三年目四月 例えばこんな出会いの話
智樹が車の免許を取った。
卒業式も終えて、同棲のための準備も進めている春休みに、合宿に行って。あればなにかと便利だから、なんて言っていたけど、彼が車の免許を取るだなんて言い出した時は、少し心配したのだ。
なにせ智樹は、一度とても大きな交通事故を経験している。そのせいで両親を亡くし、自分も長いこと野球から離れてしまう原因にもなった。
ずっと不思議ではあったのだ。そんな事故を経験しておきながら、バザーの時や合宿の時は普通に車に乗っていたから。
でも、ただ乗るだけなら問題ないのかもしれないけど、運転となればまた話は変わってくるだろう。
しかしそれでも、智樹はあっさりと免許を取って帰ってきた。
そして今日。
大学の入学式も終わり、私の引越しも無事に終わってから数日経ったこの日。
記念すべき、智樹の初運転の日である。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「君は心配しすぎだ。合宿でも問題なかったし、初心者マークもちゃんとつけたし、免許も財布の中入れてるし。大丈夫だよ」
「そういうことが言いたいわけじゃないんだけど……」
どうせ、分かっていて話を微妙にズラしてるに決まってる。
私たちが乗り込んだのは、智樹の家、現在の私の家でもあるマンションの駐車場に停められていた軽自動車。なんとこれ、智樹の叔母である天城さんからの入学祝いだ。
久しぶりに帰ってきたと思ったらこの車でやって来て、智樹にあげる、なんて言ってたのだから、私も智樹も二人揃ってメチャクチャ驚いた。
入学祝いにしては奮発しすぎじゃないかしら?
「さて。それじゃあ行こうか」
エンジンを点けた智樹がアクセルを踏み、車は全く危なげなく発進する。駐車場を出る時の左折も問題なし。私自身が免許を持ってるわけでもなく、お父さんやお母さんの運転で車に乗ることしかないけど、それでも、免許取ってから初運転にしては上手いと分かる。
さすが智樹。ムカつくほど無駄に高スペックなだけあるわね。
「行き先は決めてるの?」
「特には決めてないよ。適当にぶらついて、適当な時間で帰ってくる。ドライブデートなんてそんなもんじゃないか?」
「ドライブデートって聞くと、海岸沿いの道を高級車で走るイメージがあるんだけど」
「それは漫画の読みすぎだ。現実はこんなもんだよ」
そもそも軽自動車の時点で前提が崩れてるだろ。呆れたように言う智樹は、しかし視線をしっかり前に固定している。
その横顔がカッコよくて、不覚にもドキッとしてしまったり。付き合いだしてからもう一年以上経つというのに、私は未だに、ふとした時の彼の仕草にときめいてしまう。
今年から大学生なのに、これではまるでウブな中学生みたいだ。
「さて、とりあえずは蘆屋方面に走らせてみるか」
「お昼ご飯どうしましょうか」
「適当な店に入ろうぜ」
「中岸さんのところは?」
「あそこは駐車場がないし道も狭いからダメだ。サイゼでいいだろ」
私たちが高校を卒業したつい先月のこと。紅葉さんの付き人をしていた中岸さんが神楽坂家の援助の元、小さな喫茶店を開いた。三十五年に渡って神楽坂家に仕えてきた男性の小さな夢が、定年を迎えてようやく叶った。らしい。紅葉さんが我が事のように喜んで報告してきたのだ。
「そういえば、その中岸さんのところで三枝もバイトするらしいぜ。色々と教えてもらうんだと」
「色々って?」
「礼儀作法とか、社交界のマナーとか。お金持ちの方々に混じっても恥ずかしくないくらいには鍛えてもらうらしい」
「出来るのかしらね、あの男に……」
「やるしかないんだろうさ。珍しく本気だったぜ、あいつ」
「本気、ね……」
夏目智樹と三枝秋斗。小学校からの腐れ縁で互いに親友と呼び合うこの二人は、等しくなにかを諦めた者だ。比べるようなものでもないと思うけど、それでもこの二人だと当時は智樹の方が根が深く見えていた。何かに対して本気で取り組むことなんてしないと公言し、あらゆる物事をのらりくらりと躱してみせていた智樹。
その陰に隠れていたけど、やはり三枝もそんな智樹と同じだった。いや、今でも同じだと思っていた。少なくとも、私は。
