思いをこめて

 A・ファーレンハイトはマスターTに体を預けるようにして、胸の穴に金属の刃を突き入れた。刃は柄まで深く埋まり、そこで止まる。


 地鳴りは徐々に収まって静けさが戻った。

 マスターTの胸に開いた穴は縮小し、柄だけを残して完全に塞がる。それと並行して銀のツタも縮み、彼の右手に収まった。

 傍目にはマスターTの胸に刃を突き刺したような格好になったが、彼の胸からの出血はない。金属の刃にはマスターTの体を貫く刃渡りがあり、しかも柄までしっかり押しこんだにもかかわらず、彼の背面は無傷だ。


 マスターTの体は重力のままに後方に傾いて倒れる。

 ファーレンハイトは刃から手を放し、慌てて彼の体を支える。


「重っ……」


 だが、プロテクターの重さに負けて、彼女はゆっくり彼の体を床に下ろした。


「マスターT?」


 ファーレンハイトは恐る恐る彼に呼びかけるが、返事はない。

 彼女はあらわになった彼の胸に手を当てて、心臓の鼓動を確かめた。ドクドクと大きく脈打っているのが分かるが、それが心臓なのかO器官なのかは判然としない。

 しかし、体温は感じられるので生きているのかなと彼女は思う。



 A・ファーレンハイトはとりあえず周囲を見回して、まだ敵が残っていないかを確認した。彼女はマスターTが目覚めるまで、彼の側で待っているつもりだった。

 だが、彼女の予想に反して彼はすぐに起き上がる。


「む……? えっ、うわ、何だこれ!?」


 彼は上体を起こしながら自分の胸に突き刺さった刃の柄を見て驚いた。

 すぐに両手で刃を引き抜こうとする彼を見たファーレンハイトは、高い声を上げて止めにかかる。


「わーっ!! 止めてください!! やっと暴走が止まったんですから!」

「暴走……?」


 事情を理解したマスターTは柄から手を放す。彼は自分の胸の柄を指しながら彼女に尋ねた。


「これは君が?」

「えっ、ええ。そうするしかなかったもので……」

「いや、良いんだ。……ありがとう。助かるとは思わなかった」

「自分だけ格好つけて死のうったって、そうはいきませんよ」


 ファーレンハイトがまじめな顔で言うと、マスターTは恥じらいと気まずさから下を向く。彼はうつむいたままで小さなため息をついた。


「しかし、これでもう時空を操る技は使えない。組織も……多くのマスターやエージェントを失って壊滅状態だ」


 今さら現実を悟ったように彼が言うものだから、ファーレンハイトは語気を強めて励ます。


「まだ立て直せます。全滅ではないのですから」

「……私は組織にいても良いんだろうか? こうなってしまっては、ほとんど一般人のようなものだ」

「組織を抜けてどこか行く当てでも?」

「いや、ないけど……」

「だったら良いんじゃないですか? 組織は行き場を失くした者たちのための場所だとあなたは言いました」

「あぁ……そうだったね」


 虚空を見つめてつぶやくマスターTにファーレンハイトは手を差し伸べる。


「さあ、帰りましょう」

「ああ」


 マスターTは小さく頷いて彼女の手を取った。

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