第10話 引きこもりの少女
俺はギルドを出て真っ先に依頼書に記された地図を頼りに目的地へ到着した。そこは小さな平屋建ての一軒家だった。
外観は言ってしまえばみすぼらしく、苔が生え、雑草も伸び放題といった様子だ。
「ごめんください」
…………返事がない。
「いるはずなんだけどなぁ、ごめんください!」
さっきよりも大きな声で言った。
すると木造のドアがギギギと音を立てて開き、その隙間から白い顔が覗いた。
見た感じヨーアと同い年くらいの少女だった。
「……なんでしょうか」
真っ直ぐで長い、金色の美しい髪に蒼い瞳。まるで精巧に作られた人形のようだ。
正直、この家の雰囲気には場違いのように思えた。
「君のお母さんが留守の間、一緒に過ごすことになったホープだ。よろしくな」
「帰ってください」
「え?」
「帰ってください」
いきなり門前払いを食らってしまった。
だがこちらも仕事だ。引き退ることはできない。
「そういう訳にはいかないんだ。君のお母さんの依頼だからね」
「お母さんの?」
「そうそう。君のお母さんの。ほら、これ依頼書」
俺は少女にギルドから受け取った依頼書を見せた。
少女はまじまじと依頼書を見ると、
「本当だ。これ、お母さんの字……」
これって依頼者の手書きだったんだ。てっきりギルドの人が書いたのかと思った。
「そういう訳だからさ、あがってもいいかな?」
「……ええ。いいわ」
少女はそう言うと、家の中へ入って行った。
俺もそれに続くように家へと入る。
外観とは違い、家の中は程よく小綺麗だ。しかし、古い木造建築の為か歩く度に床が軋むので極力床に負荷がかからないように歩いた。
「こっち」
少女は自分の部屋へと俺を案内した。
「おお、綺麗な部屋じゃないか」
「そう? べつに普通だと思うけれど」
整理整頓がきっちりと施され、ベットのシーツにはシワ一つない。
びっしり本が詰まった大きな本棚があり、本は綺麗に作品順に並べられていたため、この子は几帳面な性格だということが分かる。
「本が好きなのか?」
「ええ。いつもうちで一人だから、本を読んでるの」
「友達と外で遊んだりはしないのか?」
「しない。私友達いないもの」
どうやらインドア派のようだ。
しかしこの年で本が読めるなんてすごいな。ヨーアは読み書きを進行形で学習中だが、まだ本を一冊読み切れるかどうかさえ怪しい。
それと友達はいないとこの子は言ったが、この子の場合友達がいないというより必要としていない、といった印象を受けた。
家にいる方が楽しいと思うタイプなのかもな。
「友達は作らないのか? 外で遊ぶのも楽しいぞ?」
「べつにいい。どうして友達を作らなければいけないの? 必要なの?」
「あ、いや、そういう訳じゃない。人それぞれだし、自分が好きな選択をすればいいと思うよ」
「……ふーん。あなたはみんなとは違うことを言うのね。大人たちはみんな友達を作れとか、外で遊ぼうだとか、子どもはこうあるべきだっていう価値観を押し付けてくるの。誰も私の気持ちを考えない」
少女はそう言ってベッドに腰掛ける。
随分大人びた子だな。
本を読むとこういうことも言えるようになるのなら、ヨーアにもぜひ読ませないと。いや、ヨーアは今のままの方が可愛いからやっぱり読ませない。
「隣、いいかな?」
「……いいわよ」
俺は少女の隣に座った。
肩と肩がくっつく距離だったのだが、少女は握りこぶし一個分俺から距離をとった。
「ごめん。嫌だったね。妹とはいつもこの距離感だったから」
「あら、あなた妹がいるの?」
「ああ。丁度君と同い年くらいだよ」
「へぇ……」
すると少女は自身が離した距離を急に詰めたきた。
肩と肩がくっつく。
「ん、どうしたの?」
「べつに、なんでもないわ」
「そうか」
不思議な子だな。何を考えているのかさっぱり分からない。
「そうだ、君の名前を教えてくれないか?」
「……それは必要なこと?」
そう来たか。
「いや、絶対に必要という訳ではないよ。言いたくなかったら言わなくてもいい。ただ君の名前を知りたいなぁと思っただけだよ。呼ぶなら名前の方が良いしね」
「へぇ……そう…………アイリス」
「え、アイリス? アイリスがなんだって?」
「名前。私の名前よ」
絶対に名前を言わない流れかと思ったが、すんなり名乗ってくれた。
なんだろうなぁ、掴みどころがないというか……。
「アイリスか。可愛い名前だな」
「そうかしら、初めて言われたわそんなこと」
「じゃあ俺が初めてだな」
「……そうね。あなたが初めてね」
アイリスが微かに微笑んだ気がした。見間違いだったかもしれない。
「忘れてると思うからもう一度言うけど俺の名前は——」
「ホープでしょ? ちゃんと覚えてるわ」
あなた呼びをするもんだからてっきり俺の名前を忘れているのかと思った。
「なら、いいんだけど」
「私があなたのことを名前で呼ばないからそんなことを聞いたのね?」
「いやっ……はい、そうです……」
なんだこの子は……なんでもお見通しか?
