生まれた時から二番目だから

不知火白夜

オレは二番目

「オレは、生まれた時からずっと二番目なんだ」


 木を基調としたシンプルな部屋で、古びたソファに腰掛けた幼い子供が、暗い瞳でぽつりと呟いた。

 その向かいでは、短く整えた色素の薄い色と宝石のように輝く青の瞳を有す男性が、組んでいた足を直す。


「それは、生まれ順の話っていうだけじゃ、なかったよね?」


 少年について大凡のことは知っている男性が、確かめるように続きを促すと、向かいの黒い髪の子供が、暗褐色の切れ長の瞳を瞬かせた。数秒待っていると、子供の割に低い声がゆっくりと吐き出される。


「……先生の言う通り、生まれた順番もそうです。でも、オレ、兄弟のなかでは、何してもやっぱり二番目なんです。……勉強も、運動も、兄に勝てたことは一度もない」


 膝の上に置いた手を強く握って、喉を震わせて、彼は何度目か分からない苦しみを吐き出した。

 彼、『ツヴァイ』は何度ここでこうして胸の内に広がった苦さを吐き出したか分からない。片手では足りない回数ここに迷い込んでいる気がする。

 しかし、今現在彼が何度ここに来たかは後で確認すればいい問題だ。とりあえず今は、目の前の壊れそうな子供に目を向ける。

 ツヴァイは言った。兄に勝てないのだと。

 今までの話を纏めると、彼の兄は、相当優れた人物らしい。

 成績も良く運動神経もよく人望もありとても頼りにされる存在で、祖父にも気に入られていると。

 難易度の高い問題でもそつなくこなし、技術力のいることでもあっという間に習得してしまう。

 そんな相手が身近にいるものだから、自分はいつまでたっても注目されず、『二番目』の位置にいることになる。それが苦しいのだと少年は嘆いた。

 自分がもっと頭脳も技術も優れた人間であれば、もしくは自分は自分であると割り切れる性格であればよかったのにと少年は泣いた。

 ぽたぽたと目元から溢れた雫が頬を伝い、泣いてしまったことに驚いている本人の袖口で拭われた。


「……少し、落ち着こう、ツヴァイくん。そうだ、温かい飲み物でも飲もうじゃないか」

「……は、はい……」

「少し待っててね、用意してくるから」


 一旦席を立って部屋を後にし、数十分後、二人分の茶と菓子を手に机へと戻った。

 どうぞ、とツヴァイの前に差し出されたのは、深緑を成す温かな東洋の茶と、少々のあられだった。

 まさか、こんな所で緑茶を飲めるとは思わなかったらしいツヴァイは、今までに見たことがない程に目を丸くした。

 その様子がなんだかおかしくて、思わず笑いが込み上げる。


「そんなにも驚くことだった?」

「……はい」

「そっか。ツヴァイくんは東洋の人だろう? 友人にも、東洋の人がいてね。彼女に話したらこれを教えてくれたんだ」

「……そう、なんですね」


 依然としてどこか動揺している様子のツヴァイだったが、差し出されたカップを手に一口茶を飲めば、少し心身共に緩んだのか口の端が柔らかくなった。

 一方男はそれを飲んで少し口に合わないかもしれないなんて考えていたのだが、折角用意したのだ、飲みきるつもりでいた。

 茶を飲んで落ち着いてもらうという当初の目的も多少は果たせただろうか。そんなことを考えながら、男性は茶が注がれたカップを置いて、話を切り出した。


「ツヴァイくん」

「……はい」

「君は、二番目だとかお兄さんに勝てないとか言っていた。……だけど、君はとっても素晴らしい人だ」

「そんなわけ……」

「否定しないで、聞いてほしい」


 真剣味を帯びた声にツヴァイはびくりと肩を跳ねさせて、朧気に了承した。

 それを受けて、青年は冷静に言葉を続ける。


「君は学校の成績もとてもいいし、スポーツだって沢山できているみたいじゃないか。この……テニス? っていうスポーツなんか、特にそうだ。一位って書いてある。君は二番目をじゃない。それでいいじゃないか」

