6−3

「では改めて。フレイ・クラン・ヴァルヒルムだ。はじめまして、プロセルフィナ姫」

「お初にお目もじ仕ります。プロセルフィナ・ノーヴスでございます」

「ジークから話を聞いた時にはどういうことかと思ったが、なるほど、ジークが好みそうなお嬢さんだ」

 はっはっと笑われてプロセルフィナは答えようがなく固まった。そっとジークを伺う。

「…………」

 無言でお茶を飲んでいる。公爵も同じだ。とりあえず状況が成立したのだから、後はどうとでもなる、相手の隙に喋らせておこうと思っているらしい。

「ふたりはどのようにして出会ったのかな? 一人の女性のためにジークがここまで周到に準備をするのは意外でね。どんなお嬢さんなのか気になっていた。てっきり結婚させてくれと言ってくれるのかと思っていたんだが」

 父王の言外な批難を聞き流し、公爵のそれ見たことかという視線にも顔を向けず、ジークは黙っている。三人を相手にするのはさすがに厳しいので協力を仰ぎたいと思っていると、遠くから叫び声がした。

 ――ウゥウウァァアアアアア……!

 思わず席を立った拍子にがたんと椅子が鳴る。

「どうした、フィン?」

「あっ……いえ……」

 誰も聞こえていないのだと気づき、無礼を詫びてジークを見やる。

 黙っているので気づかなかったが、彼はひどく澱んだ目をしていた。黙っていると思っていたが、身体がだるかったのだろう。口を開くのが億劫なのだ。

「ジーク、」

「大丈夫だ」

 遮って手を振る。

 最後まで言わせない。ここにいるのに何も言わない。プロセルフィナはかっとなった。

「大丈夫なわけ、ないでしょう!?」

 その剣幕に高貴な人々が驚いている。

 それに構わずジークの腕を掴んで立ち上がらせると、失礼します! と声を張り上げて退出し、廊下に控えていた侍従に適当な部屋を教えてもらうと、辿り着いたそこに突き飛ばした。

「おい」

「ぼうっとして。そんな顔色になって。辛いなら、苦しいならちゃんと言ってちょうだい! 私たちは簡単に会えないような距離にいるわけじゃないのよ! 人にはあんな風に言い切ったくせに、今更噂がどうこうと悩まないで!」

 主従でない。親友でも恋人でもない。将来を誓い合ったわけじゃない。でもお互いが必要だ。ジークは命を失わないために。プロセルフィナは生きる理由のために。

 気持ちはわかる。――相手を縛りたくない。相手の未来を狭めたくない。プロセルフィナだって自分のせいでジークが忘れられない人を消し去ってほしくない。

 それでも、血の気の失せた顔をして止まない呼び声に疲れ果てている、その苦しみに何もできないようならここにいる意味はない。

「言ったでしょう、責任を負う必要はないって。あなたは私を使えばいい。私に助けさせて。あなたが……」

 こみ上げた感情が溢れる。

 ――この思いをどう表していいのかわからない。でも。

「あなたが苦しむのは、つらい」

 頬を滑り落ちる涙の意味も、どうしてこれほどまでにつらいのかもわからない。けれど海と空の青の世界で我に返ったとき、彼が立っていたことを覚えている。目覚めた世界にこの人がいた。力に戸惑う『私』に最初の意味をくれた。

 汚さないで、誰も。この人を私から取り上げないで。

「プロセルフィナ……」

 ジークが頬に流れるものに気づいて手を伸ばしたが拒絶した。

「慰めないで! 私に慰めさせて」

 プロセルフィナが振り払った手を下ろし、ジークは頭を抱えた。

「……どうしろって言うんだ。こだわっている俺が悪いのか? 俺がお前の部屋に行くだけで、お前は俺の愛人扱いされるんだぞ」

「それでいいわ」

「……おい」

「人にどう言われるかなんてどうでもよかったのよ。あなたには忘れられない人がいる。私は自分が生きる理由がほしい。だから名前だけの恋人関係になる。それでいい」

 胸の奥で叫ぶ自分を押さえつける。けれど溢れ出す。

「あなたのそばにいられるのなら、なんだって構わない」

 ――どうかわたしをひつようだといって。

 そばにいて。抱きしめて。一緒にいて。忘れないで。名前を呼んで、大切だと囁いて。それはきっと。

(縋っている。ここにいる意味を彼に与えてもらいたがっている。弱虫で臆病者で無責任な私だ。でもそれでも)