アイリスは微かだが微笑んでいた。今度ははっきりと口角が上がっていることを確認できた。
「あなたのことを名前で呼ぶのは必要なこと?」
またか。またこれか。
「必要ではないよ。さっきと似たようなことを言うけど、俺個人が名前で呼んでほしいなーって思っただけだから。全然必要でも強制でもないよ」
「ふーん。ホープって欲張りなのね」
結局名前で呼んでくれる辺り、この子は存外素直な性格なのかもしれないな。
というより、若干俺をからかっているようにも感じる。いや完全にからかっている。
「ははは……。欲張りってほどでもないけどなぁ」
このままアイリスのお母さんが帰ってくるまで精神がもつのか、少し不安になった。
⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎
「この本なんてどうかしら、『マモノの勇者』。読みやすいと思うわよ」
アイリスは本棚から一冊の本を引き抜き、俺に手渡す。なかなか分厚い。
俺はアイリスにおススメの本を教えてもらっていた。
アイリスのお母さんが帰ってくるまで時間がある。何をして過ごすか考えた時咄嗟に思いついたのが本だった。
どうやらアイリスは本が好きなようだし。
「私の一番のお気に入りの本なの。折り目つけないでよ」
「分かってるよ」
俺は『マモノの勇者』の一ページ目をめくり、あらすじを読んだ。
——ふむ。どうやら貧しい村の少年が伝説の剣を引き抜き、マモノの王、マオウに挑む物語のようだ。
これまたベタなお話しだ。
しかし、本好きなアイリスのお気に入りと言うのだからさぞや面白いのだろう。こんなにも分厚いし。
「あらすじを見てベタな話しだなって思ったでしょ」
「い、いや、思ってないよ? 王道って感じで面白そうだなぁって」
やはりアイリスには何でもお見通しなのか。
ちょっと怖くなってきたぞ。
「いいのよ、別に。でもね、これはただ勇者がマオウを倒してめでたしめでたしっていう子ども向けの絵本とは違うの。勇者とマオウ、二人にとっての正義がそれぞれあって、二人はどうにか共に共存出来ないかと考えるのだけれど……これ以上はネタバレになっちゃうわね。読んでからのお楽しみよ」
「危うく楽しみを失うとこだったぞ」
大分ネタバレしたけどねこの子。
でも、勇者とマオウの葛藤は面白そうだな。
マモノの勇者というタイトルが不自然極まりないが、それも読んで行けば分かることだ。
アイリスは本棚からもう一冊の本を引き抜き俺の隣に座った。
普通に肩がくっついている。
最初は離してきたのに、今度は自分からとはよく分からない子だ。
「何? じっと見つめて」
「いや、なんでもないよ。読もうか、本」
「ええ」
こうして二人で本を読み始めた。
読んでる途中で気づいたのだが、アイリスの読むペースが異常に早かったことだ。
おれが四分の一くらい読み終わった時には、既に三冊目に入っていた。
「読むの早いね」
「読んでる時は話しかけないでちょうだい」
「ああ、ごめん」
読書に対して大分ストイックなようだ。
こういう姿勢は個人的に割と好き。
この『マモノの勇者』を読み進めて半分くらいになった。
勇者に選ばれた少年が誰一人仲間を必要とせずにマモノと戦うのだが、そこでの少年の心理描写がなかなかに熱い。
例えばこんな心理描写がある。
『本当ににマモノを殺さないといけないのか』
『僕がマモノを殺し尽くし、マオウをも殺したとしても、それで世界は平和になるのか?』
『マオウを殺した後、僕はどうなる。もし僕が勇者ではなく普通の一般人なら、マモノとマオウを殲滅した勇者が果てしなく恐ろしい。きっと、勇者がマモノと等しく同じように見えてしまうだろうな』
