恋人たちの夜
陶器を細かく砕いて貼り付けた、星の降るような天井の下。
アルガ王国の王宮にあてがわれた一室で、プロセルフィナは寝支度をしているジークに今日の出来事を話していた。
「それでね、アルガ王国の女性はそれはもう男性に従順なのだそうよ。ヴァルヒルムもそういう風潮があるけれどこの国ほどではないわね。女性が男性へ向ける気持ちはあまり変わらないようだけれど」
南国の男女のあり方はプロセルフィナにとって新鮮なものだった。
男は財産のように女性を所有し、女は所有物として男性に尽くす。ヴァルヒルムのように裏で陰謀をこねられるような外界との接触をこの国の女性はほとんど持つことができないという。
「従順とは限らんと思うがな。意外とこの国の女はしたたかだぞ。いまはそれほどじゃないが、王の寵愛が失われてもあの手この手で居座り続けて国を掌握するようになった老獪な妃も過去にはいたらしい」
寝間着の襟を直しながらジークはプロセルフィナのいる部屋にやってきた。
ジークはあまり人の手を借りたがらない。それは彼が自国で『死狂いの王子』と噂されているせいもあるし、彼が若い頃国を離れて自活していたせいもあるのだろう。自分のことは自分でやる。必要でない限り助けは求めない。
彼はなるべく他人を遠ざけたいのだ。自分の運命に誰かを巻き込まないために。
プロセルフィナを一目見て、彼は動きを止めた。
「……お前、その格好」
「寝間着なんですって。すごく薄くて軽いのよ」
重ねた薄布に袖を通し幅広の腰帯で留めるそれは、この暑い国では快適な一枚だ。しかし北国で暮らしているプロセルフィナにはちょっと薄すぎて頼りない代物でもある。
ジークの目が胸元や足先に移るのを見て、プロセルフィナは呆れた。
「ねえ、いま何を考えたの?」
「何って。お前」
そういう欲があるっていうのは喜ぶべきところかしらね。そう思いながらプロセルフィナはショールを上半身に巻きつけた。
「おい」
「別に含みはないわ。ちょっと寒かっただけ」
にっこり笑って言うと、ジークは慌てた様子でこちらに飛んできた。
「あのな、プロセルフィナ」
「私も老獪なお妃様になろうかしら? そうすればヴァルヒルム王宮に居座り続けることができるわ」
笑いはするもののプロセルフィナの心中には濃く重い霧がかかる。
誰かに求められていなければ生きていられないと思えるほどに、自分の傍らには闇と死と影が付きまとう。
王宮にいるだけでは意味がない。
あなたがいなければ。
愛され、必要とされて、ここにいていいと言ってもらえるその幸福が、由来を持たないプロセルフィナには必要だった。
ジークは不意に真顔になった。
「……手を」
「手?」
はい、と言いながら両手を上に向けて差し出す。ジークは自身の手でそれを包み込む。
「目を閉じて」
言われた通りすると、ふっと、ジークの香りが強くなった。
以前から思っていたことだが、彼は変わった香りをまとっている。アルガ王国に来てそれがこの国の香木によるものだと知った。
唇に吐息がかかり、合わさる。
驚いて身を引こうとすると握られた両手に阻まれて呻いた。
「ジ、っ」
ジークは巧みに口付ける位置を変えてプロセルフィナを翻弄しようとする。のしかかるように迫ってくる身体を押し返すことができないでいたが、その体勢は彼にとっても不自由だったらしく、手を解放する代わりにプロセルフィナの腰を抱いてきた。
プロセルフィナは自由になった右手で彼の額をぺちりと叩く。
加えて左手で胸を押し返すと、ようやく解放してくれた。
「……こういうことで反論するの、よくないと思うの!」
「その達者な口を塞がないと話が進まないんだ。お前こそ、怯えるあまり適当なことを言って煙に巻くのをやめろ」
むっと口を閉じた。図星だったからだ。
拗ねた顔を見たジークはやりすぎたと思ったらしく、頭を掻いた。
「……若かろうが年寄りだろうが、色気があろうがなかろうが、お前はお前だし…………俺はお前以外は必要ないと思っているし……」
どうして大事な部分は小声なのか。
顔を赤くしたジークは熱を宿した目でプロセルフィナを見つめた。
「だから、触れたい。口付けたいし抱いていたい。ずっとこの胸の中に」
南の国の女性が不自由でもなお男性に尽くすのは、彼らが情熱的に女性を恋うからだという。その証拠に南の国では愛の詩が盛んであり、いくつもの名詩が世界中に伝わっている。
それに比べて北や東の男性は、南ほど女性を束縛しないが従順であることを強く求めるきらいがあるのだ。プロセルフィナの養母ノーヴス公がいるヴァルヒルムはまだましな方ではあった。
けれど不器用ながらも思いを告げるジークは、北も南も関係なく、ただひたすらに愛を乞う男性でしかない。
そしてプロセルフィナは、心からそれを望む世界中にありふれたただの娘なのだった。
「……私もよ、ジーク」
告げるだけでは足りないと、そっと右手のひらに口付ける。そしてその手を頬に寄せると、ジークは笑ってもう一方の手でプロセルフィナを抱きしめた。
明かりを消して見上げた天井のきらめきは、夜の闇にこそ星に近い真の輝きを宿したように思えた。そしてそれはきっとここに二人でいられるからだとプロセルフィナは信じていた。
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