第五十七話 宣言

 食卓には珍しく白波一家が揃っていた。ということは、中津川家の長女はまだ眠っているわけである。まあ、あの女は災厄しかもたらさないから素晴らしいことだが。夕食時とか、平気で明城の話ぶっこんでくるからな。うまくいってんの、とか。今度いつ泊りに来る……こっちは母だった。


「いってきます」

 リビングを出る時、一応声をかけた。

「いってらっしゃい」

 親父の不愛想な声。

「あら、今日は明城さんは?」


 そして、母親の余計な一言が聞こえてきた気がした。しかし、気のせいだということにして、そのまま廊下に出た。ちゃんと後ろ手でその扉を閉めながら。


 いつもよりもかなり早く目が覚めた。睡眠時間は十分とはいえない。そのせいでまだ少し頭がボーっとしている。やはり二度寝を……しようとしたができなかっただけなんだが。

 ということで、さっさと登校準備を終えたわけである。たまには、あの女を俺から待ち構えるのも悪くない。あいつ、結構ランダムな時間に来るから、割といつも心臓に悪いんだよなぁ……。


 外に出ると、空はよく晴れ渡っていた。太陽は燦々と輝いている。しかし、まだ時期が時期なだけにそこまで日差しが激しくない。

 そよ風を感じながら、自転車を取り出して籠に鞄をセット。手で押しながら、門を出てちょっと進行方向によけて身体を少し愛車に預ける。


 住宅街だが、時折車通りはあった。そして、他校の制服に身を包んだ学生の自転車が目の前を通過する。なんかこうしていると、世界から切り離された疎外感を覚える。


 あまりにも手持無沙汰すぎて、鞄から単語カードを取り出した。教科書だけでなく、ワークに出てくるようなものまで粗方覚えてしまったけど。それでも暇潰しにはなる。

 ぺらぺらと捲る。あの時明城にも手伝ってもらったから、三分の一くらいは筆跡がガラッと違ったものが混じっている。あいつ、字も奇麗なんだよな。『筆記体……は見づらいですかね』手元に置いたカードを申し訳なさそうに見ていた彼女の姿を思い出した。


「あれ、ユキトさん?」


 二周目に入って少ししたところ、よく聞きなれた声が耳をくすぐった。顔を上げて左の方に顔を向けると、姿勢よく自転車を漕いでいる銀髪の女が目に入った。ほんと、あいつはよく目立つな……。


「おはようございます……どうしたんですか?」


 ぴたりと彼女は俺の目の前に止まった。サドルに座ったまま驚きに満ちた顔をこちらに向けてくる。しかし、この風貌に普通のママチャリってアンバランスだな、といつも思う。

 

 事情を説明するだけなら簡単だ。恐ろしいほどに早く準備ができたから、たまにはお前のことを出迎えることにした。しかし、なんとなくそれじゃあつまらないとおもった。ここまで退屈な時間を過ごした甲斐がない。


「……実は、家を追い出されてな」

 あえて深刻そうな声を出してみた。

「――えっ!? それは大変ですね! どうしたんですか、お母様と――いえ、お父様と喧嘩なさったのですか?」

 

 彼女は一層目を丸くした。とても慌てているご様子。それでも言いなおした辺り、うちの事情はわかっている、ということか。流石明城。もはや感心すら覚える。

 そんなこちらの家庭事情に配慮した素晴らしい推理をみせてくれた明城には申し訳ないことだが、俺の中の父親への苦手意識は多少薄れていた。まあ今朝もいつもみたいに、母さんを巻き込んでの気まずい沈黙を演じてきたがね。ただし、そこまでの息苦しさは感じなかった。


「まあそんなところだ」

 とりあえず乗っかってみることに。

「どうしましょう……わたくしが仲を取りなすというのも。――いえ、これはチャンスかもしれませんね、アリス!」


 明城は一人勝手に盛り上がっていた。少し困った様子を見せたと思えば、次の瞬間にはやる気に満ちた顔をしている。……こいつが張り切るとろくなことがない気がするんだよなぁ。


