第14話サンタクロース
14
いよいよ五郎さんと一緒に廃墟へ行く日になった。
朝のニュースで東京の天気を見ておく。今日は快晴。お出かけ日和だと、お天気キャスターが嬉しそうに言っていた。
朝食の後は改めて荷物の確認。僕だけでは心許ないので好美にも手伝ってもらった。忘れ物はなし。
「それじゃあ、気を付けてね」
「うん、行ってくるよ」
好美に手を振り、僕は五郎さんの家へと車を走らせる。
暖かくなってきたとはいえ、山の方を見るとまだ雪が残っている部分が多い。僕たちが住んでいる町では一ヶ月前まで日陰に雪があったが、今はすっかりなくなっている。桜もほとんど散って、道端にピンクの花弁が落ちている。あんなに綺麗だったのに、地面に落ちるとお世辞にも綺麗とは言えない。
「おっ、植田お疲れ」
「ここにスペースがあるので、詰め込んでください」
五郎さんの家に到着し、彼の分の荷物を車に入れる。五郎さんの荷物は僕に比べると簡素だ。着替えがあるかすら怪しい。
「荷物これだけですか?」
「一泊二日だろ? ちょっとだけなんだから大丈夫だろう」
僕は一日着替えないだけでも清潔さが気になるけど、五郎さん本人が気にしていないなら問題ないか。
五郎さんを助手席に乗せて空港に向かう。道中、廃墟講座が始まったおかげで退屈はしなかった。一人だと眠くなるからこれはありがたい。
空港の駐車場は本日もいっぱいだ。毎度のことだが停められる場所を探すのに苦労する。五分くらいぐるぐると駐車場内を回り、ようやく停めれる場所を見つけたと思ったら、そこは空港の入り口から一番遠い場所だった。
「ははは! 遠いなぁ」
「すいません……」
「植田が謝ることじゃないぞ。ぜーんぶ他の車が悪い!」
「それは極論すぎでは」
「あっはっは!」
上機嫌の五郎さんに連れられ、搭乗手続きをする。飛行機に乗るのは何回目でもあろうと慣れない。いつも不備がないかドキドキする。心配性な自分がちょっと嫌になる。
五郎さんはすべての手続を僕に任せているから楽観的だ。責任がズシッと乗っている僕はヒヤヒヤしている。たまには人任せにして旅行を楽しみたいものだ。
飛行機は何のトラブルもなく東京に降り立った。ここからホテルに移動して、五郎さんの体力を確認する。大丈夫そうならタクシーを拾って廃墟の近くまで乗せてもらう。駄目そうなら今日は休憩。僕は観光を楽しもうと思っている。
「五郎さん、体力は大丈夫ですか?」
「んー……まあ、いけるだろう」
ホテルに到着してすぐ五郎さんに体力の有無を聞いたが、なんとも曖昧な返事だ。本当に大丈夫だろうか。
「五郎さん、無理してません?」
「いやいやしてないよ。ほら、荷物置いて行こう。廃墟は日が傾いたら危ないぞ」
五郎さんは荷物を部屋の隅に置いて外に出る。僕も荷物をベッドの近くに置いて早足で歩く五郎さんを追いかけた。なんだろう、少し不安になってきた。幽霊だけを見て帰れたら良いが……。
ホテルを出て適当なタクシーを捕まえる。廃墟よりちょっと遠い場所で降ろしてもらうのは通報されないためだ。廃墟の中に入るのは不法侵入になるだろう。僕達が降りた後に通報しない確証はない。考えすぎかもしれないが、念の為だ。
辺りに人はいない。これなら誰かに見られる心配はないだろうが、一応周りを確認しながら歩く。必要であれば遠回りもするつもりだ。
「おっ、見えてきたぞ」
「思った以上にボロいですね……」
東京はのどかな田園風景とは無縁と思いがちだが、少し離れると畑が広がる場所に出る。人の気配はないに等しいが、たまに一軒家がポツンと建っている。
そんな場所に例の廃墟はあった。風化でボロボロになったうさぎの絵が若干怖い。錆びているだけなんだけど、目から血が流れているみたいだ。描かれた当初は可愛かったのだろうが、今は見る影もない。
「はー……やはり廃墟は良いなぁ……体力も回復する。ここは周りの雰囲気とも合ってる。俺の中でも上位に入るぞ」
残念ながら僕にはその素晴らしさは分からない。あの部分は壁が崩れそうだとか、蜘蛛の巣がたくさんありそうだなぁぐらいしか頭に浮かんでこないが、年を取れば理解できるようになるのだろうか。