三枝は智樹と違い、早々に割り切ったのだ。数えきれないほどの後悔もあっただろうけど、それでも諦めることしか出来ない自分に対して、それでいいと割り切った。その先にも見えるものがあるかもしれないと、半ば自暴自棄のような希望に似た何かを抱いて。
私の知る限りでは、そんな男が唯一本気の姿勢を見せるのが紅葉さんが絡んだ時だけ。高二のゴールデンウィークから始まってもう二年近くあの二人を見てきたけど、三枝の紅葉さんに対する想いは本気なのだとすぐに分かるほどだった。
だから今回も、これまでと同じ。珍しい、というわけではない。それが当然なんだ。紅葉さんが中心のあの男にとっては。それが恋人や親友以外に向けられることがないだけで。
「何か言いたげだね」
「別に。ただ、あなた達って結構ハードモードの人生送ってるなって思っただけよ」
「天才ってのは生まれたその時から人生ハードモードが決められてるんだ。いやぁつらいつらい」
「否定しきれないのが嫌ね……」
例えば野球の天才であったり。もしくは空手の天才であったり。あるいは万能の天才であったり。
この世界は優れている人間に対して酷い現実ばかりをけしかける。唐突な交通事故。限界を超えた練習による怪我とその悪化。人間関係の軋轢や無責任な期待による無意識の圧力。本当に救われなければいけない人間ほど切り捨てられる。
あたりにも理不尽。あまりにも不平等。
ただ、それを乗り越えた先に見える道は、どんな景色なのだろう。挫折して諦めた先には? 進む先は人それぞれで、そんな人たちの数だけ道がある。
私はきっと、恵まれている方なのだろう。
「ところで桜。たった今いい知らせと悪い知らせを同時に発表できるんだけど、どっちから聞きたい?」
「現実にそんな聞き方するやつ初めて見たわ」
「三枝はよく使うけどね、これ」
「とりあえず、いい方から」
「僕って結構運転上手いらしい」
「……え、それだけ?」
「そうだけど、事実だろう?」
「いや、まあ、そう、なのかしら……?」
私の移動手段は基本的にバスに電車、それから徒歩だから車に乗る機会は意外と少ない。それこそ、高校時代に中岸さんの運転で色々と行ったりしたくらいだ。だから、運転の良し悪しなんてのは分からなかったりするのだけど。
窓の外を眺めてみれば、見慣れない街並みが流れていく。あまり車に乗らない私からしたら新鮮な風景。知ってる街の知らない道だ。
「で、悪い方はなによ」
「道に迷った」
「……は?」
窓の外をもう一度見る。やはり知らない景色だ。私が車に乗る機会が少ないからだと思っていたけれど、そうではないと?
「ああ、ほら。ちょうどあそこに標識あるから見てみなよ」
「……どこよここ」
前方の標識を見れば、見慣れない街の名前。見たことがない訳ではないけど、それでも普段こんなところまで来ない。浅木から東へ走って蘆屋方面に向かっていたのは確かだけど、どうやら更に東へと走ってしまっていたらしい。
「こんなとこまで来てどうするのよ」
「せっかくだし、美味しそうなお店探して新規開拓と洒落込もうじゃないか」
「でもそういうお店って大抵長時間並ぶ羽目になるわよ?」
「穴場ってやつを見つけるんだよ」
「どうやって」
「勘」
つまり適当だと。呆れて思わずため息を吐けば、智樹は楽しそうにくつくつと笑う。まあ、別にいいんだけど。どうせ今日はやることも特になかったし。時間ならたっぷりある。来たことのない街とはいえ、家まで遠い訳でもない。
それから暫く車を走らせ、少しだけ北に上がったところの住宅街。
「あのお店にしようか」
「駐車場ないわよ」
「さっき見つけたからそこに止めよう」
本当に住宅街のど真ん中、駅からもそれなりに離れた位置にある洋食屋を智樹が見つけた。店の外装は綺麗だけど、客が入っている様子はない。果たしてアタリかハズレか。
近くの駐車場に車を止めてから歩いてお店へ。中へ入ると、やはり客は一人もいなかった。まあ、立地条件が悪すぎるものね。
「あ、いらっしゃいませ! 真矢くん、お客様が来ましたよ! 記念すべき一組目です!」
カウンター席の向こうにある厨房で立っていたのは、長い黒髪を頭巾の下でポニテに結んでいる妙齢の女性。歳の割にはなんだか言動が幼く見える。その人の声に呼ばれて奥から出て来たのは一人の男性。琥珀色の綺麗な瞳をしている。顔立ちからも察するに、外国の血が混じってるのだろうか。
