第19話 警戒心
「淹れたぞ」
「ありがとう……」
ヨーアと向き合う形で座り、紅茶を啜った。
やはり紅茶に限るな。色、香り、味。どれを取っても最高だ。
「……でだ。何があったんだヨーア。マモノと遭遇してから元気ないぞ」
「そんなことないよ……」
「いやそんなことあるな。俺に言えないことなのか? ならユーリさんが帰ってきたら相談に乗ってもらうといい。女性同士の方が話しやすいこともあるし」
「……」
ヨーアは無言で紅茶を見つめた。紅茶から立ち上る湯気が切なく、消え入るように蒸発した。
困ったな。こんな調子じゃいつまで経っても話が進まない。
ヨーアの様子がおかしくなったのはマモノと遭遇した時からなのは確定だが、他に何か要因が?
思い出せ。明確に様子が変わった瞬間を……
『ヨーア? どうしたんだ?』
『お兄ちゃん……一人で……何を話してたの? それも知らない言葉だったよ?』
——あの時か。
あの時、ヨーアの俺を見る顔は怯えた表情だった。
しかし何故怯える。マモノと会話しただけなのに。
それに不可解なことも言っていた。俺が一人で話していたと言っていたんだ。ヨーアには俺が独り言の様に話していたように見えたということか? だがマモノははっきりと俺たちが使う言語で話していた。
……となると。
マモノの声が俺にしか聞こえなかったのか?
そう仮定すれば、聞こえるはずのないマモノの声に俺は応答し、会話した。ヨーアは「私の知らない言葉だった」と言っていたことから、俺はマモノの言葉で会話していたということになる。
いきなりマモノの言葉を使い、マモノと会話をしだしたんだ。たしかに不気味だな。
『しらない言葉? それも一人でって、何言っているんだ。どう見てもいつもの言葉で会話してただろ。しかし驚いたな、マモノが人語を話せるなんて』
はは。良く言ったものだ。
ヨーアには訳が分からなかったことだろう。
ヨーアは父親をマモノに殺されている。
マモノを恨み、恐れ、憎んでいる。
そんなマモノと、マモノの言葉を使い会話をしだす俺。
不振になるのも無理はない。俺がマモノの仲間なのではないかと内心思っているのかもしれない。
ふとヨーアを見ると、全く紅茶に手をつけていなかった。ただ、じっと見つめるだけ。
「冷めちゃうぞ?」
俺がヨーアに問いかけたその時——
バンッ
ヨーアがテーブルに両手を叩きつけた。
大きな音とともに紅茶の入ったカップが倒れ、ポタポタとテーブルの下へ雫を垂らす。
「お兄ちゃんは……あなたは……マモノの仲間なんでしょ? そうなんでしょ!?」
「お、おいヨーア……」
「ずっと私たちを騙して、お父さんみたいにわたしとお母さんも殺されるんだ!!」
「ヨーア!」
声を上げたのは俺ではない。
いつの間にか家に帰って来ていたユーリさんだった。
「おか……」
パンッ
間髪入れずにユーリさんがヨーアの頬を叩いた。
見たことのないユーリさんの顔だった。
「今すぐにホープさんに謝りなさい!」
「っ……」
「ヨーアッ!!」
「……」
ヨーアはユーリさんの怒声を浴びながらもキィっと俺を睨んでいた。初めて睨まれた。こんな表情も出来る子なんだなぁと場違いな感想が浮かんだ。
ヨーアはユーリさんにぶたれた頬を抑えながら、自分の部屋へと走り出してしまった。
「待ちなさいヨーア!」
「いいですよユーリさん」
「いいえダメです。あの子にはちゃんと謝らせますから」
「大丈夫ですって。あ、紅茶淹れますね」
「……え? えぇ......」
ユーリさんは困惑、といった感じだった。
俺が何事もなかったかのような、いつもと変わらない様子だったからだろう。
「その前にテーブルを拭かないといけませんね。全くヨーアは……」
「あ、あの子……! 本当に申し訳ありません!」
「本当に大丈夫です。全然気にしてませんから」
俺は台所から持ってきた布巾で、テーブルの上と床に溢れた紅茶を拭き取った。
ユーリさんも手伝おうとしたが断った。
俺はあらかた紅茶を拭き終え、紅茶を淹れるためお湯を沸かし始めた。
ユーリさんは椅子に座り頭を抱えている。
