ヒトニク

稲光颯太/ライト

第1話 人肉

 今から語るのは、一つの残酷な、そして哀しい事件の話である。話は少し複雑で、とても単純とは言えたものではないので、なるべく詳しく話していこうと思う。そのことを前提で聞いてほしい。

 では、話を始めよう。





〈妻に浮気がばれてしまい、浮気相手である会社の子からも別れを告げられ、社内の居心地が最悪になってしまいました。女の上司からも浮気の件で目を付けられ、浮気相手と元妻の両方からお金を取られるようになり、正直もう死にたいです。できれば苦しみたくないので睡眠薬を飲んだ後で首を絞めてほしいです。住所は◎□△―・・・・・・〉

 まるで、絵にかいたような自殺志望動機だなと思う。本当にありきたりで、余りにも安っぽく感じられて逆にやる気が湧いてきたかもしれない。

 私が今見ているのは自殺志願者が集まる小さなサイト。ここに頼めば自殺を手伝ってくれる上に死体の後処理までしてくれるのだが、その後処理は巧妙で、このサイトに書き込んで自殺できた人は未だに全員が行方不明扱いされていると噂になり、小さいながらも利用者は断続的に存在する。私はこのサイトの管理人をし、多くの人の自殺のお手伝いをしてきた。

 今回依頼を受ける気になった男は、先ほど読んだ型通りの志望動機が良かった。依頼をしてくる人たちは、その多くが特殊な理由をかかえていたりする中で、彼のようなテレビで出てきてしまいそうな志望動機は意外と珍しくておもしろい。金も借金をして二百万は作れると言う。私は早速依頼を受ける旨のメールを送る。

〈〇〇様のご依頼承りました。休日の深夜で時間を指定していただけたらこちらからお伺いします。尚、到着後はできるだけ早くお手伝いにかかりますので、心のご準備をお済ませの上お待ちいただくようお願い申し上げます。〉

 慣れた手つきで飽きるほど入力した文章を書きあげ、メールを送る。送信したのが夜中の一時だったので今日はもう返信はないかもしれない、と就寝の準備に取り掛かろうとしたその時、男からのメールが届いた。

〈ありがとうございます!では、今週の土曜の二十六時にお願いします。遂に終われるのだと思うと今からワクワクしますよ。ちなみにお手伝いさんの性別はどちらですか?〉

 出た、またこの問いだ。何を考えて聞いてきているのかははっきり分かっている。男性の依頼者からはよくある質問で、やはり人生最後の瞬間に気持ちよくなって終わりたいのだろうと思う。死ぬ覚悟をしているくせに性欲は我慢できないのが不思議だ。

 こういう場合私は、しっかり避妊するという条件で断らないようにしているが、死を覚悟した男性たちはほとんど気遣いというものが無くてうんざりする。

〈了解しました。私は女ですよ。〉

 と、短い返事を送ってここ最近で一番深いため息をつく。襲われるよりはマシと考えれば良いのだろうか。しかし、避妊するとはいえ、私にも七歳になる子どもがいるのだ。その子を養い、つまらない借金を返す為に、そして少しだけ自分の狂った性癖を満足させる為にこんな事をしているというのに、これでは水商売と大きく変わらなくなってしまうではないか。それではわざわざ水商売を選ばなかった意味が無くなる。今後は断っていくことも考えておこう。

 壁掛け時計で二時を過ぎたことを確認し、再びため息をつきノートパソコンを閉じる。次の日、メールが来てないか確認したが男からは何の返事も無かった。


 約束の土曜日まで男とは一切の連絡を取らずに過ごした。その期間に私は仕事に行き、労働内容の割には給料の少ない業務に文句の一つもなく働き、自殺のお手伝いの準備を整える日々を過ごした。このような、淡々と流れていくのにストレスだけは忘れずに残していく日々の憂さ晴らしに自殺の手伝いなんかしているのかもしれない、と思ったのはずいぶんと前で、最早準備期間には何の感情も湧かない。それでもいいと思っている。

