翻弄される者 1

 それから終業時刻を迎え、マスターTは落ちこんだままアパートに帰っていった。

 一人になったA・ファーレンハイトは新本部に新設された喫茶店で、彼について思いに耽っていた。


 ――血と涙の超人ディエティーも、邪悪な魂の若頭ジノ・ラスカスガベも、マスターTこそが自分の野望を阻む者だと信じているようだ。

 ジノもNAの博士たちに入れ知恵されたのかと思うと、何もかもが博士たちの計算どおりのようで恐ろしくなる。その先に何があるかは分からない。誰も彼もありもしない幻影に振り回されているのではないかとも思う。

 今のマスターTは何も知らないというのに……。


 そんなことを考えているとA・バールが彼女の隣に着席して話しかけてきた。


「ファー、ちょっと見せたいものがあるんだけど」

「何?」

「あんまり驚いたり怒ったりしないでね」

「だから何なの……」


 見せられる前から思わせぶりなことを言われて、ファーレンハイトは呆れ気味に眉をひそめる。


「これなんだけど……」


 バールは上級エージェントのコートの内ポケットからタブレット端末を取り出すと、ある動画を再生して見せた。


 そこにはマスターTとマスターRが映っていた。

 場所はマスターRの部屋のようだ。

 マスターRはマスターTをゆったりした大きな椅子に座らせると、彼の膝の上に乗って身を預ける。そして彼の上着のボタンを片手で器用に外して上半身をはだけさせ、艶めかしい手つきで胸板を撫でた。

 マスターTはとくに抵抗せずされるがままだ。


 ファーレンハイトはカーッと頭に血が上るのを感じた。彼女の中にあるものは強い怒りだ。

 どうしてマスターRはこんなことをしたのか?

 それは個人的な結びつきを強めるために決まっている。本人に問い質せば、悪びれもせず「組織のためだ」と答えてのけるだろう。記憶のないマスターTに自分のことを恋人だと刷りこませて、自分と組織を守るために戦わせるのだ。


 ファーレンハイトはバールからタブレット端末を奪い取り、すっくと立ち上がってマスターRに直接抗議しようと決心する。


「わわっ、どうするつもりなの!?」


 バールは慌てて彼女を止めようとするも、振り向くどころか口も利いてもらえなかった。


「あちゃー……ちょっと刺激が強すぎたかな……」


 彼女は失敗したなと肩を落とす。

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