 ――あなたにもとめられていたい……。

 独りよがりな自分を見透かされたくなくて、ジークの顔を見られずに目を伏せていた。

 縋っている。もう一度思う。でもそばにいたい。しかしどちらの思いを受け止めるかはジーク次第だった。

「……縋るぞ」

 ふとジークが動いた。俯いていた顔を上向かせ、目尻に触れて涙を拭う。

「お前の力を俺の良いように使う。お前の存在も利用するぞ。妃のように扱うし、貴族たちにもそのように接してもらう。お前に縋るぞ。……恐らく俺が死ぬまで。それでもか」

 答えの代わりに手を伸ばした。頭を垂れるジークの頬に触れ、そっと目を閉じる。

 温もりを感じる。なのに悲しかった。

 ジークがプロセルフィナの腰を引き寄せる。

「お前だけだ。お前だけが俺の生を望んでくれる……」

 肩に埋められてくぐもった声が、誓いのように二人を絡み取っていった。


 夜になると手燭の光になんとも言い難い表情を照らした女官が、支度をしているプロセルフィナの元を訪れた。月は中点から一歩ずつ追い立てられて沈もうとしている。城中の人々が眠りに落ちる時間だがプロセルフィナは日中と同じ装いだ。そのことを言いたいのかと思ったが、どうも様子がおかしい。

「どうかした?」

「あの……その、殿下が……」

 何と言っていいのか、という具合に語尾を曖昧にした女官だった。殿下と聞いてプロセルフィナは驚き、急いで出迎えに向かう。ジークは前室で何をするでもなく立っていた。

 お互いの関係を恋人同士と偽装しようと決めた後、剣のことが気になっていたこともあって、夜になったら部屋に行くと宣言してあった。その関係を隠れ蓑にすれば堂々と部屋を訪れることができると思ったからだ。

「どうしたの。これから行こうと思っていたところだったのに」

「お前に来られる方が困る」

 疑問符を顔に貼り付けたが、とりあえず部屋に招く。女官にも休むように言うと、彼女は妙に浮き足立った様子で辞去を述べて駆け去ってしまった。どうしてあんなに忙しないのだろう。疲れているだろうに。

(顔も赤かったし、具合が悪かったのかしら。気づかなくて悪いことをしたわ……)

 ジークに椅子を勧め、少なくしていた灯りを増やして回りながら自分を戒める。そうしたところに気を配るのも主人の務めだ。

「困るって、何が困るの?」

「……夜に訪ねる場合、普通男から女のところへ、じゃないか?」

 しばしきょとんとしてしまったが、ああ、と腑に落ちた。

 プロセルフィナがジークの部屋を訪ねた噂が広まった場合、プロセルフィナをずいぶん積極的な女だと揶揄する声が高まることだろう。あるいはジークの権威が落ちるか。それは避けたい。

「それであなたが来たのね。じゃああちらの寝台で寝てくれる? 私は長椅子を使うから」

「こら。逆だろうが」

 ジークは軽くプロセルフィナを小突くと、外套や靴を脱ぎ捨てて勝手に長椅子に寝そべってしまった。大柄なジークの身体が余っている。寝ているうちに落ちてしまいそうだ。

「ジーク、そのままだと結局床で寝ることになるわ」

「俺がお前を差し置いて寝台を使うと思うのか?」

「相手に容赦がない場合や、優先すべきなのが自分ならね。……もう、わかったわ、ここは折れます。剣は?」

 ジークは丸められた外套を指した。ぞんざいな扱いに呆れつつ近づくと声がした。

 ――ゥオォ……ンン……。

 どうやらこちらも疲れ切っているらしい。仕方のない人たちだ。

 椅子を持ってくる。ジークは毛布にくるまって寝る態勢だ。眉間に寄った皺、目の周りに溜まった疲労の影。肌の色艶もあまりよくない。ずっと無理をしていたのだろう。本当に彼は剣との関わりで自暴自棄になりすぎる。

(馬鹿な人。あなたはいつか誰の手からも逃れて去っていくのではないかしら)

 救うべく伸ばす手も。死に追い落そうと伸びる手も。すべての手を拒絶して一人で消えるのではないだろうか。悲しい予感を息で逃がし、咳払いした。

「じゃあ、歌うわね。うるさいかもしれないけれどしばらく我慢してね」

 そうして子守唄を聞かせる日々が始まった。王宮の隅々に王太子が愛妾を作ったということが周知されるまでさほど時間はかからなかった。

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