2番目の恍惚

マスカレード

第1話 

 1学年 1学期 中間試験成績発表 (10教科合計)


 1位 小島 直人    987点

 2位 下里 愁也    986点


 エリート進学高校の中間テストの順位が、1学年校舎のエントランスホールに張り出された。

 アリが砂糖に群がるように、グレーのブレザーを着た生徒が集まってくる。

 その真ん前に立っているのは、分厚い眼鏡をかけたガリ勉くん小島直人で、分厚い参考書を胸に抱きしめて、普段使わない頬の筋肉を緩めて笑っている。

 教室の中では、机にかじりついてずっと問題を解いているガリ勉くんに、あまり話しかけないクラスメートも、こういう時は小島の肩を叩き、すげーなと称賛の言葉を贈っていた。


 その絶妙なタイミングを見計らったかのように現れた下里愁也は、人混みを掻き分けて、小島から数人離れた場所に立つと、表の合計点を見比べて、顔を引きつらせた。

 下里の表情を窺っていた周囲の生徒たちの間に、ぴりっと緊張感が張り巡らされ、次に彼らの顔に浮かんだのは同情だった。

「1点差。たったの1点差で、2位なんて悔しいだろうな」

「見た? あの顔。引きつったよね? かわいそう」

 

 色々な囁きが漏れ聞こえる中、表情を隠すように俯いた下里は、傍から見ると、まるで名前の通り愁いを帯びて悲しんでいるように見える。

 今まで勝利をかみしめていたガリ勉くんは、一瞬で加害者の立場に立たされて、下里にどんな言葉をかけてよいのかも分からず、おろおろする。

 下唇を噛みしめて、ようやく顔を上げた下里は、目があって固まったガリ勉くんを気遣う様に、おめでとうと言って、その場を去った。


 シーンと静まり返ったホールから足早に歩き、距離ができると共に、僕は堪えていた感情を解き放った。

 ああ、みんなの同情が堪らない!

 惨めさを最大限に引き出して味わうためには、観客はなくてはならないスパイスだ。きっと今日一日は、みんなの視線を背中に感じて、ぞくぞく感を楽しめるだろう。そのために僕は努力したのだから……。


 ここに入って間もなく、首位で合格したと噂の小島に目を付けた。

 小テストなどの点数をチェックし、小テストが無いものは、分からないふりをして小島に質問して理解度を測り、中間テストの合計点を予測した。

 さっき成績発表を見た時は、予測より低い小島の点数に驚き、勝ってしまうところだったと頬が引きつったが、それが逆に効果をもたらした。

 1点差だっただけに、その場にいたクラスメートは余計に僕に同情し、みんなの顔に浮かんだ痛まし気な表情が、全部僕に向けられた瞬間、思わず快感で蕩けるところだった。

 下唇を噛んだ痛みで、何とか隠れた性癖を暴露せずにすんだが、いつばれるかとひやひやする。

 ああ、でも、ばれて蔑みの視線を浴びるのもいいかもしれない。


 だが、そんな甘い想像は、一人の転校生によって霧散することになる。

 1学期の途中で編入してきた渡来わたらい雄輝ひろきは、背も高くがっしりとした体つきの帰国子女だった。エリート校に編入できたのだから、それなりに優秀なのだろうとは思ったが、見た眼が体育会系なので、クラスが同じになっても僕はまるでチェックしていなかった。

 そして、1学期の期末テストの結果が発表された時、僕は己の目を疑った。


 1学年 1学期 期末試験成績発表(13教科合計)


 1位 渡来 雄輝   1255点

 2位 小島 直人   1210点

 3位 下里 悠也   1203点


 さ、3位!? 2位ではなくて3位?

 慌てて横にいた小島を見ると、信じられない気持ちは同じらしく、小島は手にした参考書を取り落として、クラスメートの同情を一身に集めた。

 片や、今まで同情を集めていた僕には、誰も快感のスパイスである同情を向けることはなく、3位だって?頑張ったじゃないかと、肩をぽんぽんと叩いてくる始末だ。

 何てことをしてくれたんだと渡来を睨むと、こちらに目を向けていたらしい彼とばちっと視線が合って仰け反った。

 多分、僕の態度が普通ではなかったのかもしれない。普通順位が落ちた時は、自分を負かした相手が気になるか、単純にがっかりするのだろうけれど、僕が真っ先に注目したのは、渡来ではなく、2位の直人と直人に向けられる周囲の態度だった。 自分が得るはずだった快感を直人に奪われて、不満そうな顔をしたかもしれない。不可解な行動をした僕を、渡来が探るように見ている。

 緊張感で、手が汗ばみ、ポーカーフェイスを保つことができなくなった僕は、さっと踵を返して教室に向かった。


 今まで一位を保ち、それだけが生きがいだったガリ勉小島は、小テストでも渡来に勝てないと分かると、徐々に勉強の意欲を失っていった。

 そうなると、ターゲットは渡来一人だけになる。

 注意深く彼を観察した結果、期末テストは帰国したばかりでどうやら不調だったらしいことが分かった。その後の小テストでは毎回100点を取り、質問にもよどみなく答える彼の優秀さに、僕は久々に挑戦意欲を掻き立てられた。

 

 小島の中途半端な成績では、抜かないように努力するのが大変だったが、渡来は全力で向かっていっても、勝ち負けは五分五分の結果になるだろう。

 全力投球の結果負けたなら、フェイクじゃない本物の敗北感という恍惚を得られるかもしれない! 僕は想像するだけで興奮した。

 

 2学期の中間は、あいつはやってくれた! 満点を叩き出したのだ!

 僕は用心して5点差で負けたが、それまでにないハイスコアを出しても負けた僕に、周囲の同情は集まり、堪らない快感を得て身体が震えるところだった。

 俯いてその場を去って、トイレに駆け込み鏡を見ると、かわいそうな自分の立場に興奮した赤い頬と潤んだ目が映っている。まじでやばいと思った時、鏡越しにぴたりと視線が合った奴がいた。

 僕の表情が驚愕で色を失ったのを見て、渡来は片眉を上げてふ~んと面白そうに鼻をならした。

 その瞬間、僕は奴の性癖を感じ取った。こいつはドSだ。間違いない。

 次回も完全に僕を叩きつぶして、喜ぶかもしれないが、それは僕にとっても願ってもないことだ。今度の期末は本気でぶつかってやる。

 そして、破れて、本物の惨めさを味わうんだ。鏡の中の僕は近い未来を思い描いて、うっとりとほほ笑んだ。


 2学期の期末まで、僕は今までにないくらい必死で勉強した。

 そんな僕を横眼で見て、あいつはフンと鼻をならして通り過ぎる。

 じわりと背中が痺れた。もっと、もっとだ。あいつの勝ち誇った顔を期末テストの発表で見て、クラスメートの同情を俺のものにして、俺は最高のエクスタシーを得るんだ!


 ついに2学期末のテスト発表があった。

 1学年 2学期 期末試験成績発表(13教科合計)


1位 下里 悠也   1299点

2位 渡来 雄輝   1298点

3位 小島 直人   1212点


  唖然と立ちすくむ僕を、クラスメートが、おめでとう、ようやく一位になれたねと、肩や背中をバンバン叩いて祝福する。

 嬉しくない! 惨めさを微塵も感じることができないなんて!

 何でだ? あいつの実力なら、今回のテストで満点なんて簡単に採れたはずだ。

 恐る恐る振り向くと、してやったりと言わんばかりに、にたりと笑う奴がいた。


 

 



 



 

 

 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2番目の恍惚 マスカレード @Masquerade

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