「それじゃダメなんです」

「どうして?」


 間髪入れず吐き出された震えた否定の声に、青年が首を傾げ、ツヴァイは長考するように暫し沈黙した後、徐にこんな言葉を吐き出した。

『結局はいつだって兄には勝てないから、意味無いんです』と。


 ツヴァイの返答に心がちくんと痛くなるような感覚が発生する。人の考え、特に幼少から植え付けられた感覚は簡単には変わらない。しかし、それでもほんの少しでも受け入れて欲しい気持ちなのに、それを拒絶する言い方が、男性には物悲しかった。

 男性の陰に気づかぬまま、ツヴァイは言葉を選んでゆっくりと口にする。


「さっきも言ったけど、オレは、勉強だって運動だって、いつだってオレは兄に勝つことは出来ないんです。……夜遅くまで沢山勉強をして、頑張って自己最高点を出しても、あとから思えば兄と比べると大したことはない。……必死になって毎日体を鍛えて、練習をしても、オレが苦戦して習得した技術を、兄はあっさりと修得するんだ。……いくら他の子に勝ってるとしてもオレは納得できない」

「じゃあ、こう考えてみたら? 順位なんて関係なく、努力をしている君は素晴らしい。本当だよ」

「あんなの、努力じゃない。オレは、今の何倍もやらなきゃ、兄には勝てない」


 男性は裏のない気持ちを真摯に伝えた。お世辞でもなんでもない、本当に男性はツヴァイを素晴らしいと思った上で伝えている。ツヴァイの気持ちも分かる。しかし、これ以上彼に精神的負荷をかければ、壊れてしまいそうで、それがとても恐ろしかった。

 男性にも勝ちたいが勝てない相手はいる。その相手は自分には中々できないことをあっさりとやってのける能力の高さをもっている。そんな相手を近くで見ることがどんな気持ちか、どれほど悔しくて惨めで情けなく思うか、それも理解出来る。

 ツヴァイは今苦しいだろう、逃げ出したいだろう、もういやだと叫びたいだろう。精神的に自らを傷つけつつも努力しているのだ、楽なはずがない。

 ツヴァイはとても努力家でいい子で、もっと褒められて然るべき子なのに。

 男性にはよく分からないこのテニス、とやらのスポーツの結果だって、並大抵の努力では勝ち取れないものなのだろう。

 それを思うと、このような人格に形成される要因となった家庭事情や、厳しい教育を強いる母親、平然と兄弟内差別をする祖父にも怒りは向かう。


 ツヴァイ曰く、父親は兄弟皆を愛し差別なんてしないが、母親は非常に厳しい人であるという。そして祖父が能力による兄弟差別や体罰を行う人であるため、ツヴァイはその被害に多く遭ってきた。

 だからこそ、彼は兄に勝ち、それらを回避したいのだろう。

 気の毒で見ていられないと感じながら、彼がぽつりぽつりと吐き続ける言葉に耳を傾けた。時折言葉を返しながら、少し冷めた茶をすする。あぁ、やはり口には合わないななんて思いながら、悲しげに目を伏せるツヴァイを見つめた。


「兄も、とても苦労してることは分かっているんです。長男ですし」

「だからといって君が差別を受けていい訳では無いんだ」

「……いえ、それでいいんです」

「……どうしてそんなことを言うんだい」


 紡がれていた言葉はいつの間にか落ち着いて、全てを諦めたような静かな声で、悟ったような表情で、ツヴァイは、小さく呟いた。


「だって、オレ――」

「思えば、二番目ですらなかったんだから」

「……何も無いオレには、二番目すら手が届かないものだったんだよ、先生」


 煙のように消える直前のツヴァイの瞳に、光などはなかった。

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生まれた時から二番目だから 不知火白夜 @bykyks25

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