 お手伝いのある土曜日、会社の飲み会があるので帰るのは夜の十二時を過ぎてしまう、ということを伝えるメモを残し夕方に家を出た。男の家に行くのは午前二時なのでかなりの暇時間ができてしまう。もっとギリギリに家を出ても良いのだが、ある程度早めに家を出た方が子どもには怪しまれない。この暇時間をどうやって過ごすかが最近の悩みかもしれない。

 今回は一人カラオケを六時間ぶっ続けですることで時間をつぶした。一人なのにデュエットの曲を延々と歌い続けた。思いつく限り。字幕の色が変わっても自分一人が歌い続けるのを、カラオケ映像の中の女優が不思議そうに見ていた。途中で、時間はつぶしても喉は潰さないようにしよう、という言葉を思いついて一人で三十分程ニヤニヤしていた。


 約束の時間ピッタリに男の家へと到着した。まるで絵に描いたようなオンボロアパートで、彼がどこまでこの『よくある』を守ってくれるか期待することにした。死ぬ直前に「来世は幸せになりたい」なんて言うと最高なのだが。

 アパート近くの街灯はチカチカと点滅していて、辺りには生気が感じられない。よくある、と思いながらアパートに近づく。所々が錆びて、踏む度に多様な音を鳴らす階段を上り男の部屋の前に立つ。部屋番号があっているかを確認し、咳払いを一つし、丁寧にチャイムを押したが音が鳴った気配はない。よくあるよくある、と思いながらドアをノックする。

 数秒の沈黙の後、遠慮がちにドアが開いて男が顔を覗かせた。死んだ目をして、汚い髭は生やしっぱなし。何日間も着続けているのであろう、少し匂う寝間着で私を迎えた男は少し笑顔になってドアを大きく開けた。丁寧に自己紹介をして私は部屋へと入る。

 部屋の中は意外にも小綺麗に整理されていた。いや、小綺麗と言うよりもただ物が無いだけと言った方が正しい。一見整理されて見えるその部屋には、カーテンや冷蔵庫、箪笥といった生活の気配を感じさせるものは見当たらなかった。テレビもコンセントに繋がってない。今から死ぬ人間にはおかしくない状態なのかもしれないが、『よくある』を守ってくれなかったことに私は不満を抱いた。この場合の『よくある』は自暴自棄になったのを感じられる程部屋が汚いことだと思う。

 私を座布団に座らせ、それから二十分くらい男は身の上話をした。時々唾を飛ばしながら、自殺を覚悟するに至った経緯を話していたようだが、そのほとんどを私は聞いていなかった。

 足が痺れてきたタイミングで私は男に身体を寄せにいった。早くお手伝いを終わらせたい。私には後処理も残っているのだ。身体を寄せたまま、いいですよ、と言ってみると男はすぐに全裸になり私の服を脱がしてきた。私はなるべくことがスムーズに進むように自ら動く。

 十分もかけずにやることを済ませた。男はまだ余韻に浸っているが、構わずお手伝いの準備に取り掛かる。先にお金をもらい、面倒なので男には服を着らずにおいてもらう。どうせ処理するのだから服など無い方がいい。

 それではお手伝いに取りかからせていただきます、と言うと男は少し泣いているようだった。怖くなったのかと聞くと、分からないと言って泣いた。仕方がないので私は言葉だけで構いながら準備を進めた。

 コップに水を汲んで睡眠薬を用意。鞄から茶色の縄を出し、強度を確認。黒い手袋をはめ、ジャックナイフを三本取り出し台所から包丁を一本持ってくる。大きめのブルーシートを広げる。大量のサランラップとレジ袋を用意し、「準備できました」と男に伝える。私の動きを涙を拭いながら見ていた男は、一瞬だけ恐怖の表情を浮かべる。心では舌打ちをしながら私が微笑んでみせると、決意するように頷き、「よろしくお願いします」と言った。


 お手伝いは十分かそこらで終わった。男の最期の言葉を聞いて睡眠薬を多めに飲ますと、男はすぐに寝息を立てだした。なるべく苦しむ時間を少なくしてあげよう、とありったけの力を使い縄で首を絞めると、男は一瞬だけ苦しそうにもがき、そして息絶えた。その姿はこの世のしがらみから解放されたと言いたげで、『よくある』を感じさせてくれた。ただし、「来世は幸せになりたい」とは言ってくれなかった。