まだ半分しか読み進めていないが、少年が仲間を必要としなかったのはマオウを倒した後の事を危惧したのではないかと思う。現段階ではであるが。
チラッと横目でアイリスを見ると、六冊目に突入していた。それももう読み終わりそうだ。
さすがに読むのが早すぎなんじゃないかと思う。
「ねえホープ、休憩しない?」
アイリスが俺の視線に気づいたのか、そんなことを言ってきた。
気を使われたな。
「そうだな、少し休憩しようかな。でも、アイリスはまだ読んでていいんだぞ?」
アイリスは首を振った。
「私が休憩したくなったから言ったのよ。余計な気は使わなくていいわ」
「そうか。じゃあ休憩しようか。茶葉とかある? 俺が淹れてくるけど」
「いい。私が淹れてくる。紅茶でいい?」
「それじゃあお願いしようかな」
そう言うと六冊の本を本棚の元あった位置に戻し、部屋を後にした。
「お茶も淹れられるなんて出来た子だ。ヨーアにも教えようかな」
ヨーアは頭の良い子だが、変に不器用なところがあるからな。
コップとか割りそ——
カシャンッ!!
割れた。何か陶器が割れた音だ。
俺は急いで音のした方へ、アイリスがいる台所へ向かった。
「アイリス! 大丈夫か!?」
手とか怪我してないか心配だ。
「あらホープ。私の部屋で待っていてくれていいのに」
アイリスの足元には白いカップの破片が散らばっていた。
アイリスは素手でカップの破片を拾っていた。
「アイリス何やってるんだ!」
「……ごめんなさいね。いつもはカップを割ることなんて無かったのだけれど」
「そうじゃない! 素手で破片を拾ったら手を切っちゃうかもしれないだろ?」
「え?」
俺はアイリスの元へ駆け寄り、アイリスの白い手を掴み、繊細な細い指を確認した。
はやり切れていた。破片で鋭く縦に入った線から血が垂れている。
白い指だから余計に目立った。
「別にこれくらい大丈夫よ……って、ちょっと何してるのっ!?」
あむ。
俺はアイリスの指をを咥えた。
ちゅーっと血を吸い取り、出来るだけ傷口に唾液を染み込ませていく。
「ちょっと、やめてよ! 汚いわ!」
必死に抵抗の色を見せるが、所詮は大人と子どもだ。抵抗は無駄である。
次第に抵抗しなかった。
一分くらい経った後、俺は
「消毒兼血止め終わり。水で洗って布で押さえとけば大丈夫だよ」
「……」
「ん、どうした?」
アイリスはほんのり顔を赤くして、じっと俺を見ていた。あまり良い反応ではないことは分かる。
「……ホープ。あなたって……はぁ。きっとこの人はこういう感じの人なのでしょうね」
「なに? 何の話し?」
「なんでもないわよ。処置をしてくれてどうもありがとう」
そう言うとアイリスは立ち上がり流しへ向かった。
「破片の片付けは俺がやっとくからアイリスは部屋で待っててくれ。新しく紅茶淹れるけど他のカップ使っても大丈夫?」
「ええ。もう好きに使ってちょうだい」
指を水で洗いながら呆れた顔でアイリスは言った。
カップの破片を片付け終わり、俺は新しく紅茶を淹れた。
アイリスの部屋へ紅茶を持っていくと、アイリスは本を読んでいた。俺に気づくと読んでいた本をパタンと閉じた。
「良い香りね」
「いつも飲んでるやつだろ?」
「そうだけど、私が淹れてもこんなに良い香りはしないもの」
俺は小さなテーブルに紅茶の淹れたカップを置く。
アイリスはカップを手に取り、一口啜る。
「……美味しいわね」
「普通に淹れただけだぞ」
「私が淹れてもこんなに美味しくはならないもの」
俺も紅茶を啜る。やはり普通の紅茶だ。
普通の紅茶の淹れ方を知っていれば大概美味しいのが淹れられる。
