NA 6

 A・ファーレンハイトとマスターD、そして彼の部下のエージェントたちは階段を上りきって塔屋から屋上に出たが、そこにも誰もいなかった。

 空一面にどんよりとした灰色の雲が広がっているだけで、飛行機やヘリコプターの類が飛び去っていった様子もない。地上での戦闘で使われた強力なジャマーが作動したわけでもないから、ゾンデの情報は途絶えなかったのに見失った。

 まさに忽然と消えたとしか言いようがない。

 マスターTは誰と話していたのか、話していた相手はどこへ行ったのか、エージェントたちは不思議がる。


 ファーレンハイトは一通り屋上を見て回った後、一人で一足先に屋内に戻って、まだ階段の踊り場で立ち呆けているマスターTに尋ねた。


「さっきまで話していた人たちはどこへ?」

「分からない。もうここにいないことだけは確かだ」


 彼はそう言うと踵を返して階段を下りていった。

 ファーレンハイトは彼が既にプロテクターを脱いでいたことに遅れて気づくも、それに関しては聞かず、黙って彼の後について歩く。



 庁舎の中には人も物も何も残っていなかった。邪悪な魂がここを拠点に活動していたのは確かだが、いつの間に全員脱出したのか?

 地下にも地上にも抜け道はない。

 マスターDと彼の部下のエージェントたちは突入と同時に地下に向かったが、誰とも出くわさなかった。そこでA・ファーレンハイトの連絡を受けて上の階へと駆け戻ったのだ。

 マスターDは外で待機していたマスターIに不審なものを見なかったかと通信で尋ねたが、彼も何も見ていないと言う。

 博士たちは逃げられないはずだった。


 しかし、ファーレンハイトはどうやって博士たちが逃げたのか何となく察しがついていた。おそらく博士たちはマスターTと同じ技を使えるのだ。彼が一瞬で難破船からファーレンハイトを連れ出したように、どこか安全な場所へと移動した。

 移動先はマスターTも知らないから、分からないと言ったのは嘘ではない。



 庁舎からの帰り道でマスターDはマスターTに追いつき、隣に並んで問いかける。


「NAの博士たちが生きていたのか?」

「はい。しかし、邪悪な魂との協力は一時的なもののようです。核心的な技術の譲渡はなされないでしょう」

「それは朗報だ。あれは人が扱うには危険すぎる」


 良し良しとマスターDは何度も頷くが、一方でマスターTは無言だった。

 それを気にしたマスターDは改めて彼に話しかける。


「どうしたマスターT? 元気がないぞ」

「いいえ、いつもこんなもんですよ」

「……何か気になることでもあるのか?」


 マスターTは深いため息をついた。


「博士たちは相変わらずでした。何の反省も後悔もないというか……」

「あれだけのことをしでかしておいてか?」

「恨み言が言いたいわけじゃないんです。ただそんな博士たちを見て、私は……どうしてこんなことになってしまったのかと……。イリゲート計画が上手くいっていれば――」

「エリオン博士のことか? あれは元から成功するはずがない計画だったんだよ。過ぎたことを悔やんでもしかたがない」


 二人の背後で話を聞いていたファーレンハイトの目には、マスターDに慰められるマスターTの姿がいつもより小さく見えていた。


 マスターTの過去は気になるが、彼女はそれを尋ねない。

 組織の者の多くは後ろ暗い過去を持っている。しかるべき者が身元を保証していればそれで十分としなければ、とても組織として成り立たない。

 誰でも話したくないことがあるのは当然だし、いちいち詮索しなければ気がすまないというのは、ただの知りたがりだ。彼が自分から打ち明ける気になるのを待つしかない。

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