第2話 起床

「ねむっ……つーか、体が痛ぇ」


 寝惚け眼を擦りながら体を起こした男は、周りを確認すると見覚えのない景色に目を疑った。


「……いや……ここは、始まりの丘、か……?」


 始まりの丘はブラックブリード・エンパイアに登録した時にチュートリアルを受ける始まりの地であり、どの場所でログアウトしても、再びログインしたときに訪れる場所である。


 小高い丘で周りを木々で囲まれており水溜りのような小さな池がある閉鎖された独立空間だ。


 起こした体の違和感に気が付いた男が、自らの体を見下ろすと全身が黒の鎧に包まれていた。傍らには一式らしい鎧の面と昔ながらのライフルが置かれていた。


「これは俺がゲームで使っていた『名銃・霞下ろし』か? ……ああ、なるほど。夢だな」


 しばらく考えて結論を出した男はのったりとした足取りで小さな池に向かい、水面に映る自らの顔を確認した。


「アバターと同じ顔か。こうやって見るのも新鮮だな。……さて、ここが本当にブラックブリード・エンパイアだとするならば……」言いながら唯一、木々の生えていないほうに視線を向ければ少女が駆け込んできた。「来たか。記録係」


「お任せしました~、初めまして~の方では無さそうですね。では、こちらの本にお手を触れてください」


「ここはゲームと同じか」


 開かれた白紙の本に手を置くと、文字が浮き出てきた。


「はいはい~、ありがとうございます~。サンジュウシ様、ですね。情報の確認は致しますか?」


「ああ、頼む」


 差し出された本に視線を落としたサンジュウシは、数値化された自らの情報に眉を顰めた。


 このゲームにはレベルという概念が存在していない。


 体力・スタミナ共に初期値から変わらず、上限をあげるには武器・防具を買って装備し、食事を取るしかない。その代わりに条件を満たしたり金を払ったりして得られるスキル習得というシステムが存在している。


「スキルはそのままで……アイテムもあるか……ん?」


 習得したスキルの中で戦闘に使用するものは任意で付け替えることができるはずだが、そのためのコマンドが無い。アイテムに関しても武器や装備も揃っているが所持金がゼロになっている。


「……まぁ、夢だしな」


 呟くと、本を閉じて少女に返した。


「ありがとうございました~。それでは~」


 去っていく少女を見送ったサンジュウシも、鎧の面を付け、銃を持ってその後を追っていくように始まりの丘を後にした。


 目の前に広がるのは最初の街であり、拠点でもあるクロムシティ。


 別名・鋼鉄の街。


 人間が住むのは、ここを含めて三つの街のみで、各地にあるギルドでクエストを受けて素材集めやモンスター退治をするのが大まかなゲームの概要である。


 街を一歩出ればそこはダンジョンと呼ばれ、ただ単純にダンジョンを探索することも出来る。クエスト特定モンスターには出会えないが、装備や武器を揃えるためには誠意的にダンジョン探索に出るのがこのゲームを攻略するための常識だ。


「……とりあえず宿でも取るか」多くの人が行き交う街の中を進み、見覚えのある看板に目を止めた。「たしかここだったよな。高ランクだとタダになる宿屋は」


 ドアを開けて宿屋の中に入れば酒場兼宿屋の店で、まだ昼間だというのにハンターらしい数人が酒を酌み交わしていた。


 そんな光景を横目にバーに向かえば、若い女性がサンジュウシに気が付いた。


「いらっしゃいませ! お食事ですか? 宿ですか?」


「宿を頼む。とりあえず三日ほど」


「かしこまりました。一泊二十円となりますが、如何でしょうか?」


 その問い掛けにサンジュウシは首を傾げた。


「ん? 金を取るのか?」


「はい」


「一応、Sランクなのだが……」


「はい。最上位ランクだろうとなんだろうと、お客様はお客様ですので」


 笑顔を向けてくる女性に対して、頭を抱えた。


 なにせ、金が無い。ゲーム内通貨の二十円は現実通貨の二千円で、比較的安値だが所持金ゼロならいくら安くても関係は無い。


 バーカウンターに項垂れていたサンジュウシだったが、金を作る手を思い付いた。


「じゃあ、また来ます」


「はい! お待ちしております!」


 そのまま宿屋を出たサンジュウシは考えるように顎に手を当てて、街から出る砦のほうへと足を進めた。


「二十円か……近場のモンスターを数体倒せば稼げる額だが、俺の夢ならせめて融通利かせてくれよ。まぁ、夢だからこそ変に現実的ってのもあると思うが……」


 ぶつぶつと独り言を呟きながら鋼鉄の砦から外に出ると、そこには大草原が広がっていた。


 ダンジョン・大草原。


 初心者の腕慣らしの場であり、多種多様なモンスターの生息地だ。この場所で操作を覚えられないプレイヤーのほとんどがゲームを止めていくわけだが、感覚で出来る者は出来る。出来てしまう。サンジュウシもその一人だった。


 当ても無く歩いていると、目の前に現れたのはデザインの甘いスライムだった。デザインの甘さはゲームそのものである。


「スライムか」あからさまに残念そうな表情をして溜め息を吐いた。「レベルにもよるがこの辺りだと一銭なんだよなぁ……どうするかな」


 などと考えているのを余所に、いつの間にか戦闘態勢に入っていたスライムがサンジュウシの腹部目掛けて体当たりをした。


「っ――!」吹き飛んだサンジュウシは、驚いたように腹部を押さえながら血を吐き出した。「ごほっ……今のは、貫通ダメージ、だと……?」


 本来ならばサンジュウシの身に着けている『黒傭の鎧』の防御力の高さから最弱モンスターのスライムの攻撃など食らうはずがないのだが、プレイヤーが構えていないときの不意打ち時にのみ五分の一の確率で発生する防御力無視の貫通攻撃がこのタイミングで発生したのだ。


 しかし、今はそんな低確率の攻撃が通ったことよりも腑に落ちないことがあった。


「……痛い、っつーか……熱い」


 攻撃を受けた腹部を押さえながら呟くと、途端に額から大量の冷や汗が流れ出てきた。


 俗に――夢の中では痛みを感じないという。


 にも拘わらずダメージを受けて痛みを感じたサンジュウシは嫌な予感が過るのと同時に目の前で戦闘を続ける気でいるスライムを見て血の気が引いていた。


「うおっ――おおおっ!」


 咄嗟に銃を構えた。


 本来なら使い方も知らないはずだが、自然と動いた体は銃口をスライムに向けて流れるように引鉄を引いていた。


 ドンッ――


 弾が直撃したスライムはジェル状の体を飛び散らせたが、サンジュウシは自らの心臓の鼓動を大きく感じていた。


 腰を抜かしたまま動けずに、ジンジンと深まっていく痛みに耐えながら――草原に倒れ込んだサンジュウシは、掲げた掌で日差しを遮った。


「……マジか」


 そして、実感する。


 ――ああ、こりゃあダメだな――と。

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