 ここから後処理を始める。つい先程まで男であった肉塊をブルーシートの上に横たえ、ジャックナイフを手に持つ。以前はこの辺りで手を合わせていたが最近はやらなくなった。単純にめんどくさくなったのだ。

 代わりにため息を一つくれてやり、作業に入る。まずはナイフを首周りに一周させる。そこから背骨に沿うようにナイフを下ろしていき、尻の辺りまで切り込みを入れる。両足の付け根に沿って横に切り込みを入れて、開くように皮を剥ぐ。男が生きていた間に作った血が、紅く、濁々と溢れ出る。服を着ていないのは男だけではないので私に血が付いても心配はない。

 次に、背骨に付いている鮮やかな色をした肉を切り取っていく。この工程はかなりの力を必要とする。なにしろ、横に伸びている幾つもの筋繊維たちを縦に割こうとしているのだから、簡単にできることではない。力だけではなく技量も必要とされる。その点私は、技量だけはあるのでベテランということになるだろう。

 そんな私でもかなりの時間を要する工程を終え、ほかの箇所の処理へと移っていく。腕回り足回り、この二ヵ所を背骨同様見事に削いでいき、両手両足は形を残したまま切り取る。

 粗方解体が終わると片付けに入る。お手伝い前に用意したレジ袋、その中にできるだけ肉を細かく切り、詰める。筋肉と脂肪は分けて入れるのを忘れてはいけない。私はこの作業をしている時、いつもお腹が鳴ってしまう。学生の頃食べていた夜食の時間と被るような時間帯なので、その頃を思い出したお腹が我慢できなくなってしまっているようだ。

 肉をまとめたレジ袋は鞄に入れ、頭の付いた背骨やその他の骨、両手足は持参したボストンバッグに入れる。ブルーシートに溜まった血を溢さないように風呂場に持っていき、血を流しきる。そのまま私に付着した血も洗い流し、部屋を掃除し、男の着ていた服などを処分し、仕上げとして部屋に消臭剤を置けば作業はひと段落する。服を着て、深夜の肉体労働の疲れを吹き飛ばそうとするように伸びをし、軽く腕を回して男の家を出る。清らかな満月の照らす街までの道を、重たい荷物を抱えゆっくりと歩いて行く。


 しばらく歩いて、街に着く前にタクシーを拾った。タクシーはやる気がなさそうにノロノロと走っていた。海が近くにある大きな公園の名前を告げ、後部座席に深く腰を下ろす。

 私は常に香水と消臭スプレーを用意している。女としての心がけと言うより、お手伝いの際に持ってくるのを忘れないようにするためだ。死体処理でタクシー等を使う時に匂いは大きな問題になる。怪しまれればそれだけで私の人生に悪影響を及ぼす。自分の服、鞄、靴。あらゆる身の回りの物から女性の匂いを出しておけば怪しまれはしない。

 しかし、そんなに長時間匂いを抑えておくことは不可能だ。ましてタクシーなんて中々狭い空間。窓でも開けない限り匂いが充満してしまうのはかなり早い。準備もしてるし、慣れているはずなのに少しだけ緊張しながら運転手の様子を窺う。三十代後半から四十代前半といった顔立ちのその男性は、少し大きめの荷物を持ってきた私なんかに全く興味を持っていないように見える。私どころか世の中の全ての人間に興味を持っていないのでは、なんて失礼な妄想をしてしまうのも無理はないような、無気力の権化と形容すべき男である。

 いや、流石に言い過ぎた。ごめんなさいねー、と頭の中で謝りながら鞄を脇に寄せる。匂いを抑えることを意識しながら鞄を隠す。鞄の中の肉の感触をじっくり味わいながら、到着までの数分間をやり過ごす。額から流れた一筋の汗の行方を見届けた後、寝たふりを決め込むことにした。