それはそうと、やっぱり疲れてたんじゃないか。体力が回復したと言っているが、人の体はそう簡単に回復はしない。でも、ここまで来てしまったからにはしょうがない。様子を見つつ、駄目そうなら引っ張ってでもホテルに戻ろう。
「雰囲気を楽しむのも良いですが、早く準備して中に入りましょう。いつまでも彷徨いてると誰かに見られるかもしれません」
「はいはい、植田はせっかちだな。どれ、中はどうなっているかな~」
「ああ、待ってください。まずはこの香水をつけてからです」
「めんどくせぇ」
「面倒でも念には念を入れるのが大事ですよ!」
「へいへい」
五郎さんの体に香水をかける。ついでに塩も持たせておく。
「はい、これで大丈夫ですよ。さぁ行きましょう」
「おう」
気勢をそがれた五郎さんは冷静さを取り戻したのか、キョロキョロと周囲を見渡して警戒し始めた。廃墟は見るだけだった五郎さんが、今回初めて中に入るのだ。テンションが上がる気持ちは分かる。でも、幽霊の住処になっているかもしれない所だ、興奮していると重要なことに気付けないかもしれない。お互い慎重になるべきだ。
リュックに手を伸ばして懐中電灯を取る。電源を入れて廃墟の入口を照らすと、壁が崩れて中の鉄骨が見えている部分がある。あれに触れたら痛そうだ。余計な怪我はしたくないから気をつけよう。
懐中電灯を持つ僕を先頭に廃墟の中に入る。冷気で背筋がブルリと震える。この寒さは人がいないからなのか、それとも……いや、考えないことにしよう。霊のことを考えていると霊が近寄ってくる。どこかでそんな言葉を聞いたことがある。廃墟の周りは木で覆われているから、日差しが入ってこない。だから寒いのだと思うことにした。
薄暗い廃墟の中は足下に注意しなければ大変なことになる。足を引っ掛けて転ぶと、地面に落ちている鋭利な物が肌に刺さって出血してしまう。入院生活になって好美に迷惑をかけるのは避けたい。
懐中電灯を前方に向けると、複数のレジカウンターが見えた。このまま真っ直ぐ行ったら廃墟の出口だ。しかし、瓦礫が積み上がっているせいで行けそうにない。無理やり通れば行ける気がするが、そんな無茶はしたくない。真っ直ぐ突き進むのは諦めて、遠回りになるが廃墟全体を回れる左の方に行くことにした。
「ん? なんだありゃ……ここらは日差しがあんま入ってないな。よく見えねぇ」
「光、向けますね」
左手の方へ少し歩くと、何かの山が見えてきた。暗くてよく見えない。僕は懐中電灯を自分の足下からその山の方に向け、正体を見てやろうとした。そこに何があるか知るのも大切だ。
「クマの頭?」
山の正体はクマのぬいぐるみだったのだが、いずれも頭や腕がもげて中の綿が露出している。これが人間だったら、さぞグロテスクな光景だったろう。
「こりゃーひでぇな。物は大切にせんといかんというのに……」
「商品の管理も雑だったんですかね」
雑という言葉だけで片付けられないほどの有様だが、潰れた今となっては責めるべき人間も分からない。ぬいぐるみの黒い無機質な目が恨んでいるように見えるのは、きっと場所が場所だからだろう。
「あっ、ここに黄色いブロックみたいなのが……」
懐中電灯の光を再び足元に向けると、今度は黄色のブロックが視界に入った。なんだろうと思ってしゃがむと、レゴブロックがぬいぐるみの周りに散乱していた。
「レゴブロックですね」
「ほー人の形をしてるのが多いなぁ」
ここで働いていた人が組み立てたのか、倒産後に廃墟に入った人達が悪ふざけで作ったのか、いずれにしても人間の形にしたのは悪趣味だと思う。
頭がないクマのぬいぐるみ、人の形をしたレゴブロック、まだ入口付近だというのに不気味なものしかない。ほとんどの人はここで引き返してしまうだろう。しかし、僕達はまだ帰るわけにはいかない。まだ幽霊に遭遇していていないのだ。ここで目撃できたら良かったのだが、不可解な現象は起こっていない。更に奥に進まなければ。
「五郎さん、奥に行きましょう」
