第3話 「ずーっとそばに、いてあげる」

「フシャー! シャー!」

「おお、異世界から来た小さな勇者よ……! 何故そのように荒ぶられるのか! どうか御心を鎮めてくだされ!」

「うるせえバカ! 異世界の勇者なんてそんな設定ねえよ!」

「口調まで変わって、なんとおいたわしい……! もしや悪魔に憑かれたか……!」

「黙れ! 悪魔はお前らだ!」

「失礼な。私たちは魔女だ」


 異世界で出会った魔女、エルザとルチアは、そう言って「ねー」と顔を見合わせた。彼女らに仲良く一回ずつ殺された後、ノアはお馴染みの空き部屋(※今回の殺人現場)で、ストライキの真っ最中である。丸焦げにされた後なので、すっぱだかであった。貧相な体を丸めて、部屋の隅ではりねずみのように全身の毛を逆立て威嚇している。


「悪かった悪かった。この家に客人が来るのは久しぶりでね。私もルチアも、ちょっとテンションが上がってしまったんだ」

「ごめんね、ノア! あたし、お友達って初めてで……一緒に遊びたかっただけなの! 悪気はなかったの!」


 若葉色の目いっぱいに涙を溜めたルチアが、エルザのスカートの端を握りながら、必死でノアに訴えかけてくる。エルザの方はともかく、その目を見れば、ルチアの言葉に嘘がないことがノアにもわかった。女子の涙に一瞬怯んだノアではあったが、それとこれとは別問題だ。唇を噛み締め、体制を立て直す。


「そうだ。仲直りしてくれれば、お前にプレゼントをやろう」


 一方のエルザであるが、ふと考え込むような仕草をしたかと思えば、わざとらしく手を打ってそんなことを言い出した。それ見たことか、とノアは胡乱げな目をエルザに向ける。


「物で釣ろうと言うのですね。この魔女が」

「そうだ、物で釣ろうと言うのだ。だが、勘違いするなよ。元から考えていたんだぞ。部屋を一つやろうとな」

「部屋……ですか?」


 思いがけない言葉に、一瞬ノアの警戒が緩む。

 すっぱだかのノアに自らのガウンを羽織らせながら、ニヤリと悪どい笑みを浮かべ、エルザは「お前の部屋だ」と頷いた。

 ガウンに腕を通しながら、ごくり、とノアの喉が鳴る。


「……は、話を聞きましょうか」

「……物で釣られるなんて……お前、意外とちょろいな」

「勘違いしないでくださいっ! 話を聞くだけです!」


 眉をひそめるエルザに、小さな牙を剥いてノアは吠えた。決して物に釣られたわけではない。しかし一方でノアは、エルザの言葉の裏に隠された意味を正確に汲んでいた。それに気付いてしまえば、怒りを継続するのは難しい。

 ノアの居場所プライベートスペースを作ってくれるということは、とりあえずまだしばらくはここに置いてくれる気があるということになる。王都に連れていく気はないと昨夜エルザは言ったけれど、自分の食い扶持ひとつ稼げない子どもを長く養う義理もない。

 打算的に考えてみると、右も左もわからぬ異世界にいつ放り出されるかわからない状況から抜け出せるのは、正直ありがたかった。


「昨日はあんな形で休ませてしまったから仕方ないが、ここで暮らすならまず、ゆっくり眠れるベッドが必要だろう」


 突然気勢を下げたノアの沈黙をどう解釈したのか、エルザの声はどこかやさしい。


「蝋燭ではない、ちゃんとした灯りがあると気持ちが明るくなる。それに、ゆっくりとくつろげる、小さなソファとテーブルがあればいいな。羽のように軽くて、動きやすくて、あたたかい服をたくさん仕立ててやる。外に遊びに行くのに、靴も必要だろう。水の上でも、木の上でも、小鳥のように自由に飛び回れる靴にしよう。本棚もつくろう。お前はこの世界のことを知らないだろうから、本を読んで少し勉強するといい」

「本……?」

「そうだ。壁のこっち側は全部本棚にしよう。読み切れないほどたくさんの本をくれてやろう。息を飲むような冒険譚、心温まる感動の物語、お前がまだ知らないこの世界の植物や虫や動物の図鑑、足りなければまだまだいくらでも用意しよう。知識は大切だ。お前がこれからこの世界で生きていくのに、きっと役に立ってくれる」