「夜露ちょっと落ち着け。すいません、お待たせしました。二名様でよろしいですか?」
「ええ。カウンター席でいいかしら?」
「どうぞお好きなお席に。見ての通りガラガラですから」
苦笑しながらもそう言った男性が胸につけている名札には、平店員と書かれている。気になって女性の方を見てみれば、やたらと星や音符で強調された店長の二文字。
厨房の様子がよく見えるカウンター席に並んで座り、早速メニューを開いた。
「オーソドックスな洋食屋って感じね」
「内装も綺麗だし、これはアタリかな?」
「食べてみないことには分からないわよ」
「店長さんも美人だし、美人の作る料理は美味しいって世の中の常識だぜ?」
「ギャップ萌えのなんたるかを理解していないのかしら?」
「この場においてそれはマイナス要素にしかならないだろ」
「それもそうね」
というわけで、私はオムライスを、智樹はハンバーグのセットを注文。どうやら調理は二人でするらしく、外に出てきていた男性も厨房に入っていった。
しばらくもしないうちに店内はいい匂いで充満され、嫌でもお腹の中を刺激される。これはなかなか期待出来そうだ。
やがてやって来たのは、ふわふわの卵を乗せたオムライスに、デミグラスをたっぷりかけたハンバーグ。セットはサラダとライスが付いていた。嗅覚だけでなく視覚的にも存分な演出がなされている。自然と更に膨らむ期待。いただきます、と手を合わせてからいざ一口。
「ど、どうですか⁉︎ 美味しいですか⁉︎」
「……美味しい」
「ええ、美味しいわね……」
カウンター越しから身を乗り出して聞いて来た店長さんには、思わずそんな一言しか返せなかった。グルメリポーターならもっと詳細な感想を語って聞かせることが出来るのだろうけど、私たちの貧困な語彙ではこの美味しさを言い表すことができない。それほどに、このオムライスは美味だったのだ。
しかし店長さんはその一言で大満足なようで、笑顔を更に輝かせて喜んでいるのが伝わってくる。
「やった! やりましたよ真矢くん! 私たちの料理、美味しいって言ってくれました!」
「だから落ち着けって……お前、もう何年料理して来てるんだよ……」
「だってリニューアル後初のお客様ですよ! 私たちがお店継いで初めての! 真矢くんはもっと喜んでいいと思います!」
「はいはい。すいません、うちの店長が騒がしくて」
「ああ、いえ。大丈夫ですよ」
頭を下げてくる男性に、智樹は全く気を悪くした様子のない笑顔で返す。
悔しいけれど、私が作るものよりも数倍は美味しい。私のようなお母さんから教えてもらってあとは独学、などではなく。洗練された調理技術が感じ取れる。
「本当に美味しいですから。ここに立ち寄ったのはたまたまだったんですけど、来てよかったです」
「そう言って頂けるとなによりです。今日がリニューアルオープン初日だったんで、店長もちょっと不安だったみたいで」
しかし解せないのは、こんなに美味しい料理なのに客が私たちしかいないことだ。リニューアルと聞く限り、以前から営業はしていたのだろう。お店を継いだ、とも言っていたからその影響も考えられる。
いや、しかし。それにしても、だ。味はそこまで変わるわけがないだろうし、やはり立地的な問題? もしくは、宣伝力が弱いのか。
なんにせよ、こんなに素晴らしい料理を出すお店が、こんな状況でいいはずない。
「あの、不躾な質問なんですけど、お店の宣伝とかってしてますか?」
「あー、いや、特には。ホームページ作れとか友人からも言われてるんですけどね。そういうのには疎くて」
「まひるさんにお願いしたら良かったじゃないですか」
「あの人にこれ以上借りを作ってたまるか」
「じゃあ凪ちゃんか朝陽くんには? あ、世奈ちゃんも協力してくれると思いますよ!」
「あいつらは特別パソコン強いわけじゃないだろ。いや、柏木ならできても不思議じゃないけどさ」
ホームページすらないとは、宣伝は全くしていないと言っても過言ではない。ふむ、なら私がツイッターで発信。いや、それも限界があるだろうし、やっぱり紅葉さんあたりに一度来てもらってお願いするのがベストかしら?
