欲望がなくなってしまった世界

ちびまるフォイ

人らしいかたち

「みなさんの悪しき欲望はなくなりました。

 もう犯罪に怯える日はないのです!」


この都市ではあらゆる欲求が回収されて管理されている。

人々から集めた欲求は地下深くの金庫に隔離されているとか。


「欲求ってなんなんだろうな」


生まれてから一度もこの街の外に出たことはなかった。

かといって出たいという思いもなかった。

今がいいという気持ちもない。


「よう、兄ちゃん、ちょっといいかい」

「はい?」


「あんた、欲求に興味はないかい?」

「いや別に」


「俺はよ、物欲ってのを実は裏ルートで仕入れたんだ。

 これをやってから世界が変わったぜ。お前もやってみろよ」


「興味ないですね」

「欲求が欲しくないのかい?」


「そういうわけでもない。別にどうでもいい。どっちでも」


「なら一度試してみればいい。それで嫌ならやめればいい。そうだろ?」

「はぁ」


暗い裏通りであった男にわずかな物欲を受け取った。

とくに悩むことなく物欲を入れてみると世界が変わった。


「わ……なんだ……本当に世界が変わった!!」


今までなんとなく見ていた景色が色づいた気がした。

待ちゆく人のもっているものが気になる。


どこで手に入れたのか。あれを手に入れたら今よりずっと充実しそう。

便利、おしゃれ、かっこいい。


今まで言葉だけ知っていて感じたことはない感情が

はじめて実体験をともなって理解できる。


「あああ、ほしい! もっともっとほしい!!」


今まで給料なんて最低限のものにしか使っていなかった。

貯まるばかりだったお金は飛ぶように減っていく。


それでも前よりもずっと毎日が充実していた。


「今まで俺はなんて退屈で味気ない生活をしていたんだろう。

 物を手に入れて充実した気持ちになれるなんて知らなかった!!」


欲望は悪だと昔から刷り込まれ、回収されることになんら違和感はなかった。

でもこうなってはもう戻れない。戻りたくない。


そのうち、裏通りであった男を自分から探すようになった。


「いた! おーーい! あんただろ!? 俺に物欲を売ってくれた人!」


「おお、兄ちゃん。久しぶりじゃないか、その後どうだい?」


「もう最高! 物欲があるおかげで未来に目標もできたし

 毎日欲しいものがあるから頑張れるんだよ!!」


「それはよかった。ところで、もうひとつ新しい欲を知ってみたくはないか?」


「あるのか?」


「食欲ってやつさ」


「食欲……!!」


何かを集めたい。手元に起きたいという自分の欲求がうずいた。

迷わず食欲を手に入れると、また世界が変わっていくのがわかる。


「おお……これが食欲……」


「毎日繰り返す行為こそ楽しまなくっちゃな。食欲はいいぞ」


今までの食事は固形食料をいつも同じ味で食べているだけだった。

そこに疑問も感じないし、とくに不満もなかった。


ところが食欲を手に入れてからはとても我慢できなくなった。


空腹への我慢強さがなくなり、まずいものは口にできなくなる。

もっとおいしいものを。もっと新しい食の世界を。


飽くなき食欲は自分でも制御できなくなり、

物欲との併発でお金がなくなっても無銭飲食を繰り返した。


食欲が満たされたときは幸福になるが、

それを満たすために失うものがあまりに多く大きすぎた。


「ううう……腹減った……」


街で無料支給される固形食品はまずくて口にできない。

お金を出して物を買うので食べ物を買うこともできない。売る気もない。


欲を手にする前にはキレイだった部屋も今ではすっかりみすぼらしく汚れてしまった。


「このままじゃ俺は自分の欲に飲まれちまう……」


危機感を覚え、また男の元へとやってきた。


「おい、なにが充実する、だ! 真っ赤なウソじゃないか!

 こんな欲はもういらない! 前の静かな生活に戻してくれ!」


「どうしても欲を取り出してほしいのかい?」

「当然だ!」


「それなら、ここにある欲をひとつ買えば取り出してやるよ」


「なっ……! ふざけるな! それじゃ変わってないじゃないか!」


「いやぁ、そうとも限らんぜ。

 食欲と物欲で身を滅ぼしたんなら、別の欲に変えればいい。

 ほら知識欲なんかどうだ? 承認欲求もあるぞ。

 組み合わせしだいで兄さんを高めてくれるかもしれないじゃないか」


「そ、そうかな……」


「俺も鬼じゃない。ただ兄さんには幸せになってもらいたいのさ。

 その証拠に、気に入ったものがあればタダで譲ってやるよ」


食欲を失って手にしたのは所属欲求だった。


「これで俺と兄さんは仲間だ」


「本当か!! やった!! すごく嬉しい!」


前は一括りにされることに何も感じなかったが、

今はそうして誰かと同じ側でいることに安心感と充実感を感じる。


「仲間なら欲求に振り回されるんじゃなくて、乗りこなさなくっちゃな」


「そ、そうなのか?」


「俺たちアウトローは欲を失ったロボット人間とは違う。

 欲求をもって、どこまでも人間らしい生活をしていくんだ。そうだろ?」


「そうだよな……そうだよ! 俺たちは誰よりも人間らしいんだ!」


「そうとも。だったら欲求を手放すなんてよくねぇよ。

 ほら、食欲。性欲もある。睡眠欲もあるぞ」


「全部くれ! 俺はみんなと同じ仲間だ!!」


仲間はずれにされるのがとても怖く感じる。

一人きりになってしまったらどうなるのか創造もつかない。


手を伸ばして欲求にしがみついたとき、ライトに顔が照らされた。


「キサマら! そこで何をやっている!!」


欲望取締官により、俺はあっさりと捕まってしまった。


そして今は更生施設で求めていた静かな暮らしを手に入れている。


「先生……俺の欲望はなくならないんでしょうか」


更生施設の専属医師は重く口を開いた。


「君の欲望はすでに全身に転移と感染をしている。

 今から君の中にある欲望を根こそぎ取ることはできないのだよ」


「そうなんですか……。もうあんなに欲望に振り回されたくない……」


「方法がないわけじゃない」


「ほ、本当ですか!?」


俺は思わず前のめりになった。

この身体をうずまいている欲望を捨てられるのなら、ワラにだってすがる。


「何時間にも及ぶ大手術になるし、君の命もどうなるかわからない。

 それでも君は自分の欲望を取り除きたいのか?」


「……はい! 俺には欲望なんていりません!!」


「そうか……」


医師はそれだけ聞くと、ふうとため息をついた。


「そうか。じゃ、ほかの医者を当たることだな」


「ええええ!? いや、先生がやってくれるんじゃないんですか!?」


俺の問いかけに医師は顔色一つ変えずに答えた。



「金も名声もいらないし、感謝も別にほしくない。

 私が命を助けたいという欲望もないのに、

 どうしてリスキーな手術に挑戦する必要があるのかね?」

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