マスターTの正体 1

 A・ファーレンハイトは記憶を失ったマスターTを強引に外に連れ出して、ともに新本部に向かった。

 そして彼をマスターTの自室に通して尋ねる。


「どうでしょう、何か思い出しませんか?」

「……何も分かりません。全然覚えのない所です」

「正面の大きなデスクがあなたの席です」


 そう教えられたマスターTはおずおずと自分の席に着き、落ち着かない様子で机の上のものを手に取ったり、引き出しを開けたりした。

 しばらくして彼は机の上のカレンダーに目を留め、小声でつぶやく。


「本当に20年も経っているのか……」


 ――人類の文明は20年前からほとんど進歩していない。それもこれも文明の行き詰まりを解消して人類の希望になるはずだったNAが解体させられ、世界中の国が再び相互不信に陥ったためだ。人・物・金、あらゆる資源が制限されて、あらゆる活動が縮小した。

 人類は限られた資源を奪い合い、少数の富める者と多数の貧しい者の二極に峻別されて、明日の光明なき今日を生き延びている。

 そうした事情を知らないファーレンハイトは、それがで世界とはそういうものだと思っている。


 形だけはいつもどおりになった室内に彼女は落ち着きを感じていたが、それは欺瞞であり根本的な解決になっていないことは理解している。

 彼女は何としてもマスターTの失われた記憶を取り戻さなくてはならない。

 このままだとマスターIの元に送られてしまうかもしれないというのが、彼女の最大の懸念だった。

 とにかく彼女は信頼できる相談相手を探さなくてはならないが、彼女が頼れる人物はただ一人、マスターBしかいない。本当はあまりマスターBに負担をかけたくないと思っていたのだが、手段を選んでいられる状況ではなかった。



 血と涙が崩壊し超人の全滅も時間の問題だが、まだNAの技術を手に入れた邪悪な魂が残っている。組織としても今マスターTを失うわけにはいかないだろうとファーレンハイトは判断し、すぐにマスターTを連れてマスターBの元に向かった。

 そしてマスターBの部屋を訪ねると、火急の用件があると言って人払いをしてもらい、彼女にマスターTが記憶喪失になっているという事実を告げる。


 過去にマスターTとマスターBはNAで面識があったので、もしかしたら彼は記憶喪失でもマスターBやマスターCのことは覚えているかもしれないとファーレンハイトは期待したのだが……。


「マスターT、私が分かりますか?」

「すみません、分かりません。どなたですか?」


 彼はマスターBの問いに対して、申しわけなさそうな顔で問い返した。

 マスターBは困り顔で言う。


「もしかしたら年月で私の声や容姿が変わってしまったせいかもしれません。私はウィリアム・ビリアード博士の助手だった者です」

「……いえ、覚えがありません。そもそもビリアード博士ともあまり面識がなかったので……」

「超国家的超人機構にいた記憶はあるのですね?」

「あ、はい。超国家的超人機構ってOOOの正式名称ですよね。あの……OOOはどうなったんでしょうか?」

「知らないのですか? 潰れました」

「そう……ですか……」


 落胆した様子のマスターTを見て、マスターBは怪しんだ。


「20年ということはもしかして……あなたの記憶はOOOの研究者だったころで止まっているのですか?」

「……研究者というか……あー、ええ、まあ、そうです。タイムスリップした気分ですよ」

「『超人計画』は知っていますか?」

「……いいえ。何ですか、それは?」

「では、『イリゲート計画』は?」

「それは知っています。イリゲート計画の完遂こそがエリオン博士の研究の主目的でした」

「イリゲート計画が失敗したことは?」

「計画の完遂が困難なことは分かっていましたが……。完全に失敗してしまったんですか?」

「エリオン博士は生きていましたか?」

「えっ、普通に生きて――博士は死んだんですか!?」


 マスターTは目を剥いて驚いた。

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