マスターR

 臨時会議の後からA・ファーレンハイトは自分の実力に不足を感じて、それを振り払うように一人黙々と訓練に打ちこむようになった。


 13mmのリボルバーは今ではすっかり彼女の手に馴染んでいる。

 銃口と銃弾の大きさに不相応な軽さから制御が困難で、「50-50」フィフティ・フィフティという不名誉なあだ名で呼ばれるこの銃を、彼女は素人のマスターTに倣って反動を計算に入れて撃つことで完全にものにした。

 反動を利用した射撃の利点は、銃口を相手に向ける過程プロセスを省けることにある。トリガーを0.01秒でも早く引くことで、少しでも隙をなくす。これは他の銃でも使えるテクニックだ。

 しかし、常識を超えた力を持つ者たちに、どこまで通じるかは分からない……。


 いくら訓練しても彼女は十分とは思えず、いつしか訓練は夜中まで続くようになった。そればかりか、しばしば不眠のまま朝を迎えることに。

 彼女は訓練後に多少の眠気を感じはしても、過去に何度も徹夜の任務を経験しているので、辛くなったりはしなかった。



 この日も徹夜の訓練を終え、シャワーで汗を流してすっきりした彼女は、人の少ない早朝の喫茶店に眠気覚ましのコーヒーを飲みに向かう。

 貿易が縮小した時代ではコーヒーは贅沢品で、G国の許可なく密輸入ができる黒い炎でも安物しか用意できないが、高級品がなければ誰もそういうものだと思うので文句も出ない。

 同様に砂糖も牛乳も安くはないので、丹精こめてコーヒーを入れているエージェントには悪いが、眠気を覚ますためのまずい飲みものと誰もが思っている。


 喫茶店の前まで来た彼女は、マスターTが席に着いているのを見て声をかけようとしたが、彼女に先んじてマスターRが喫茶店に入っていった。

 マスターRは真っすぐマスターTの元に向かい、同じテーブルの対面に腰かける。

 

「やあ、マスターT」

「マスターR、こんな朝早くにどうしたんですか?」

「いつも君が早朝の喫茶店で暇そうにしているという情報を仕入れてね」


 マスターRが紫の瞳を妖しく輝かせて色っぽくほほ笑みかけると、マスターTは眉をひそめて困ったような顔で問う。


「……私に何の用なんです?」

「もう少し色気というか、ユーモアのある言い方はできないものかな」


 彼女は呆れつつマスターTの隣に移動して肩を寄せた。

 ここで見つかると気まずいと思ったファーレンハイトは、喫茶店の外にある柱の陰にそっと隠れて、二人の話に聞き耳を立てる。

 マスターRは科を作ってマスターTを見つめた。


「君の過去を知りたい」

「あなたなら私の過去の経歴ぐらい、とうに調べがついているでしょう」

「君の口から聞きたいんだ」

「……聞いて面白い話ではありませんし、話す方も愉快ではありません」


 口を閉ざした彼にマスターRは片肘をついてため息を漏らす。


「白状するよ、実は分からないんだ。どこにも君らしい人物の情報はなかった。最初はマスターBやマスターCの同僚かと思っていたんだが、どうやら違うみたいだね……」

「スタッフの名簿でも見たんですか?」

「……そうだよ。いったい君は何者なんだ?」

「何者というほど大層なものじゃありませんよ」


 そっけないマスターTの態度に彼女は小声で言った。


「……被検体でもなかった」

「そっちの情報も持ってるんですか? でも先入観に囚われすぎているようですね」

「やましいことがないなら、何者なのかはっきり言ってくれないか?」


 遠回しな言い方をする彼に対して彼女は不快感をあらわにするも、答えてはもらえない。


「分かったところで何も変わりませんよ」


 マスターTは席を立って喫茶店から出ていく。彼はファーレンハイトの存在には気づかないまま、彼女が隠れている柱の横を通り抜けた。

 残されたマスターRは深いため息をついて、店員のエージェントに紅茶を頼む。

 ファーレンハイトは忍び足でその場を離れるのだった。

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