「そうだな。向こうはあまり崩れていないな。でもかなり暗いから慎重に行こうか」
今いる場所は一部の壁や天井が崩れているからちょっとだけ日差しが入っている。おかげで小さな懐中電灯一本の光でもなんとかなるが、ここから奥は外の景色が見れるほど崩れていない。光で照らしてみても吸い込まれてしまうほどの暗さだ。だが、ありがたいことに人の目は暗闇に慣れる。歩いていると徐々に見えるようになるだろう。
はぐれないように五郎さんと並んでゆっくり奥へと進むと、目が少し慣れてきた。歩きつつ周囲を照らしてみると白い物がいっぱいある。よく見ると、それは赤ちゃんのおむつだった。ベビーグッズは全体的に白い物が多い気がするが、その方が汚れが目立つからだろうか。汚れたままだと衛生が問題になる。赤ちゃんはデリケートだから清潔さを保つのは重要だ。そう考えると、白い物が多いのも頷ける。
更に進むと突き当りが見えてきた。周りはベビーカーの残骸があちらこちらに転がっている。ぬいぐるみ、レゴブロック、ベビーグッズ……ここまでは小学校に上る前の子供達を対象にした商品が多かった。もっと周囲を調べれば知育おもちゃや絵本もあると思う。
そういえば、とここまで歩いて気づく。
「ガラガラがない……?」
そうだ、テレビで見たガラガラを見かけていない。見逃したのだろうか。もう一度入口まで戻って確認したいが、せっかくここまで来たのに引き返すのは面倒だ。
「どうした?」
「ああ、えと……ガラガラ見てないなと思いまして」
「見逃したんじゃないか?」
「やっぱりそうですかね」
「あっそうだ! ガラガラならこの辺のベビーグッズ照らせばあると思うぞ」
「確かにそうですね。ちょっと見てみます」
ベビーグッズコーナーを照らす。おむつに哺乳瓶におしゃぶり……離乳食もあるが、期限はとっくに過ぎているだろう。
一つずつ照らしていくも目的のガラガラは見つからない。他の赤ちゃん用のおもちゃはあったのに見事にガラガラだけがない。同じ種類のが一つでも見つけられれば、僕の家にやってきたガラガラがここから持ち去られたのかが分かるのに。まあ、まったく関係ないところからの可能性もあるが、僕は十中八九ここだと思っている。
「う~ん……ありませんねぇ」
「誰かが回収したんかね?」
考えられるのは浮浪者だ。以前、フリーマーケットで出会った少女が、ボロボロの服を着た人に押し付けられたと言っていた。僕達が来る前にそいつが全部回収してしまったのだろうか。でも、なぜガラガラだけを……理由は分からない。
「もしかしたらここのコーナーじゃないのかもしれません。先に進みましょう。まだ幽霊にも出会ってませんし」
今はガラガラのことより、幽霊を目撃することを優先しよう。僕達はベビーコーナーをあとにし、更に奥へ歩を進めた。
ベビーカーの次はスポーツ用品が置いてあるコーナーだった。サイズがかなり小さいから初めてスポーツを行う子供達用のコーナーだということが分かる。運動が苦手だった僕はスポーツ用品とは縁がない。馴染みがあるのは補助輪付きの自転車ぐらいだ。そんな僕とは対照的に、五郎さんは「懐かしいなぁ!」と笑いながら、野球のグローブやサッカーボールを触っている。僕はあまり興味ないから、五郎さんと大きく離れないようにしながらスポーツコーナーの先を照らしていた。
「この先は……スタッフルームかな?」
懐中電灯を上の方に向けていると、劣化して読みにくくなっているが関係者以外立ち入り禁止と書かれている扉があった。
「何かあったかぁ?」
「たぶん、スタッフルームです。鍵がかかってなければ入れると思います」
「よし、行ってみるか」
「もう良いんですか?」
「いつまでも懐かしんではいられないからな」
扉の周辺に障害物はない。ここまでは瓦礫や商品が落ちていたが、不自然なほど床には何もなかった。
扉を軽く押してみると、耳に障る音を立てて簡単に開いた。冷たい空気が流れてくる。懐中電灯で中を照らして、危険がないことを確認する。中に入ると、僅かに食べ物の香りがすることに気づく。ほとんど消えかけているが、最近まで使われていたことが分かる。
