第六話

「グラム、今日はどういう予定なんだい?」

 翌朝、クレール男爵邸に向かう馬車の中でダベンポートはグラムに訊ねた。

「今日から屋敷の外周を調べるつもりだ」

 とグラム。

「もう中は調べ尽くしたよ。あとは外しかない……アテはないけどな」

「そうか、それだったら僕に四人ほど貸してくれないか?」

 ダベンポートはグラムに言った。

「四人? まあそれはいいが何をするつもりなんだ?」

 グラムは少し不思議そうだ。

「まだ、屋敷の中を探し切っていないことに昨日気づいたんだ」

 ダベンポートは言葉を続ける。

「今まで僕たちは誰かが夫人を隠すことばっかりを想定して捜索を続けていただろう? まあ生きているにしても死んでいるにしても、だがね。そうじゃなくて夫人が自ら身を隠した場合はどうなるかって視点が抜けていたんだ。そうやって考えるとまだ探していない場所がありそうだ」


 クレール邸の屋敷は地下一階から地上三階までの四階層になっている。

 このうち、捜索したのは主に地上の三階層だ。地上階については隅々まで、それこそ部屋の隅から隅まで調べ尽くしたが、地下にはまだ探っていない場所がある。

 ダベンポートはヒュー達四人をグラムから借り受けていた。

「そもそも、おかしいとは思わないかね?」

 玄関ホールを歩きながらダベンポートはヒューに話しかけた。

「この屋敷から音もなく出て行くのはほぼ不可能だ。何しろこれだけ街から離れている、孤立した屋敷だからね。歩いて出るとは考えにくい。だとしたら馬を使うしかないわけだが、そうするとどうしても物音がする。馬というものは騒がしい生き物だからね」

「それはそうですね」

 ヒューが頷く。

 ヒューは昨日一日エレンと親交を深め、かなり多くの情報を集めていた。

 どうやら、使用人達は本当に何も聞かされてはいないらしい。ある朝起きたら執事に呼ばれて、いつも通りに仕事をする様に、何も気にすることはないと言われただけだという。

 そもそも、身の回りの世話をする小間使いレディースメイドを除き、メイド達は雇用主と顔を合わせる機会がほとんどない。男爵もメイドの事は空気の様に扱っている。男爵夫人はその点気さくな人だったが、それにしてもせいぜいが微笑みかける程度だ。それ故、メイド達からしてみたら男爵夫人は居ても居なくても判らない、そんな存在だった。

 男爵夫人が姿を消した夜に何か物音がしたかというヒューの質問にもエレンは首を横に降った。メイド達は地下室と屋根裏部屋に住んでいたが、特に大きな物音はしなかったという。

「何かあればわたし達メイドのあいだで必ず噂になるはずなんです」

 エレンはなぜか頰を赤らめながらヒューに言った。

「でもそういう物音を聞いた友達は誰もいないみたいです」


(いや、俺は年上が好きなんだ)

 エレンとの事を思い出して少し幸せな気持ちになったヒューは、慌てて自分に言い聞かせた。

(それにエレンは細すぎる。確かに美人だけど。確かに、顔立ちは好みだ……)

 関係のない事を考えているヒューの横でダベンポートが話し続けている。

「……夜の間に物音を聞いた使用人は一人としていない、それに馬もいなくなってはいない……だとしたら、夫人はのかも知れない」

「出ていないと仰られましても……では、どこに?」

 ヒューは無理やり自分を現実に引き戻した。

「それをこれから探すんだ」

 屋敷の片隅、やや狭い使用人用の階段を使って地下室へと降りる。

 流石に大きな邸宅だけあり、クレール邸では地下にも瓦斯洋燈ガスランプが備えられていた。作業をしやすいようにとの配慮だろう、昼間から煌々と瓦斯洋燈ガスランプが灯っている。

 階段を降りるにつれ、遠くの方から喧騒が聞こえてくる。

 キッチンだ。

 大きな邸宅のキッチンは休むことがない。たとえ家族は二人しかいなくても、三十人を超える使用人達の腹を満たす必要がある。若干本末転倒な気もするが、クレール家のキッチンは賄いを作るためにいつも大忙しだった。

〈ダベンポートさん〉

 ヒューは横からダベンポートの耳元に囁いた。

「なんだい、ヒュー?」

〈探すって、まさかキッチンの中ですか? ひょっとして食っちまったとか……〉

「ヒュー、」

 呆れてダベンポートはヒューに言った。

「その発想は賞賛に値するとは思うがね、この屋敷の連中がそんな無茶をすると思うかい? これだけ大きな屋敷なんだ。キッチンにはいつも誰かが詰めている。夫人を料理して食おうと思ったらそれこそ屋敷全員がにならない限り到底無理だよ」