「桜?」
「なに?」
「いや、なにか考え事してる様子だったから。どうかしたのか?」
「このお店の宣伝方法」
「なるほど」
どうやら智樹は一言で全部察してくれたらしい。さすがは私の恋人。そういうところも大好き。なんて。
「とりあえず食べようぜ。考えるのはそれからだ」
「それもそうね」
思わず思考が蕩けて消えてしまいそうになるほど美味しいオムライスをパクパク食べる。卵がね、本当に絶妙な焼き加減なのよ。どうやったらここまでふわふわにできるのか分からない。弟子にしてほしいレベルで。
そんなふわふわ時間を乗り越えて完食した頃には、満足感でいっぱいだった。大袈裟でもなんでもなく、こんな料理を食べられるなんて幸せすぎる。
私に少し遅れて完食した智樹も、随分と満足そうな顔だ。私の料理を食べた時よりもずっと。まあそうなるでしょうね。このオムライスに比べると私の作る料理なんて足元にも及ばないもの。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした。やばい、本当にめちゃくちゃ美味しかった」
「ええ、どうして客が他にいないのか本当不思議よね」
「ふふっ、ありがとうございます」
柔らかい笑顔を浮かべた店長さんは、同性の私から見ても凄い美人さんだ。こんなに美人で若い人が店長をしているのだから、なおさら話題になってもおかしくないのに。
食後のコーヒーを注文した智樹をよそに、私はスマホを取り出して店名を検索する。しかし本当にヒットしない。ツイッターもグーグルも全くだ。
「で、君はどうするつもりなんだ?」
「どうする、と聞かれてもね。やることなんてそんなにないわよ」
幸いにも、私のツイッターはそれなりにフォロワーが多い。日頃空いた時間に描いた絵を投稿してるお陰で。紅葉さんにもお願いしてそっちの人脈も使って貰えば、ある程度噂を広げるのは容易に可能だろう。
問題は、お店のお二人がそれを望んでいるのか、だけど。
「あの、すみません。ツイッターでこのお店のことを呟きたいのですが、住所を載せても大丈夫ですか?」
「別に問題ないですよ。な、店長」
「はい! ぜひぜひ!」
念のために私のツイッターアカウントを二人に見せると、意外にも反応を示したのは店長の女性だった。
「あ、あー! スノーホワイト先生! え、本物ですか⁉︎」
「え?」
「あのあの、私、いつも先生の絵を拝見させてもらってます! 特にこの前投稿してたアベンジャーズの集合絵にすごい感動しちゃって!」
「えっと、あの……」
「握手、いえサインくださいサイン!」
厨房からこちらに出てきた女性に手を握られ早口でまくし立てられる。隣の智樹は笑っていて、止めるなりフォローを入れるなりはしてくれなさそうだ。
たしかに先日、映画に感動したあまり勢いでそんな絵を描いて投稿した覚えはあるけど。まさかこんなところでこんな人に賞賛されるとは。世間は狭い。
いや、ていうか私、サインなんてないんだけど……。
「はいストップ。お客さん相手になにやってんだ」
呆れたため息を吐いた男性が店長さんの首根っこを掴んで私から引き剥がしてくれた。しかし智樹は未だに笑いをこらえたまま。ちょっとイラッとしたので足を踏んでおいた。
「痛い。桜痛い」
「あらごめんなさい、踏みやすそうな足がそこにあったからつい」
「いやでも、せっかくだから描いてあげればいいじゃないか、サイン。くくっ、こんな機会滅多にないんだしさ」
「次に笑ったら肩の関節外すわよ」
「ごめんなさい」
なんてやり取りをしている間に店長さんも落ち着きを取り戻したのか、ちょっと申し訳なさそうにショボくれていた。か、可愛いわね……。
「すみません、取り乱しました……」
「あ、いえ、顔をあげてください。私も自分の絵を褒められて嬉しかったので」
「じゃあサイン……」
「夜露」
「うっ、冗談ですよぉ……」