「一体……ヨーアと何があったんですか? あの子があそこまで言うなんて、今までに一度もありませんでした。なので私も動揺してしまって」
「大したことないですよ。さ、紅茶が出来ました」
俺はユーリさんの目の前に紅茶をそっと置いた。
「ありがとう。ホープさんの淹れる紅茶はとっても美味しいから密かな毎日の楽しみなんですよ」
「それは良かったです。俺が淹れる紅茶でよければ毎日淹れますよ……と、言いたいところなんですが」
「え?」
「ユーリさんに話さないといけないことがあって」
「話さないこと?」
「……はい。実は——」
今日おでかけの最中にマモノと遭遇したこと。どうやら俺はマモノと会話出来ること、そんな俺にヨーアは嫌悪感、不信感を感じていることを話した。
「そうだったんですか……ヨーアはおバカさんですね」
「ユーリさんは何とも思わないんですか?」
「思う何も、ホープさんがマモノと話せようがなんだろうと、ホープさんはホープさんです。今までとなんら変わりありません。それに私はホープさんを信じていますから」
ユーリさんは笑顔でそう答えた。そして、「うーんいい香り」と言い、紅茶を啜った。
「ヨーアとは真逆な反応ですね」
「ふふっ。ヨーアはまだ幼いです。父親がマモノに殺されたという事実が根強く残っているのでしょう。マモノに関与するものは全て悪だと思ってしまうくらいに」
「そこで……なんですけど」
「……はい」
「俺、この家から出ようと思います」
「……え?」
ユーリさんは目を見開いて俺を見る。
「ヨーアの為にも俺はこの家を出ようと思うんです」
「ま、待ってください! ヨーアのことが理由でしたら、今ヨーアに謝らせるよう言い聞かせます! 少し待っていてください!」
ユーリさんはそういうと勢いよく立ち上がりヨーアの部屋へ向かおうとした。
「ユーリさん」
「……」
俺が落ち着いた
「もちろんヨーアだけが理由という訳ではないです。やっぱり、いつまでもお世話になる訳にはいかないということと、旅をして色んな人と出会い、話し、交流していくことで俺の記憶が戻るんじゃないかと思うんです」
「で、ですが!」
「今俺が、ユーリさんが、ヨーアに何を言ってもおそらく聞く耳を持たないでしょう。ヨーアの中では俺は完全にマモノの仲間なんですから。ヨーアがまだ幼いからこそ、俺という嫌悪の対象、悪は、早い内に居なくなった方がいい。そんな想いを抱かせたまま成長して欲しくないんです」
「ホープさん……」
ユーリさんは悲しそうな、それでいて困った顔をした。
俺だって、出来ることならこの家にいたい。居心地が良いし、何よりもこの街が大好きだ。
でもそうはいかない。甘えては駄目なんだ。
今回の件はある意味俺にとって転機だ。
「今晩にも——」
「駄目です」
ユーリさんは真剣な顔で言った。
「いや、でも」
「行くのなら、せめて明日の朝です。最後の日くらい家でゆっくりしていってください。そして、私に料理を振る舞わせてください。これが、息子に出来る最後の事かもしれないですからね」
「息子……」
瞬間、俺の目頭がカッと熱くなった。瞬きをしようとすると涙を溢れそうになる。
「ふふっ。それじゃあ私は晩御飯の支度をしてきますね」
ユーリさんは微笑んでいうと、台所に向かった。そんなユーリさんの目元に涙が浮かんでいたことを俺は見逃さなかった。
息子と言ってくれたことが嬉しかった。どこの馬の骨とも分からない俺を、家に居候させてもらって、料理まで出してもらって、その上俺のことを息子だと言ってくれて……。
涙が、今にも溢れそうだ。
駄目だ。じっとしてると無意識に今までのことを考えてしまう。
「ヨーアの所に行くか」
ヨーアから返事がもらえるとは思っていない。
それでも、最後があんな別れじゃ悲しいからな。
俺は席を立った。
「と、その前に」
俺は羊皮紙にとある家の地図を書き始めた。この家からのルートを丁寧に記していく。
「よし。結構分かりやすいんじゃないか?」
俺は自分が書いた地図の出来に満足すると、その地図を片手にヨーアの部屋へと向かった。
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