2番目に塗れた私

三条 荒野

2番目に塗れた私

 私は何かと"2番目"に縁のある人生を送ってきた。


 父も母も、互いにとって2番目の相手だったと教えてくれたし、そんな両親にとって、自分は2番目の子供だった。

 勉強も、運動も、どれだけ頑張って努力をしても、いつも1番にはなれずに2番止まりだった。

 人間関係でもだ。友人はいたが、その友人にとっても、私は2番目に大切な存在だったのだろう。あらゆる場面において、常に私よりも優先し、尊重する相手がひとりだけいた。

 名前に"2"を意味する言葉が含まれている事を知った時、まるで運命を暗示されているような気がして、自分の名前が途端に嫌いになったものだった。


 私は2番目にしかなれない、そう自覚した時に抱いた感情は、儘ならない現実への苛立ちではなく、まして未だ掴み得ない1番への渇望ですらなく。ただ静かに泥へと沈み込んでいくような諦めだった。

 私はこの先、何においても"2番目"なのだ。誰かや何かの1番目になる事などなく、ただの後追いであり続ける。努力も工夫も意味を成さない、どう足掻いても2番煎じにしかなれない存在なのだと確信し、ひとり絶望した。


 失意に打ちのめされていると、ある老人と出会った。「何やら思いつめた顔をしていたから、つい声をかけてしまった」と言う彼は、皴の深い顔に似つかわしくない、妙に優し気な瞳をしていた。

 そんな眼差しに当てられて、私はつい口を滑らせて、身の上話を洗いざらいぶちまけてしまっていた。他人に話すような内容じゃないのに、一度外れたたがは戻らず、結局一息に最後まで話しきってしまった。老人は相槌を打つばかりで何も言わなかったが、私は自分だけが好き放題に喋り倒してしまった事が途端に恥ずかしく思えてきて、下唇をきつく噛んだ。

 俯いて黙る私の目を、老人はまじまじと見つめると、こう言った。


「君という人間さえも、果たして2番目なのかな」


 静かで深みのある声で発されたその言葉の真意を掴みかねていると、彼は視線を足元へと落とし、そのまま言葉を続けた。


「君は何かにつけて2番目である事を嘆くが、それは他者と比べるから生まれる順位だ。君の内だけで生まれる順番を見ていない。1番嬉しかった事だってあるだろう。1番悲しかった事だってある筈だ。1番好きなもの、1番嫌いなもの。1番の発見、1番の出会い――」


 彼は顔を上げ、再び私を見つめる。その瞳に映る自分と目が合った。何とも情けない、今にも泣きだしそうな顔をしているのが見えた。


「君を形作ってきたのは、決して2番目だけじゃないんだよ。多くの、君だけの1番が合わさって、今日の君が生きている。それこそが君なんだ。例え1番目になれなくても、ただひとりの、かけがえのない人間。それでいいじゃないか」


 そうだ。

 そうだった。

 思い返せばいくらだってあったんだ。確かに2番は多いけど、それでも1番だって確かにあったのに、私はそれに気付いていなかった。楽くて忘れたくない思い出も、つらいけど忘れられない傷跡も、確かに私の内側に残っている。それが積み重なって、今の私になったんだ。

 私は2番目ばかりだけど、それだけじゃない。いやむしろその経験こそが、私という人間を唯一の存在にしてくれていたのだ。


 心を縛り付けていた錘が外れ、覆い被さっていた靄が晴れたような気になった。重力に押し潰されそうだった背骨が伸びて、その拍子に吸い込んだ冷たい空気は、しかし爽やかに肺を満たした。

 私はもう、大丈夫だ。誰にそう言ってもらう訳でもなく、自分でそう感じて、そう疑わなかった。

 まるで生まれ変わったような気分になれた。その感謝を伝えなければならない。そう思って彼の方へ向き直ろうとした時、その彼はふいに小さく笑った。首を傾げている私へと、肩を揺らしながら、変わらず静かな低い声で言う。


「奇妙なものだが、私がこの話を人へするのは、君で2人目なんだ」


 2人目。

 2人目?

 …………。


 2番目?


 私は叫び声を上げ、走り出していた。身体だけでなく、心のコントロールがまったく効かなくなっていた。

 何故だ。

 何故、どうして私が1番目じゃないんだ?

 自分の悲鳴は耳から入って鼓膜を揺らしたのみならず、頭の内側でも響き渡っていた。にも関わらず、走り去る私に投げかけたであろう老人の声は、あり得ない程明瞭に聞き取れた。


「そんな悩みは、何も君だけのものじゃないんだよ」


 君だけのものじゃない。

 私だけじゃないのか?

 この悩みに苦しんでいるのは、自分が2番目である事に悩んでいる人間は、私だけじゃない?

 そんな馬鹿な話があるか。おかしいだろう。だってそれは、貴方が言った事ではないか。

 私はかけがえのない存在だと言ったじゃないか。ならば替えが利かない私の悩みとは、誰かと同じであっていい筈などない。私が抱える悩みは、私だけのものでなければならない。

 だって、そこじゃないか。1番目になれない私を他人と分けているものとは。私を私足らしめている、私を唯一の存在にしてくれている要素とは。

 その悩みにさえ1番目がいたというのならば、私はかけがえのない存在などではない。今まで通り、1番目に成り損なった、2番目でしかない。


 私の唯一は呆気なく、今やすっかり慣れてしまった2番目に隅々まで塗り潰された。


 どれだけ叫んだだろう。どれだけ走っただろう。叫び疲れて、走り疲れた私は、足をもつれさせ、地下道へと繋がる階段を転がり落ちた。長い間、目に映る色も形も、すべてが引き延ばされて渦を巻いていた。その最中、乾いた音と、瑞々しい音が、まとめて掻き鳴らされる不快な音色を聞いていた。

 渦が、音が止まる。何もかもが霞み、弱々しく消えていく。


 自分が死ぬのだとわかった。

 そんな時に私が感じたのは、「階段からの転落死なんて、どうして2番目になれるような特殊な死因じゃないんだよ」という、うっかり命を手放してしまう程の脱力感だった。

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