「なんか食べ物の臭いがしますね」
「んんー? そぉかぁ? 俺は、鼻が悪いからちょっと分かんねぇ」
お腹が空く臭いであるのは間違いないが、色々混ざっているせいでいまいちピンとこない。ラーメン、カレー、ハンバーグなど、子供が好きそうな臭いだと思うが……。臭いの正体を突き止めようと、くんくんと犬みたいに嗅いでみる。ちょっとだけ甘い臭いがする。
「あっ、おい植田。この辺ちょっと明るくしてくれ」
五郎さんが何か見つけたようだ。言われた通り懐中電灯を五郎さんが指す場所に向けると、カップラーメンがいくつか転がっているのを見つけた。どれも空になっている。生活用品もあるのだろうか。更に奥へ行くと、段ボールと安っぽい布団があった。
「ふーむ……ここに住んでるやつがいるのか。大方ホームレスなんだろうけど、もしかしたらここにあるおもちゃを売って生計を立てているのかもな」
ガラガラは売れなかったから適当な人に押し付けたのかな。もしくは幽霊が憑いてるのを知ってて押し付けたとか……想像を巡らしてみるが、これだと思える答えは出ない。
「特に変なものはありませんね。出口の方まで歩きましょうか」
「そうだな」
他に変わったところがなかったので、スタッフルームを抜けて出口の方まで歩き始める。ここまで来たのに幽霊とは遭遇していない。こういう雰囲気だから見間違えたのかもしれない。スタッフルームに住んでいたホームレスを幽霊と思った可能性もある。怪我にしたって、廃墟を歩いていたら一つや二つ傷ができるし、運悪く頭を打ってしまうこともあるだろう。
この時の僕は気持ちが楽になっていた。観光気分になっていたと言っても良い。
しかし、出口まで来た時、僕達は見てしまった。
胴体から離れた頭部、身にまとっているボロ雑巾のような服から覗く臓器を。先ほど嗅いだ甘ったるい臭いは死臭だったのだ。スタッフルームで殺されて、ここに転がされたのだろう。
「……っ!」
ふと視線を感じて出口の方を見る。
サンタクロースだ。
背負っている大きな白い袋は赤黒い斑点がポツポツとついている。顔は帽子を深く被っているせいで見えないが、少なくとも生きている人間じゃない。生気が感じられない。左手にはたくさんのガラガラが握られていて、一歩でも動いたら一斉に鳴り出しそうだ。
問題は右手に持っている包丁。おもちゃには見えないから、刺されたら怯んで、一気に殺られてしまうかもしれない。運が悪かったら刺された時点で即死だろう。
「おい、植田……あれはなんだ?」
五郎さんが小声で僕に聞く。肩で息をして、吐くのを我慢しているように見える。僕も一度吐きたい気分だ。
「さぁ……人、ではないと思います」
「この年になって幽霊を見るとはな……幽霊なんぞいないと思ってたんだがなぁ」
「あれ、ここまで話を聞いていて信じていなかったんですか?」
「植田が嘘を言うとは思っていなかったからな。でも、実際にこの目で見るまで半信半疑だった」
まあ、確かに信じてない人からすれば僕の話は信用出来ないだろう。付き合いが長い五郎さんだったから何も言わずに耳を傾けてくれたのだ。
「ところで植田、引き返すか?」
「このままだと僕達もそこの人の二の舞になりますね。なんとか逃げましょう。五郎さん、体力の方は?」
「疲れてはいるが、これぐらいの広さなら走りきれる」
刺激しないようゆっくりと後ろに下がる。僕達が動くと同時に、サンタクロースも足を動かさずスッと一歩前に出る。動く速さは六歳の子供、それも足の遅い子ぐらいのスピードだ。ここがアスファルトだったら簡単に逃げられるが、障害物が多いこの場所では一度の転倒が命取りになる。
「…………」
「おい、植田」
「……何ですか」
「この野球ボール投げて注意を逸らす」
「いつの間に持ってきてたんですか」
「記念品だよ、記念品。大丈夫、もう一個あるからよ」
何が大丈夫なのか。でも、少しでも隙が生まれれば逃げられる。転ばずに駆け抜けたら追いつかれることだってないはず。二人の間でそんな希望が生まれる。そうと決まれば即実行するのが男だ。
