか。


「確かに生きる以上は食べる必要もあるので、剣を頼りに露銀を稼ぐことはいたしますが……私が邪魔者の排除? それに、護衛ですか……?」

「ええ。状況証拠的にそうじゃないの?」

「……まさか。生憎と、他人の為に人を斬るほど落ちぶれてはおりません。仕事として斬れば経験は存分に積めるでしょうが、心の芯が鈍ります。それはただの作業です。そうなった刃など、ただの災害や現象と同じ……それはものに他ならない」


 ?――セレーネが目線を送ってくるのに、シラノは無言で首肯した。

 セレーネの理屈や境地はシラノには納得できないが、その矜持は理解できる。言い方は悪いが、彼女は斬ることを大切にしているのだ。それは好事家や、どこか職人気質ともいえる。

 確かに闇討ちや仕事人、代理人として戦う――というのは想像しがたい。

 いや……自分に都合がよく、楽しめる闘いとなるならばその手の仕事も引き受けそうではあるが……それは余計な感想だろう。シラノは大人しく口を噤んだ。


「じゃあ、なんだってあんな夜中に街道を出歩いてるワケ? それも一日じゃなく、目撃されるまで何日もよ?」

「あの伝説の〈竜魔の邪剣ノートゥング〉と死合える可能性があると聞いたので、折角ならばと足を運んだだけですわ。同じ魔剣使い同士、ひょっとすれば夜半に遭うこともあるのでは……と」

「いや、普通会えないしそもそも出歩かないわよね……」

「そうですか? 魔剣使いは惹かれ合うとも聞くので――――……まぁ、確かに出歩くべきではなかったのでしょう。不本意な形で声をかけてくる輩も多くおりましたので」

「……」

「ああ、ご安心を。命までを奪ってはおりませんよ。斬り甲斐もない方ばかりでしたので」


 努めて淡々と漏らすセレーネは、本音なのだろう。

 剣に狂ってしまって倫理観がどこかおかしい彼女であるが、一つだけシラノにも判っていることがある。

 それは、少なくとも正直者であるということだ。彼女は、嘘だけは決して口にはしていない。


「じゃあ、本気で無関係だって言うの? 魔剣持って出歩いてて?」

「……逆に、何故私が関係者だと思ったのか。そこを聞きたいところですね。何も夜街道を歩くことが、禁止されている訳ではないでしょう?」

「そ、それは……」


 冷淡というしかない。その美貌の如き鋭い刃物の言葉づかいで、セレーネはアンセラの質問を切って捨てている。

 分が悪いか。長くなるか。シラノが眉を寄せたそこで、アンセラが耳打ちをしてきた。


「なんスか?」

「ごめん、悪いけど……少し席を外して貰える? フロランスさんと一緒に」

「……何か分からないっすけど、部屋は汚さないでくださいよ」


 拷問とかされても困ると目線を送ると、誰がそんなことするかと毛を逆立てられた。

 うむ、と頷く。アンセラもまた嘘のないタイプの少女だ。つまり、シラノとフローには――或いはあまり多くの他人には聞かれたくない話だろう。

 そう言われては仕方ない。

 ベッドでふて気味に寝転がるフローを掴み起こし、扉へと進む。ちらりとアンセラを見ると、それなりに勝算アリという顔をしていた。どうやら、少なくともシラノの仕事は無駄になりそうではなかった。



 廊下の壁に二人並んで、特に何をするわけでもなく立ち尽くす。

 部屋から騒動の音が聞こえてこない以上は、尋問は順調に進んでいるらしい。

 セレーネはそんなタイプではないだろうが、これで隠し持っていた暗器でアンセラを殺害して脱走などとされてしまうと、非常に困ったことになってしまう。

 緊張が続かず、かといって全く脱力するわけにもいかずに腕を組んで壁に背を預ける。たった数日で、随分と色々と起こったものだ。

 ふと、廊下の奥を見た。開かれた木窓からは、燃えるような夕焼けが差し込んでくる。

 腕の中で、ちゃりと鳴った。回収した〈水鏡の月刃ヘレネハルパス〉――蒼銀色の、二振りの魔剣。

 知らず、シラノは口を開いていた。


「……先輩」

「うん?」

「勝ちましたよ。……勝ちましたよ、俺ァ」

「……うん」

「勝てるんですよ。触手は、魔剣に勝てるんです」


 噛み締めるように、隣で頭一つ小さなフロランスが頷く。

 その黒髪が擦れる音を聞きながら、シラノは続けた。


「今はまだ、何とかギリギリの戦いしかできないけど……いつか俺は、伝説の魔剣にも勝ちます。きっと勝ってみせます」

「……」

「そうすれば多分――――……もう、触手使いのことを恥ずかしいとか……情けないとか言う人は居なくなります。そんなのは無くしてみせます……俺と、この剣が。絶対に」

「……うん、そうだねシラノくん」

「ええ。……俺が、絶対に。そう誓います」

「……うん」


 それきりまた無言に戻り、ただ肩を並べてアンセラを待った。

 両手の内にある魔剣を重み――それを確かめるように抱えながら、シラノは一人瞼を閉じた。

 これは、第一歩だ。

 始まりはあの日だった。あの日、魔剣と初めて相対した日から運命は決まっていた。いや――或いは母の葬儀でフローと出会った日から、その苦悩を聞いた日から始まっていたのかもしれない。

 だが、これで決まった。

 シラノ・ア・ローは、触手剣豪は、白神一刀流は決して本気の魔剣相手に劣ったものではない。触手使いというものが、侮られていい筈がない。

 いや――


(白神一刀流に、敗北の二字はない)


 いざ進むはその道。往くはその道。屍山血河は望まずとも、目指すべき果てはそこしかない――。

 そう、決意を新たに拳を握った。

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