「とりあえず、今日からうちに泊まってくださいませ! ああ、考えただけで楽しく――」」

「あのさ、全部嘘だから」


 なるほど、やはりろくでもないことを思いついていたか。興奮しているところ悪いが、つとめて冷ややかに水を差すことに。しれっと俺はネタ晴らしを行った。

 すると、明城はぴくりとしてそのまま固まる。唇をちょっと丸めて、まばたきをひたすらに繰り返していた。鳩が豆鉄砲を食ったよう、とはこういうことを言うのだろう。

 俺は変な納得を覚えながら、そのまま自転車にまたがった。単語カードはポケットに押し込んだ。そしてペダルに足をかける。


「じゃ、お先に~」

「ユ、ユ、ユ、ユキトさんのバカ~~~~っ!」


 快適に漕ぎ出すと、後ろから壮絶な悲鳴が聞こえてきた。しかし、俺は足を止める気にはなれないのであた。





        *





 やるなら今しかない、俺はいよいよ覚悟を固めた。隣を歩く彼女はご自慢の銀髪を揺らしながら、ご機嫌にハミングしている。

 合流当初、ちょっとした勢いであんなふざけたことをしたもんだから、道中大事な話をする機会は全くなかった。そもそも、自転車に乗っていると話し辛いということもあるが。


 校舎までは後数十メートル。道を歩く生徒の姿は少ない。でもやはり明城は人目を引く。なにかちらちらと視線を感じるのだ。

 果たして周りは俺たち二人をどう思っているのだろうか。これが同学年のやつなら、またあいつら一緒にいるよ、と見慣れた感じだろうけど。それ以外からすれば――


 まあいいか。気にしたって仕方がない。今はどうやって話を切り出すか。いざそうしようと思うと、なんだかとても緊張してきた。口の渇き、嫌な汗、過度に働く心臓、腹の奥がぐるぐると渦巻く感じ――やがて昇降口のドアが段々と近づいてきた。


「なあ、明城」

「どうしましたか、ユキトさん?」


 俺が足を止めると、彼女もすぐにそれに続いた。そしてその顔をこちらに向けてくる。俺は未だに正面を見続けたまま。

 人の流れは淀みない。一人でとぼとぼと歩いていくやつ、友達と談笑しながら進むやつ、恋人と手を繋ぎながらラブラブアピールを欠かさないやつ――色んな人間がいる。


「あのさ、今度のテストのことなんだけど」

 俺もようやく彼女の方に身体を向けた。不思議そうにしている顔がそこにはあった。

「お前よりも順位が上だったら、話したいことがあるんだ」

「……わかりました」

 真剣な表情で彼女はこくりと首を縦に振った。


 そんな条件いる、とか。今話してくれ、とか。とにかくもっと大騒ぎするもんだと思っていたから、彼女のその反応にはいささか拍子抜けをした。

 明城は、口を真一文字に結んで、ピンと背筋を張って、黒々とした大きな瞳で俺の顔を見つめてくる。その気品ある風貌にやや気後れするものを感じながらも、単純に美しいと思ってしまう。それは見た目だけでなく、中身もそうだ。


 そんな彼女と真剣に向かい合うためには、あの宣言が必要だった……と、自分は強く思っている。目標なくやってもなあなあになるだけ。そんな自分の退路を塞ぐ。気持ちが大事――それをより強いまま保つためにも。


「期待、してますから」


 ニコッとほほ笑むと彼女は再び歩き出した。遅れて俺もついていく。俺があいつを追いかける構図は珍しいと思った。しかし、本当だったらこっちの方が正しいのだ。妙にしっくりと感じる。


 そのまま特に言葉は交わさずに下駄箱へ。またしても雪江の姿がそこにはあった。さっき立ち止まっている時に抜かされたのかもしれない。


「おはよう、幸人、明城さん」

「おはようございます、湊さん」

「……おはよう」


 あいつは平然とした顔で俺たちに声をかけてきた。昨日の今日なのに、そのメンタルが不思議でしょうがない。相変わらず、その冷たい瞳が何を秘めているのかはわからなかった。

 そして、なぜか三人で教室まで行くことに。わざわざ雪江は俺たちのことを待った。女子二人が俺を挟み込むものだから、その居心地の悪さたるやえげつなかった。

 

 朝の喧騒を肌で感じながら、三階へ。例に漏れず、この階もまた騒がしい。下手すると、職員室があるすぐ下の階よりも。

 教室には珍しく俺の友人二人が揃っていた。おざなりに挨拶をして、席に座る。明城はそのまま吉永との談笑に入った。


「お前ら二人とも、今日は早いんだな」

「今日は朝練休んだからね。大会前にオーバーワークはちょっと……」

「俺はなんとなくだ」

 剛は何げなく鼻を鳴らした。


「そういえば、いい顔してんねー、幸人」

 口調は軽いが、その顔は優しい笑みを湛えていた。

「迷いは吹っ切れたみたいだな」

 続くこの男も珍しく柔らかい表情をしている。

「……なにわけわかんないこと言ってんだよ」


 二人のまっすぐな言葉はくすぐったかったけれど、悪い気はしなかった。こいつら、俺を心配して早く来た――


「ほら、剛! さっさとテストどこ出るか教えてよ! 幸人でもいいよ~」

「……はあ。学、ちょっとは勉強する癖付けた方が良いぞ。いくら部活が大事だからってなぁ」


 違うな、これは。テスト近いからいつものやつだ。学が剛を呼び出して、付け焼き刃でなんとかしようっていう企みのやつ。俺たちの恒例行事だ。

 俺は苦笑しながらも、その会話に交るのだった――

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