五郎さんはサンタクロースに向かって野球ボールを投げ、同時に入口に向かって走りはじめた。僕も同じタイミングで走る。
スタッフルームとスポーツコーナーまでは順調だった。ベビーグッズからは瓦礫の量が多くなる。油断すれば転んでしまいそうだ。ここまで後ろは振り返っていない。追いかけてきているだろうか、それとも前に回って待ち伏せしているだろうか。
――コれかッてェ
――ほしイ
何度も聞いたことがある、幼い声が廃墟内に響く。こんなところに子供はいない。初めて聞いたのであれば立ち止まってしまうかもしれないが、体験済みの僕には効かない。五郎さんは一瞬戸惑ったようだが、僕から話を聞いていたから無視できたようだ。
こうして足止めをしている間に殺害するのだろうか。空恐ろしくなって、つい、後ろを振り向く。
赤い色が見えた。追ってきている。
「あっ!」
まずい。誘惑に負けて後ろを見たのがいけなかった。ぬいぐるみゾーンに差しかかった時に、手の平サイズほどの瓦礫に躓いてしまった。
上半身が地面に叩きつけられ、口にぬるりとした感触がある。口を切ったか、鼻血が出たか、それとも両方だろうか。分からないが、出血していることは確かだ。貧血の症状は出ていないから、量は少ないはず。
四つん這いになって体を起こそうとした時だ。ガラガラガラと、すぐ近くから音が聞こえる。
追いつかれた。
ヒュンッと何かが頭を掠める。
何だと思ったと同時に、前方から「ぐわぁ」という声と倒れ伏す音が聞こえてきた。声の持ち主は五郎さんだ。サンタクロースは僕を無視して五郎さんの方へ向かっていく。完全に置いてけぼりになった僕は動揺していた。
なぜ、五郎さんを狙うんだろう。明らかに殺しやすかったのは僕だ。不可解な行動の謎を追おうとし、僕は逃げるのを忘れてサンタクロースの行動を見守っていた。
この辺は少し明るいから五郎さんの姿も見える。彼は足から出血をしていた。近くには包丁が落ちているから、さっき投げられたのはサンタクロースが持っていた包丁なのだろう。
「ごろ、う、さ……いっっ!」
口に激痛が走る。早く逃げるよう叫ぼうとしたが、痛みで声が出しにくい。そうしている間にも、サンタクロースは五郎さんの方へ近づいていく。足を負傷した五郎さんは上手く立てずにもがいていたが、懐に手を入れて何かを探しはじめた。出てきたのは野球ボール、最後の一個だ。
野球ボールが僕に向かってくる。途中で大きくバウンドしたが、進路はそれることなく真っ直ぐこちらにやってくる。体勢を立て直した僕は野球ボールをキャッチした。サンタクロースが僕の方へ視線を向ける。それを見た五郎さんは、足を引きずりながら廃墟の外へ脱出した。
目の前にはサンタクロース。包丁を拾って今度は僕の方へ向かってくる。サンタクロースの行動から考えると、ここにある物を持ち出すのが駄目なのかもしれない。それならこれを適当な所に放り投げて逃げれば良いが、果たして本当にそれで逃げられるのかという不安はある。
物は試しか? 元々何かを持って帰る気はなかったし、野球ボールを無理に持ち帰らなくても良い。五郎さんは残念がるだろうが、命には代えられない。
ぬいぐるみゾーンに思い切り投げて、サンタクロースの様子を伺う。動き始めたら、今度は奥の方に逃げよう。今なら出口側に何もいないはずだ。
――イ イ コ ニハ プレゼント モッテク ヨ
突如サンタクロースが言葉を発した。次の瞬間、目の前から音を立てずに消え、辺りは静寂に包まれた。
何が起こったのか。しかし考えている暇はない。僕は五郎さんと合流するために外へと走りだした。
「あっ、おおーい!」
五郎さんが手を振っている。僕は無言で手をプラプラさせて無事を伝える。喋ると痛みだすから迂闊に声を出せない。二度と転ばないようゆっくりと五郎さんのもとに行き、病院へ行こうと身振り手振りで伝える。五郎さんは黙って頷いて、タクシーを手配した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。