 話に聞く王都はどうか知らないが、ノアのいた村では、本は贅沢品だった。村長の持っていた煙管もそうだ。明日の食事にも困るような暮らしでは、生活必需品でないものの優先度はどうしても低くなる。自分が村のお荷物になっているのは薄々とノアも感じていて、毎日言いつけられた仕事以上のことをしようと子どもなりに一生懸命だった。そのために色々なことを後回しにしながら生きてきたのだ。生活の目処さえ立ってしまえば、知りたいことは山ほどある。

 一瞬だけ輝いたノアの瞳を見逃さず、にやりと笑って、「悪い条件ではないだろう?」とエルザが畳み掛けてくる。


「う……」


 悪いどころか、今のノアに取ってはこの上ない条件である。目の前のニヤけ面を見ればこのまま引き下がるのも悔しいが、そんな子どものちっぽけなプライドなど、エルザにはお見通しだった。


「はい、決ーまりっ! そうと決まれば、さっさと終わらせるぞー。おー!」


 有無を言わせぬ形を作ることで、ノアのプライドにさわらない。うまい手だった。半ば無理矢理ノアの手を引いて立たせ、エルザが強引に話を切り上げる。そしてぎゅっと片手でノアの肩を抱くと、エルザは反対側の手でくるりと煙管を回した。その向こうでは、ルチアが「おー!」と小さな拳を突き上げながら嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねている。


「……ノア?」

「何でもないです」


 肩を抱いてくれた手の温かさに、ふと、それまで張り詰めていたものが切れた気がした。どっと疲れが押し寄せ、体中から力が抜ける。不意に視界が滲んで、堪えきれずノアは俯いた。


 どうして僕を拾ってくれたんですか? とか。

 会って間もないのに、どうしてそんなに優しくしてくれるんですか? とか。

 聞きたいことはたくさんあったが、喉に嗚咽が絡まって、それ以上のことはとても口に出せなかった。

 次第に肩の震えが大きくなり、エルザの向こう側から、ルチアが心配そうな顔で「大丈夫?」と覗き込んでくる。ぐっと更に肩を引き寄せられて、ノアはエルザの胸に抱かれた。とてもルチアに見せられない顔をしているのは自覚しているので、その心遣いが、今は素直にありがたい。大人しくエルザに抱かれるノアの手に、ふと小さな手が重なった。驚いて顔を上げると、ほとんど泣きそうになりながらルチアがノアの手を握りしめている。昨日今日会ったばかりのノアの涙に心を痛め、それでも目が合うと、必死に笑顔を作り励まそうとしてくれる。

「大丈夫だよ」

 根拠のないルチアの慰めに、ただ黙ってノアは頷いた。

「ずーっとそばに、いてあげる」


 *****


 湿ったあたたかいものが、ザリザリと頬をひっきりなしに舐めている。


「んん……お願い……もうちょっとだけ寝かせて……」


 眉をひそめて、布団の中から手を伸ばしたノアは、しっしっと侵入者を追い払った。それが気に入らなかったのか、侵入者が両の前脚でノアの顔をしたたかに踏みつける。二度、三度と足踏みをするように踏みつけられて、たまらずノアは目を覚ました。


「わかった、わかったから。だからもう踏むのはやめてスキャンダル……ぶっ!」


 見事な毛並みの黒猫が、仕上げとばかりに後ろ足でノアの鼻面を蹴って、すたんと床に着地する。

 早く来いよとばかりにふてぶてしく鼻を鳴らして、鍵尻尾を揺らしたスキャンダルは、開いたドアからすたすたと部屋を出ていった。

 それを寝ぼけ眼で見送ってから、ベッドに上半身を起こしたノアが、ふわああと大きな欠伸をする。

 両手を上げて伸びをすると、布団からばさりと何かが落ちた。


「そっか……昨日は、これを読みながら眠っちゃったんだっけ」


 ベッドから降りて、ノアは一冊の本を拾い上げる。はだしの足を受け止めたのは柔らかなクリーム色の絨毯で、毛足の長いそれに受け止められた本は、幸いどこも折れたり曲がったりしている様子はない。

