第二十五話 心もとなさと憎むべき女

 俺は何度目かの目覚めを迎えた。いよいよ、デート当日がやってきてしまったわけである。胃が落ち着かないのは空腹感を覚えているからではなく、心臓が高鳴っているのと同じ理由だろう。


 結局、作戦会議が終わったのはとっくにを回った頃。しかも無意識の内に緊張しているのか、なかなか寝付けず。

 短い睡眠を繰り返した末に、ようやくカーテンの隙間から朝日が差し込んできたというわけだった。とりあえず、布団ごと身体を起こす。


 カーテンを開けると、弱い日差しが一気に入り込んできた。空はすっきりと晴れ渡っている。なるほど、絶好のなんたら日和だ。


 頭は全くスッキリしていない。いわゆる脳内にもやがかかったような感覚。寝起きということを差し置いても、頭の回転はとても鈍いように思われる。

 どうみても寝不足です、本当にありがとうございました。白波幸人先生の次回作にご期待ください……ダメだ、くだらないことしか浮かばない。


 とりあえず、顔を洗おう。俺は部屋を出て一階の洗面所を目指す。廊下はひっそりと静まり返っていた。当たり前だ、まだ早朝と呼べる時間帯。親父も母さんも、まり姉もみんな寝ていることだろう。

 なるべく物音を立てないようにそーっと廊下を進む。辿り着いた目的地にも、思った通り人はいない。多少の水音は仕方ないと割り切って、俺は何度か顔を水洗いした。

 水は身体がびっくりする程冷たかった。いつもならそれを疎ましく思うが、今日ばかりは感謝しかない。


 ぽたぽたと雫を滴らせながらも、タオルで無理矢理に顔を拭いていく。多少はすっきりした気がする。とりあえず、ついでだから鏡で寝ぐせをチェックすることに……。

 そこには、いつもよりも一層くたびれた男子高校生がいた。とても見知った顔だ。心なしか、瞼がいつもよりも下がっている気がする。冴えないやつだな、お前は。鏡に向かってぽつりと吐き捨てた。


 朝恒例の儀式を終えて、部屋に戻る。朝ごはんにはまだまだ早い。しかし、もしベッドに横になることがあれば――その末路が簡単に脳裏に浮かんで、軽く戦慄。

 結論、俺は眠気を堪えながらもなんとか意識を紡ぎ続けることにした。幸い、暇潰しのものはいっぱいある。とりあえず、世界を救う旅に出てみよう。


 その後幾度となく眠気に襲われその度に横になりたくなったが、何とか堪えてやり過ごした。そんな拷問のような時間はしばらく続くのだった――






        *






 久しぶりにこんなよそ行きの恰好をした気がする。黒のスキニーに白シャツ、薄手の紺のジャケット――俺が高校に入る時に、まり姉が買ってくれたものだ。


『あんたも高校生になるんだから、いつまでもやぼったい格好してちゃモテないわよ』


 それで街に連れてかれたわけである。それだけ聞けば、なんとも面倒見のいい従姉のおねえさんということになるが、よくよく聞いてみれば母さんが頼んだらしい。それを人は余計なお世話という。

 どおりで、あんなに必死に説得してたわけだ。特別報酬――人参をぶら下げられた馬みたいに、あいつは張り切っていた。


 あの頃は、こんなもん着る機会はない、と思ったものだが、よもや助けられることになるとは。人生何が起こるかわからないものである。


 朝食はそれなりに食べた。食卓にはしばらくぶりに一家三人プラス居候が揃った。だから、どうだって話でもないが。


『出かけるから昼は要らない』

『あら、珍しいわね』


 その会話はそれで終了。特に詮索もなく。また静かな食事が再開された。俺だって土日いつも家に籠もっているわけじゃないから勘ぐられるようなことはない。

 しかし、俺は気が付いていた。あのロクデナシの従姉が妙ににやにやしていたのを。……気のせいだと思って、見ないふりをした。触らぬ神に祟りなし、うまい諺があったもんだ。


 最後にもう一度、身だしなみを確認する。姿見なんて立派なもの、俺の部屋にはないので洗面所の鑑を使って。問題はないよう見えた。イケてるかどうかはおいておいて。


 持ち物もチェック。財布も持った。携帯も持った。鞄は邪魔にならないものを選んだ。後は、ハンカチ、ポケットティッシュ、腕時計……ここまで念入りに持っていくものを確認したのは、高校受験以来かもしれない。


 これで準備万端。乗ろうと思っているバスが来るまで十分くらいある。それでも早めの便だから、予想だにしない事態が起きてもリカバリーは可能。

 しかし、そろそろ出発かと思うと、また緊張してきた。胸の鼓動が早くなっていくのがわかる。なんとなく落ち着かない気分になって、俺はともかく洗面所を出た。


 すると――


「あっ」

「……おう」


 扉を出てすぐのところで。一番合いたくない人物に遭遇してしまった。想定外の出来事に、ちょっとフリーズしてしまう。


 ったく、いつも土日どこかに出かけてるくせに、なぜ今日に限ってこの女は家にいるのだろう。……しかもだるんだるんの部屋着姿。今日は完全に家にいるつもりか、この女。


「おやおやぁ、そんなにおしゃれしちゃって~。さてはデートだな!」

「違う。せっかく、まり姉が買ってくれたからたまには着ないと悪いかな、と思っただけだ」

「ふーん、そう。へ~」


 やつはじろじろと俺のことを見てくる。何か勘ぐるような目つき。口元を盛大ににやつかせながら。


 気分の落ち着かなさに拍車がかかる。そのわきをさっと抜けようにも、どうにも通せんぼされていて難しい。……自分の不注意さを呪う。


「剛君とか学君とかと遊びに行くの?」

「ああそうだよ」

「いつもやぼったいカッコしてるのになぁ」

「センスがなくて悪うございましたね!」

「だからあたしがそれ、選んだけたんでしょ。よく似合ってるわよ。さすが、あたし!」

「へいへい、ホント感謝してますよ~だ。ああ、そろそろ通してくれないか? 待ち合わせに遅れ――」


 その時、まり姉の瞳が大きく見開いた。そして、顔いっぱいに笑みが広がっていく。決定的な手掛かりをつかんだ探偵みたいだ。


「待ち合わせ、ねえ。あんたたちが遊ぶ時、いつも二人が迎えに来るのにね~」

「たまにはそういうこともあんだよ。そんじゃな!」


 動揺を隠せないまま、逃げるようにして彼女の横を通り抜けた。玄関はすぐそこ、今日履く靴はさっき準備してある。

 俺はそのまま勢い任せて扉を開けた。外に一歩踏み出したところで――


「デート、頑張ってね~。あの銀髪の子でしょ」


 その声は聞こえない振りして無視、少し強めにドアを閉じた。

 ……帰ったら、どうかあの女がいませんように。澄んだ青空に願いながら、俺はバス停に向かって会う気出した。

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