少し強い語調で諌める男性の瞳は、裏腹に優しげな色を帯びている。光の加減で金色にも見える綺麗な瞳。先程からのやり取りからも、この二人の関係はある程度察せられた。指輪をしていないのは、仕事柄仕方のないことか。
「サインは出来ませんけど、このお店のこと、できる限り色んな人に広めようと思います。こんなに美味しい料理が食べられるんですから、もっと沢山の人に知ってもらいたいんです」
「先生……!」
「あの、できれば先生はちょっと……」
「えっと、ではなんとお呼びすれば……?」
「白雪です。白雪桜って言います。こっちのさっきから笑ってるのが、夏目智樹」
「白雪さん、ですね。なるほど、だからスノーホワイト。白雪姫ですか」
正直、そのアカウント名も今となっては若干後悔しているんだけど。高校時代のあれやこれやを思い出してしまうから。冷静に考えたら恥ずかしすぎるでしょ、そのあだ名。
「あ、私は大神夜露です。えっと……これですこれ! このアカウント私です!」
「ああ、いつも感想をくれる……」
どんな絵を投稿しても毎回リプライに感想を投げてくれる人だった。本当に世間狭すぎじゃない? 取り敢えず大神さんのアカウントをフォロー。
「知り合いのちょっとお金持ちの人にも宣伝をお願いしてみるので、なにかあったらDMで連絡しますね」
「本当、ありがとうございます。それとうちの店長がすみません」
「お願いしてるのはこちらですから。そんなにかしこまらないでください」
大神夜露さん。綺麗な名前だ。その名前だけからは相当な美人さんをイメージしてしまうし、実際に大神さんはとても綺麗な方だけど。なんというか、やっぱりちょっと実年齢よりも幼く見える。愛嬌がある、とも言える。私には絶望的に足りないものだ。今更それを身につけようとも思わないけど。
智樹がコーヒーを飲み終わったのを見計らって、そろそろお店を出ることにした。私たち以外に客がいないとはいえ、あまり長居するのもどうかと思うし。
「ほら、行くわよ智樹」
「ん」
席を立ちレジでお会計。お金はどうせ共用で帳簿を付けてるから私の財布から。同棲を始めてから、お金の管理はちょっと面倒になった。今度理世にコツでも聞いとこうかしら。
「それじゃあ、ご馳走様でした」
「ご馳走様でした。また来ます」
「はい、ぜひまた来てください!」
「ありがとうございました」
二人に見送られて店を出る。見慣れない住宅街の中、駐車場まで歩いて向かっていると、懲りない智樹がまた笑いながら口を開いた。
「くくっ、それにしても、桜が先生とはね」
「似合ってないとでもいいたいのかしら」
「まあ、たしかに似合ってないね。先生、なんて呼ばれ方をする職業は多々あれど、どれもしっくりこない。いや、政治家あたりは意外と似合うかも」
「あんな嘘と建前に塗れた仕事嫌よ」
「おいおい、世の政治家の皆さんはこの国を良くしようと頑張ってくださってるんだぜ? そんな言い方はないだろうさ」
「自分のことで手一杯の人間が、国はおろか生徒なり患者なりの面倒を見れるとでも?」
「違いない」
ただまあ、悪い気はしなかった。自分の創りあげたなにかを褒められるというのは。だからきっと、あの料理を作った大神さんも。私たちに美味しいと言われて、そういう気持ちになったのだろう。
絵も小説も料理も、なにかを創り上げる人は等しく皆素晴らしい人たちだ。私自身はそうとは言えない人間だけど。
それでも。だからこそ。それを知らない人たちに、教えてあげたい。
こんなにも素晴らしいものがあるのだと。
「さて、上手く繁盛してくれたらいいんだけどね」
「するわよ、きっと。なにせこの私と紅葉さんが動くんだもの。持ちうる限りの手段は尽くすわ」
さて、次はいつあのお店に行こうかしら。
そのうち大神さんに料理を教えてもらったりしてみたいかも。これからは忙しくなるだろうから、近いうちに。
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