 深緑の表紙に金色の文字で、そこには『愛すべき森の一日』と書かれている。

 本を開くと、最初に本についての説明と解説のページがあり、更にページをめくると、見開きページ一面に緑の森が広がった。ページ上に指を滑らせると、タブレットのように次々と場所が移動していく仕組みだ。大木の根元に空いた穴を拡大してみると、その中ではリスがちょこんと座って木の実を食べていた。カリカリと音なんて立てて、かわいらしい。ノアはことさらにそっと本を閉じ、ベッドの反対側にある本棚に戻した。

 昨日エルザが作ってくれた、ノアのプライベートルームである。

 元はと言えばここはノアが最初に目覚めたあの部屋で、第三の殺人現場にもなった忌まわしい場所でもあるが、他に適当な部屋もないということでとりあえずここを譲渡されたのだった。ゆえに、広さはそれほどでもない。ベッドと、小さな丸いベッドサイドテーブル、ソファとローテーブルを置けばいっぱいいっぱいの部屋だ。

 それでもノアは、その小さな部屋を大層気に入った。

 清潔なシーツをかけられた深い飴色の木製ベッドは、羽毛が入った布をふんだんに重ねており、体が沈むほどやわらかくとても寝心地がいい。掛け布団にも羽毛が入れてあるらしく、ふかふかで軽いのに信じられないほど温かい。同色のソファはフラットタイプで、寝転がって本を読むのにぴったりだ。

 部屋の隅には、観葉植物兼スタンドライト。パキラに似た形をしたこの植物は大変優秀で、二酸化酸素を吸って、酸素を吐き出す際に発光する。また動くものに反応するので、ノアが部屋にいないときや眠っているときは光量を落としてくれるのだ。今も有名な童話に出てくる妖精の粉のように、きらきらとその葉から燐光を零れさせている。読書などで体の動きが少なくなると暗くなってしまうのが難点だが、ランプを併用すれば問題なさそうだ。岩肌が覗く壁や天井はそのままだが、これはこれで味わい深い。風呂やトイレ、キッチンなどは共用だが、ワンルームマンションのような作りである。

 そして圧巻なのが、壁の一面に埋め込まれた本棚である。

 エルザは約束通り、そこにノアが読みきれないほどの本を詰めてくれた。

 『愛すべき森の一日』は、ぽかんと口を開けてただただ感心するばかりだったノアに、ルチアがくれたものだ。

 ルチアが「あたしもノアに本、あげるもん!」と頬を膨らませていた理由はわからないが、ノアはもちろん礼を言ってありがたく受け取っておいた。そして夜に自室に戻り、本の厚みから簡単に読みきれるだろうと何気なくページを開いたのが運のつき。たった数ページしかない不思議な本にすっかり心奪われ、夜行性の動物たちが蠢く夜の森に、真夜中まで没頭してしまったのだった。

 それにしても、この一連の作業がわずか5分足らずで行われたのだから驚きである。煙管を指揮者のように振りつつ、おしゃべりする余裕さえ見せながら、エルザはいとも簡単にその全てを仕上げてみせた。


「さて……と」


 壁の一部に設えられた洗面台で顔を洗い、軽く口をゆすぐ。地下から汲み上げているという水は冷たく、きりりと身が引き締まるようだ。

 手探りでタオルを取って水を拭い、壁に埋め込まれたクローゼットを開けて、エルザが用意してくれた服に袖を通す。新しく服を仕立てるまでの間に合わせに、ルチアのお古を簡単に手直ししたものだそうだ。前で布地を重ね合わせ、長細いトグルボタンにループ状の紐を引っかけるタイプの前開きの服である。ボトムスはウエストを紐で縛るタイプの、七分丈のパンツだ。ちなみになんとなくその方が落ち着くという理由で、ノアの部屋は土足禁止にしてもらってある。そのため小さな土間のようなものを作ってもらい、靴はそこで履くようにしていた。スキャンダルが足を拭けるよう、布巾もちゃんと置いてある。

 朝が始まる。この家に来て、三日目の朝だ。

 この世界のものを食べ、この世界の服を着て、この世界の地を踏みしめ、これからノアはこの世界で生きていく。

 生きていくしかないのだ。

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