だが、美味しいと言われるのは淹れた側としては素直に嬉しい。
「アイリスはさ」
「何?」
「料理とか苦手だろ」
「……そんなことないわ」
「本当に?」
「っ……本当よ」
そんな悔しそうな顔で言ったらバレバレだって。
「よかったら俺が料理教えようか? 普通のやつしか作れないけど」
「結構よ。お気遣いなく」
そう言ってアイリスは紅茶を啜った。
「お母さんに美味しいご飯作ってあげたくない?」
「っ……! ま、まあそう思わないこともないかしらね」
「そうかぁ、作ってあげたいのかぁ」
「そうは言ってないわ。作ってもいいかなと思っただけよ」
「はいはい。でも今日じゃなくて別の日な。材料とか買ってないし」
「……そうね」
二人のカップはあっという間に空になった。
アイリスには料理もそうだけど、紅茶の淹れ方も教えてあげないとな。
「本、読むか」
「ええ」
俺は読みかけの『マモノの勇者』を手に取った。
勇者が葛藤してるところで終わっていたので続きが気になってしょうがない。
「半分読んだのね」
「うん。アイリスに比べれば読む速さは遅いけどな」
「別にいいのよ。読む速さなんて人それぞれだわ。速く読めれば多くの本を読むことができるし、遅いのなら一言一句丁寧に読む訳だから物語を順を追ってゆっくりと楽しむことができるわ」
「確かに。俺は読むのは遅いけど、本の内容はしっかり頭に入るんだよな。頭の中で登場人物や情景が細かく映像化されるというか」
「そう。そんな風に本の楽しみ方も人それぞれなのよ。私も最初はゆっくり読むのが好きだったのだけれど、たくさんの本を読んでいくうちに読む速度が上がってきて一冊でも多くの本を読むことに重きを置くようになったわ」
「なるほどな。人それぞれ……か」
俺は手に持った『マモノの勇者』に視線を向けた。
そういえばこの物語の主人公も『人それぞれだ』って言葉を多用していたな。
中でも印象的だった台詞がある。
『人々がマモノを嫌悪し、忌み嫌うのも、僕のようにマモノを悪い者だと思わないのも、人それぞれなんだ。どっちが正しいかなんてない。マモノを殺すために勇者として選ばれた僕だけど、そんな僕には、勇者は到底向いていないんだろうな』
この台詞だ。
これは少年がヒロインの少女に『どうしてマモノと戦いたくないなんて言うの!? あいつらはどれほどの人間を殺して来たか分かってるの!?』と激昂された時の少年の台詞である。
ヒロインの少女は両親をマモノに殺されている設定だ。
それ故に、少女のマモノに対する恨みは根深い。マモノを殲滅し人類に平和をもたらす存在である勇者がどうして戦いたくないなんて言うのか分かるはずがない。
「今のって、この本の受け売りか?」
「そうよ。私のお気に入りの本だって言ったでしょ? この本はお母さんからもらったの」
アイリスは嬉しそうに俺が手に持っている『マモノの勇者』を見つめた。
この子はよっぽどお母さんのことが好きなんだな。今までの会話からなんとなく思った。
ヨーアもお母さんのこと大好きだし、お母さんのことが好きな子はみんな良い子なのではないだろうか。
「んじゃ、俺は後半戦といきますか」
「読み終わったら感想を言いあいましょ?」
「いいなそれ」
そうして、俺たちは再び静かな読書を始めた。
会話のない、至って普通の読書。
それでも何故か、その時間が、空間が、俺にはとても心地よく感じた。
純粋に俺は本が好きなのかもしれない。
自分でも分からない自分のことがまた一つ知れて良かった。
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