「そう、それはそうですよね」

 流石にそれはないか、とヒューは胸を撫で下ろす。


 ダベンポートは地下室の瓦斯洋燈ガスランプの下に四人の騎士を集めると、内ポケットから手帳を取り出した。明るい光の下で四人に地下室の見取り図を示す。

「僕たちが今いるのがここ、キッチンはここだ。奥の使用人の居室と寝室は二日目に調べただろう? まだ調べていないのはこの一角だ」

 それはトイレ、洗面所、洗濯室ランドリー、石炭倉庫、その他掃除用具置き場などが置かれた地下室の一角だった。

 掃除は行き届いていたがなんとなく薄汚い感じがする。地下室の反対側にある裏口や倉庫は徹底的に調べたものの、この一角から外へのアクセスはないため捜索はややおざなりだった。そもそも、このあたりにクレール夫人が近づく可能性は極めて低い。

 昨日の夜、書斎で屋敷の見取り図を詳細に調べていた時、ダベンポートは地下室の見取り図に矛盾があることに気がついていた。

 地下室の部屋を並べてみると、石炭倉庫のあたりに空白地帯がある。

(絶対にこのあたりに隠し扉があるはずだ)

 とダベンポートは睨んでいた。

 中に何があるかは判らない。

 死体か、バラバラになった肉片か、あるいはまた何か別のものか。

「諸君、」

 とダベンポートは騎士達に声をかけた。

「この一角はフロアのレイアウトに不審なところがある。どう考えても部屋の面積が合わないんだ。特におかしいのはこのあたり」──とダベンポートは石炭倉庫を指差した──「このあたりには隠し部屋がある可能性が高い。外側は今グラム達が調べている。僕たちは内側に集中するんだ。君たちには壁を押したり引いたり、あるいは妙なノブやら紐やら凹みやらを探して欲しい。ここには絶対に扉がある。……では始めようか」

…………


 騎士達は早速左右に散らばると、壁の継ぎ目を探したり、あるいは押したりと地道な作業を始めた。

 ダベンポートが右に行ったり左に行ったりしながら的確に騎士達に指示を飛ばす。

(しかし、隠し部屋って言ってもなあ)

 ヒューは自分も壁の継ぎ目を指で探りながら密かに嘆息した。

(だいたい、隠してあるから隠し部屋なんだろう? そう簡単に見つかるかな?) 

 クレール男爵邸の地下室は全体が煉瓦で内張りされていた。崩れない様にという伝統的な構造だが、この煉瓦が厄介だ。風化が進んでおり、どの割れ目も怪しく見える。

 ヒューはキッチン側から扉を探すことを早々に諦めると、

「ダベンポートさん」

 と右手を挙げた。

「なんだい、ヒュー」

「俺、反対側から見てもいいですか? こっちは手が足りてそうだから、石炭倉庫側から見てみようかと思って」

「いいだろう」

 ダベンポートは頷いた。

「ヒュー、直線を探せ。上から下まで一直線に繋がっている継ぎ目があればそれが隠し扉だ」


 四人の騎士達は地下室の捜索に備えて全員が小さなランプを携帯していた。

 キッチン脇の扉を開き、石炭倉庫へと降りる。

 中は薄暗く、上の方から外の明かりがかすかに差しているだけだ。

(まあ、石炭に光はいらないよな)

 その明かりはどうやら倉庫奥の斜面から差している様だ。

(あそこから石炭が投げ込まれるのか。なるほど)

 ヒューは屋敷の作りに感心する。

 ヒューの実家は狭く、縦に細長いアパートメントだった。暖炉に使う石炭を下の倉庫から運ぶのは子供の仕事だ。重い石炭を運びながら、何度平屋作りの家を羨んだか判らない。

 大きな屋敷において、もっとも多くの石炭を消費するのはキッチンだ。その点、キッチンの脇に石炭倉庫があるこの作りは合理的だと言えた。

 早速、直線を探して倉庫の中を少しずつ移動し始める。

 ダベンポートが考える『謎の空間』の位置は判っていた。そちら側を重点的に探索する。

 だがすぐに、倉庫の中の明かりでは十分でないことにヒューは気がついた。

(明かりが必要だ……)

 腰のベルトから携帯用のランプを外し、壁でマッチを擦って火をつける。

 オイルランプに照らされ、すぐにヒューの周囲が明るくなる。

「さて、直線、直線と……」

 ランプが落ち着くのを待ってから、ヒューは再び継ぎ目探索に戻った。

 十分、二十分……

 飛ぶ様に時間が過ぎて行く。

 いい加減指の先が擦れて痛くなってきた頃、ふとヒューは継ぎ目を辿った指がまっすぐ下の方へと滑る場所を見つけた。

 細い継ぎ目。煉瓦を積む時の継ぎ目とは違う。

「!」

 心臓が高鳴り、思わず息を飲む。

 ヒューは震える指をそのまま上に伸ばしてみた。

 やはり一直線に滑る。

 直線だ。

「これだ!」

 思わず叫び声が漏れる。

 ヒューは隠し扉に背中を向けると、ダベンポートを呼ぶために慌てて倉庫を飛び出した。

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