 真夜中で他の車がほとんど走っていなかったせいか、驚くほど早く目的地に着いた。予定していたより十分以上早い。余りにも早いので何度か信号無視をしたのかもしれない。

 それでも早いことに文句はないので、料金を払いタクシーを降りる。金を手渡す時、運転手は私の顔は見ずに手だけを見ていた。

 タクシーが去っていくのを見届けた後、公園を見回してみる。人の姿は見当たらない。死体を処理すると言っても公園に隠すのではない。ここでは手ごろな石をいくつか拾うのである。携帯で時間を確認してみると午前四時を少し過ぎたところだった。うっすらと空も明るくなってきたので急ぎ足で作業に取り掛かる。

 拾った石は全てボストンバッグに詰め、容積の二割程を石で埋めたあたりで公園を出る。次の目的地は、公園の出口からでもはっきりと見える海だ。そこで後処理の全てが終わる。あと一息、と走り出したが、ボストンバッグはかなり重くなり、私の腰は僅かな悲鳴を上げた。

 思ったよりも速く走れなくて、苦労しながらも海に着いた。ここではまず人気が無く、それでいてなるべく沖に近い所を探す。人には見られずに後処理を終えたいのだが、午前四時という時間は意外と人がいるものだ。その中の多くは老人である。そして六割近くが犬を散歩させている。犬は果たして、早朝中の早朝の散歩に満足しているのだろうか。

 私の心配とは裏腹に楽しそうに尻尾を振りながら散歩する犬と老人が目の前を通り過ぎる。その一人と一匹が来た方向に私は進んでみる。しばらく進んでも人の姿は無いが、沖に近い所も無い。ジリジリと昇ってくる太陽の光に焦りばかりが募る。

 人がいない桟橋があればいいのだが、と思った直後、私の想いをなぞるような桟橋が現れた。急いで辺りを見渡す。近くにはボートが一隻あるだけで誰もいない。私はダッシュで桟橋の先端へ向かう。ボストンバッグの中で骨と石がぶつかってカラカラという音を立てたが、どうせ誰も聴いてないと割り切って無視する。

 先端に着き、大袈裟に息を切らして、もう一度当たりを見渡す。やはり人はいない。その事を確認すると私の腕はすぐに動いた。そいつは一度後方に移動して溜めを作った後、勢いよく前方へとスイングした。宙に飛び出したボストンバッグは体勢を保ったまま、私の予想よりも僅かに桟橋に近い地点に入水した。ボヂャアという鈍く大きな音と大きな水柱を立て、ボストンバッグは即座に私の視界から消えた。自殺した男の身体の柱たちは、もう二度と日の目を見ることはないだろう、と軽く手を振った。


 後処理も終え、お手伝いの全てを完了した私は急いで最寄り駅へと走った。大の男一人分の重荷が無くなったことで足は軽い。ステップも軽く跳ねてみて、がらんどうの始発に乗って我が家への帰路に就く。

 一仕事終えた後の達成感と重い荷物が無くなった解放感は気持ちの良いものだった。その気持ちよさで寝落ちしてしまわないように今日の晩御飯の献立を考える。今日は新鮮なお肉が手に入ったのだ。日曜日なのだし頑張ってステーキくらいは作ってみてもいいかもしれない。

 早朝なのに、徹夜して肉体労働を終えたばかりなのに、あのお肉で作る料理を想像すると食欲が抑えきれなくなる。硬さの中に隠れた万物を凌ぐ柔らかさ。控えめだと思った直後に襲ってくるあの癖の強い旨味。意外と塩っ気が効いてて調味料いらず。ステーキなんかにすると一切れずつ変わった印象を楽しめて最高……。

 そんな想像ばかりしていると思わず大きな音を立ててお腹が鳴った。しかし私はそんなことを気にはしない。

 帰ったらまずは少し寝て、お昼に買い物に行こう。そしたらあの子の好きなステーキソースを買って、遊びに行くらしい友達の家まで迎えに行ってあげよう。帰ったらお風呂に入れて、その間にステーキを作って、おいしいお肉を食べさせてあげる。これからもお仕事がんばって、お手伝いもがんばって、おいしいお肉を食べさせてあげる。どんどん大きくなるんだろうなぁ。いっぱい食べて、心身ともに成長していくんだろうなぁ。じゃあ私もがんばらなくちゃ。お手伝いも増やしてたくさん食べさせてあげなくちゃ。親として見守ってあげなくちゃ……。

 ああ、幸せ。

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