半熟少女と花の魔女
ゆずりは わかば
第1話 花屋、コーヒー、隙間風
放課後は、お姉さんと一緒に過ごす決まりだった。決まりと言っても、そんな校則があるわけではない。わたしが、自分で、勝手に決めていることだ。
学校と家の間にあるシャッターが目立つ小さな商店街に、お姉さんのお店はあった。商店街の看板から3軒目の花屋。仏花を火葬場に卸すことで一定の収入を得ており、お店の軒先で花を売ることはお姉さんにとって暇つぶしのようなものだった。
今日もわたしは、誰もこない花屋でお姉さんと時間を潰すだろう。人生で、おそらく最も輝かしい時間を部活にも勉強にもバイトにも使わずに、ただ時が過ぎていくのを眺める。何かしないとな。という焦燥感は無いわけではないが、その焦燥感を何かに変えるほどの熱を、わたしは持ち合わせていなかった。
***
お姉さんのお店は寂れた商店街には似つかわしくないほど可愛らしく、綺麗だった。でも、誰も花を買いに来たりはしない。
「今どき花屋さんなんて、流行らないのよ」
そう言って、お姉さんは寂しげに笑った。ひとつにまとめた髪を肩から垂らして、外国の本を膝に置いて、カウンターの向こう側に座っている。
「貴女だって、花を買ったりはしないでしょう?」
「ええ、まぁ。お花を買っても、花瓶なんてうちには無いから」
嘘。本当は花瓶を買ってある。お姉さんから、いつでも花を買えるように。でも、わたしはお姉さんから花を買うことが未だにできていない。
「花を仕入れて、売れない分は処分して。私って、とっても残酷な仕事をしているのよ」
嘘をつくわたしには注意を払わずに、お姉さんは話を続ける。
「残酷……なのかな」
「ええ、とても残酷」
プリムラの花は冷たい風に揺られ、もがり笛が半開きになった店の戸の隙間から、外気とともに滑り込んできた。
「それにしても寒いですね」
「そうね」
お姉さんは、立ち上がると戸の隙間を少しだけ小さくした。振り向いた顔に咲いた微笑みを、わたしは必死に目に焼き付ける。
「コーヒー、飲む?」
「いただきます」
水やり用の薬缶も、この時だけは本来の役目を思い出す。剪定用のシンクから水を汲み、古い石油ストーブへのせる。マグカップにインスタントの粉を入れるのは、お姉さんの役割だ。
インスタントのコーヒーを飲むわたしを、お姉さんはいつも黙って眺める。この時にお姉さんが何を考えているか、わたしには分からない。ただ、このコーヒーを口にする瞬間だけは、お姉さんがわたしを「見ている」ような気がする。
花の蜜の香りとコーヒーの匂いが混じり合って、お店の中が特別な空間になる。同じ空間と同じ味を共有するこの時間が、わたしはたまらなく好きだった。
「そういえば、はなちゃんは部活とか恋とかしないの?」
時々される質問。これに、わたしはいつも決まった返事をする。
「しませんよ。わたしはお姉さんと一緒に、こうしているのが好きなんだから」
こう答えると、お姉さんは嬉しそうに笑うのだった。
***
「価値のあることって、一体何なのでしょう」
「どうしたの? 突然」
「少し、気になって」
進路指導の用紙。鞄に閉じ込めたそれは、まだ白紙だ。高校までずっと地元で暮らしてきたわたしには、将来なんて想像もつかないほど遠かった。
お姉さんは、押し花の栞を本に挟むと手招きをした。
カウンター越しにお姉さんと向き合うと、お姉さんは薄く笑みを作った。
「価値っていうのはね、人それぞれによって違うものなの。その人が生きていくにあたって一番大切にしたいことが、一番欲しいものが、価値あるってことだと思うの。友達が大事とか、お金が欲しいとか、健康だとか、そういったもの。はなちゃんには、そういうことがあるかしら?」
生まれた時から、そこそこ満たされて、そこそこ健康で、それをなんとなく維持してきた。そんなわたしに、欲しいものなど無いし、大切にしていることも無い。毎日がなんとなく続いていく、そんな無限に続く時間を、これからも漠然と消費していくだけな気がする。
「逆に聞きますけど、お姉さんにとってのそういう、なんていうか価値のあるものってなんですか?」
「私? 私にとって価値のあるものはね、未成熟な存在かな」
「未成熟?」
「そう。花が、実をつけて子孫を残すために咲くのは知ってるよね? つまり、花は全て未成熟な存在であるといえるの。実つけるところが植物にとってのゴールであり、実をつけて始めて成熟したというならば、花という段階の植物は、全て未熟」
戸の隙間から、また冷たい空気が流れてくる。
「子羊が、大人になることで成熟するのだとすれば、子羊の肉は未熟な肉であるということ。卵が成熟する事で雛がうまれるのだとすれば、卵は未成熟な存在であるということ。私は、未熟な存在が好き。未熟な存在から、成熟を奪うことがたまらなく好きなの」
どこか浮世離れした雰囲気のお姉さんの、現実とつながる一点を見つけたようでわたしは嬉しかった。でも、同時にお姉さんがわたしを見ていないことにも気づいた。
「お姉さんは、わたしのこと好き?」
わたしは質問する。未熟な疑惑を、成熟した確信に変えるために。
お姉さんはわたしの意図を見透かして、でもそれに気づかないふりをして答える。
「もちろん好き。人格的にも、社会的にも、肉体的にも未熟なところが大好き。成熟するために必要なものをシャットアウトして私のところに来るのが特に好き。自分が未熟であることに気づけるだけの知能があって、薄々気づいているのに気づけないふりをして。そんなところが大好き」
「じゃあもし、わたしが現実と向き合ったら?」
「そうなったら、あなたにもう価値は無いかな。あ、でも成熟に向かう姿を見るのも悪くないと思うわ」
カウンター奥に干された花が、冷たい隙間風に吹かれて、音を立てて揺れた。
***
それ以来、わたしはお姉さんのお店に行くのをやめた。最後に店を出る前に見たお姉さんの顔は忘れられない。黙って出て行くわたしを引き止めもせずに、満面の笑みでわたしを見送った。
喧嘩別れが、尻切れとんぼでありながら時間が経てば修復も不可能でない中途半端な終焉であることに気づいたのは最近だ。
お姉さんの店に行くのをやめてからのわたしは、自分でも信じられないほど充実した学生生活を送り、気づけば、大学生活も終わり、独り立ちする時期になっていた。
実家にある荷物を取りに、なんとなく商店街を通った。商店街は以前にも増してシャッターが目立ち、人の気配が相変わらずしない。あの一角には、記憶と全く変わらない姿で、あの花屋があった。軒先には、相変わらず売り切れないほどの花が並び、寂れたシャッター街には似つかわしくないメルヘンな店構え。半開きの戸の隙間から、カウンターの向こうで外国の本を読むあの人の姿が見えた。 5年前と全く変わらない姿。若く、美しく、この世の存在とは思えない稀薄さで、そこにいる。
わたしの脇をすり抜けて、制服を着た少女が店に入る。少女に続くようにして店の中に入ると、あの頃と変わらない、花の香りに包まれた。
「お姉さん、はじめてのお客さんだよ!」
少女に言われて始めて顔を上げると、あの人は、わたしのことなど、少女のことなど見えていないように微笑んで、外国の本を閉じた。
半熟少女と花の魔女 ゆずりは わかば @rglaylove
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