俺が異世界でアンデッドになった話をしよう
仁科
プロローグ
暗い夜の森を、ひたひたと雨が濡らす。7日前から続く長雨は、未だ止む気配を見せずにいた。
雨の日は、獲物がほとんど動かない。しかし仕掛けた罠に、せめて兎の一匹でもかかっていてくれれば……
意を決して、村の男たちが森へ狩りに出掛けたのは数時間前のことだった。たった数時間前のことだったのに──
男たちの一人が、崩れ落ちるようにぬかるんだ地面に膝を落とす。
山麓の端に、へばりつくようにして成った小さな村だ。どこを掘り返しても木の根ばかりの土地を引っ掻いて、かろうじて作った畑はなかなか思うような収穫を結んではくれない。それでも少し歩けば、豊かな森には、獣がいた。実をつける木々があった。だからこそ今まで、先祖代々受け継いだ土地を捨てずに生き永らえて来られたのだ。
その村が、所々に覗く折れた生木の白さも痛々しく、今や完全に土砂に埋もれていた。雨で地盤が緩んだのだろう。
「おい…………」
囁くような声で言い、また別の年若い青年が土砂の一部を指差した。
「動いてる! まだ生きてるやつがいるぞ!」
いささか元気を取り戻した声で言い、他の皆を嬉しそうに振り返る。
「おい! 危ねえぞ! また崩れてくるのかもしれねえ!」
今にも駆けていきそうな青年の腕を、年配の男が掴んで止めた。土砂に混じる大木や大岩、押し流された家々の残骸を見れば、生きている人間がいるとはとても思えない。ましてや外は雨、村の人間はほとんどが家の中にいただろう。土砂崩れなど村の記録には一度もなく、都から遠い田舎の村には、学も備えもない。恐らくひとたまりもなかっただろう。
「でも…………」
先程何かが動いたような気がした場所に未練がましく目をやって、青年は息を飲んだ。釣られてそちらへ視線を向け、人々がどよめく。地面から生えてきたもの。それは確かに人間の腕だった。細い手首に、華奢な手のひら。子どもの手だ。手は何かを探すようにぱたぱたと空を泳ぎ、やがてぺたりと地面を捉えた。ぼこぼこと地面が盛り上がり、背中が、次に頭が表れる。
「み……、みなさん……?」
きょろきょろと辺りを見回し、男たちを見つけてほっとしたように頬をゆるませたのは、黒い髪の少年だった。年のころは12を越えたか、越えないかといった辺りだ。
「良かった……ご無事だったんですね」
それはどう見ても異様な光景だった。首が90度真横に傾いた状態で、土の中から小さな少年が笑顔で這い出してくるのだ。
「ひ────」
誰かが、細く引きつったような声を上げてどさりと尻餅をつく。それを皮切りに、次々と悲鳴が上がり、たちまち辺りは騒然となった。
「ひぃいっ!!」
「化け物……!! 化け物だ!!」
「おい、怯むんじゃねえ!」
咄嗟に逃げようとした者達の間から、怒号とともに石が飛んだ。男の一人が投げた石が、わずかに的を逸れて、少年のそばの地面に落ちる。
「化け物ったって、まだ子どもじゃねえか! 石を投げろ! 殺せ!」
間を置かず投げられた二つめの石は、今度こそ少年の額に当たった。「痛っ!」と小さな悲鳴が上がり、男たちの目付きが変わる。少年に怯えた目を向けられて、優位が自分たちにあることを悟った男たちの変化は著明だった。
「そ……そうだ! 今回のもこいつの仕業に違いない! 弓だ! 弓を射かけろ!」
ほんのついさっきまで、恐怖に染まっていた男たちの目が、次第に嗜虐的な色を帯びていく。家や、家族を失った悲嘆。これからどうやって暮らしていけばいいのかという不安。そしてやり場のない怒りの矛先を、人々は少年に定めたようだった。瞳に狂暴な光をぎらつかせながら、獣のように息を荒くして、狩りのために持っていた弓や槍を握り直す。
「ま、待って下さい……は、話を聞いて──」
震えながら後ずさる少年の声は「殺せ!」という声に遮られた。
「殺れ! 殺せ!」
「今のうちだ! やっちまえ!」
放たれた矢が足元に突き刺さり、少年は弾かれたように背中を向けて走り出した。しかし何やら、視界がおかしい。そもそも首が曲がっているので、平衡感覚が狂っているのだ。けれど命の危機に瀕している今、少年にはその理由を考える余裕がない。少年は無意識に自らの頭に手をやり、倒れた首を起こした。視界が元に戻り、少し走りやすくなる。その瞬間、放たれた矢が、少年の小さな背中を貫いた。その衝撃によろめきながらも、唇を噛んで懸命に悲鳴を押し殺し、少年は更に駆けた。
夜闇の中、土砂で汚れた服は目立ちにくい。雨も足音を消してくれる。蛇のようにうねる木の根に何度か足を取られながらも、少年は夜の森をひた走った。
一体、どれくらい駆けただろうか、足をもつれさせながら薮の中に飛び込んで、少年は少しほっとした。大人の腰ほどもある高さの薮が、ずっと先まで続いている。夢中で走っていたので気付かなかったが、いつの間にか、足にも腕にも矢が刺さっていた。念のためもう少し奥まで逃げたかったが、血を流しすぎたのか目が霞んで、もう一歩も歩けそうにない。
たまらず地面に倒れ込んだとき、濡れた地面につけた耳から、少年は死神たちの足音を聞いた。心臓がどくんと、嫌な音を立てる。大丈夫、見つかるはずがない。落ち着いて、こうして息を殺していれば──けれど四方から聞こえる足音は、じわじわと、確実に近づいてくる。少年の目から涙が溢れた。それは後悔と、自責の涙だった。血の跡を尾けられていたことに、ようやく気付いた。こうして完全に囲まれるまで気付かなかった。最初から、逃げきれるわけがなかったのだ。やがて、「いたぞ!」という声とともに、少年は男たちの前に引きずり出された。もう抵抗する気力も、体力もない。
「早くとどめをさせ!」
「女子供の仇だ!」
「やっぱりフォーリナーなんて、村に置くべきじゃなかったんだ!!」
ああ──死ぬのか。
夜闇の中、心臓目掛けて振り下ろされる槍の切っ先がきらりときらめくのを見て、少年は絶望の中目を閉じた。
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